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第十二話 雨乞い祈願
121、ベルゼ王の訪問
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日も落ちる頃、エールの城門が閉ざされる直前に目貫通りを騎馬の一群が駆け抜ける。
埃をかぶった外套に剣が突き出ている。連日休みなく走らせてきたのか、人馬は疲労している。
ずり落ちるようにして降りると、槍を突きつけ誰何する門兵を前にフードを下ろした。
その髪は長旅のためか、土埃にまみれざんばらに乱れていた。30歳は超えているだろうが、どこか甘さを感じさせるハンサムな顔立ちである。
彼の背後の10名ほどの男たちも馬を降りフードをずり落す。
彼らは皆40代までの体格のよく似た男たちで、外套から覗き見える服は全員同じ制服を着ている。彼らは一様に薄汚れているとはいえ、規律と節制が感じられた。
「どちらの使節団か。お名前を拝領いたしたく」
槍を握りしめた門番の誰何に、先頭の男は髪に触れほこりをはたく。
白金の混ざる淡い金髪がかいま現れる。
「我らはアデール国から森と平野の国々の危機に、我らの助けを必要とするのならば進んで援助を行うために参上した。わたしはアデール国王、ベルゼ。フォルス王に会いにきた」
「アデールのベルゼ王!」
門番は驚きを隠せず顔を見合わせた。
アデール国王がエール国に正式に訪問したことはない。
フォルス王と交流があるとは思えなかったが、ジルコン王子の夏スクールに参加している双子とは彼らも馴染みが深い。ベルゼ王と名乗る男の容貌は、金髪もしかり、大変よく似ている。
王城に伝令が走り、ロゼリアにもベルゼ王の訪問は伝えられた。
ロゼリアは、父王の突然の訪問に、飛び上がらんばかりに驚いた。
父王の元へ走りだしたのである。
ロゼリアはほこりにまみれた男たちの一行に追いついた。
彼らは王城に入ったすぐのところで外套を脱ぎ、全身の埃を叩いて落とすところであった。ロゼリアは部屋着にしているパジャン風のゆったりした異国の服である。
「お父さま!」
ロゼリアはぶつかるように抱きついた。ベルゼ王は驚きつつもしっかりと受け止める。
広くて大きな父の胸は変わらない。
ロゼリアが国を出たときベルゼ王は矢傷を受けてベッドから出られない状態だった。力強くロゼリアを抱きしめる両腕に、ロゼリアは安堵する。
「ロゼリアか!相変わらずお転婆な、愛しい我が娘!」
たっぷりと抱きつかせてから、ベルゼ王はロゼリアを引き離した。
短い髪に眉を寄せながら顔をほころばせる。
再会を喜ぶべきか、不作法を諫めるべきか迷っている。
だが即座に表情が変わる。青灰色の優しい双眸が、探るような目つきになり、ロゼリアの顔から断ち切られた髪に移り、首から下、どんな靴を履いているのかまで、つぶさに確認される。
父の10人の騎士たちも、ロゼリアの姿に目を見開いている。
保守的な田舎の常識からはロゼリアはエールに来て確実にはみ出している。
だが、常識はロゼリアには通用しない。ロゼリアはアデールでは16歳の誕生日まで公には王子だったのだ。
今は見た目はどうであれ姫なのだから、短い髪ぐらい大目に見て欲しいと思う。
ベルゼ王から説教される前に、ロゼリアは先に口を開いた。
「お父さま、緊急にエールに訪れたのはどうしてですか。そのお疲れの様子からみて、あまり休んでおられないのでは」
「二日で最短の距離を駆け抜けてきた。森を喪失している国ほど、想像したよりも現状は悪い。アデール国は国土は小さく水不足はないが、近隣諸国への支援の準備が進んでいる。セーラ王妃とアンジュに後は任せてきた。わたしは、フォルスにその意思を伝えにきた。それから、大規模な神事が行われるだろうから、その立ち合いもすることになるだろう」
「神事?供物や、人身御供の因習が各地で行われるという?ディーンが言っていたわ」
