舞姫の君

藤雪花(ふじゆきはな)

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第6話 ベルゼラの王

42-2、庭師

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 それに飽きると泉の端から端まで20メートルもなかったがあおむけになったり、うつ伏せになったり、様々な泳ぎ方で泳いでみる。
 身体にこもっていた熱は泉の水に奪われて、だるさが抜けていく。
 少し水から上がって、こちら側で昼寝でもしようかと思う。

 枝に引っ掛けた布包みのなかには、ベッカムから拝借したままになっていた柔らかなショールが折りたたんで入れてある。水遊びを堪能すると、陸にあがり、その淡い桃色のショールを身体に巻き付け、端と端を首の後ろで結ぶ。
 丈は腿の真ん中より上ぐらいまでしかなく、二腕もむき出しの、即席のワンピースになる。
 髪は片側で絞って水けをきった。
 くるくると耳の高さで頭の後ろに巻きあげ、適当な小枝でジグザグにさして止めた。
 
 岸辺には広く白い石が敷いてある。
 水底の石と趣が異なる。
 踏むと足の裏にはじけるような感覚とシャリシャリと小気味よい音がして、気持ちいい。
 手ですくってみると、爪の先ほどの星型や小枝のくずのような、さらりとした小さな粒だった。 
 指の間から落としてその感触を楽しんだ。

「貝殻のような、骨のような?なんだろう、これ」
 ユーディアは口に出して呟いた。

「……それは、サンゴのかけら。ブダイという魚がサンゴの中に共生する褐中藻をたべようとかみ砕いて、消化されないで排泄されたものだ。石灰質の塊だよ」

 男がユーディアに答え、飛び上がらんばかりにユーディアは驚いた。
 ユーディアは岸辺に先客がいることに全く気が付いていなかった。
 首を巡らし声の主を探す。
    声の方向にはユーディアが荷物をかけていた枝の、巨木があった。
 その根元を目を細めて凝視すると、人の輪郭が浮き上がってくる。
 うねる根に腰を落とし、背中を幹に預け、片膝を立てた細身の男。
 黒の前合わせの上着に、黒のパンツをはく男は、静かにユーディアを見ていた。
 明るい陽射しを取り込んでいた目には、男の細かなところがわからない。
 よく響く深味のあるいい声だった。
 30代か40代か。

「……サンゴって?」
「サンゴは海の中の植物のような動物だよ。クラゲやイソギンチャクといったものと同じ仲間だ。藻は光合成し、その栄養をサンゴに与え、サンゴは毒の針で藻を守り、安全な住処を与える。サンゴが広がるサンゴ礁になるには塩分濃度が高くて、キレイな海でないとダメなんだ」

 男の言葉が半分も理解できない。
 本物のクラゲやイソギンチャクをユーディアは見たことがない。
 植物のような動物とは人をだます恐ろしい生き物のようだった。

「海って、確か湖を大きくしたようなものよね?海の塩分濃度は3.1から3.8%。平均3.5%。海岸の地形や水分の蒸発する量、海にそそぐ雨の量や風などにより、その濃度に差がでる……」
「そうだよ、君は勉強家なんだね」
「あなたは、物知りなのね」
「実際に見てきたからね。サンゴの海岸があまりに美しくて、庭の素材にしてしまった」

 次第に目が慣れてくる。
 男は、完全にリラックスしていて、ユーディアを見ていた。
 目と目が合うと、屈託なく笑う。
 やわらかな雰囲気をまとう男だった。

「……ここは男の人は入れないと聞いていたんだけれど」
「ここで働く一部の者は別だよ」
「ここで働く人といえば、宦官?」

 視線がつい、男の足の付け根へと向かう。
 ぷはっと男は笑った。

「いいや!かろうじてついているよ。俺は、特別な庭師なんだ。あちこち出かけて、よい素材を見つける。苦労して王城に運びこんで、美しく再現する。君の足の下で踏みつけているサンゴの砂を、ときおり後宮に訪れては熊手で筋をつけ、時間をかけて美しく整えたりする」

 男が背を預ける巨木には、先がおおきな櫛の歯のようになったほうきのようなものが立てかけてあった。
 ユーディアは足元のサンゴの砂が、幾筋もうねる筋が付けられていることにようやく気が付いた。そのほうきで線を引いていったのだろう。
 ユーディアが踏みつけたところだけが、無残にも乱れていた。

「わあ!ごめんなさい。気が付かなかった」
「あははは。君のせいで昼からの仕事が台無しになってしまったな。形あるものはすべて壊れる。片男波の砂紋はもう気にしないで。とりあえず、こっちにおいで」

 ユーディアは巨木の男の元に向かおうと思うが、どこをどう歩いても、せっかく彼が筋を引いて整えたところを崩してしまうことになりそうだった。
 サンゴの砂浜には岩がいくつか突きだしていたり、寝かせられたりしていた。
 ユーディアは島のような岩に飛び付き、いくつか辿って男が休む木陰に降り立った。

 男は目を見開いてユーディアを見上げていた。
 黒い目、幾筋か銀色のものが混ざる真黒な髪。
 ベルゼラ国内では珍しい肩より長い髪を後ろで結んでいる。
 顔立ちはノミで切り落として作ったかのような男前な顔なのに、目元も口元も緩んでいるので優しい雰囲気を醸し出していた。
 逆光でまぶしいのか何度か瞬いている。
 
「君は、後宮の妃か媛のひとりだったかな?全員を覚えていなくて申し訳ない。元気で驚いた」
 今度はユーディアが笑う番だった。
「気にしないで。最近入ったの。それに、ただの下働きの、女官見習いのようなものだから」

 とっさに嘘をついた。
 ユーディアは、時折ベルゼラ国外へ旅をする、自称特別な庭師と知り合ったのだった。


 
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