悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

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第五章 価値あるもの

第31話 欠片

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 目を開いているのか閉じているのかわからない。
 いずれにしても同じことだ。
 新月の夜は漆黒よりも深い闇の沼がわたしを飲み込み、立っているのか逆さになって落ちているのわからない。
 初めて足のつかないプールに投げ込まれたときのように手足をばたつかせて、何かにがむしゃらにしがみつきたい。
 だけど、あらがっても無駄なことを知っている。
 既に深く、深淵に取り込まれてしまっているのだから。

 この感じ、初めてではない。
 もうじき、ちかちかと小さな星屑の欠片のようなものが現れるはず。
 100や200どころではなく、千か万かの輝ける星々が、赤や青や緑、中には透明に、ピンクに輝き、同じ色は一つとしてない。
 わたしは体の回りを蛍のように瞬くそれを掬いあげた。

「わたしの好きなのは庭園でお母さまと紅茶をいただくことなの」
「お兄さま。乗馬をするのならわたしも一緒に乗りたいわ!」
「大好きなお母さま!ドレスが素敵!」

 それらは散り散りになってしまった17歳の女の子の人生の、記憶の欠片。その中に、若きアストリアの王を、王妃でありジュリアの母を、まだ若いルシルス王子とシャディーンを、ジュリアの記憶を通して覗き見ることができる。 
 幸せな瞬間瞬間がきらめいていた。
 わたしは、救いあげた記憶をぎゅっと握り合わせる。
 千にも万にもくだけてしまったものを、こうしてひとつにすることができたならば。
 ジュリアは目覚めそうな気がする。
 今夜はずっとこれを続けるつもり。
 砂漠の砂に水をやっているよう。
 何もしないよりかはましじゃないかと思うのだ。
 
「もうふたつきもあなたと一緒にいるね。ジュリア、あなたのことを知りたい。どうしてこんな状態になってしまったの?いつになったら目覚めてくれるの?そして誰が、あなたをこんな状態にしてしまったの?シャディーンもルシルス王子も、王もみんな心配しているよ。そして早く目覚めて、わたしを解放して頂戴……」


 わたしの想いは伝わっているはず。
 わたしはジュリアと深く深くつながっているのだから。




 寒い。
 まぶしい。
 苦しい。
 息ができない。
 不安でたまらない。

 わたしは思い切り声をあげた。
 安全で温かな、心地よい薄闇の中に戻してほしいと泣き叫んだけれど、言葉にならない。
 たしかな何かをつかもうとしても体の動かし方がわからない。

「しわくちゃのおさるが、これが妹?」
 小さな男の子が顔を覗き込んでいる、気配。
「そうよ。あなたの妹よ、かわいいでしょう」
「でかした、マリーシャ。この子は世界一の別嬪さんだ!」
「まあ、あなたったら」

 マリーシャはわたしの母。
 わたしは母の豊かな胸と父の胸で圧迫死するかと思った。
 それがわたしの記憶のはじめ。
 父の母の兄の、わたしは唯一であり絶対のアイドルだった。

 彼らと似ても似つかない黒髪に青灰色の瞳のわたしは、蝶のように、真綿に触れるかのように、大事に育てられた。
 花が好きだと言えば、100人の男たちが夜通し庭を耕し、花々で埋め尽くされた。
 南国のフルーツが好きだといえば、外洋から珍しい形の観葉植物や、着床植物や鳥のようにもサルのようにも見える花をさかせるランを取り寄せられた。

 わたしは兄と乗馬をして森の中を駆けたり、年嵩の騎士を父がわりにしてお忍びで町の祭りに出かけたり、家庭教師が兄に指導するその横に椅子を並べて、一緒に学んだりすることが好きだった。
 広げたノートには、髭の家庭教師の顔を描いたりして遊んでいることも多かったのだけれど。

 わたしは、民に敬愛される王家のただ一人の姫で、自由奔放に今日という日をささやかなことに口をとがらせ、ちょっとしたことで喜びの声を上げ、王城の中で多くの者たちにかしずかれて過ごす。
 それがわたしの日常。
 幼いわたしはいつまでもこんな、平穏で豊かで満ち足りた日々が続くものだと思っていた。

 10歳になったころ、母が血を吐き急死する。
 突然の出来事でアストリア国中が喪の黒に染まり、悲しみに暮れる。

 わたしの涙がかわかないうちに、何度か王城で見かけたことのある下品な金髪で胸を強調したドレスを着た女が、猫撫で声で「かわいいジュリア。今日からわたくしのことを母と呼びなさい。もう寂しくありませんよ」とわたしにささやいた。

 黒いアストリアは6か月も立たないうちに、泡立つ波が岸に押し寄せるように、白く変わっていく。
 新たな母はアイリス。
 その腹に父の子が宿していたなんて、彼女が王城につれてきた高慢そうな侍女がわたしに聞こえるように噂話をしていなければ、新たに生まれた妹のセシリアの誕生日から、指折り逆算してアイリスの腹に父が種を仕込んだ日なんて数えることなんてなかったのに。
 母が急死する前に、父とアイリスが夫婦のような関係にあったなんて、知りたくなかった。

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