「そういうものだ。この数年は気候が安定していて必要はなかったが、人の無力が思い知らされる天変地異の前には理性では理解できないことがまことしやかに行われるものだからだ」
「アデール国でも始まっているの?」
「水はあれども、基礎疾患がある者や高齢者、体力のない幼い子供の中には暑さで死ぬものもいる」
ロゼリアは言葉をうしなった。
アデール国だけは、平和な日常を享受していると思い込んでいたのだった。
「わが友!ベルゼなのか!」
その時、胴間声が響いた。
ロゼリアが振り返れば、視察から戻り馬を降りて転がるようにして駆け寄るフォルス王の姿があった。
ロゼリアは慌てて避けた。
フォルス王はがっつりとベルゼ王を抱く。
ベルゼも腕をまわして抱き返す。
「ああ、この10年間、顔を見せてくれないから寂しかったぞ」
フォルス王の抱擁は長いが、いつもに増して長い。
ベルゼ王は解放されないことを知り、呆れたように背中を叩く。
二人は互いの顔をまじかに見る。
同い年だった二人は、もう同じ年には見えない。
独りは黒髪に白いものを多く交え、顔には溢れる自信と多くの試練を耐え忍んだ苦悩が刻まれている。
もう一人は、王という重責を担いながらも戦争を回避し続けうまく立ち回り、穏やかな日々を過ごしてきた甘さの漂う顔。
「ああ、お前は変わらない。俺も汗をかき埃をかぶって体を流したい。まずは温泉で長旅の疲れを癒してから積もる話をしないか」
「わたしは、早晩の支援の心づもりがあることを伝えにきた。それに、もう一つ……」
父王の視線がロゼリアに向けられた。
ロゼリアは心臓が掴まれたような気がした。
父が来た目的は、ロゼリアとも関係しているのだ。
支援の申し出のためだけに、わざわざ王自ら馬を走らせたわけではないのだ。
「どんなに急いでいても食事もとれば寝もするし、風呂も入るだろう?」
フォルスはベルゼの肩に置いた手を離さない。フォルスは傷のある顔をベルゼに寄せた。
「それにお前、匂うぞ。お前の騎士たちも風呂に入れてくれ。そのあとに我が妻に会って……」
竜巻が周囲の物を巻き込み奪っていくように、フォルス王はアデール国の一行を連れていく。
10年の空白を全く感じさせない仲の良さである。
ロゼリアは一向の背中を見送った。
その場に残されていたのは、もうひとりいる。
ジルコンである。
滝の一件以来、二人きりになることがなかった。
キスを再びすることもなかったし、そもそも二人だけになることもない。
いつも、ジルコンとロゼリアの間には、何かや誰かの邪魔が入った。
視線でさえも、ラシャールに遮られてしまっていた。
そのうちに暑すぎる夏に周囲がざわめきだし、夏スクールどころではなくなった。
ジルコンとロゼリアの関係は婚約無期限延期のままである。
ララに進展の改善のなさを責めるように言うと、キス課題は一度だけでは駄目なのだそうである。
一度きりでは最悪なかったことにされる時もあるという。
結婚まで考える二人ならば、人の目を盗み、些細なきっかけを見つけては互いから求めあうようにして何度も何度もキスを交わすことになるだろう、と。
「姫、そんな格好でうろうろするな。人の目がある王城であるということを忘れては駄目だ」
ジルコンは青の外套を脱ぐと、埃をはたいてからロゼリアの肩にかける。
刺繍の入った豪奢なマントである。
「エールの王城ではパジャン風の服が目障りだというの?」
ジルコンは困ったように眉を寄せた。
「いや、そうではなくて、暑いのはわかるが薄着だから……」
ジルコンは彼らしくなく曖昧に言う。
「俺は行かなければならない。だからまた後で。あなたとはきちんと話さなければならないことがある」
あらためて話をしなければならないことなんて、いいことでないような気がした。
キスが一度きりで終わった二人の次に待っているのは、婚約の完全な破棄ではないか。
ベルゼ王がエールにいる今、直接父に、完全な婚約破棄に至ったことを伝えるのかもしれない。
そんな哀しい話ならば話などしたくない。
