悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

文字の大きさ
上 下
62 / 72
第七章 目覚める

第51話 最後の儀式②1

しおりを挟む
 黒いマントを翻し突然現れた魔術師に、部屋から出ようとしていた侍女は腰を抜かさんばかりに驚いた。
 花火が終わり、初日を終えた祭りの後の王城は、生ぬるい静寂に満ちていた。

「開けろ」
「魔術師さま、そ、そちらは……?」

 シャディーンが夜遅くに訪れ、何を抱きかかえているのかいぶかしんだのは一瞬で、顔色が変わる。
 利発な侍女らしく事態の緊急性を察した。

「怪我をなされたのですか!一体何がおこったのですか!すぐに医者を、」
「医者は不要だ」
「でも……」

 これ以上時間を無駄にはできない。
 ベッドに寝かせ、侍女があわてて用意したぬれタオルを奪うようにして取り、血に汚れた顔をぬぐう。
 髪が冷や汗で濡れ頬に張り付いていた。口の端にこびりついた血の塊に、心臓が締め付けられた。
 失われた血をすぐさま補わねばならなかった。
 左手首を切り、その血を樹里の唇に注ぐ。
 意識がなくても本能なのか、ごくりと何度か飲み下された。あふれ、あえぎ、むせ込み、はき出されても、己の命を樹里に注ぎ込みつづけなければならない。
 右手で冷たい手を取り指を絡めてつなぎ合わせた。
 目を閉じ樹里の体内に意識を走らせ、治癒のクルアーンをつぶやく。
 ほどけてしまった体内組織を再び繋ぎあわさなくてはならない。それも手当たり次第に。
 だが、寄せ集めつないでも、粒子こまやかな浜辺の砂のように、指の間からこぼれ落ち続ける。
 樹里の修復が必要な細胞に合わせ、己の意識を万の糸に分けなければならなかった。
 絶望にとらわれそうになる。
 だがあきらめたら、樹里はその時から緩慢に死んでいく。
 漆黒の闇の、必死で生きようとする美しい瞳を再び己に向けることなしに。
 もう一度見たかった。
 約束したのだ。無事に帰してやると。

 侍女が側で泣き続けていた。
 おやめください、シャディーンさまも出血多量で倒れてしまいます。
 ジュリさまはわたしが身体を清めますので、どうか、その場を空けてください……。

「……シャディーン、今すぐやめろ、戻ってこい。これは、一体どういうことなのか」

 ルシルス王子の命令が、樹里から魔術師を無理やり引き離した。
 ルシルス王子は強くひねりあげるようにして血を流し続ける手首を圧迫する。
 不思議と肉体の痛みは感じない。
 身体の内側の、冷たく打ち続ける心臓が痛いだけだ。

「……生きているのか?」
「生きている。なんとか自力で呼吸をできるようにしてやらないと。一晩、治療魔術を施せば一命はとりとめられるかもしれない」
「……何のために?」
「この世界は樹里にとっては毒の海に浸っているようなもの。もとの世界に帰還させるために」
 わかりきったことをきくルシルス王子に腹が立った。
 ルシルス王子は笑みを浮かべていた。
 いつもの王子の笑みは陽光を思わせるのに、娘を見下ろす笑みは背筋を凍らせた。

「そうであるのならば、急いだ方がいいね。新月にはまだ早いけれど」
 振り返り、部屋の外に待機していたものに儀式の準備を指示する。
「樹里が瀕死の状態なのに儀式をするつもりなのか?」
「この娘が瀕死の状態だから今すぐしなければならないんだろう?」
「何……」
「早くしなければその娘だけじゃなくお前も冥界へ旅立ちそうな状態だ。お前という儀式を執り行う要も欠き、光輝く命の輝きを持つ娘も喪失してしまえば、わたしのジュリアは永遠に目覚めないことになってしまう」

 わたしのジュリア。

 ルシルス王子の言葉にシャディーンは唇を噛んだ。
 歯の間からしぼりだすようにして言う。

「儀式をすれば樹里は確実に死んでしまう」
「だからこそじゃないか!せっかく呼びよせたのにむざむざ死なせるのは惜しい!命の輝きがはかなく消えてしまわないうちに、娘に残されたありったけのものをジュリアに注ぎ込む!その娘は肉体は死ぬが、ジュリアの命の燃料として生きることになるだろう!わたしのジュリアがようやく目覚めるには、完全なる輝きの移管が必要だったのだ」

 ルシルス王子の鼻腔は広がり、興奮を隠しきれない。
 その目はどこか遠くを見ていた。目覚めたジュリアをまざまざと見ているのだ。
 だがすぐに戻ってきてシャディーンを見下ろした。

「まさか、わたしに刃向かうなんてことはないだろう?お前を見つけ、居場所を与え、存分に知識を与えたのはわたしだ。兄弟のように思っている。弟のようなお前が、誰よりも美しく愛らしいわたしのジュリアよりも、その散切り頭の取るにたりない娘を優先するなんてことはないだろう?」

 わたしのジュリアと連呼するルシルス王子にそこはかとない嫌悪感が沸き上がる。

「いい加減、目を覚まさなければならないのは俺たちの方だ」
「何だって?」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシャリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

処理中です...