滅国の麗人に愛の花を~二人の王子の物語

藤雪花(ふじゆきはな)

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第4話 王の器

53、オーガイト王

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庭師がラズの手を取り連れていったのは、バラの苗ばかりが雛壇に整然と並ぶ。
「あなたはよい季節に来られた。丁度時期でバラの花を目で鼻で鑑賞できるときだ」
庭師は、あれとこれは同じ品種で、あれはオールド品種で、香りならこれ、と示していく。
「これは実?」
ラズはぷっくり膨らんだ実をつつく。
「バラの実はローズヒップといってお茶にして飲むとお肌をきれいにしてくれる。これはそのなかでもハマナスの実だから、そのまま食べられる。後宮の女たちにも人気だ」
「へえっ?」
ラズが関心して鑑賞するその実を、庭師はついっと摘まみ取り、少年のように目を煌めかせた。
「口を開けて」
ラズが思わず開けた唇の間にその紅く照る実がむにっと押し付けられた。
「何を、、、」
という口の開いたのに合わせて口の奥まで押し込まれた。「食べて」と言われると、吐き出すのも失礼なので恐々こわごわと咀嚼すると甘酸っぱさが口に広がった。
なかなか野性味があって美味である。
もうひとつ、と赤い実を物色するようにハマナスの枝を見ると、庭師は豪快に笑った。
「見つけたら食べてもいいよ。外の後宮との境の生け垣はこのハマナスだ。ほら、これを嗅いでごらん」
ラズの鼻先に、白にピンクが混ざるバラの大輪が突き出され、手を取って握らされた。
ラズは目を閉じる。バラの濃厚な香気が鼻腔をくすぐる。大きく吸い込み、胸腔に満たした。
先程までのもつれて泡立っていた心の波が、ゆるゆるとほどけて穏やかになっていく。あれほど取り乱したのが嘘のようである。
「、、、落ち着いたようだな。どうして雨の中走っていたのか話してごらん。わたしにできることがあるなら助けてあげられるかもしれないし、何にもできないかもしれないが、話すことで頭の中が整理されて、自分の置かれている状況を客観的に見れるようになるかもしれない」
優しく、諭すようにいう。
この男は危険だ、とラズは思った。
なぜならば、知り合ったばかりなのに適度な触合いと穏やかでありながらどこか少年のような無邪気な様子に、警戒心という心の垣根が取り払われて、ないも同然だった。
人の心をいともたやすく差し出されることに慣れている男。
優しく促され、今朝の取り乱した理由を洗いざらい話してしまいたくなる。
恋人が王子で王子は結婚して子をなすであろう、すぐそこの未来に笑顔で喜ばねばならないことに耐えられそうにないということ。
王子を未来永劫独占したいのだ、という願望。
そんな偏狭な胸の内のことなど暴露できなかった。
辛抱強く男は待っていた。
そもそも、庭師がただの庭師なのかもわからない。裏の顔があるかもしれない。
「大丈夫。もう、落ち着いたから」
「そうか?ならいい。そのバラは特に美しく、いい香りだろ?このバラの前では心を支配していた悩み事など些細なことに思えるだろう」
この男にも直視したくない現実があるのだろうか、ラズは思う。
「これ、知っているような気がする」
斑入りのバラを眺めた。
「レディシャーレンのバラだ」
ラズが底意なく発した言葉は、すべてを変える決定的な一言だった。
庭師の穏やかな顔が別人のように強張る。
だがそれは一瞬。再び穏やかな表情に飲み込まれた。
「その通り。よく知っているね。どこで見たの?」
「ここに来る前のレディシャーレンの館で」
「なんだって。お前はなぜにシャーレンの館にいた?その手首のそれは、、、」
ラズは手首を捕まれ手首を引き上げられた。
乱暴な振る舞いにラズは抗議の声をあげる。
別人のような険しい顔をして、男はラズの左手首のブレスレットとラズの顔を見比べた。
「これはどうした、貰い物だろう、誰にもらった」
もはや質問ではなく詰問であった。
「お、オブシディアン王子にもらった」
初めてあったときの炯々けいけいと底光る眼でラズを探った。
「その顔、西方の特徴ではあるが金髪は日の光を集めたようだ。青灰色の目はまるで宝石」
まるで蛇ににらまれたカエルのように動けないラズの頬に湿り気のある熱い手を押し付けられた。そのまま擦りあげられ髪をすかされる。
「白い肌はさわるとひんやりと吸い付くようで、真珠のように美しい。
あいつが制圧した王国の双子はふた粒真珠とたとえられていなかったか?王子は確かオブシディアンの殺害を企てて失敗し、謀殺されたはず。出身はどこだ、名前は」
「ら、ラブラド。楽器店の息子、ラズ」
ラズは豹変した目の前の男が恐ろしかった。その他を威圧する豪気はただの庭師ではあり得なかった。握られる手首も振り払おうにもぴくりともしない。
男は鼻を鳴らした。
「あいつめ、王子を殺したことにして、自分のものにしたのだな!」
「僕は誰のものでもない」
男は不快げに鼻を寄せた。
「そのブレスレットが何だかわかってないのか?その石オブシディアンはオブシディアンそのものを指す。王城で身に付けるということは、オブシディアンの所有物であると札をつけているようなものだ」
それを聞き、さあっとラズは血の気が引く。ラズはただの宝飾品だと思っていたのだ。
畳み掛けるように男は言った。
「それは愛人の印。ラブラドの王子はボリビアの王子の奴隷になったのだな。まさか、あいつが連れ帰ったものが、ラブラドの真珠だとはよもや思わなかった」
ラズは顎を引き上げられた。
少し気を静め、思案げにいう。
「走って逃げていたのはあいつに虐げられたのか?なんなら、わたしが助けてやってもいいが、、、」
「助けてもらう必要はない。僕は王子でもない。あんたは何者だ、、、」
そう誰何すいかするラズの声が震える。不意に沸き上がった恐怖のためだった。
庭師の男はくっきりとした端正な顔立ちで、筋肉はしっかりついているがボリビアの標準よりも華奢である。
穏やかだと思った顔は、もう面影もなく険しく逆立ち別人のようだった。そして、その顔は、ラズのよく知る人と似ていた。

他を威圧する厳しさはザラ王弟と。
そして、シディの角を取り、落着きと穏やかさを備えさせ、同時に厳しさを自在に操れるようになったとしたら、目の前の男のようになりそうだと思った。

「オーガイト王、、、」
ラズの口から唸りでる。
「わたしは、あれにラブラドの姫を所望した。姫は新たに立てた王と結婚したが、あいつがここにお前を連れてきたのなら、姫の代わりにわたしに差し出すべきではないか?」
ラズの顔色が変わる。
その顔を嘗めるように見ながら、オーガイト王は畳み掛けるようにいう。
「それに、あいつは結婚話をがんとして受け付けない。王子の責務をないがしろにしている。それがお前のせいならば引き離すべきだと、ラブラドの王子よ、お前もそう思わないか?それとも色香で迷わせて、オブシディアンに王の道を外れさせることが、亡国の王子の復讐なのか?」
そんなことなど思ったことはない。
ラズは言おうとした。
ガッツリと捕まれた顎は一ミリも動かせない。オーガイト王はシディと同じ黒曜石の目でラズの心をまる裸にする。
オーガイト王の熱い唇にラズの唇は塞がれたのだった。




 
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