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第4話 王の器
52、バラの庭師
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どんなにシディが愛しい人と呼んでも、父王のような後宮に200人の妻をかかえるのような古き因習を引き継ぐつもりがないとしても、ラズの恋人は1国の王子である。
一人や二人の妻を持つのは普通であった。
むしろ二人なら慎ましい方である。
ラズは大事に守られ過ぎて、己が盛大な勘違いをしていまっていたことに気がついた。
慎重に意識から外していたこと、シディが自分以外の者を抱く可能性を現実としてすぐ先の未来にあるのだと突きつけられ、そして女たちも嫌そうでないのをみて、ラズは居たたまれなくなった。
ただ闇雲に守られることに対して、自立したひとりの男として扱って欲しかったのだが、今はそのことよりもラズを優しく見て、触れて、愛をささやくその端正な男、シディが、同じ目、同じ顔をして他の人に触ると思うだけで、気がおかしくなりそうだった。
内側にかかえた荒れ狂う嵐に、ラズは翻弄された。
そして、その嵐をやり過ごさなければならないことも、ラズの理性はわかっていた。
これからも、ラズがシディの側にいるためには、シディが妻を娶り子を成すのを喜ばねばならないのだ。
その現実を初めてラズは直視した。
ラブラドを出てからのシディは、オブシディアン王子ではなかった。ラズがラズワードではなかったように、ボリビアの王子はただのシディとして振る舞っていた。
現実のラズワード王子は墓の下なのに対して、シディは生きたオブシディアン王子なのだ。
オブシディアン王子は、誰もが関心を買いたがりその目に留まりたがっていた。
自立した一個の人間になりたかったが、今となっては、自立した人間でなければ、オブシディアンの愛が肌を重ねた女に向けられたとき、ラズは生きていられないのではないかと思う。
空を厚い雲が覆い、ポツポツと大粒の雨粒が落ちだした。
ラズの頬にも落ちたと思ったら、一面ザアッと緑の枝も地面も叩き出す。
涙と雨とぐちゃぐちゃになって、ラズは何かにつまずき、一回転して泥水に背中から転んだ。
雨は冷たく、心も冷えて、惨めだった。
顔を手のひらでおおった。
「あはは、、、」
惨めすぎて、笑えた。
クリスは、シディは追いかけてくるのだろうか。いきなり取り乱したラズに驚いて、泥の中で起き上がれないでいる惨めなラズに、シディは愛想をつかすのではないか。
それが、シディがいずれどこぞの姫と結婚するかもしれないというだけで、引き起こされた醜態である。
まるで、駄々っ子のようではないか。
「、、、おい、お前、人を蹴って笑うとはどういうことだ?」
恫喝される。
一人きりだと思っていたラズは飛び上がらんばかりに驚いた。
弾みで肱をつき、体をおこす。
目の前には片ひざをつき、網代に編んだつばひろ帽を雨笠がわりにして、手には花切りばさみを持つ壮年の男が、炯々と光る眼でラズを見ていた。
涙も鼻水も一度に引く。
とはいえ、雨にぐちょぐちょなのでラズにしかわらないことだった。
「金の髪、白い肌、青灰色の瞳。見事な程、西方の特徴を備えた娘だな。後宮の娘か?逃亡は罰が与えられるぞ?なんなら、こっそりと戻れるようにしてやってもいいが、、、」
娘と言われても言い直す気力もない。
いっそのこと、自分が娘であれば良かったのにとも思う。
しとどに降りだした雨に、帽子の男は眉を寄せた。
「あなたは庭師?ごめんなさい、見えてなくて、、、」
ラズは武骨な手に握られたハサミと、男の横にある切り落とした枝をいれる大きな籠から彼を庭師と見当付けた。
庭師と言われて、男はあまりに嬉しそうに破顔したので、はじめの豪気から普段は騎士か兵士で庭師は副業のようなものかも知れないとラズは思った。
そして、彼は庭師であることを気に入っている。
「そこにバラの温室があるがそこに雨宿りするか!」
ラズはいつの間にか、雨に濡れる白とピンクのバラが咲く、バラ園に紛れ込んでしまっていたことにようやく気がつく。
彼が指したのはほんの10メートル先のガラス張りの小屋だった。
「勝手に入っていいのでしょうか?」
「わたしの物のようなものだから大丈夫。
そもそも休憩できるように設えているから、体を拭けるタオルもあるぞ?雨がやむまで休んでも誰も文句はいうまい?」
男はくっきりとした笑顔を作りラズを誘う。
まっすぐに差し出された手をラズはつかんだ。握り返す肉厚で固いその手の強さと熱さが、触れ合うところから染み入ってくる。
ドロドロのラズを見て、庭師は笑った。
バラの庭園の奥の小さな温室小屋に庭師とラズは雨宿りとなったのである。
庭師は自分の家でもあるかのように入った。続いたラズはむあっと濃厚な植物の呼吸に目を見張った。
