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その2,東郷秀樹と白い犬(第2話の後ぐらい)
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東郷進一郎の朝は早い。
目覚めると一杯の水を飲みナイキの黒の上下に着替えて運動靴を履く。
ランニングの時間だった。
中等科からの習慣である。
ほどんどの者たちはまだ浅い眠りの夢にまどろんでいる時間帯である。
一日の最高のスタートを切るために、一部の者たちだけが動きだす。
時間の価値と己を律することの重要さを知っている者たちだ。
そんな彼らの顔と名前を覚えることにしている。
彼らはたいてい期待を裏切らない。
その朝は朝もやが立ち込めていた。
いつもの朝のメンバーとは違う影を見つける。
松葉杖をついているが、おそるおそるではあるが、包帯を巻く足にも体重をかけている。
それは東郷秀樹だった。
自分の感情を抑制できず弱い者に対しては強さをひけらかしてしまう、未熟ないとこ。
一年の弱い立場のものを弄んだことに対して進一郎が与えた罰が、脛骨骨折である。
かなりの重症なはずだった。
秀樹は松葉づえ生活を強いられ、少しは抑制のきく、弱い者の立場がわかる者になっているのか。
秀樹は遊歩道の中へ松葉杖をつきつつ進んでいく。
頭をうなだれながら歩く彼を、柔道着やジャージを着た数人の学生がさっそうと追い抜かしていく。
森の中の足場の悪いところを走るトレイルランは、バランス感覚を養うのに最適だった。
東郷進一郎はふと秀樹の後を追いたくなった。
森の中にどんどん入るが、秀樹は時にバランスを崩しながら、松葉杖を補助的に使って歩いていく。
汗をぬぐい、息が荒い。
秀樹の回復トレーニングなのだと進一郎は理解する。
その心意気は褒めたいと思う。
だが、気持ちの面ではどうなのか。
松葉づえがいらなくなった時に、前のように自分に歯向かえない立場の者をいじめるようであれば秀樹に永遠に失望することになるだろう。
その時、秀樹が立ち止まった。
森の中を凝視している。
進一郎も足をとめ何を見たのかと目を凝らした。秀樹は松葉杖を離した。
かがんで何かを白い何かを拾い上げた。
くんくんと甘えて鳴く声。
進一郎ははっとする。
子犬だった。
新学期早々にこの森で野犬に新入生が襲われるという事件があり、野犬狩りが行われた。
その子犬はここで生まれたのでなければ校門の下をくぐりぬけてきたのかもしれなかった。
野犬は処分されることに決まっている。
見かけたら即先生か警備員に報告することになっている。
その場で処分することも許されていた。
果たして秀樹が見つけた野犬をどうするのか興味がわく。
秀樹が野犬を自分で処分しても誰もとやかくいわないだろう。
まして秀樹が捕まえたのは子犬である。
首を絞めて殺すのは容易い。
弱い者をいじめた秀樹はどのような残虐性を大きな身体に隠しているのか。
秀樹は立ち上がり猛スピードで歩き出した。
足は痛むはずなのに、犬を抱えるために松葉杖をそこに置き去りにする。
どこに行くのかさらに興味をひかれた。
途中でさきほど追い抜いた柔道着のグループが戻ってきた。
中の一人は列から抜け、秀樹に何か話している。
何を思ったか、秀樹に負けないほど大きな身体の彼は、秀樹にひょいと肩を貸した。
「いいからほっとけ、助けてもらうには及ばないから!」
秀樹の焦った声が聞こえてきた。
秀樹は振り払えない。秀樹と同じぐらい大きな肩に体を半ば預けて歩き出した。
進一郎は柔道着の若者が今野修司だと気が付いた。
いじめられたものは、復讐の機会をねらっていることもある。
進一郎は、身体の自由がきかない秀樹が危険な状況にあることに気が付いた。
今度は心配になり、そのまま後を付けることにする。
今野修司は朴訥そうであるが、本当のところはわからない。
今野修司は秀樹を支え、その足となる。
森の奥から方向を変え、校門までの正面通路に出た。
彼らは校門で、門の外へ子犬を離した。
東郷警備保障の警備員も外に出てきている。
秀樹は子犬の処分をできない。
学院内にいれば処分されてしまう。外なら誰かに拾ってもらえる可能性もあった。
甘い男だった。
これが弱い者にたいして強い。
そして同時に相手の弱さに対しては限りなく甘いところがある。
進一郎はあきらめのため息をついた。
秀樹が将来陥る失敗はおそらくこのところに起因するだろうと予言できそうだった。
「今野修司、ここまで付き合ってくれてありがとう」
「いえ、いいんです。このまま子犬をおいておけば、野犬狩りに会うかもしれませんから。それに学院で飼うことはできないですし。それよりも早くよくなって、僕の練習に付き合ってください」
「お前なあ、俺があんなにいじめたのに。本当に申し訳なかったと思っている」
涙声だ。必死にこらえている気配がある。
「そんな。それより急いで元来た道をもどりましょう。松葉づえをどこかで置いてるのではないですか?」
秀樹はかぶりをふる。
「松葉づえの替えがあるからこのまま寮に戻るよ。明日にでも取りに行くことにするから。ありがとう」
今野修司と秀樹は再び二人三脚のようにして足早に歩いていく。
東郷進一郎は咄嗟に緑鮮やかな桜の巨木の影に隠れてしまう。
軽く談笑しながら二人は去っていく。
今野修司は、森の中で秀樹を見捨てても良かったのに、そうしない。
いじめた相手に助けられるとはどんな気持ちなのだろう。
屈辱?敗北感?相手に対する尊敬?
