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第6話 ベルゼラの王
51、霊送りの祭り 男踊り②
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ユーディアは男踊りと合わせるのは初めてだった。
仮面の奥のレギーの目は、ユーディアをとらえて離さない。
ひとりでその場でくるりと一回転するだけの踊りが、レギーの背中がユーディアの背に触れ、そこを軸にして回転する。
あり得ないほど大きな回転になって、回りながらも互いの顔を見つめあう。
ユーディアは目が回りそうになった。
舞台の二人は時にシンクロし、反発し、追いかける。
離れては打ち返す波のように引き寄せられる。
意味のなさなかった挙措の一つ一つが、レギーの踊りに連結されていく。
ユーディアはレギーと踊って初めて、女の踊りは対になる男の踊りと合わせて完全になると知る。
その感覚は、思いもよらないほど新鮮で、心が躍った。
目の前の男以外にユーディアの始まりの踊りに合わせられる男踊りの名手はいないだろうと思われた。
男の己を見つめ続ける真剣な目を見ていると、ユーディアは自分自身が男を惑わす魅惑的な女になったかのような錯覚さえ覚えた。
誘惑の踊りのはずなのに、男の腕の中で、手の内で、踊らされているような気持ちになった。
背中をそらし、無防備にさらされた喉元に、男の唇が触れんばかりに寄せられた。
竜神の娘はかろうじて男の腕をすり抜ける。
安易に望む方向へ流そうとする男の欲望を、娘は焦らした。
男に本気で愛してほしいから、戯れでなく、全力で自分を捕まえて欲しいと願った。
舞台は再び変調する。
娘と男の手のひらはぴたりと合わされた。
もう片方の手は互い腰に置かれて引き寄せあった。
官能の踊りに変わる。
どこまでも甘く、どこまでも切なく。
かがり火に映し出される影は分かちがたく一つになる。
世界を生み出す力も、生きとし生けるものからあがめられる崇高さも、娘はいらなかった。
二人が踊る踊りは歓喜の踊りだった。
それは同時に竜神の娘が、神聖力を失い精霊を見る力を失い、そして有限の時を生きる人として、大地に縛り付けられる喪失の踊りでもあったのだが。
欲しいのは、愛する男のキス。
愛のささやき。
観客たちの顔は舞台に向けられていた。口を開くものはいない。
女たちは、ユーディアに自分自身を重ねてみていた。
持てるものすべてを失っても、愛する男と結ばれたいという切なさは、女たちの心に響いた。
青い鱗の仮面の男は踊りながらユーディアにいう。
「……毎晩、ここに君を待っていたのに、君は忽然と姿を消してしまった。ずっと君を探した。すべての宮の、下働きの女まで調べさせた。王都で上がった死体まですべて調べさせた。なのに君は見つからない」
「王都中の死体を調べさせた?」
「でも、なぜ、今ここでこうして、劇場で踊っている?ゼプシーと一緒になって。ゼプシーであるはずがない。君とは、何度もこの庭で会った。ゼプシーは決してはいれない。ここは守られている。普通の者は近寄りもできないはずなのに。君は、不思議で、興味深い」
「不思議なのは、レギーの方よ」
「名前も教えてくれなくて苦労したんだ。あきらめきれず、どうしようかと思っていたところだ。俺の前から消えるつもりでないのなら、名前を教えて欲しい。俺と君の舞台が終わる前に」
「ディアよ」
「ディア」
「それで庭師さん、あなたはただの庭師なの?どうしてモルガンの男踊りが踊れるの?モルガンでさえも踊れる男は一握りなのに」
「知りたければ、今夜俺のベッドで教えてやる」
「そんなの、無理よ。わたしにそんな自由はないわ。わたしには許嫁がいる」
「自由が欲しければ与えてやる」
低い声にぞくりとくる。
官能と、男の底知れぬ恐ろしさと、何もかも忘れてしまいたいという願望。
「どうして、そんなに、レギーは、傲慢なの?不思議なのは、レギーの方だわ、混乱する」
息が切れていた。
酸素をもとめて全身が悲鳴を上げていた。
脳にも酸素が足りていない。
舞も終盤だった。
祭りの舞台が終わってしまう。
夢の時間は終わりだった。
もっと踊っていたいと思っても、ユーディアの身体は限界だった。
あと、もう少しだけ、男女の踊りは続く。
人になった竜神の娘は男と結婚する。
平和で幸せだった彼らの時間は永遠に続かない。
人々は、厳しい環境の中で自分たちだけでは生きられなかった。
網の目のように張り巡らされた損得や利害の関係に、自分だけは、自分の家族だけは損はしまいとののしりあった。
人々は些細なことで争い、傷つけあい、自分以外のすべてのものを支配したがった。
そんな不安定な世界の中で、竜神の娘は男を愛した。
世界を生み出す力は失われたが、男との間に人の子をもうけた。
時折、女は遠い昔に、子供たちが駆け回るこの美しくも残酷な世界を生み出したことを思い出す。
そんなとき、身体と心が分離するような感覚にとらわれた。
心は草原を自由自在に駆け回る。
美しい闇色の瞳は、男を見ながら、男を見ていなかった。
男の理解できない世界を女は見る。微笑むのだ。
男が不安になるぐらい、女はいつまでも美しかった。
突然男は悟る。
彼女は絶対自分の手に入らない存在なのだと。
