悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

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第一章 満月と新月の夜

第3話 キス

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 子供たちが騒ぐ声がする。
 しかりつける女の声。
 近所の子供たちは休みの朝は早い。

 瞼をすかして朝日を感じ、頬が日差しを受けて温まって気持ちがよかった。
 深い眠りから覚めるときの独特のけだるさがまったりとまとわりついていた。
 このままベッドに抱かれるように沈み込んだまま、しあわせな夢の名残をいつまでも味わいまどろんでいたいと願う。

 扉が軋み誰かが部屋の中に入ってきた。
 父も母も弟も、わたしが寝ている間に部屋に入ってくることはない。
 急激に夢の世界から引き戻されていく。
 夢から覚めたくない自分と戦った。

「……□△●%^&」

 低く静かな言葉の響きに聞き覚えがあった。
 その音を捕まえようとしても明確に捕まえきれないところも、覚えのある感覚だった。
 不意に昨夜のことを思いだした。
 暗がりの中、やみくもに逃走しようとして、失敗したのだった。


 惰眠を貪る余裕などなかった。
 誰かが髪に触れる気配に、必死に瞼を開いた。
 清浄な朝の空気を大きく吸い込んだ。
 ベッドの横の椅子に座った男は、マントを羽織っていなかったが昨夜の男である。片側で三つ編みに編む銀色の髪が朝日に輝いて美しい。
日の光の元でみても、マント男は近寄りがたいほどの美貌である。

 男は目を細めてわたしの髪に触れ、何かをつぶやいている。
 一定のリズムで繰り返され、お経のようにも、怪しげな呪文のようにも思えた。

 わたしが目覚めたことに気が付くと、顔を寄せてきた。
 夜闇の中では濃い青い色の目だと思った色は、グレーがかった灰色の、氷のような冷たさを感じさせる色だった。
 男もわたしの瞳を覗き込む。その近さに心臓がどきりと跳ねた。

 男は何かきらりと青く光るものを口の中に含んだ。
 視線がわたしの口元に注がれる。
 まつ毛が長い。
 こんなに美しい男に出会ったことがなくて、思わず見とれてしまう。
 男がこれから何をしようとしているのか悟ったときには、唇を奪われていた。
 舌が侵入し歯の間をこじ開け、口内を探られる。
 舌を探し当てられ絡められた。

 突然のキスにわたしは慌てた。
 この美貌の男とキスしたい願望が自分にあったのか。
 夢だと思おうとしても、感覚が生々しすぎる。
 舌の奥に塊が押し込まれた。
 わずかな圧で塊は弾け、口内中にどろっとした甘いはちみつのようなものが広がった。
 そのまま飲みくだしてしまった。

「何を……」
「受け入れて、飲み込んで」

 押しのけようとした手首が掴まれ、頭を固定される。
 再び濃厚なキス。
 やわらかな唇は、たばこでがさついた厚い唇の貴文とは全く違った感触だった。
 このままだと窒息してしまう。
 そう思ったときようやく体を拘束する重みが解放される。

「いきなり何するのよ!し、心臓が……」

 爆発してしまう!
 同意なしのキスは、犯罪ではないか。
 男は顔を真っ赤にして唇をぬぐうわたしを、どこか冷めた目で見る。

「これで、君と話が通じることができるだろ?君と意志疎通ができないという状況をなんとかしなくてはならなかったから」
「言葉が通じている……?」
「風の魔力と俺の知識の言語能力を凝縮したものを君の体の中になじませるために、飲ませることが必要だった」
「昨夜、わたしに飲ませようとした青い菓子のようなものを?」
「その通りだ。君が乱暴な扱いをしたから砕けて散ってしまったから、もう一度作らなくてはならなくなった。魔力と時間の損害だよ」
「だからといって口移しで飲ませる必要ないじゃない」
「理由を説明するにも言葉が通じないだろ」
「ちょっと待って、言ってる意味がわからないわ!」