高濃度の酸素が一瞬にして頭をクリアにしてくれる。
温室の中は別世界だった。
内部はさらに分割されている。
熱帯、湿地帯、乾燥地帯など、ゾーンに別けて、その植物の景色を変える。
「すごい、、」
ラズは案内されながら、見たことのない植物に目を見張った。
温室の空には、これも見たことのない鮮やかな鳥も飛ぶ。
「各地に遠征に行く度に、つい採集をしてしまう。はじめは野生のバラばかりだったのだが、珍しいものをみると、自分のものにしてしまいたくなる」
ただの庭師は、自分で集めたと話し出していた。
これは、どこどこの国の高原で。これは、何年前に小さな株から育ててなど、目についたものを庭師はさらっと説明する。
聞いていると、中原中の、さらに遠くの地を旅してきたようだった。
「あそこに水がある。沸かしたいなら沸かして、タオル類もあるから自由に使って。わたしの着替えの予備も沢山置いていたはずだからそれを着てもいいよ」
目的の場所に庭師はラズを連れてきた。
その一角にはくつろげる大きなソファにテーブルと、何やら図鑑やノートが広げられていた。
ラズはしきりのないその場所に躊躇するが、庭師は背中を向けてテーブルのノートを目繰り出したので、泥だらけの服を脱ぎ上半身はだかになった。
桶から少し水を別の手桶に分けて、きれいな布を浸して固く絞る。汚れた顔から髪を、体を拭いていく。ひんやりとするが、外より温室内部は暖かくて、きれいになる感覚は気持ちが良かった。
重い靴を脱ぎ、べたつくズボンを引き剥がすように脱ぐ。同様に拭き清めた。
全身きれいになる頃には、動転した気持ちも落ち着いてきていた。
用意してあった着替えの中でも、シンプルな物を選んで着る。大きかったが構わない。
さっぱりと満足して振り返ると、テーブルに腰をかけて男はラズを見ていた。
網代の帽子はテーブルの上。
ボリビア人には珍しく、豊かなグレーヘアの蓬髪をしていた。
鼻梁が整うハンサムな造作に、見るものをとろかせるような、やわらかな笑みを浮かべている。
その目はラズの清める様子をずっと見ていたのか、面白そうに輝いていた。
「あなた、後宮の娘でもないんだな。男は後宮には入れない」
「いつから見ていたの、、、」
「あなたが髪をふきだしたところから、あまりに時間がかかるのでつい、すまない」
すまないと言うが、気持ちはそこにはない。
全部見られていたことにラズは赤面する。
「着替えができたのなら、バラの温室を案内するよ」
再び庭師は手をラズヘ差し出した。
庭師の手は、つい手を取りたくなる、引き込まれるような明るい手だった。
一人や二人の妻を持つのは普通であった。
むしろ二人なら慎ましい方である。
ラズは大事に守られ過ぎて、己が盛大な勘違いをしていまっていたことに気がついた。
慎重に意識から外していたこと、シディが自分以外の者を抱く可能性を現実としてすぐ先の未来にあるのだと突きつけられ、そして女たちも嫌そうでないのをみて、ラズは居たたまれなくなった。
ただ闇雲に守られることに対して、自立したひとりの男として扱って欲しかったのだが、今はそのことよりもラズを優しく見て、触れて、愛をささやくその端正な男、シディが、同じ目、同じ顔をして他の人に触ると思うだけで、気がおかしくなりそうだった。
内側にかかえた荒れ狂う嵐に、ラズは翻弄された。
そして、その嵐をやり過ごさなければならないことも、ラズの理性はわかっていた。
これからも、ラズがシディの側にいるためには、シディが妻を娶り子を成すのを喜ばねばならないのだ。
その現実を初めてラズは直視した。
ラブラドを出てからのシディは、オブシディアン王子ではなかった。ラズがラズワードではなかったように、ボリビアの王子はただのシディとして振る舞っていた。
現実のラズワード王子は墓の下なのに対して、シディは生きたオブシディアン王子なのだ。
オブシディアン王子は、誰もが関心を買いたがりその目に留まりたがっていた。
自立した一個の人間になりたかったが、今となっては、自立した人間でなければ、オブシディアンの愛が肌を重ねた女に向けられたとき、ラズは生きていられないのではないかと思う。
空を厚い雲が覆い、ポツポツと大粒の雨粒が落ちだした。
ラズの頬にも落ちたと思ったら、一面ザアッと緑の枝も地面も叩き出す。
涙と雨とぐちゃぐちゃになって、ラズは何かにつまずき、一回転して泥水に背中から転んだ。
雨は冷たく、心も冷えて、惨めだった。
顔を手のひらでおおった。
「あはは、、、」
惨めすぎて、笑えた。
クリスは、シディは追いかけてくるのだろうか。いきなり取り乱したラズに驚いて、泥の中で起き上がれないでいる惨めなラズに、シディは愛想をつかすのではないか。
それが、シディがいずれどこぞの姫と結婚するかもしれないというだけで、引き起こされた醜態である。
まるで、駄々っ子のようではないか。