今なら、わずかな望みにしがみついていられるではないか。
王たちの一行を追うジルコンの背中をロゼリアは見えなくなるまで追い続けたのである。
埃をかぶった外套に剣が突き出ている。連日休みなく走らせてきたのか、人馬は疲労している。
ずり落ちるようにして降りると、槍を突きつけ誰何する門兵を前にフードを下ろした。
その髪は長旅のためか、土埃にまみれざんばらに乱れていた。30歳は超えているだろうが、どこか甘さを感じさせるハンサムな顔立ちである。
彼の背後の10名ほどの男たちも馬を降りフードをずり落す。
彼らは皆40代までの体格のよく似た男たちで、外套から覗き見える服は全員同じ制服を着ている。彼らは一様に薄汚れているとはいえ、規律と節制が感じられた。
「どちらの使節団か。お名前を拝領いたしたく」
槍を握りしめた門番の誰何に、先頭の男は髪に触れほこりをはたく。
白金の混ざる淡い金髪がかいま現れる。
「我らはアデール国から森と平野の国々の危機に、我らの助けを必要とするのならば進んで援助を行うために参上した。わたしはアデール国王、ベルゼ。フォルス王に会いにきた」
「アデールのベルゼ王!」
門番は驚きを隠せず顔を見合わせた。
アデール国王がエール国に正式に訪問したことはない。
フォルス王と交流があるとは思えなかったが、ジルコン王子の夏スクールに参加している双子とは彼らも馴染みが深い。ベルゼ王と名乗る男の容貌は、金髪もしかり、大変よく似ている。
王城に伝令が走り、ロゼリアにもベルゼ王の訪問は伝えられた。
ロゼリアは、父王の突然の訪問に、飛び上がらんばかりに驚いた。
父王の元へ走りだしたのである。
ロゼリアはほこりにまみれた男たちの一行に追いついた。
彼らは王城に入ったすぐのところで外套を脱ぎ、全身の埃を叩いて落とすところであった。ロゼリアは部屋着にしているパジャン風のゆったりした異国の服である。
「お父さま!」
ロゼリアはぶつかるように抱きついた。ベルゼ王は驚きつつもしっかりと受け止める。
広くて大きな父の胸は変わらない。
ロゼリアが国を出たときベルゼ王は矢傷を受けてベッドから出られない状態だった。力強くロゼリアを抱きしめる両腕に、ロゼリアは安堵する。
「ロゼリアか!相変わらずお転婆な、愛しい我が娘!」
たっぷりと抱きつかせてから、ベルゼ王はロゼリアを引き離した。
短い髪に眉を寄せながら顔をほころばせる。
再会を喜ぶべきか、不作法を諫めるべきか迷っている。
だが即座に表情が変わる。青灰色の優しい双眸が、探るような目つきになり、ロゼリアの顔から断ち切られた髪に移り、首から下、どんな靴を履いているのかまで、つぶさに確認される。
父の10人の騎士たちも、ロゼリアの姿に目を見開いている。
保守的な田舎の常識からはロゼリアはエールに来て確実にはみ出している。
だが、常識はロゼリアには通用しない。ロゼリアはアデールでは16歳の誕生日まで公には王子だったのだ。
今は見た目はどうであれ姫なのだから、短い髪ぐらい大目に見て欲しいと思う。
ベルゼ王から説教される前に、ロゼリアは先に口を開いた。
「お父さま、緊急にエールに訪れたのはどうしてですか。そのお疲れの様子からみて、あまり休んでおられないのでは」
「二日で最短の距離を駆け抜けてきた。森を喪失している国ほど、想像したよりも現状は悪い。アデール国は国土は小さく水不足はないが、近隣諸国への支援の準備が進んでいる。セーラ王妃とアンジュに後は任せてきた。わたしは、フォルスにその意思を伝えにきた。それから、大規模な神事が行われるだろうから、その立ち合いもすることになるだろう」
「神事?供物や、人身御供の因習が各地で行われるという?ディーンが言っていたわ」
「そういうものだ。この数年は気候が安定していて必要はなかったが、人の無力が思い知らされる天変地異の前には理性では理解できないことがまことしやかに行われるものだからだ」
「アデール国でも始まっているの?」
「水はあれども、基礎疾患がある者や高齢者、体力のない幼い子供の中には暑さで死ぬものもいる」
