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第4部 花嫁(最終章)第十一話 エールの青

115-2、対岸の滝

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 あの暴力事件にまきこまれたのはアデールの姫ではなくて王子のほうだ。

「泉の水、気持ちいいわよ。ジルも足をひたしてみればいいわ」
「俺は、遠慮しておくよ。靴を脱いだら何かあったときに機敏に動けない」
 ジルコンは立ったまま断った。
 ロゼリアにというよりも、ぶらりと泉の水を覗きにきたついでのような体である。
「エールの心臓部で何か起こるはずがないわ」
「そうとは限らない。B国リシュア姫の事件は記憶に新しい」

 そのとき、ああっと悲鳴が上がった。
 何事かと振り返ろうとした二人の上に影が流れた。
 二人の頭上を、誰かが目測を誤って蹴ってしまったのだろう、革のボールが越えていく。見事に弧を描きぽちゃんと泉へ落ちた。
 いったん沈んだボールは、すぐにぽこんと水面に浮かび上がり、誘うようにゆらりゆらりと揺れている。五メートルぐらい向こうである。


「どうする?この暑さだし、ボールを取りにいくついでに水遊びに変更しようか?」
「それもいいかもな」
 背後で男子が提案している。
「水着もないのにできないわ!」
「女子は岸辺で見ていたらいいだろ」
「これだから、舟遊びが良かったのよ!」
 そう脈絡もなく文句をいうのはE国の姫かC国の姫か。
「何か棒のようなものでひきよせられるのではないかしら。もしくは風が岸辺に流してくれるかも。ラシャール、風の気配はありそう?」
 レベッカが言っている。

 ロゼリアは立ち上がるとショールを足元に落とし、サンダルを脱いだ。
 ジルコンが身じろいだ。
「ロズ、まさか、服のままあのボールを取りに行くんじゃないだろうな」
「そんなことするはずないでしょう。服のままだと溺れてしまうわ!アデールの森の泉でわたしたちはよく泳いで遊んだんだから」
 ロゼリアは膝丈のワンピースを頭から脱いだ。
 肌着はお尻の下までの長さのものである。

「嘘だろ、ロズ……」
 ジルコンが絶句するのにも構わず、ロゼリアは泉に飛び込んだ。
 雨季を終えた泉は以前と比べて深さがあった。

 一気に頭まで潜る。
 冷えた水が気持ちいい。
 身体に染み込んだ肉の血の匂いや煙の匂いが流されていく。
 
 生活排水の流れ込んでいない泉の水は視界が良好で、水底の小魚の群れが驚き一斉に方向転換するのも見える。
 地上でジルコンが覗き込み、他の者たちが次々に泉の中を覗き込んでいるのがわかった。
 ロゼリアは水中から革のボールの丸い影を目指して浮かび上がる。


「あそこだ!潜水して上がってきた!」
 そうロゼリアを指さし叫んだのは誰だったか。
 いくつもの顔が岸辺にあった。
 ロゼリアはボールを岸へ投げ返してやる。
 ジルコンも上着を脱いで上半身裸になっていた。そして、しゃがんで靴も脱いでいる。
 誰よりも早く、見事な飛び込みをみせジルコンは泉に飛び込んこんだ。
 ロゼリアがしたように潜水し、ロゼリアのすぐ近くに浮かび上がってくる。

「わお。エールの王子さま、もしかして水泳が得意なの?」
 水中に顔をだし大きく息を継いだジルコンに、対岸の瀑布を指さした。
「あそこまで泳いでいくつもり!ジルも来る?」
「冗談をいうな。200メートルはあるんじゃないか。泉の中ほどは深いし危険だし無理だ。姫君は大人しくほとりの木陰で……」
「もう飛び込んでしまったわ!たったの200メートルよ、勝負しましょう!」

 ロゼリアは勝負といいつつも、ゆったり平泳ぎで泳ぎ始めた。
 悪態をつきつつジルコンはロゼリアの後を泳ぎ追いかける。
「泳ぎに自信のある者はついてこい!あの瀑布を目指す!」

 ジルコンは振り返り叫んだ。
 背後でばしゃばしゃと飛び込む音がするが、二人の後を追いかけてくる者はいなかったのである。



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