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第3話 真珠を得る者

27、ラブラドのピアノ

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ゲーレの町の城壁の内側に足を踏み入れてすぐの、奴隷狩りの捕獲檻を乗せた荷馬車を目にしてから、ラズは押し黙ったままであった。
ラズの胸にぽっかり穿たれた黒い闇を埋めるように、シディは謝った。

「すまない、、、」
「どうしてシディが謝る」
「なぜなら、奴隷の生むような戦をしている社会は、わたしの力が及ばないからだ」
「戦はなにもあなたのセイではないでしょう?あなたは世界がまるで自分のものであるかのようにいう」
シディは口の端を引き上げて笑った。
「世界はいずれわたしのものだ!
今はまだ思うようになってくれないし、あなたを悲しませてしまうが、じきにこの世界をわたしの望む形に変えてやる。平和で豊かで、争いのないひとつの社会に」

この黒髪の美丈夫はなんて傲岸不遜で、自信満々なのだろうとラズは圧倒される。
その端正な横顔はずっと先の未来を見ていた。彼の影のように付き従うテーゼも同じ未来を見ているのがラズにはわかった。
シディの言葉に彼も、ここでない、平和で豊かで争いのない、シディの思い描くところを見ていたからだ。
そこにはシディとテーゼの他に自分はいるのだろうかと思った。すると、ラズの胸がギリッと痛んだ。
奴隷の荷馬車を見たときと違う痛みだった。初めて感じるその痛みを気取られないように、手で押さえた。そうすれば和らぐとでもいうかのように。
「、、、そんな時代がくるんだろうか」
「そんな時代にわたしが導く。そのために、わたしは何年も戦っている」

シディは強い決意をみなぎらせて言葉を発っした。
影になった顔の中で、その目は希望の強い光を放ち、ラズを貫くように見た。
とたんに、びりっとしたものが体を駆け抜けた。接合の快感に似たおののきがラズを襲う。
痛みはどこかへ消え去り、今度は彼から与えられるものへの期待で鼓動が強くなった。

「あなたもわたしの世界を楽しめるぞ。なにせ一緒に作り上げていくんだからな!」
彼は欲しい言葉を絶妙のタイミングでいう。
「あ、、、?」
ラズの視界が歪む。
彼はひとたらしの王子だった。
シディと共に困難があろうとも一緒に生きることを心より望んでいる自分を、ラズ自身に自覚させてしまった。
とめどなく涙がこぼれ落ちた。

「おい?泣くな。あいつらのことはなんとか考えよう」
世界は自分のものだと豪語した男が、ラズの涙で慌てていた。
ラズは頷いた。彼に任せていれば安心だという気がした。


お昼は、ギターの形の看板が下がる店の扉を押して入る。
その店は、安い早いを売りにしている路面に面して大きく開いた多くの客でごちゃごちゃとにぎわう店とは客層が変わって、客はまばらで大変落ち着いた雰囲気である。
客よりも楽器らしきものの方が多い。
看板のギターやよく似た形をした大小さまざまな絃楽器などが、壁に立て掛けられたり、吊られたりして置かれている。
一旦席につくが、ラズは見たくなって立ち上がって楽器に近づいた。
鯨の髭の弦を張ったもの、動物のうす皮をピンと張った小太鼓など、いろんな素材でできた様々な国の楽器であった。
ベッコウ素材やヤシの実をくりぬいて作った、南の海を越えてきたのだろうか、ラズの見たことのない形のものもある。
そのうち、一番大きなものは食堂の奥の不動のピアノだった。

にわかにかきたてられたラズの関心をよそに、テーゼがその食堂の注文を取りに来た娘に、どこの宿が清潔で良心的な値段で信頼ができるか聞いていた。
ゲーレの町はよそ見をせずに真っ直ぐ突っ切ると歩きでも半日もたたずにボルビアへの後門へたどり着くが、彼らは一泊して情報収集をしていく予定だった。


お客の一人が、ギターを膝に抱えて軽く爪弾いている。
思い出しつつなのか、たどたどしく旋律を紡ぐ。優しくも物悲しい音色だった。
ラブラドによく似たギターを抱える、髪色の明るい若い男だった。
頭は重く伏せられて、顔が見えない。
ありし日を懐かしく思っている風情である。
ほんの一ヶ月前までラズは芸術と音楽の国の王子であった。
若者の爪弾く音色に、平和で豊かなラブラドでの楽しい記憶が刺激された。
一番無邪気で楽しかったのは、セレスと入れかわって大人たちを困らせたり、お忍びででかけて踊った祭りの日々だったかもしれない。
花と音楽に溢れた、豊かな日々。
もうそれはどこにもない。
それはシディの描く世界のために、壊され作り直されなければならなかった、仮初めの平和な時代。

ふらりとピアノの前に立った。
つい指を置きたくなる。
適当に指を置くとポロン、ポロンとなる。
調律が少し必要な軽く外れた音がする。
だが、専門に勉強していないものには気にならない音の外れであろう。
「お客さん、座って弾いてね」
と注文を聞いて戻ってきた娘が声をかける。いわれるままピアノの中に押し込まれていた背なしの椅子をラズは引き出し腰を据えた。
若者のたどたどしく爪弾く旋律に適当に和音を重ねる。
子供の頃から馴染んだ音楽だった。
客全員の視線を集めてしまっていた。
若者も、手を止めてじっと見ている。

弾いていいよと言った食堂の娘は驚いていた。
ピアノで曲らしきものさえ弾いた者は、ここに置いてから10年近くたつが一度もなかった。埃をかぶったオブジェの役目しかなかったからだ。

「おい、やめておけ」
シディはラズの肩に手を置いた。
はっと顔をあげてシディを見る。
ラズの指は、知らず素人にはけっしてだせないようなこなれた音を滑らかに叩き出していた。
体を揺すったために、フードから波打つ豪奢な金髪が幾筋かこぼれ落ちていた。
猥雑で物騒な町には似つかわしくない、日の光を凝縮させたような金髪に音楽だった。
ラブラドの元王子はこの町ではふわりと華やかで眩しすぎた。
厄介事に巻き込まれる予感をシディは感じる。
一泊しようと思っていた予定を変更する。
今日の午後にこちらにいる彼の間者と情報交換をして、早々に離れることにする。

ラズは心を残してピアノから離れた。
その顔を、数人の客は凝視をしている。
「あなた、ピアノが上手なのね!滞在するなら、夜の食事時に生演奏をお願いしたいぐらいだわ!」
娘が早速リクルートを始めている。

「絶対ラズから目を離すな」
シディはテーゼに言った。


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