ロゼリアは言葉をうしなった。
アデール国だけは、平和な日常を享受していると思い込んでいたのだった。
「わが友!ベルゼなのか!」
その時、胴間声が響いた。
ロゼリアが振り返れば、視察から戻り馬を降りて転がるようにして駆け寄るフォルス王の姿があった。
ロゼリアは慌てて避けた。
フォルス王はがっつりとベルゼ王を抱く。
ベルゼも腕をまわして抱き返す。
「ああ、この10年間、顔を見せてくれないから寂しかったぞ」
フォルス王の抱擁は長いが、いつもに増して長い。
ベルゼ王は解放されないことを知り、呆れたように背中を叩く。
二人は互いの顔をまじかに見る。
同い年だった二人は、もう同じ年には見えない。
独りは黒髪に白いものを多く交え、顔には溢れる自信と多くの試練を耐え忍んだ苦悩が刻まれている。
もう一人は、王という重責を担いながらも戦争を回避し続けうまく立ち回り、穏やかな日々を過ごしてきた甘さの漂う顔。
「ああ、お前は変わらない。俺も汗をかき埃をかぶって体を流したい。まずは温泉で長旅の疲れを癒してから積もる話をしないか」
「わたしは、早晩の支援の心づもりがあることを伝えにきた。それに、もう一つ……」
父王の視線がロゼリアに向けられた。
ロゼリアは心臓が掴まれたような気がした。
父が来た目的は、ロゼリアとも関係しているのだ。
支援の申し出のためだけに、わざわざ王自ら馬を走らせたわけではないのだ。
「どんなに急いでいても食事もとれば寝もするし、風呂も入るだろう?」
フォルスはベルゼの肩に置いた手を離さない。フォルスは傷のある顔をベルゼに寄せた。
「それにお前、匂うぞ。お前の騎士たちも風呂に入れてくれ。そのあとに我が妻に会って……」
竜巻が周囲の物を巻き込み奪っていくように、フォルス王はアデール国の一行を連れていく。
10年の空白を全く感じさせない仲の良さである。
ロゼリアは一向の背中を見送った。
その場に残されていたのは、もうひとりいる。
ジルコンである。
滝の一件以来、二人きりになることがなかった。
キスを再びすることもなかったし、そもそも二人だけになることもない。
いつも、ジルコンとロゼリアの間には、何かや誰かの邪魔が入った。
視線でさえも、ラシャールに遮られてしまっていた。
そのうちに暑すぎる夏に周囲がざわめきだし、夏スクールどころではなくなった。
ジルコンとロゼリアの関係は婚約無期限延期のままである。
ララに進展の改善のなさを責めるように言うと、キス課題は一度だけでは駄目なのだそうである。
一度きりでは最悪なかったことにされる時もあるという。
結婚まで考える二人ならば、人の目を盗み、些細なきっかけを見つけては互いから求めあうようにして何度も何度もキスを交わすことになるだろう、と。
「姫、そんな格好でうろうろするな。人の目がある王城であるということを忘れては駄目だ」
ジルコンは青の外套を脱ぐと、埃をはたいてからロゼリアの肩にかける。
刺繍の入った豪奢なマントである。
「エールの王城ではパジャン風の服が目障りだというの?」
ジルコンは困ったように眉を寄せた。
「いや、そうではなくて、暑いのはわかるが薄着だから……」
ジルコンは彼らしくなく曖昧に言う。
「俺は行かなければならない。だからまた後で。あなたとはきちんと話さなければならないことがある」
あらためて話をしなければならないことなんて、いいことでないような気がした。
キスが一度きりで終わった二人の次に待っているのは、婚約の完全な破棄ではないか。
ベルゼ王がエールにいる今、直接父に、完全な婚約破棄に至ったことを伝えるのかもしれない。
そんな哀しい話ならば話などしたくない。
今なら、わずかな望みにしがみついていられるではないか。
王たちの一行を追うジルコンの背中をロゼリアは見えなくなるまで追い続けたのである。
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