そして、女は自分よりも強い男たちに望まれていた。
男は年老いた。
女を自分の元にとどめ続ける力を失ってしまった。
仮面の奥のレギーの目は、ユーディアをとらえて離さない。
ひとりでその場でくるりと一回転するだけの踊りが、レギーの背中がユーディアの背に触れ、そこを軸にして回転する。
あり得ないほど大きな回転になって、回りながらも互いの顔を見つめあう。
ユーディアは目が回りそうになった。
舞台の二人は時にシンクロし、反発し、追いかける。
離れては打ち返す波のように引き寄せられる。
意味のなさなかった挙措の一つ一つが、レギーの踊りに連結されていく。
ユーディアはレギーと踊って初めて、女の踊りは対になる男の踊りと合わせて完全になると知る。
その感覚は、思いもよらないほど新鮮で、心が躍った。
目の前の男以外にユーディアの始まりの踊りに合わせられる男踊りの名手はいないだろうと思われた。
男の己を見つめ続ける真剣な目を見ていると、ユーディアは自分自身が男を惑わす魅惑的な女になったかのような錯覚さえ覚えた。
誘惑の踊りのはずなのに、男の腕の中で、手の内で、踊らされているような気持ちになった。
背中をそらし、無防備にさらされた喉元に、男の唇が触れんばかりに寄せられた。
竜神の娘はかろうじて男の腕をすり抜ける。
安易に望む方向へ流そうとする男の欲望を、娘は焦らした。
男に本気で愛してほしいから、戯れでなく、全力で自分を捕まえて欲しいと願った。
舞台は再び変調する。
娘と男の手のひらはぴたりと合わされた。
もう片方の手は互い腰に置かれて引き寄せあった。
官能の踊りに変わる。
どこまでも甘く、どこまでも切なく。
かがり火に映し出される影は分かちがたく一つになる。
世界を生み出す力も、生きとし生けるものからあがめられる崇高さも、娘はいらなかった。
二人が踊る踊りは歓喜の踊りだった。
それは同時に竜神の娘が、神聖力を失い精霊を見る力を失い、そして有限の時を生きる人として、大地に縛り付けられる喪失の踊りでもあったのだが。
欲しいのは、愛する男のキス。
愛のささやき。
観客たちの顔は舞台に向けられていた。口を開くものはいない。
女たちは、ユーディアに自分自身を重ねてみていた。
持てるものすべてを失っても、愛する男と結ばれたいという切なさは、女たちの心に響いた。
青い鱗の仮面の男は踊りながらユーディアにいう。
「……毎晩、ここに君を待っていたのに、君は忽然と姿を消してしまった。ずっと君を探した。すべての宮の、下働きの女まで調べさせた。王都で上がった死体まですべて調べさせた。なのに君は見つからない」
「王都中の死体を調べさせた?」
「でも、なぜ、今ここでこうして、劇場で踊っている?ゼプシーと一緒になって。ゼプシーであるはずがない。君とは、何度もこの庭で会った。ゼプシーは決してはいれない。ここは守られている。普通の者は近寄りもできないはずなのに。君は、不思議で、興味深い」
「不思議なのは、レギーの方よ」
「名前も教えてくれなくて苦労したんだ。あきらめきれず、どうしようかと思っていたところだ。俺の前から消えるつもりでないのなら、名前を教えて欲しい。俺と君の舞台が終わる前に」
「ディアよ」
「ディア」
「それで庭師さん、あなたはただの庭師なの?どうしてモルガンの男踊りが踊れるの?モルガンでさえも踊れる男は一握りなのに」
「知りたければ、今夜俺のベッドで教えてやる」
「そんなの、無理よ。わたしにそんな自由はないわ。わたしには許嫁がいる」
「自由が欲しければ与えてやる」
低い声にぞくりとくる。
官能と、男の底知れぬ恐ろしさと、何もかも忘れてしまいたいという願望。
「どうして、そんなに、レギーは、傲慢なの?不思議なのは、レギーの方だわ、混乱する」
息が切れていた。
酸素をもとめて全身が悲鳴を上げていた。
脳にも酸素が足りていない。
舞も終盤だった。
祭りの舞台が終わってしまう。
夢の時間は終わりだった。
もっと踊っていたいと思っても、ユーディアの身体は限界だった。
あと、もう少しだけ、男女の踊りは続く。
人になった竜神の娘は男と結婚する。
平和で幸せだった彼らの時間は永遠に続かない。
人々は、厳しい環境の中で自分たちだけでは生きられなかった。
網の目のように張り巡らされた損得や利害の関係に、自分だけは、自分の家族だけは損はしまいとののしりあった。
人々は些細なことで争い、傷つけあい、自分以外のすべてのものを支配したがった。
そんな不安定な世界の中で、竜神の娘は男を愛した。
世界を生み出す力は失われたが、男との間に人の子をもうけた。
時折、女は遠い昔に、子供たちが駆け回るこの美しくも残酷な世界を生み出したことを思い出す。
そんなとき、身体と心が分離するような感覚にとらわれた。
心は草原を自由自在に駆け回る。
美しい闇色の瞳は、男を見ながら、男を見ていなかった。
男の理解できない世界を女は見る。微笑むのだ。
男が不安になるぐらい、女はいつまでも美しかった。
突然男は悟る。
彼女は絶対自分の手に入らない存在なのだと。
そして、女は自分よりも強い男たちに望まれていた。
男は年老いた。
女を自分の元にとどめ続ける力を失ってしまった。
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