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第三章 嵐
第18話 水盤
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「どんな本?」
「魔術関係かな」
「魔術?」
グリーは長いまつ毛を瞬いた。
「おおむね魔術の類は一般の人が閲覧できない別室の書庫の中に管理されているものですよ」
「なら奥の方かな?」
わたしは、書棚の真ん中の通路を抜けていく。
一番奥には扉があった。
マホガニーの扉は、酒蔵の奥で見つけた扉と、意識しなければ見落としてしまいそうになる、ひっそりとたたずんでいるところが似ている。
開けようと手を伸ばすと、グリーは慌ててわたしの手を押さえた。
「待って。立ち入り禁止に加えて結界が張られていたりすれば、ひどい衝撃が来るよ」
グリーが指さすのは、許可なく立ち入り禁止、と刻まれた扉のプレートである。
「結界は、わたしは大丈夫だと思うけれど、どうかな」
「ええ?どうして?樹里は王族でもないのでしょう?」
「事情があるのよ」
「事情?」
おそるおそるドアノブに手を伸ばした。
もうなじみのある風鈴のような甲高い音が頭蓋骨内で反響する。
この世界に来た時と同じ。
これが、結界を超えるときの感覚のようだった。
「確かに結界が張ってあるようだけど、わたしに続いて入ればあんたも入れるんじゃない?」
わたしは足を踏み入れた。
すると数万はあると思えそうな大量の本が出迎えた。
書庫は一般の図書館が四角く平面的だとすれば、こちらは丸く、階をまたいで高さのある収納である。
部屋は丸い。そのまま筒状にのびた天井はずいぶん高く、丸いガラスがはまっていて、青空がのぞく。
内部の10階ほどある壁面には、本棚と本が隙間なく収納されていた。
井戸の奥に落ち込んだような不思議な空間だった。
一階ずつ隙間なく壁を埋め尽くす本を確認し、上の階にあがることを繰り返さねばならないのか。
ハリーではないが、めまいを感じる。
「すごい魔術関係の蔵書ですね。怖いぐらいです。さすが偉大なる魔術師を傑出したアストリア。大陸でも失われた貴重な本があるとききます」
わたしの背中に密着するように魔術師の書庫に入ったグリーは賞賛の声を上げ、手近な書棚のタイトルを眺める。
「とはいえ、この中から見つけ出すのは簡単ですね。ここには水盤がありますから」
「水盤?」
グリーは書棚の塔のど真ん中、天窓の真下に置かれた銅製の水盤を指した。
様々な動植物が刻まれている器である。
キラキラと揺れる清浄な水が、縁すれすれにたたえられていた。
磨き抜かれた大理石の丸い台の上に置かれていて、水盤の水底には色とりどりの輝石が沈んでいる。
シャジャーンの指の宝石よりも大きい赤やら緑やらの石である。
誰も取ろうとしないのが不思議だった。
のぞき込むとグリーとわたしたちが映りこみ、さらに背景に10階分の本がおぼろにゆれる。
「使い方を知らないのですか?これは何でも見せてくれる検索装置でもありますよ。読みたい本のタイトルを言えばいいんです」
「検索装置ですって?これが?意味が分からないわ」
「だからこれが、読みたい本がどこにあるか教えてくれますよ」
「だから、どうやって?」
「なんでもいいから、まずは試してみて」
「タイトルは知らない。知りたい内容さえカバーしているのなら、何でもいいんだから」
「なら、どんな内容を知りたいのか、いえばいいですよ」
「じゃあ、魔術のか、かけ方とか……?」
「はあ?」
美少年は不機嫌に眉を寄せた。
水盤が大きく揺れ、何冊か本が水の中に揺れる。
「そんな基本の本かよ!ここまできて、馬鹿か?ったく、いいから、それをとれよ!」
いつも穏やかで上品な美少年グリーの言葉と顔面が乱れている。
状況についていけないのに加えて、グリーの別人のような態度に面食らった。
「え、ええ?」
「だから水盤に映っているその本を引き上げるんです!ほら、樹里、本のタイトル見て。あなたの要求した、魔術のかけ方という本でしょう?」
グリーは水の中に手を突っ込んだ。
濡れちゃう!と思ったが、水の中から引き上げたその手には黒々とした羊皮紙の本がある。
腕も濡れていない。
グリーから押し付けられた本のタイトルは、魔術のかけ方と流麗な文字で刻印されている。
「え?どういうこと?いったいどういう仕組みなの!?」
「水底の赤い石が、引き寄せているんです。魔力が込められていて、唱えれば望みの物を探し出し届けるように発動している。でも本当にそれでいいの?」
「いいわ」
グリーは金と銀のメッシュの髪をかき上げた。
「数冊、浮かび上がってきたけれど樹里は基本的なところが押さえられていないようだから、まずはその一冊から読むといいですよ。読み終えたら次の本は、この書庫でなくてもいいと思うよ」
