81 / 238
第2部 ベルゼラ国 第5話 色小姓
41、色小姓④
しおりを挟む
「おい。お前の主人が戻られたら処分が決まる。それまで言い訳でも考えておけ」
そう言い残して、護衛はユーディアを重い格子戸に区切られた石の部屋に残していく。
部屋は岩をくりぬかれたかのようにがらんどうだった。
唯一あるのは、膝丈の高さに板がわたしてあるものだけ。
ベッドなのか、長椅子なのか。
幅は細い。長さもたりない。
それしかないのでユーディアは座り足も板に乗せた。
壁に触れる背中から冷気がしみ込んでくる。
壁の上部に空気穴があり、そこから外光がわずかに入ってくる。
膝を抱きしめて頭をのせた。
どこか別のところで水が滴る音がてんてんと続いていた。
ジプサムは午後から王都の工業組合の会合の予定だったか。
夜にはレセプションが行われ帰ってくるのは夜も遅い時間ではなかったか。
何もしようがないままに、差し込む日差しがかげっていく。
サニジン、ベッカム、トニーとブルースが、時間差で面会に訪れた。
その時だけ彼らが手にした油ランプの灯りが牢獄をユーディアを、暗闇のなかから浮かび上がらせた。
ここには見るものなどない。
状況を確認するサニジンには、ティティの狂言で自分が陥れられたこと、ティティはアリサに利用されていたことを伝えた。
ベッカムは容疑からすれば簡単にでられるのにどうしてだ、との一言だけ。
首を振るユーディアと、牢獄の隅々に目を向け去っていく。
トニーは、ブルースがここにくるための口実だった。
ブルースだけが階段を下りてきた。
面会では、警備の護衛が一人同席する。
ブルースは格子戸越しにじっとユーディアを見つめていた。
その目にまがまがしいものを宿らせていた。
モルガン族は言葉を使わずに会話ができる。
見栄え良く手を動かすこともできるが、指先だけでも意思を伝えることが可能だった。
『あなたは、はじめは愚図とののしられ、ひもじい思いをした。
今度は、ありもしない暴行事件で犯人扱いされている。
そしてこんな狭くて汚いところに閉じ込められている。
ベルゼラ人は立場の弱い者に対してはとことん強く出る。
モルガンはこれ以上いいようにされないために強くなる必要があることが分かった。今度こそ、俺たちに近づくやつらを、片っ端から惨殺し恐怖を植え付け、俺らを二度と戦いたいと思わせないようにするんだ。
だから、もういいのではないか?
サラサとの約束の1年をまたず、草原へ帰ろう。
俺たちが俺たちらしく生きられる風の薫る、清浄な大地へ。
もう、狭い檻に閉じ込められることはない。
俺たちは風の民なんだ。ひとところにとどまることはできない』
『ブルース、読み書きを覚え、本を読んだ。わたしはここにきていろんなことを学んだ。でも足りない。わたしは、もう少しベルゼラにとどまっていたいの。
せめて、約束の1年だけでも。
この危機だって、わたしが女だってわかれば、すぐに脱することができるのだから』
『女となって、ジプサムの元にとどまるつもりなのか。
あなたは、こんなみじめな思いをしてもまだここにいるつもりなのか。
俺は、賛成できない。艱難辛苦を舐めるあなたを見ていられない。
このまま、今夜、ここからあなたを連れて、ここをでることもできる』
『いいえ、ブルース。
ベルゼラでは、女としての学びには限りがある。
もっともっと、できる限り男として、ジプサムの側でベルゼラを知りたいの』
『ジプサムがいるから、このみじめな思いを味合わされ続けているベルゼラにとどまりたいというのか?』
『みじめなばかりではないわ』
『あなたはもしかして……』
ブルースの指が音を綴るのをためらった。
ユーディアはブルースが何を綴ろうとしたのか最後まで分からない。
護衛が面会時間が終了したことを伝えた。
ユーディアは再び、雫がしたたり落ちる音だけが時を刻む、静寂の世界の住人となる。
ユーディアが牢獄から出たとき、起きているのかも寝ているのかもわからない、はざまの世界にいた。
もうろうとしながらも、己を抱きかかえるその強い首にしがみついた。
上瞼と下瞼がわずかばかりしか開かない。
張ったえら、とがった顎、まっすぐ見るひとつ目は力強い。
ベッカムがユーディアを運んでくれている。
体が冷切ってしまっていた。
指先の感覚がない。脚がしびれている。
固い板の上で同じ姿勢を続けた身体は、あちらこちらの関節がきしきしときしんだ。