「、、、おい、お前、人を蹴って笑うとはどういうことだ?」
恫喝される。
一人きりだと思っていたラズは飛び上がらんばかりに驚いた。
弾みで肱をつき、体をおこす。
目の前には片ひざをつき、網代に編んだつばひろ帽を雨笠がわりにして、手には花切りばさみを持つ壮年の男が、炯々と光る眼でラズを見ていた。
涙も鼻水も一度に引く。
とはいえ、雨にぐちょぐちょなのでラズにしかわらないことだった。
「金の髪、白い肌、青灰色の瞳。見事な程、西方の特徴を備えた娘だな。後宮の娘か?逃亡は罰が与えられるぞ?なんなら、こっそりと戻れるようにしてやってもいいが、、、」
娘と言われても言い直す気力もない。
いっそのこと、自分が娘であれば良かったのにとも思う。
しとどに降りだした雨に、帽子の男は眉を寄せた。
「あなたは庭師?ごめんなさい、見えてなくて、、、」
ラズは武骨な手に握られたハサミと、男の横にある切り落とした枝をいれる大きな籠から彼を庭師と見当付けた。
庭師と言われて、男はあまりに嬉しそうに破顔したので、はじめの豪気から普段は騎士か兵士で庭師は副業のようなものかも知れないとラズは思った。
そして、彼は庭師であることを気に入っている。
「そこにバラの温室があるがそこに雨宿りするか!」
ラズはいつの間にか、雨に濡れる白とピンクのバラが咲く、バラ園に紛れ込んでしまっていたことにようやく気がつく。
彼が指したのはほんの10メートル先のガラス張りの小屋だった。
「勝手に入っていいのでしょうか?」
「わたしの物のようなものだから大丈夫。
そもそも休憩できるように設えているから、体を拭けるタオルもあるぞ?雨がやむまで休んでも誰も文句はいうまい?」
男はくっきりとした笑顔を作りラズを誘う。
まっすぐに差し出された手をラズはつかんだ。握り返す肉厚で固いその手の強さと熱さが、触れ合うところから染み入ってくる。
ドロドロのラズを見て、庭師は笑った。
バラの庭園の奥の小さな温室小屋に庭師とラズは雨宿りとなったのである。
庭師は自分の家でもあるかのように入った。続いたラズはむあっと濃厚な植物の呼吸に目を見張った。
高濃度の酸素が一瞬にして頭をクリアにしてくれる。
温室の中は別世界だった。
内部はさらに分割されている。
熱帯、湿地帯、乾燥地帯など、ゾーンに別けて、その植物の景色を変える。
「すごい、、」
ラズは案内されながら、見たことのない植物に目を見張った。
温室の空には、これも見たことのない鮮やかな鳥も飛ぶ。
「各地に遠征に行く度に、つい採集をしてしまう。はじめは野生のバラばかりだったのだが、珍しいものをみると、自分のものにしてしまいたくなる」
ただの庭師は、自分で集めたと話し出していた。
これは、どこどこの国の高原で。これは、何年前に小さな株から育ててなど、目についたものを庭師はさらっと説明する。
聞いていると、中原中の、さらに遠くの地を旅してきたようだった。
「あそこに水がある。沸かしたいなら沸かして、タオル類もあるから自由に使って。わたしの着替えの予備も沢山置いていたはずだからそれを着てもいいよ」
目的の場所に庭師はラズを連れてきた。
その一角にはくつろげる大きなソファにテーブルと、何やら図鑑やノートが広げられていた。
ラズはしきりのないその場所に躊躇するが、庭師は背中を向けてテーブルのノートを目繰り出したので、泥だらけの服を脱ぎ上半身はだかになった。
桶から少し水を別の手桶に分けて、きれいな布を浸して固く絞る。汚れた顔から髪を、体を拭いていく。ひんやりとするが、外より温室内部は暖かくて、きれいになる感覚は気持ちが良かった。
重い靴を脱ぎ、べたつくズボンを引き剥がすように脱ぐ。同様に拭き清めた。
全身きれいになる頃には、動転した気持ちも落ち着いてきていた。
用意してあった着替えの中でも、シンプルな物を選んで着る。大きかったが構わない。
さっぱりと満足して振り返ると、テーブルに腰をかけて男はラズを見ていた。
網代の帽子はテーブルの上。
ボリビア人には珍しく、豊かなグレーヘアの蓬髪をしていた。
鼻梁が整うハンサムな造作に、見るものをとろかせるような、やわらかな笑みを浮かべている。
その目はラズの清める様子をずっと見ていたのか、面白そうに輝いていた。
「あなた、後宮の娘でもないんだな。男は後宮には入れない」
「いつから見ていたの、、、」
「あなたが髪をふきだしたところから、あまりに時間がかかるのでつい、すまない」
すまないと言うが、気持ちはそこにはない。
全部見られていたことにラズは赤面する。
「着替えができたのなら、バラの温室を案内するよ」
再び庭師は手をラズヘ差し出した。
庭師の手は、つい手を取りたくなる、引き込まれるような明るい手だった。
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