「わかったわ」
「用が済んだのなら、ここから早くでよう。誰かに見とがめられたら、罰金とか、監獄に一日入れられたりとか、そういうことになると面倒ですから」
グリーは名残惜し気に入口付近の背表紙にそっと触れた。
だが、抜き出すことはしない。
「ここには、魔術の秘密を手に入れたい国が攻め入ってもおかしくないぐらいの稀覯本があるという噂です。うちの魔術師が見たら、狂喜乱舞するの間違いないでしょう。この中に入った他国人はもしかしてわたしぐらいかもしれないから、ある意味感慨深いのだけど。どうしてあなたがすんなりと結界を通り抜けられるのか、不思議なんですが。ねえ、どうしてですか、樹里?」
グリーが取り乱したのは一瞬だけ。
彼はもう普段の自分を取り戻している。
優しく穏やか。
上品な美少年が表の仮面ならば、かいまみた素顔のグリーはできない奴を見下す傲慢な少年のようだ。
わたしは水盤をのぞき込み、グリーに聞こえないように小さく呟く。
底から浮かびかがってくる真っ赤に染めた羊皮紙の本を掬いあげた。
手も本も水に浸かっていたはずなのに、まったく濡れていない。
これが、魔術なのだ。
「自動呼出し装置のようなもの?便利なのねえ」
この世界はいたるところに魔力が作用している。
この世界の人がわたしの世界のスマートフォンでビデオ電話をしたり、動画を見たり、写真を撮ったりしたら驚愕するのと同じようなもの。
本は手に入れた。
知りたい情報が書かれているのか一刻も早く確認したかった。
自室で一人で誰にも邪魔されることなく。
「雲行きがおかしいですね、黒い雲が海の方から……」
グリーがそう言ったのを覚えている。
わたしはなんて答えたのか。
そうね、とか頭痛がするから嵐がくるわよ、とか。
おざなりに答えただけ。いつの間にかハリーとグリーが入れ替わっていた。グリーとどこで別れたかもあいまいである。
自室のベッドに上がり、黒い本はサイドテーブルへ、赤い本を膝に置き腰をすえる。本当に知りたかったことは、赤い本のほうだ。
天気の話の前に、もうひとつグリーの質問に答えていなかったことを思いだした。
グリーだって、穏やかで優しい美少年の仮面の下に本当は何を隠しているの?と聞かれたら、真っ正直には応えてくれるはずがないと思う。わたしが王城内のどこにでも行ける賓客である理由、結界を通り抜けられる理由は、わたしが異世界から召喚された『光り輝く者』であるから。
いずれにしろ、明かす必要もないと思ったのである。
「魔術関係かな」
「魔術?」
グリーは長いまつ毛を瞬いた。
「おおむね魔術の類は一般の人が閲覧できない別室の書庫の中に管理されているものですよ」
「なら奥の方かな?」
わたしは、書棚の真ん中の通路を抜けていく。
一番奥には扉があった。
マホガニーの扉は、酒蔵の奥で見つけた扉と、意識しなければ見落としてしまいそうになる、ひっそりとたたずんでいるところが似ている。
開けようと手を伸ばすと、グリーは慌ててわたしの手を押さえた。
「待って。立ち入り禁止に加えて結界が張られていたりすれば、ひどい衝撃が来るよ」
グリーが指さすのは、許可なく立ち入り禁止、と刻まれた扉のプレートである。
「結界は、わたしは大丈夫だと思うけれど、どうかな」
「ええ?どうして?樹里は王族でもないのでしょう?」
「事情があるのよ」
「事情?」
おそるおそるドアノブに手を伸ばした。
もうなじみのある風鈴のような甲高い音が頭蓋骨内で反響する。
この世界に来た時と同じ。
これが、結界を超えるときの感覚のようだった。
「確かに結界が張ってあるようだけど、わたしに続いて入ればあんたも入れるんじゃない?」
わたしは足を踏み入れた。
すると数万はあると思えそうな大量の本が出迎えた。
書庫は一般の図書館が四角く平面的だとすれば、こちらは丸く、階をまたいで高さのある収納である。
部屋は丸い。そのまま筒状にのびた天井はずいぶん高く、丸いガラスがはまっていて、青空がのぞく。
内部の10階ほどある壁面には、本棚と本が隙間なく収納されていた。
井戸の奥に落ち込んだような不思議な空間だった。
一階ずつ隙間なく壁を埋め尽くす本を確認し、上の階にあがることを繰り返さねばならないのか。
ハリーではないが、めまいを感じる。
「すごい魔術関係の蔵書ですね。怖いぐらいです。さすが偉大なる魔術師を傑出したアストリア。大陸でも失われた貴重な本があるとききます」
わたしの背中に密着するように魔術師の書庫に入ったグリーは賞賛の声を上げ、手近な書棚のタイトルを眺める。
「とはいえ、この中から見つけ出すのは簡単ですね。ここには水盤がありますから」
「水盤?」
グリーは書棚の塔のど真ん中、天窓の真下に置かれた銅製の水盤を指した。
様々な動植物が刻まれている器である。
