悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

文字の大きさ
上 下
19 / 72
第三章 嵐

第18話 水盤

しおりを挟む
「どんな本?」
「魔術関係かな」
「魔術?」

 グリーは長いまつ毛を瞬いた。

「おおむね魔術の類は一般の人が閲覧できない別室の書庫の中に管理されているものですよ」
「なら奥の方かな?」

 わたしは、書棚の真ん中の通路を抜けていく。
 一番奥には扉があった。
 マホガニーの扉は、酒蔵の奥で見つけた扉と、意識しなければ見落としてしまいそうになる、ひっそりとたたずんでいるところが似ている。

 開けようと手を伸ばすと、グリーは慌ててわたしの手を押さえた。

「待って。立ち入り禁止に加えて結界が張られていたりすれば、ひどい衝撃が来るよ」

 グリーが指さすのは、許可なく立ち入り禁止、と刻まれた扉のプレートである。
「結界は、わたしは大丈夫だと思うけれど、どうかな」
「ええ?どうして?樹里は王族でもないのでしょう?」
「事情があるのよ」
「事情?」

 おそるおそるドアノブに手を伸ばした。
 もうなじみのある風鈴のような甲高い音が頭蓋骨内で反響する。
 この世界に来た時と同じ。
 これが、結界を超えるときの感覚のようだった。

「確かに結界が張ってあるようだけど、わたしに続いて入ればあんたも入れるんじゃない?」

 わたしは足を踏み入れた。
 すると数万はあると思えそうな大量の本が出迎えた。
 書庫は一般の図書館が四角く平面的だとすれば、こちらは丸く、階をまたいで高さのある収納である。
 部屋は丸い。そのまま筒状にのびた天井はずいぶん高く、丸いガラスがはまっていて、青空がのぞく。
 内部の10階ほどある壁面には、本棚と本が隙間なく収納されていた。
 井戸の奥に落ち込んだような不思議な空間だった。
 一階ずつ隙間なく壁を埋め尽くす本を確認し、上の階にあがることを繰り返さねばならないのか。
 ハリーではないが、めまいを感じる。

「すごい魔術関係の蔵書ですね。怖いぐらいです。さすが偉大なる魔術師を傑出したアストリア。大陸でも失われた貴重な本があるとききます」
 わたしの背中に密着するように魔術師の書庫に入ったグリーは賞賛の声を上げ、手近な書棚のタイトルを眺める。

「とはいえ、この中から見つけ出すのは簡単ですね。ここには水盤がありますから」
「水盤?」

 グリーは書棚の塔のど真ん中、天窓の真下に置かれた銅製の水盤を指した。
 様々な動植物が刻まれている器である。
 キラキラと揺れる清浄な水が、縁すれすれにたたえられていた。
 磨き抜かれた大理石の丸い台の上に置かれていて、水盤の水底には色とりどりの輝石が沈んでいる。
 シャジャーンの指の宝石よりも大きい赤やら緑やらの石である。
 誰も取ろうとしないのが不思議だった。

 のぞき込むとグリーとわたしたちが映りこみ、さらに背景に10階分の本がおぼろにゆれる。

「使い方を知らないのですか?これは何でも見せてくれる検索装置でもありますよ。読みたい本のタイトルを言えばいいんです」
「検索装置ですって?これが?意味が分からないわ」
「だからこれが、読みたい本がどこにあるか教えてくれますよ」
「だから、どうやって?」 
「なんでもいいから、まずは試してみて」
「タイトルは知らない。知りたい内容さえカバーしているのなら、何でもいいんだから」
「なら、どんな内容を知りたいのか、いえばいいですよ」
「じゃあ、魔術のか、かけ方とか……?」
「はあ?」
 
