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第3話 真珠を得る者

31、逃走劇

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ラズがいるところはかなり大きな建物のようだった。たくさんの扉が並んだ小部屋の続く、人二人がすれ違えるぐらいの狭い板張りの廊下が続き、途中に階段の気配がある。
ラズが走るフロアは二階か三階か。
階段を駆け降りる。
シディもテーゼもここにはいない。
最後の記憶のあの楽器店から、罠に嵌められて誘拐されたのは確実だった。

彼らと毛色の違うラブラド国人を狙った人攫い。
エドのいう石や宝石とは人のことだとわかる。宝石を売買するように人を売り買いする。
その商品というべき人を積極的に狩るものたちがいるとは思いもしなかった。
てっきり売買されるような者は、戦争敗戦国の捕虜であったり浮浪者だったりするものだと思い込んでいた。
無法地帯とはこういうことがまかり通っていることを指していたのだった。

ラズには凌辱された歴史があった。
その時はラズの所有主然と振る舞ったのは、ボリビアの王子のオブシディアンのみだったが、もっと酷い目にあっていてもおかしくはなかったことを、後にテーゼに言われたことがある。
オブシディアンさまで好運だったのですよ、と。
ラズを何の目的のために売られるかはわからないが、従属させるために手酷く凌辱されることも容易に想像がついた。

国を捨てすべての係累と縁を絶ち、なんのしがらみもない自由な身になったと思ったとたんに人攫いに捕まり自由を失うなんて、言うことをきかない子供たちに聞かせる説教本にでてくる馬鹿な放蕩息子の物語のようではないかと自虐的に思う。

唯一救われるのは、ラズを王子として狙った訳ではないところだったが、このままあの取り澄ました男のいうままに、物のように売られる訳にはいかない。
ここから一刻も早く逃げ出し、最後にシディとテーゼと別れたあの武器店へ行かなければと焦った。
あれから一日は経っているのだろうか?
血相を変えて付近を探してくれているのだろうか?
たとえ探してくれているとしても、時間がたてばシディは諦めるかもしれない。
ラズは本当に誰からも自由になりたくて、自ら離れていったのかも、なんて勝手に誤解して、彼の中で折り合いをつけて、もう目と鼻の先の彼の国へ帰っていくかもしれないではないか。


下のフロアは香ばしい匂いと煩雑な賑やかさに満ちていた。
男たちばかりでテーブルを囲んで食事やゲームや、巻きタバコを吹かしていた。
気だるい雰囲気の社交場だった。
ラズは男たちの向こうにある外への出口を確認した。ここを突発できれば、逃げ切れると希望の光の道がみえる。
階段を駆け降りたスピードのまま、ゲームに興じる男たちの間を縫って、扉を目指した。

もう少し!と思ったとき、ラズの目の前に大きな壁のような胸板が現れた。
勢いよくぶつかり弾かれ、まぶたの裏に白い星が一斉に飛ぶ。肺の空気が一度に押し出された。
息を詰まらせ、後ろによろめいたラズを別の男が受け止めた。
少し遅れて荒い息の誰かが追いつく気配。
あの男、エドだろう。

「逃げられてるぞ!」
後ろの男がラズの肩を両手でワシ掴んだ。ギリッと肉に固い指が食い込む痛みに顔を歪ませる。

「捕らえた商品の管理ぐらいきちっとしとけ!」
肩をつかんだ男は首を巡らしてエドに怒声を発した。

ラズは意識が逸れたその隙を逃さない。
今度こそチャンスを活かす。
脇を締めて鋭角に尖らせた肘を、肩をつかむ男のみぞうちを狙い、容赦なく打ち込んだ。
蛙の鳴き声のような呻き声をあげ、肩から手が離た。
素早く振り返ると、体が二つ折りになっている男の顎を狙って膝で蹴りあげた。目を剥き後ろに倒れた。

再び出口に向かおうとするが、正面に立ち塞がる男が熊のようなうなり声と腕を大きく広げて威嚇しながら襲いかかってくる。
軽くしゃがむと、ぶんと風を切り金の髪が巻き上がった。
ラズをつかみ損ねた酒の臭いのする腕の脇を素早くすり抜けて、その背中を足裏で乱暴に思いっきり蹴りつけた。
男は陣取りゲームの升目の板上に沢山のコマを広げたテーブルの上に豪快な音をたてながらダイブしコマを撒き散らした。

いきなり始まった大捕物に唖然としていた社交場兼食堂は、一気に騒然となった。
がたがたと席を立ち助っ人に入ろうとする男たち。15名はいる。
彼らはラズの味方ではあり得ない、物騒でありながらも面白がっている嫌な目付きをしていた。
ラズは捕まえようと腕を伸ばす者たちを、無我夢中で振り切った。

ここから扉の外へ出ればなんとかなる!
それしかなかった。
彼らでない助けを呼ぶか、全力疾走で振りきる。
そしてどこかに潜伏する。
シディが自分を探し続けてくれるならきっと見つけてくれると思う。

ラズは外への扉に肩ごと突っ込んだ。
開いたその勢いのまま、通りを走ろうとするが、ラズはつんのめるようにして止まらざるを得なかった。
その目にしたものに息を飲む。

「あなたは逃げられませんよ、拘束しないといけなかったですか?」
捕り物劇には参加せず見ていたエドが硬直するラズの手をじっとりと汗ばんだふくよかな手で掴んだ。

ラズの眼下に広がっていたのは薄闇に飲まれようとするゲーレの町並。白々としたか細い残光で、連なる瓦屋根を海原のように輝かせていた。

ラズのいるところはこの辺りでは一番高い砦の地上五階。
上昇気流が髪を巻き上げ、頬を冷たく撫で上げる。
わずかなスペースが設けられた申し訳程度に柵のあるベランダに、ラズは飛び出していた。踏みとどまなければまっ逆さまに転落していたかも知れなかった。
ゲーレの玄関口の巨大な石の砦のひとつは、同時に奴隷商人の拠点のひとつだった。

「あなたは我々に売られたのですよ。我々は人の斡旋をしています。必要なところに、最適な人材を。高く買っていただけるところに、最高の人材を!
ラブラドの方は特別扱いで、丁寧に扱われるのですが、こうも顔に似合わず逃げ回られたり暴れたりされるのは困りものです」
彼らは奴隷商人だった。
ラズの血の気がうせる。
エドはラズの両手に拘束具を付けた。鉄の鎖が両手の自由を奪う。
すこし、宥めるようにエドは言った。
「ラブラド国人は、とても人気があるのですよ。ここ東では明るい髪色は憧れの対象。
その華やかで美しい容貌や躰で楽しませるだけでなく、その秀でた芸術性でも主人を楽しませることができるでしょう。
あなたを高く買ってくれる金持ちを探してあげましょう。だから気落ちすることはありませんよ。
ただ、その乱暴なところはいけません、、、あなたが逃げようとしたらどうなるか、教える必要があるようですね」
最後の言葉にラズは背筋を凍らせた。




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