そう言い残して、護衛はユーディアを重い格子戸に区切られた石の部屋に残していく。
部屋は岩をくりぬかれたかのようにがらんどうだった。
唯一あるのは、膝丈の高さに板がわたしてあるものだけ。
ベッドなのか、長椅子なのか。
幅は細い。長さもたりない。
それしかないのでユーディアは座り足も板に乗せた。
壁に触れる背中から冷気がしみ込んでくる。
壁の上部に空気穴があり、そこから外光がわずかに入ってくる。
膝を抱きしめて頭をのせた。
どこか別のところで水が滴る音がてんてんと続いていた。
ジプサムは午後から王都の工業組合の会合の予定だったか。
夜にはレセプションが行われ帰ってくるのは夜も遅い時間ではなかったか。
何もしようがないままに、差し込む日差しがかげっていく。
サニジン、ベッカム、トニーとブルースが、時間差で面会に訪れた。
その時だけ彼らが手にした油ランプの灯りが牢獄をユーディアを、暗闇のなかから浮かび上がらせた。
ここには見るものなどない。
状況を確認するサニジンには、ティティの狂言で自分が陥れられたこと、ティティはアリサに利用されていたことを伝えた。
ベッカムは容疑からすれば簡単にでられるのにどうしてだ、との一言だけ。
首を振るユーディアと、牢獄の隅々に目を向け去っていく。
トニーは、ブルースがここにくるための口実だった。
ブルースだけが階段を下りてきた。
面会では、警備の護衛が一人同席する。
ブルースは格子戸越しにじっとユーディアを見つめていた。
その目にまがまがしいものを宿らせていた。
モルガン族は言葉を使わずに会話ができる。
見栄え良く手を動かすこともできるが、指先だけでも意思を伝えることが可能だった。
『あなたは、はじめは愚図とののしられ、ひもじい思いをした。
今度は、ありもしない暴行事件で犯人扱いされている。
そしてこんな狭くて汚いところに閉じ込められている。
ベルゼラ人は立場の弱い者に対してはとことん強く出る。
モルガンはこれ以上いいようにされないために強くなる必要があることが分かった。今度こそ、俺たちに近づくやつらを、片っ端から惨殺し恐怖を植え付け、俺らを二度と戦いたいと思わせないようにするんだ。
だから、もういいのではないか?
サラサとの約束の1年をまたず、草原へ帰ろう。
俺たちが俺たちらしく生きられる風の薫る、清浄な大地へ。
もう、狭い檻に閉じ込められることはない。
俺たちは風の民なんだ。ひとところにとどまることはできない』
『ブルース、読み書きを覚え、本を読んだ。わたしはここにきていろんなことを学んだ。でも足りない。わたしは、もう少しベルゼラにとどまっていたいの。
せめて、約束の1年だけでも。
この危機だって、わたしが女だってわかれば、すぐに脱することができるのだから』
『女となって、ジプサムの元にとどまるつもりなのか。
あなたは、こんなみじめな思いをしてもまだここにいるつもりなのか。
俺は、賛成できない。艱難辛苦を舐めるあなたを見ていられない。
このまま、今夜、ここからあなたを連れて、ここをでることもできる』
『いいえ、ブルース。
ベルゼラでは、女としての学びには限りがある。
もっともっと、できる限り男として、ジプサムの側でベルゼラを知りたいの』
『ジプサムがいるから、このみじめな思いを味合わされ続けているベルゼラにとどまりたいというのか?』
『みじめなばかりではないわ』
『あなたはもしかして……』
ブルースの指が音を綴るのをためらった。
ユーディアはブルースが何を綴ろうとしたのか最後まで分からない。
護衛が面会時間が終了したことを伝えた。
ユーディアは再び、雫がしたたり落ちる音だけが時を刻む、静寂の世界の住人となる。
ユーディアが牢獄から出たとき、起きているのかも寝ているのかもわからない、はざまの世界にいた。
もうろうとしながらも、己を抱きかかえるその強い首にしがみついた。
上瞼と下瞼がわずかばかりしか開かない。
張ったえら、とがった顎、まっすぐ見るひとつ目は力強い。
ベッカムがユーディアを運んでくれている。
体が冷切ってしまっていた。
指先の感覚がない。脚がしびれている。
固い板の上で同じ姿勢を続けた身体は、あちらこちらの関節がきしきしときしんだ。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる