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第五章 価値あるもの
第34話 酒造り ①
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お酒が鼻をつまみたくなるほどまずい。
ルシルス王子のお土産だった帝国のにごり酒もたいしたことない。
そんな酒で十分なら、おいしいお酒を造れば評判を呼び、利益を生むアストリア国の特産品になるのではないの。
歯に衣をきせぬ言い方で断言してしまった。
ルシルス王子は目を丸くする。
王もアイリス王妃も同席している。
王妃はたっぷり時間を使いながら、わたしの方に首を向け、長いまつげをまばたかせていったのだ。
「わたくしは美味しいと思っておりますわ。ジュリさまのおっしゃられる美味しい酒とはどれぐらい美味しいものなのか、味わってみたいものですわ。でも、存在しないものと比較することはできませんし。こちらが美味しいと言い張ったもの勝ち、ですわね」
ゆっくりと羽のついた扇で余裕の笑みを隠す。
アイリス王妃からの挑戦である。
「わたしは酒蔵の娘よ!この国の酒をおいしいものに改善してみせるんだから!」
「なら、やってみたらいいよ。期限はまだ5か月もあるのだからね」
ルシルス王子は楽しそうである。
「酒造りの現場を見学したい。どういう造り方をしているのか興味があるの」
「まだ収穫もはじまってませんのに気がお早いこと」
「王妃さま、なにも仕込むところからお酒造りが始まっていると思ってませんよね?材料となる米作りから、もっといえば土壌づくりから始まってるんですから」
王妃が眉を引くつかせた。
愉快気に王が笑う。
「アイリスよ。この娘は何もお前の酒蔵をどうこうするとはいっていないじゃないか?そうそう、ひとつ、酒蔵が開いているではないか!それを試しに使わせてみてもいいじゃないかな?」
今秋もジュリアは酒蔵を使えないのだから。
そう言外の言葉を聞き取ったのはわたしだけじゃない。
「ですが、あれはセシリアの……」
「セシリアに酒造りはまだ早いだろう?使わぬ建屋は痛みが早くなるというし。決まりだな。ジュリアの友に使っていただけるのなら、その後を継ぐセシリアにとってもありがたいじゃないか!」
アイリス王妃は渋るが、温厚でも王の言葉は絶対である。
この国では伝統的に酒造りは妻の重要な仕事のひとつとされている。
実際には親族や地域で協力して作り、国に税として納めている。
古くからの伝統的なやり方を綿々と引き継いでいるのが王家で、成人した王族の女子はひとつずつ自分の酒蔵を持っているそうである。
「なんだかおもしろいことになったね。いろいろやるべきことが増えて、退屈しのぎにちょうどいいんじゃないの」
ルシルス王子がこそりとささやいた。
退屈と何度も指摘されて、腹が立つ。
よっぽど退屈そうに見えるのだろう。
暇だから、連日ジュリア姫の部屋でおこなわれている特産品品評会に、周囲に煙たい顔を向けられながらも参加していたわけであったのだけれど。
「アストリア国のためにおいしい酒を造ってあげるわよ。わたしの代りに差し出せばいいわ!」
ルシルス王子は唇を尖らせた。
ヒューとでも口笛を吹きそうだが、そこは王子。
面白がっていてもそんな品のないことはしなかった。
※
ジュリアの酒蔵は、酒の倉庫の隣り。
まさかの、奥でつながっていたあの暗闇である。
もっとも今回は奥からではなくて、ジュリアの部屋にある鍵となる札を手に、正面から入ったのだが。
小高いところに明かり取の窓がある。
外界からの不用意な侵入を拒絶するようなものを感じる。
夏の終わりとはいえ、空気は冷えている。
踏み込むと、細かな埃がたち、思わず目を閉じ口鼻をふさいだ。
ずいぶん長い間、忘れ去られていたのだった。
次第に目が慣れてくる。
固く踏み固められた土間に、膝丈ほどの高さに木製の床が張られ、床の上には両腕をまわしてようやく届くかとどかないかぐらいの樽がいくつかおかれている。この酒蔵の大きさならもっと大きな樽を置いて大量に作れそうだが、女一人が家庭用に一年分造るのならば、多すぎるぐらいかもしれない。
樽が一段たかいところにあるのは、樽の下にある注ぎ口から出来上がった酒をこすためだ。
「蒸した米をここでアルコール発酵させるとして、それまでの糖化はどうしているのかな……」
部屋にある道具類を見て回る。
火を焚ける炉もあり、燃料用の材木も積みあがったまま埃をかぶっている。
顔を上げると天井は高い。
屋根を支える立派な梁が縦横に渡っている。
かちかちと掛け時計の音が聞こえるような気がした。
掛け時計は、藤崎家の酒蔵にある。
静寂の中で、何かが息をひそめてこちらをうかがっているような気配を感じるのも、同じだった。
ここまで案内したアイリス王妃は踏み込もうとしなかった。
「王があのように言うので案内いたしましたけれど、わたくしはあなたと違って忙しいのです。使う道具や材料はマリーシャ妃とわたしでは違うでしょう」
「マリーシャ妃」
イメージが浮かぶ。
「酒造りは母から娘に引き継がれるものですから。あなたは酒蔵の娘ならばそのやり方があるのでしょう。あとはアリサに聞きなさい。何度か一緒に作っていたようですから」
アイリス王妃は踵を返す。
だが、行きかけて足を止めた。
「酒蔵は神聖なもの。心身を清めないまま中に入るものではありません。アリサであっても不用意に中に入れることはないようにしなさい」
それだけ言い捨てて行ってしまう。
アイリス王妃が中にはいらなかったのは、気を使ったからだ。
最後の言葉は忠告である。
案外、優しいのかもしれない。
がらんどうの酒蔵全体を見回した。
わたしは、異世界で酒造りをすることになったのである。
ルシルス王子のお土産だった帝国のにごり酒もたいしたことない。
そんな酒で十分なら、おいしいお酒を造れば評判を呼び、利益を生むアストリア国の特産品になるのではないの。
歯に衣をきせぬ言い方で断言してしまった。
ルシルス王子は目を丸くする。
王もアイリス王妃も同席している。
王妃はたっぷり時間を使いながら、わたしの方に首を向け、長いまつげをまばたかせていったのだ。
「わたくしは美味しいと思っておりますわ。ジュリさまのおっしゃられる美味しい酒とはどれぐらい美味しいものなのか、味わってみたいものですわ。でも、存在しないものと比較することはできませんし。こちらが美味しいと言い張ったもの勝ち、ですわね」
ゆっくりと羽のついた扇で余裕の笑みを隠す。
アイリス王妃からの挑戦である。
「わたしは酒蔵の娘よ!この国の酒をおいしいものに改善してみせるんだから!」
「なら、やってみたらいいよ。期限はまだ5か月もあるのだからね」
ルシルス王子は楽しそうである。
「酒造りの現場を見学したい。どういう造り方をしているのか興味があるの」
「まだ収穫もはじまってませんのに気がお早いこと」
「王妃さま、なにも仕込むところからお酒造りが始まっていると思ってませんよね?材料となる米作りから、もっといえば土壌づくりから始まってるんですから」
王妃が眉を引くつかせた。
愉快気に王が笑う。
「アイリスよ。この娘は何もお前の酒蔵をどうこうするとはいっていないじゃないか?そうそう、ひとつ、酒蔵が開いているではないか!それを試しに使わせてみてもいいじゃないかな?」
今秋もジュリアは酒蔵を使えないのだから。
そう言外の言葉を聞き取ったのはわたしだけじゃない。
「ですが、あれはセシリアの……」
「セシリアに酒造りはまだ早いだろう?使わぬ建屋は痛みが早くなるというし。決まりだな。ジュリアの友に使っていただけるのなら、その後を継ぐセシリアにとってもありがたいじゃないか!」
アイリス王妃は渋るが、温厚でも王の言葉は絶対である。
この国では伝統的に酒造りは妻の重要な仕事のひとつとされている。
実際には親族や地域で協力して作り、国に税として納めている。
古くからの伝統的なやり方を綿々と引き継いでいるのが王家で、成人した王族の女子はひとつずつ自分の酒蔵を持っているそうである。
「なんだかおもしろいことになったね。いろいろやるべきことが増えて、退屈しのぎにちょうどいいんじゃないの」
ルシルス王子がこそりとささやいた。
退屈と何度も指摘されて、腹が立つ。
よっぽど退屈そうに見えるのだろう。
暇だから、連日ジュリア姫の部屋でおこなわれている特産品品評会に、周囲に煙たい顔を向けられながらも参加していたわけであったのだけれど。
「アストリア国のためにおいしい酒を造ってあげるわよ。わたしの代りに差し出せばいいわ!」
ルシルス王子は唇を尖らせた。
ヒューとでも口笛を吹きそうだが、そこは王子。
面白がっていてもそんな品のないことはしなかった。
※
ジュリアの酒蔵は、酒の倉庫の隣り。
まさかの、奥でつながっていたあの暗闇である。
もっとも今回は奥からではなくて、ジュリアの部屋にある鍵となる札を手に、正面から入ったのだが。
小高いところに明かり取の窓がある。
外界からの不用意な侵入を拒絶するようなものを感じる。
夏の終わりとはいえ、空気は冷えている。
踏み込むと、細かな埃がたち、思わず目を閉じ口鼻をふさいだ。
ずいぶん長い間、忘れ去られていたのだった。
次第に目が慣れてくる。
固く踏み固められた土間に、膝丈ほどの高さに木製の床が張られ、床の上には両腕をまわしてようやく届くかとどかないかぐらいの樽がいくつかおかれている。この酒蔵の大きさならもっと大きな樽を置いて大量に作れそうだが、女一人が家庭用に一年分造るのならば、多すぎるぐらいかもしれない。
樽が一段たかいところにあるのは、樽の下にある注ぎ口から出来上がった酒をこすためだ。
「蒸した米をここでアルコール発酵させるとして、それまでの糖化はどうしているのかな……」
部屋にある道具類を見て回る。
火を焚ける炉もあり、燃料用の材木も積みあがったまま埃をかぶっている。
顔を上げると天井は高い。
屋根を支える立派な梁が縦横に渡っている。
かちかちと掛け時計の音が聞こえるような気がした。
掛け時計は、藤崎家の酒蔵にある。
静寂の中で、何かが息をひそめてこちらをうかがっているような気配を感じるのも、同じだった。
ここまで案内したアイリス王妃は踏み込もうとしなかった。
「王があのように言うので案内いたしましたけれど、わたくしはあなたと違って忙しいのです。使う道具や材料はマリーシャ妃とわたしでは違うでしょう」
「マリーシャ妃」
イメージが浮かぶ。
「酒造りは母から娘に引き継がれるものですから。あなたは酒蔵の娘ならばそのやり方があるのでしょう。あとはアリサに聞きなさい。何度か一緒に作っていたようですから」
アイリス王妃は踵を返す。
だが、行きかけて足を止めた。
「酒蔵は神聖なもの。心身を清めないまま中に入るものではありません。アリサであっても不用意に中に入れることはないようにしなさい」
それだけ言い捨てて行ってしまう。
アイリス王妃が中にはいらなかったのは、気を使ったからだ。
最後の言葉は忠告である。
案外、優しいのかもしれない。
がらんどうの酒蔵全体を見回した。
わたしは、異世界で酒造りをすることになったのである。
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