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第4話 王の器

45、海の男

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シディが揉みくちゃにされている。
いくつもの手が思いきり伸ばされて、彼らの王子に少しでも触れようとしていた。
頬を染めた娘が、ケンカで赤くなった拳にハンカチを巻こうとする。
ラズとシディの間に町の人たちが割り込みその興奮した人の壁でシディの姿は見えなくなった
二人の間に立ちふさがる厚い障壁のようだ。
ラズは胸が冷える。

喧嘩の輪から出されたときからラズはしゃがみこんだままだったのが災いして、王子に殺到する何人もに、マントが踏まれてしまった。

「控えよ!オブシディアン殿下を圧死させるつもりか!」
騎士と警察兵たちの憤怒の叱責が飛び、王都人を引き離しにかかる。
後ろを見ずに何歩も下がろうとする者たちに、ラズは今度は自分が踏みつけられると恐怖し、ぎゅっと目を閉じた。
だが、ラズは寸でのところで両脇を抱えられて起こされた。

「んっとに、お前は危なっかしいな!」
あきれた声。
ラズを安全圏に避難させたのは先程のシディに助太刀した海の男である。彼の体からかぎなれない磯の臭い、海の臭いが鼻をくすぐった。

「あんた、さっきどこかに行ったんじゃあないの」
「警察がやってきたからバックレようかと思ったんだが、意外な展開になったので戻ってきた。あんたの連れはこの国の王子なのか?」
「オブシディアン第一王子だよ」
ヒューと海の男は口笛を吹いた。
「王子というのはもっとキンキラキンの如何にも俺さまはお前たちとは格が違います、というような格好をしていると思い込んでいたがそうではないんだな!」
「今日はお忍びだから」
「ふうん?自分の国を歩くのにお忍びで地味な格好をしないといけないなんて馬鹿げているな!
あ、すまん。これは悪口ではなくてただの一個人の感想なだけだ」
ぷはっとラズは吹き出した。
「この様子だと、ボリビアでは変装しないといつももみくちゃにされて大変なんじゃない?」
「ふうん?」
何を思ったか、男はラズの髪を撫でた。
「うわっ、シャーさん何をする?」
名前を呼ばれてシャーはラズを見た。
「覚えてくれたんだ」
「だって助けてくれただろ?」
シャーはラズの青灰色の目を覗きこむ。
「いや、王子は地味ではないな。酔払いの男があんたを眩しいといったが、その通りだ。ボリビアの王子はこんなにマブいシャンを連れている」
シャンとは美人のことである。
「シャン?勘違いしているんじゃないか?僕は男だから!」
「はあ?まさか」
ぎょっとしてシャーは上から下までラズを眺めた。
ボリビア人の骨格の逞しさに目が慣れてしまって、この金髪の若者の華奢なのがより華奢に錯覚させたのかも知れなかった。
がつっと肩を掴むと、骨ばった肩にちゃんと質のよさげな三角筋がついていた。
「男か、、、」
残念そうなため息。
さらに何か否定する言葉を言おうとして、ラズは目の前の光景に言いかけた言葉も、シャーも忘れた。

先程から足元の地面が細かく振動していた。
カツカツと蹄の音を響かせながら、黒に銀筋の入った礼服の、騎馬の5名が黒岩城の方から駆けてきた。
通行人があわてて彼らの道を開けている。
近づいてきた者たちは、シディの目の前で黒いマントをはためかせ下馬し、片ひざを地面に跪く。

「オブシディアンさま!ご帰還お待ちしておりました!」
先頭で跪づいた黒い騎士を見て、ラズは呼吸を忘れた。
黒い具足を身に付けてはいないが、血の臭いを嗅いだような気がした。
そのよく響く低い声は紛れもなく、ラブラド王家の日常に終わりを告げに来た黒い使者の声に顔。
キム騎士団長。
ここはボリビアの首都。
騎士団に兵たち。あのときラブラドに進攻した者たちは、ラズを知っていてもおかしくない。というより、全員ラズのことを知っている。
「お前、大丈夫か? 真っ青だぞ?」
シャーが声をかけるが、もはやラズには届かない。


「出迎えご苦労、といいたいところだが、友人に王都を案内していたのも、お前たちが来たのでひとまず終了ということだな」
「はい。オブシディアン殿下。一同王子の帰還を首を長くしてお待ち申しております」
首を長くしてとは、かなりマイルドに変換されているのだろうな、とシディは思う。
そのキム騎士団長の視線がふとシディの後方のラズへ向けられ、ぎょっとして固まった。
シディもすぐに気がつく。
さも何でもないようにいう。

「キム騎士団長、わたしの友人を紹介しよう。ラブラドで知り合いになった楽器屋の息子ラズだ」
競売に掛けられたときの素性を借りることにしている。
キムが無言で葛藤する。
「わたしの大事な友人である。粗相がないようにしろ」
「はっ」
それは命令だった。ラブラドの王子は死んだのだ。似ていたとしても死んだものは生き返らないのがこの世の理である。
挨拶が終ると一路王城に向かうのみである。

シディの肩に、騎士のひとりがあらかじめ持ってきていた王族のマントをかけた。
出掛けに渋い顔をしたテーゼに持たされたのだ。鷹の刺繍の入った王族だけが纏える緋色のマントである。
略装の極みであったが、マントを羽織った王子は顔つきまで尊大に変わる。

「さあ、いくか」

シディはラズに手を差し出した。
ラズは先程までシディに群がっていた者たちの値踏みするような、刺すような視線を浴びながらその手を取った。
なんでこんな異国の男が?
とその目はいっているような気がする。

シディはラズを見送る、天真爛漫に暴れた海の男に冷ややかな一瞥をくれる。
「世話になったな」
ひとこと声をかける。
馬上のシディはラズの手を引き前に座らせ、馬を走らせる。彼の後に黒衣の騎士が続く。
彼らはもう振り返らない。

メッシュの髪の青い目をした海の男のことなんて、王都も彼らもすぐに忘れた。
なぜなら、先程の喧嘩よりも何百倍も騒がしい大歓声が黒岩城に向かう道すがらあちらこちらで王子たちを呑み込み、その熱狂により上書きされたからだった。



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