ともあれ複雑な心境であることには違いなかった。
その今野修司には、復讐心など欠片もない。
そう疑った自分が恥ずかしくなるぐらいだった。
白亜の寮の入り口で秀樹を進一郎は呼び止めた。
進一郎が差し出した松葉づえに、秀樹は目を見開く。
その目に小さく恐怖がひらめいた。
呼応するように進一郎の胸に罪悪感がうずく。
「どうしてこれを。……全部みていたのですか!」
「ああ。白いかたまりのことはみていないから安心してもいいよ」
「見逃してもらえるのですか」
「規則を適用する適用しないを判断するのはわたしではないし、そもそも見てないものを見逃すこともできないだろう」
そういうと、秀樹は安心する。
朝もやも引いている。
晴れ晴れとした秀樹の顔が朝日に照らされていた。
秀樹はその大きな体に見合うように、少しだが成長していた。
秀樹は失敗してはじめて実感として理解し、修正しながら成長していくタイプなのだろう。
それもありだと思う。
若い頃の苦労は買ってでもしろという。
小賢しく小さくまとまるより、失敗はどんどんすべきだった。
失敗から学び、名誉を挽回する機会は今後の長い人生にいくらでもあるだろう。
進一郎と秀樹の年の差はわずかに一歳。
あと何回失敗して学べば、この未熟ないとこ殿は自分と肩を並べられるようになるのだろうか。
自分は四天王のなかでトップだが、うまく学んでいけば秀樹はいずれいいところまでのぼってきそうだった。
ただその道は前途多難そうで、秀樹が舐める艱難辛苦を思うと笑えてしまうのだが。
そして、弱い秀樹をそっくり許していた今野修司を秀樹が東郷派に加えるならば、秀樹を生涯に渡って助ける懐の深い男になるのだろう。いじめたくなるほど相性がよさそうだから。
東郷進一郎はひどい体罰を与えなければならなかった自分を、ようやく許すことができるような気がしたのだった。
その2、東郷秀樹と犬 完
目覚めると一杯の水を飲みナイキの黒の上下に着替えて運動靴を履く。
ランニングの時間だった。
中等科からの習慣である。
ほどんどの者たちはまだ浅い眠りの夢にまどろんでいる時間帯である。
一日の最高のスタートを切るために、一部の者たちだけが動きだす。
時間の価値と己を律することの重要さを知っている者たちだ。
そんな彼らの顔と名前を覚えることにしている。
彼らはたいてい期待を裏切らない。
その朝は朝もやが立ち込めていた。
いつもの朝のメンバーとは違う影を見つける。
松葉杖をついているが、おそるおそるではあるが、包帯を巻く足にも体重をかけている。
それは東郷秀樹だった。
自分の感情を抑制できず弱い者に対しては強さをひけらかしてしまう、未熟ないとこ。
一年の弱い立場のものを弄んだことに対して進一郎が与えた罰が、脛骨骨折である。
かなりの重症なはずだった。
秀樹は松葉づえ生活を強いられ、少しは抑制のきく、弱い者の立場がわかる者になっているのか。
秀樹は遊歩道の中へ松葉杖をつきつつ進んでいく。
頭をうなだれながら歩く彼を、柔道着やジャージを着た数人の学生がさっそうと追い抜かしていく。
森の中の足場の悪いところを走るトレイルランは、バランス感覚を養うのに最適だった。
東郷進一郎はふと秀樹の後を追いたくなった。
森の中にどんどん入るが、秀樹は時にバランスを崩しながら、松葉杖を補助的に使って歩いていく。
汗をぬぐい、息が荒い。
秀樹の回復トレーニングなのだと進一郎は理解する。
その心意気は褒めたいと思う。
だが、気持ちの面ではどうなのか。
松葉づえがいらなくなった時に、前のように自分に歯向かえない立場の者をいじめるようであれば秀樹に永遠に失望することになるだろう。
その時、秀樹が立ち止まった。
森の中を凝視している。
進一郎も足をとめ何を見たのかと目を凝らした。秀樹は松葉杖を離した。
かがんで何かを白い何かを拾い上げた。
くんくんと甘えて鳴く声。
進一郎ははっとする。
子犬だった。
新学期早々にこの森で野犬に新入生が襲われるという事件があり、野犬狩りが行われた。
その子犬はここで生まれたのでなければ校門の下をくぐりぬけてきたのかもしれなかった。
野犬は処分されることに決まっている。
見かけたら即先生か警備員に報告することになっている。
その場で処分することも許されていた。
果たして秀樹が見つけた野犬をどうするのか興味がわく。
秀樹が野犬を自分で処分しても誰もとやかくいわないだろう。
まして秀樹が捕まえたのは子犬である。
首を絞めて殺すのは容易い。