 男は淡い目で、改めてじっとわたしの目を見て意味がわからないというわたしの言葉の意味を図ろうとする。

「俺は君の言葉を理解できているのに、君が俺の言葉を理解できないなんて、そんな変則的な魔力の利き方などしないはずだが」
「表面上の言葉ではなくて、根本的なことがわからないのよ。冬が夏になったのはどうして?わたしは川に落ちて死んで、ここは死後の世界なのかしら?死後の世界に魔力があるなんて知らなかったわ。それともこれはすべて意識を失ったわたしが見ている、願望の世界なのかも」
「願望?」
「いい男と素敵なキスをしたいっていう……」

 男の手は肩までのわたしの髪に触れて指先で弄んでいる。
 無意識の挙措なのかもしれないと思った。
 わたしの顔をまぶしいもののようにみた。
 目をほそめて何度か瞬いた。
 だが、表情は冷たいままである。

「俺は光り輝く強い命を持った存在を探していた。満月の引き寄せる力を利用して呼びかけ、君を探して引き寄せた。はじめはうまくいったことがわからず、聖地に紛れ込んだヤツかと思ったが」
「呼びかけて異世界に引き寄せることができるなんて、信じられないわ。光り輝く強い存在と言われて悪い気持ちはしないけど」

「信じられないもなにも、青い玉を飲み込んで、言葉も理解できるようになっただろ?君の世界は魔力を利用できない世界なんだな。自然も社会の仕組みもこことはおそらく違うのだろう。体を起こせるのなら、一緒に視察に連れていってもいい。ここでの君の安全は俺がすべて責任をもつから、完全に安心してここにいたらいい」

 真剣な言い方にひとまず頷くと、男の肩の力が抜けるのがわかる。
 表情は冷たいが、わかりやすい男のようである。
 
「君の名前はなんていう?」
「藤崎樹里よ。樹里でいいわ」
「じゅり、だって?なるほど。じゅり、樹里……」

 男は口のなかで何度かつぶやいて転がしている。
 わたしの名前を味わっているようでこそばゆい。
 
「樹里殿。ここはアストリア国。俺は王宮お抱えの魔術師(イマーム)のシャディーン」
 シャディーンの顔が再び引き締まる。
 
「樹里殿、王からも正式にお願いすることになるだろうが、俺からもお願いする。どうか我が国を助けてほしい」
「助けるってわたしが?どうやって?それが終わったらわたしは元の世界にもどしてもらえるの?」
 
「帰りたければもちろん協力する。詳細は王城で伝えることになる。君に絶対に悪いことにはならないように配慮する」
「それは、本当にわたしにできることなの?」
「樹里にしかできないことだ」
「いやだとは言えないの?」
「言ってもいいが、そう決めるのは依頼内容を聞いてからにしてほしい」

 簡単な食事の後に、王城から迎えに来た騎士と合流する。
 中世の絵画に描かれた騎士のような防御の帷子を肩から胸にかけ直剣を腰に刷く姿に、本当に異世界に来たのだと感動を覚える。

 まさか小説や漫画のような話が自分の身に起こるとは思わなかった。
 自分の状況は、いわゆる異世界に召喚された聖女のようなものに分類されるのかもしれない。

 悪女のわたしがそんな窮地を助けるヒロイン役になるとは思わなかったのだけど。
 そしてもしかして、この冷たい表情の魔術師さまに愛されることもあるのだろうか?
 シャディーンでなければ王子さまに愛されるのかもしれない。
 自分都合の妄想が暴走し、思わず口元をだらしなく緩ませてしまう。
 

 完全に、安心してほしい。
 絶対に、悪いことにはならない。
 わたしにしか、できない。
 
 四択試験では絶対や全くなど断定の言葉は、間違いの選択肢だ。
 シャディーンは何度も口にする。
 それがかえって一抹の不安となる。
 喉の奥に小骨のように刺さったような不快さを、わたしはあえて無視したのだった。
 


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