舞姫の君

藤雪花(ふじゆきはな)

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第3話 王子と舞姫

16、舞姫

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 髪を解いて洗う。波打つウエーブの黒髪を頭の上に結い上げる。
 ユーディアとサラサが支度をする馬車に、「入るよ」と声をかけて上がってきたのは真っ赤な髪の女。

「そいつかい?捕虜になっていて女に助けられたのに、女装してまた乗りこんで、かつて世話した恩を忘れ自分たちの部族をめちゃくちゃにした男を殺しに行こうとする東の世継ぎの君っていうのは。目的の男にたどり着くまでにばれて殺されてしまうよ!」

 女は一方的にまくしたてた。
 その語気から賛成でないことが伝わる。
「わたしです。逃亡に協力してくださって感謝します」
 ユーディアは立ち上がった。
 まだ化粧はできていない。
 ベラは大きく見せたつけまつげの目をバチバチと瞬いた。
    その目はユーディアの顔から胸、引き締まったウエスト、やわらかな腰のラインを何度も往復する。

「これはまた驚いた!女に化けたのではなくて、東の世継ぎは女だったのかい!あんたは知ってるよ。新年の祭りで踊っていた娘だろ」

 ゼプシーは祭りの時はいつもどこからともなく参加して盛り上げてくれる。
 ユーディアもゼプシーの頭領の赤毛のベラは知っていた。
 唇の端のほくろは色っぽく、大きく張り出した巨大な胸が迫力である。


「ディアです。せっかく助けてくださったのですが、何もせずにこのまま消えることはどうしても出来ません。これ以上はわたしが勝手にすることです。ゼプシーの皆さまには関係のないこととして捨て置いていただきたいと思うのですが」
「女としてそいつの懐に飛び込み、報復のひと太刀をはなむけたいというのかい!それだと話は違ってくる。男なら無理でも女ならできることもある。だけど、首尾よく報復できたとしても、うまくやらないと逃げ切れないよ」
「報復」

 ユーディアはつぶやいた。
 サラサも口にした言葉。
 ベラの顔に同情が浮かぶ。

「今回のベルゼラのやり口は卑怯だ。多勢に無勢。始まりを無視し、モルガンの掟を理解しようともしない。あたしも聞いたときは憤ったよ。東の男たちは顔は怖いけど、みんな正義感に溢れたいい奴ばかりだった」
 ベラは鼻をすする。
「化粧はあたしがしてやるよ。狙った男を落とすメイクを。短剣なんか隠し持っていく必要はない。女の武器は目だよ。男の目を見つめてそいつの天幕のベッドでお前を抱き、我を忘れたその時に、あんたは口で口をふさぎ、男の持っていた短剣の刃でその首をかき切ればいい。ああ、口を塞ぐのは口じゃなくて枕でもいいけどね」

 そういいながらベラは手早くユーディアの頬に粉をはたき、きらきらと虹色の細かな星が散らばっているような、輝く肌に仕上げた。
 鏡の中のディアはみるみる別人のように美しくなっていく。

 ユーディアはベラがいう状況をなんとか想像してみた。
「……首をかき切れば返り血で服が汚れてしまう。そんな服で逃走は無理だ」
「は?なんだって?服が汚れることはないよ。その時はあんたは裸なんだから。始末を終えたら何食わぬ顔をして天幕から出て、逃走する。奴らが探すのはゼプシーの娘であって、東の世継ぎではない。報復は成功するよ」

「ゼプシーの犯行になれば、ベラたちは困るんじゃあ」
 ベラはほくろのある唇の端を釣り上げて笑った。
「あたしたちも夜のうちにここを出る。ベルゼラはあたしたちを捕まえることはできないよ。首尾よくいけば、ほとぼりが冷めるまでベルゼラの土は踏めないだろうけど、どこにでもいくあたしたちにはそう問題じゃない。ほら、化粧はできた。衣装はそんなんでいいのかい?もっとそそるような服はあるけどねえ。それでいいんだったら、これをこうして追加して、こうして巻いて……」

 馬車の中には等身大の鏡がある。
 アイシャドウが濃く引かれ大きな目がさらに強調されている。
 アップにした髪に、ベラは色とりどりのガラス玉の髪飾りを何重にも巻き付けた。
 手首にも同じガラスのブレスレット、足首には鈴のついたアンクレットを巻く。
 衣裳は、袖のない胸の大きく開いた上半身に、薄手のシルクの、足首を絞った形の、まぎれもなくモルガンのかたち。
 革ひもを巻いて留めるサンダルをはく。


「……失敗すればどうなりますか」
    サラサが思いきってベラに訊く。
「男の欲望を満足させて終わりなだけ」
「そんな……」
    サラサが最後に迷い葛藤する。

「これでいいわ」

 鏡の中のディアが言った。




 捕虜の檻から戻る途中だったジプサムは足をとめた。
 モルガンに訪れたとき、誰かが口ずさんでいたリ、笛の音が風にのって聞こえてきたりしていたとても馴染みのある曲である。
 音の出所を探る。

「ジプサムさま?」
 足をとめ、流れてくる空気を嗅ぐようなしぐさにサニジンは怪訝な様子である。
 サニジンはこの曲を知らない。
 ジプサムの足が自然と音の方へ向いた。

 振舞われた酒を飲み陽気に出来上がっている兵士たちの中へ、ジプサムは進む。
 腰を下ろした男たちの一角に、ゼプシーの数人の男たちが楽器を奏でていた。
 彼らの向かう方向には、誰もいない舞台ができていた。

 ぶらりと立ちあがった者が自分で自分の足を絡ませ、よろけてジプサムの肩に手を置いて支えようとする。
 サニジンがその手を掴みひねり上げた。
 有無を言わさない強硬な拒絶を受けて、酒で真っ赤な顔を苦痛にゆがませた男は、サニジンだと気が付いた。
 慌ててだみ声で無礼を詫びた。
 周囲の者たちは顔を上げ、ジプサムとサニジンの登場に目を丸くする。

「王子サマか?」
「珍しいな。お坊ちゃんがこんな無礼講の場に」
「戦時には顔も出さなかったのに、なんの気まぐれだ?」

 場がざわめいた。
 ジプサムは平然と無視をする。
 サニジンが場所をつくったところに腰を下ろした。
 ジプサムの参加に、場所の力学が微妙に変化する。
 ジプサムがいるところが上座になった。
 酒を注いで回っていたゼプシーの娘たちはジプサムに流し目を送り、楽器を持つ男たちは体の向きを調整した。



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