 美少年は不機嫌に眉を寄せた。
 水盤が大きく揺れ、何冊か本が水の中に揺れる。

「そんな基本の本かよ!ここまできて、馬鹿か?ったく、いいから、それをとれよ!」

 いつも穏やかで上品な美少年グリーの言葉と顔面が乱れている。
 状況についていけないのに加えて、グリーの別人のような態度に面食らった。

「え、ええ?」
「だから水盤に映っているその本を引き上げるんです!ほら、樹里、本のタイトル見て。あなたの要求した、魔術のかけ方という本でしょう?」

 グリーは水の中に手を突っ込んだ。
 濡れちゃう!と思ったが、水の中から引き上げたその手には黒々とした羊皮紙の本がある。 
 腕も濡れていない。
 グリーから押し付けられた本のタイトルは、魔術のかけ方と流麗な文字で刻印されている。

「え?どういうこと?いったいどういう仕組みなの!?」
「水底の赤い石が、引き寄せているんです。魔力が込められていて、唱えれば望みの物を探し出し届けるように発動している。でも本当にそれでいいの?」
「いいわ」
 グリーは金と銀のメッシュの髪をかき上げた。
「数冊、浮かび上がってきたけれど樹里は基本的なところが押さえられていないようだから、まずはその一冊から読むといいですよ。読み終えたら次の本は、この書庫でなくてもいいと思うよ」
「わかったわ」
「用が済んだのなら、ここから早くでよう。誰かに見とがめられたら、罰金とか、監獄に一日入れられたりとか、そういうことになると面倒ですから」

 グリーは名残惜し気に入口付近の背表紙にそっと触れた。
 だが、抜き出すことはしない。

「ここには、魔術の秘密を手に入れたい国が攻め入ってもおかしくないぐらいの稀覯本があるという噂です。うちの魔術師が見たら、狂喜乱舞するの間違いないでしょう。この中に入った他国人はもしかしてわたしぐらいかもしれないから、ある意味感慨深いのだけど。どうしてあなたがすんなりと結界を通り抜けられるのか、不思議なんですが。ねえ、どうしてですか、樹里?」

 グリーが取り乱したのは一瞬だけ。
 彼はもう普段の自分を取り戻している。
                                                                                                                           
 優しく穏やか。
 上品な美少年が表の仮面ならば、かいまみた素顔のグリーはできない奴を見下す傲慢な少年のようだ。
 
 わたしは水盤をのぞき込み、グリーに聞こえないように小さく呟く。
 底から浮かびかがってくる真っ赤に染めた羊皮紙の本を掬いあげた。
 手も本も水に浸かっていたはずなのに、まったく濡れていない。
 これが、魔術なのだ。

「自動呼出し装置のようなもの?便利なのねえ」

 この世界はいたるところに魔力が作用している。
 この世界の人がわたしの世界のスマートフォンでビデオ電話をしたり、動画を見たり、写真を撮ったりしたら驚愕するのと同じようなもの。

 本は手に入れた。
 知りたい情報が書かれているのか一刻も早く確認したかった。
 自室で一人で誰にも邪魔されることなく。

「雲行きがおかしいですね、黒い雲が海の方から……」

 グリーがそう言ったのを覚えている。
 わたしはなんて答えたのか。
 そうね、とか頭痛がするから嵐がくるわよ、とか。
 おざなりに答えただけ。いつの間にかハリーとグリーが入れ替わっていた。グリーとどこで別れたかもあいまいである。


 自室のベッドに上がり、黒い本はサイドテーブルへ、赤い本を膝に置き腰をすえる。本当に知りたかったことは、赤い本のほうだ。

 天気の話の前に、もうひとつグリーの質問に答えていなかったことを思いだした。

 グリーだって、穏やかで優しい美少年の仮面の下に本当は何を隠しているの?と聞かれたら、真っ正直には応えてくれるはずがないと思う。わたしが王城内のどこにでも行ける賓客である理由、結界を通り抜けられる理由は、わたしが異世界から召喚された『光り輝く者』であるから。
 いずれにしろ、明かす必要もないと思ったのである。

 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシャリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

捨てた騎士と拾った魔術師

吉野屋
恋愛
 貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

処理中です...