キラキラと揺れる清浄な水が、縁すれすれにたたえられていた。
磨き抜かれた大理石の丸い台の上に置かれていて、水盤の水底には色とりどりの輝石が沈んでいる。
シャジャーンの指の宝石よりも大きい赤やら緑やらの石である。
誰も取ろうとしないのが不思議だった。
のぞき込むとグリーとわたしたちが映りこみ、さらに背景に10階分の本がおぼろにゆれる。
「使い方を知らないのですか?これは何でも見せてくれる検索装置でもありますよ。読みたい本のタイトルを言えばいいんです」
「検索装置ですって?これが?意味が分からないわ」
「だからこれが、読みたい本がどこにあるか教えてくれますよ」
「だから、どうやって?」
「なんでもいいから、まずは試してみて」
「タイトルは知らない。知りたい内容さえカバーしているのなら、何でもいいんだから」
「なら、どんな内容を知りたいのか、いえばいいですよ」
「じゃあ、魔術のか、かけ方とか……?」
「はあ?」
美少年は不機嫌に眉を寄せた。
水盤が大きく揺れ、何冊か本が水の中に揺れる。
「そんな基本の本かよ!ここまできて、馬鹿か?ったく、いいから、それをとれよ!」
いつも穏やかで上品な美少年グリーの言葉と顔面が乱れている。
状況についていけないのに加えて、グリーの別人のような態度に面食らった。
「え、ええ?」
「だから水盤に映っているその本を引き上げるんです!ほら、樹里、本のタイトル見て。あなたの要求した、魔術のかけ方という本でしょう?」
グリーは水の中に手を突っ込んだ。
濡れちゃう!と思ったが、水の中から引き上げたその手には黒々とした羊皮紙の本がある。
腕も濡れていない。
グリーから押し付けられた本のタイトルは、魔術のかけ方と流麗な文字で刻印されている。
「え?どういうこと?いったいどういう仕組みなの!?」
「水底の赤い石が、引き寄せているんです。魔力が込められていて、唱えれば望みの物を探し出し届けるように発動している。でも本当にそれでいいの?」
「いいわ」
グリーは金と銀のメッシュの髪をかき上げた。
「数冊、浮かび上がってきたけれど樹里は基本的なところが押さえられていないようだから、まずはその一冊から読むといいですよ。読み終えたら次の本は、この書庫でなくてもいいと思うよ」
「わかったわ」
「用が済んだのなら、ここから早くでよう。誰かに見とがめられたら、罰金とか、監獄に一日入れられたりとか、そういうことになると面倒ですから」
グリーは名残惜し気に入口付近の背表紙にそっと触れた。
だが、抜き出すことはしない。
「ここには、魔術の秘密を手に入れたい国が攻め入ってもおかしくないぐらいの稀覯本があるという噂です。うちの魔術師が見たら、狂喜乱舞するの間違いないでしょう。この中に入った他国人はもしかしてわたしぐらいかもしれないから、ある意味感慨深いのだけど。どうしてあなたがすんなりと結界を通り抜けられるのか、不思議なんですが。ねえ、どうしてですか、樹里?」
グリーが取り乱したのは一瞬だけ。
彼はもう普段の自分を取り戻している。
優しく穏やか。
上品な美少年が表の仮面ならば、かいまみた素顔のグリーはできない奴を見下す傲慢な少年のようだ。
わたしは水盤をのぞき込み、グリーに聞こえないように小さく呟く。
底から浮かびかがってくる真っ赤に染めた羊皮紙の本を掬いあげた。
手も本も水に浸かっていたはずなのに、まったく濡れていない。
これが、魔術なのだ。
「自動呼出し装置のようなもの?便利なのねえ」
この世界はいたるところに魔力が作用している。
この世界の人がわたしの世界のスマートフォンでビデオ電話をしたり、動画を見たり、写真を撮ったりしたら驚愕するのと同じようなもの。
本は手に入れた。
知りたい情報が書かれているのか一刻も早く確認したかった。
自室で一人で誰にも邪魔されることなく。
「雲行きがおかしいですね、黒い雲が海の方から……」
グリーがそう言ったのを覚えている。
わたしはなんて答えたのか。
そうね、とか頭痛がするから嵐がくるわよ、とか。
おざなりに答えただけ。いつの間にかハリーとグリーが入れ替わっていた。グリーとどこで別れたかもあいまいである。
自室のベッドに上がり、黒い本はサイドテーブルへ、赤い本を膝に置き腰をすえる。本当に知りたかったことは、赤い本のほうだ。
天気の話の前に、もうひとつグリーの質問に答えていなかったことを思いだした。
グリーだって、穏やかで優しい美少年の仮面の下に本当は何を隠しているの?と聞かれたら、真っ正直には応えてくれるはずがないと思う。わたしが王城内のどこにでも行ける賓客である理由、結界を通り抜けられる理由は、わたしが異世界から召喚された『光り輝く者』であるから。
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