弱い者をいじめた秀樹はどのような残虐性を大きな身体に隠しているのか。
秀樹は立ち上がり猛スピードで歩き出した。
足は痛むはずなのに、犬を抱えるために松葉杖をそこに置き去りにする。
どこに行くのかさらに興味をひかれた。
途中でさきほど追い抜いた柔道着のグループが戻ってきた。
中の一人は列から抜け、秀樹に何か話している。
何を思ったか、秀樹に負けないほど大きな身体の彼は、秀樹にひょいと肩を貸した。
「いいからほっとけ、助けてもらうには及ばないから!」
秀樹の焦った声が聞こえてきた。
秀樹は振り払えない。秀樹と同じぐらい大きな肩に体を半ば預けて歩き出した。
進一郎は柔道着の若者が今野修司だと気が付いた。
いじめられたものは、復讐の機会をねらっていることもある。
進一郎は、身体の自由がきかない秀樹が危険な状況にあることに気が付いた。
今度は心配になり、そのまま後を付けることにする。
今野修司は朴訥そうであるが、本当のところはわからない。
今野修司は秀樹を支え、その足となる。
森の奥から方向を変え、校門までの正面通路に出た。
彼らは校門で、門の外へ子犬を離した。
東郷警備保障の警備員も外に出てきている。
秀樹は子犬の処分をできない。
学院内にいれば処分されてしまう。外なら誰かに拾ってもらえる可能性もあった。
甘い男だった。
これが弱い者にたいして強い。
そして同時に相手の弱さに対しては限りなく甘いところがある。
進一郎はあきらめのため息をついた。
秀樹が将来陥る失敗はおそらくこのところに起因するだろうと予言できそうだった。
「今野修司、ここまで付き合ってくれてありがとう」
「いえ、いいんです。このまま子犬をおいておけば、野犬狩りに会うかもしれませんから。それに学院で飼うことはできないですし。それよりも早くよくなって、僕の練習に付き合ってください」
「お前なあ、俺があんなにいじめたのに。本当に申し訳なかったと思っている」
涙声だ。必死にこらえている気配がある。
「そんな。それより急いで元来た道をもどりましょう。松葉づえをどこかで置いてるのではないですか?」
秀樹はかぶりをふる。
「松葉づえの替えがあるからこのまま寮に戻るよ。明日にでも取りに行くことにするから。ありがとう」
今野修司と秀樹は再び二人三脚のようにして足早に歩いていく。
東郷進一郎は咄嗟に緑鮮やかな桜の巨木の影に隠れてしまう。
軽く談笑しながら二人は去っていく。
今野修司は、森の中で秀樹を見捨てても良かったのに、そうしない。
いじめた相手に助けられるとはどんな気持ちなのだろう。
屈辱?敗北感?相手に対する尊敬?
ともあれ複雑な心境であることには違いなかった。
その今野修司には、復讐心など欠片もない。
そう疑った自分が恥ずかしくなるぐらいだった。
白亜の寮の入り口で秀樹を進一郎は呼び止めた。
進一郎が差し出した松葉づえに、秀樹は目を見開く。
その目に小さく恐怖がひらめいた。
呼応するように進一郎の胸に罪悪感がうずく。
「どうしてこれを。……全部みていたのですか!」
「ああ。白いかたまりのことはみていないから安心してもいいよ」
「見逃してもらえるのですか」
「規則を適用する適用しないを判断するのはわたしではないし、そもそも見てないものを見逃すこともできないだろう」
そういうと、秀樹は安心する。
朝もやも引いている。
晴れ晴れとした秀樹の顔が朝日に照らされていた。
秀樹はその大きな体に見合うように、少しだが成長していた。
秀樹は失敗してはじめて実感として理解し、修正しながら成長していくタイプなのだろう。
それもありだと思う。
若い頃の苦労は買ってでもしろという。
小賢しく小さくまとまるより、失敗はどんどんすべきだった。
失敗から学び、名誉を挽回する機会は今後の長い人生にいくらでもあるだろう。
進一郎と秀樹の年の差はわずかに一歳。
あと何回失敗して学べば、この未熟ないとこ殿は自分と肩を並べられるようになるのだろうか。
自分は四天王のなかでトップだが、うまく学んでいけば秀樹はいずれいいところまでのぼってきそうだった。
ただその道は前途多難そうで、秀樹が舐める艱難辛苦を思うと笑えてしまうのだが。
そして、弱い秀樹をそっくり許していた今野修司を秀樹が東郷派に加えるならば、秀樹を生涯に渡って助ける懐の深い男になるのだろう。いじめたくなるほど相性がよさそうだから。
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