樹海の宝石【1】~古き血族の少年の物語

藤雪花(ふじゆきはな)

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第3話 精霊の力

25.エディンバラ炎上

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その夜、眠りについていたエディンバラに一筋の火の手が上がった。

それはアーシャの食堂のほんの数軒先、迷路のような道沿いの、老夫婦が住む古びた長屋の一軒だった。

街中が寝静まる中、風を取り込む為に少し開けられた窓の隙間から、小さなものが投げいれられた。
それは、老夫婦の寝室の床の敷物の上に落ちた。

かまどに火をいれるときに使うような小さな炎だったが、やがて床に敷かれていた30年ものの羊毛を手紡ぎ手織りした味わいのある敷物に乗り移った。

それは老夫婦の妻がまだ一日何時間も機織仕事ができていたときに、10回目の結婚祝いの記念に作ったものだ。

壁際に掛けていた明日着るように準備していた服に、炎はジャンプする。
火が付いた服はよじっていやがったが、抵抗むなしく火に包まれる。

老夫婦が暑さと明るさに起こされたとき、既に部屋中炎が広がっていた。

「か、火事だ~!!」

老夫婦の声は元々かすれているうえに、今は熱にやかれ、通らない。

異常に気がついたのは、隣人の若夫婦。
煙の臭いで目が覚める。
窓から隣から黒い煙と燃える炎の舌をみた。
瞬時に理解する。

「起きろ~火事だ~!!」

窓から声を限りに叫ぶ。
音のでるものを必死でたたいた。

妻と夜着のまま血相をかえて家をでる。
犬が吠え、尋常でなくペットの鳥たちが泣きわめく。

異変に気がついた者から、細い通路には次々と住民が飛び出してきて、溢れた。

バラモンの兵士もあり、なぜここにと不思議に思うものもいたが、今はそれどころではなかった。

エディンバラの街は節水の真っ最中で、消火につかえる水が平常時に比べ極端に少なくなっていた。

このままでは、隣の自分の家だけではなく、街ごと燃えてしまう!!

パニックになりかけたとき、誰かが叫んだ。

「炎の行く手の家を倒せ!延焼を食い止めろ!!」


この現場の目と鼻の先のパリスとバラモンの会談の場になったアーシャのところで、異変にいち早く気がついたのはバードだった。
風に煙の臭いを感じたのだ。

彼はルージュの命を受けて、リリアスの側を離れないように指示を受けていた。

(リリー、服をきろ。ここから逃げるぞ)

(声が頭に。耳元の空気を微細に振動させているから?えっと)

(バードだ!火事だ。かなり危険な状況かもしれない)

けたたましくカンカンと鳴らされる警告音がする。
打つものの動揺がそのまま音になっていた。


リリアスがムハンマドの上着をかぶり、パンツをはきおえるやいなや、バードよりも早くムハンマドが部屋に飛び込んできた。

ムハンマドはリリアスの手を掴み引く。

「ここから出る、危険だ」

(バード、ごめん振りきれないっっ)

薄布をぐいと渡される。

「口と鼻を覆え!煙を吸うな!」

ムハンマドと一緒に足早にアーシャの食堂の、部屋部屋を横断して強引に外にでる。煙が既に充満し、目にしみた。

途中でバラーとサラディン将軍と合流する。バラーはあられもない姿の女を両脇に抱えている。

外にでると、間近に黒い煙を吐き出す紅蓮の炎が猛り天に登っているのが見えた。
そして、叫びと怒号と逃げる人々の混乱で地獄絵図のようだった。

「行く手の燃えるものを倒せ!!家を倒せ!」

そう叫んだのはムハンマドだった。

「煙を吸うな、動けなくなる!炎の行く手を見よ!南側をたおせ!!遠慮するな!!先までずっとだ!!」

エディンバラの集まった者達が弾かれたように倒していく。

男だけだはない。
アーシャや宴会の女たちも混ざっていた。

リリアスは熱波で汗が吹き出していた。
隣でしっかり肩をだいているバラモンの王子が、先ほどの号令とは違い、冷えきった声で呟く。

「やられた、、パリスのやつら、街ごと私たちを燃やそうとするなんてな」

(消火するにも水がない。一晩でエディンバラが焼き付くされる)

「る、ルージュはそんなことしない」

ゴオと炎が怒る声が聞こえるようだった。
火の加護を持つムハンマドはよっぽどのことがない限りに焼け死ぬことはないが、こんなに猛り狂っている炎を前になすすべもない。

「あ、雨を降らせないと、早く、、」

「何?」

安全な所へとムハンマドは後退する。

両サイドにはきちっと胸当てと肩当てまで身に付けているサラディンと、既に飛び出たときの女を離して薄物を羽織るバラーがつく。

「陣の水を持ってこさせよ!」

(ちっ、水を使うと我々が干されるが、いたしかたないっっ、このままエディンバラを焦土とさせるか)

「おまえは私から離れるな!煙に巻かれるぞ」
と怒鳴る。

返事がなく、不安にかられさっと横の少年をみる。

少年は空を見上げていた。

炎が踊る側ではない。
少年の回りには音がなくなっているような、黒髪が額に頬に、筋をなして張り付いていたが、そんな様子でも、体の片側全面で感じる熱波さえも、少年には届いていないかのような、感じがした。

手のひらを天をむけている。
指が5本とも緊張していた。
今まさに、何かを受け止めようとしている手だった。

あ め よ ふ れ い ま す ぐ お ち て こ い

「なんだって?」

「雨よ降れ!!いますぐここに!!」


リリアスの声に呼応するように、黒い雲におおわれた夜空が揺れた!

いつの間に黒い雲で覆われてたのだろう。
月明かりを遮っているのは煙だけではなかった。

ぽつり、最初の叫んだ若夫婦の、いまは煤で汚れた手に落ちる。

はじめの数粒はためらいがちに。

次の百粒は重くリズムを打ちながら。

エディンバラの延焼におびえ、広場でなすすべなく焼け出された人達には、それがはじめ雨とはわからなかった。

なぜなら、日照りに幾日も苦しみ、今後最低一週間は晴天が続く予報であったから。

今まさに恋焦がれてはいても、決して叶えられはしないと思い、天に望みさえしなかったもの。


「雨だ、いや、まさか、雨だ」


エディンバラ中の人々は、消火活動や救出活動など、火事場のばか力で超人的な働きをしていたが、動きを止めた。

犬も鳥も、他の動物たちも、声を失う。



エディンバラに重い雨が降り、まもなく鎮火した。
鎮火を確認しているかのように雨は止む。
この雨は、ムハンマドの奇蹟と後に言われるようになる。彼が天から救いの雨を呼び、エディンバラの街は助かったのだ、と。



死者2名、怪我人30数名、延焼27棟。
乾燥した季節のあの勢いの火事にしては、被害が驚くほど少ないものだった。
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