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第一話 一ノ瀬瑞樹、啖呵を切る!

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「観自在菩薩行深般若波羅~……あかん。
うちの会社は、もうあきまへんのや……」

情緒不安定気味の社長が、なにやら般若心経を唱えたかと思うと、
ガラっと窓を開けて、身を乗り出す。

「だっダメです! 
社長、思いとどまって下さい」

俺、一ノ瀬瑞樹は、ひしと社長の身体を羽交い絞めにして、
部屋の中央に連れ戻す。

はっと我を取り戻した社長は、今度はハラハラと涙をこぼす。

「せやけど、一ノ瀬君……経理の書類……あんたも見たやろ?
こんだけ売上下がって、赤字も続いて……。
せやけど、従業員の皆には迷惑をかけられへん。
そしたらもう……この赤字分は、わしの生命保険で賄うしか……」

社長は涙とともにズビーっと盛大に鼻水を啜った。

「バカなことを考えないでください。
とにかく落ち着いて」

俺は泣きじゃくる社長の背中をさすり、
落ち着くのを待って冷水を社長に差し出した。

社長は冷水を飲み干して、ようやく大きく深呼吸をした。

「とにかく、一人で抱え込まずに皆で一緒に考えましょう」


そう言って励ますと、社長はひしと俺のネクタイを掴んだ。


「一ノ瀬君……あんた新入社員やのに、ほんまに頼りになる人やなぁ」

そういって社長はまた、はらはらと涙を流すのである。

「わしの精神安定のために、今日の取締役会に
オブザーバーで出席してくれへんやろか?」

俺は社長の言葉に、あからさまに身体を引いた。

「えっ?」

しかし社長は俺のネクタイをひしと掴んで、離さなかった。

◇◇◇

「あきまへんっ! 
これ以上の赤字を出すわけには、絶対にいきまへんのや!」

副社長こと、社長の奥さんが、ばんっと机を叩いた。

その日の午後、
急遽、取締役会が招集され……とはいえ、

俺の勤める会社『おかめ総本舗』は
江戸時代から続く和菓子の老舗店であり、

経営も昔ながらの家族経営で、
役員、取締役もほとんどが家族、親戚で構成されている。

「せやかて、お前……江戸時代から続くこの店を閉めるだなんて……、
ご先祖様に顔向けできへんがな……」

情緒不安定気味の社長が、奥さんの強い剣幕に気圧されて、
またも涙ぐむ。

「先祖がなんぼのもんですかっ! 死人に口なしっていいますやろっ!
わてら生きてるもんが大事なんですっ!
店を閉めたないっていうのなら、解決策を示しなはれっ!
どうやったら売上を伸ばし、今の赤字から脱却できるのか、
利益を伸ばして、従業員を守れるのかをっ!」

副社長の言葉に
社長がまた、もごもごと


「わしの保険金で……」


と言い出したので、


「あっ、あのっ……」


俺は思わず、声を上げてしまった。


「えっ営業を……がんがばろうと思います……」


蚊の鳴くような声で、何やら素っ頓狂なことを言ってしまった。


「具体的には?」


副社長が、腕を組んで鋭い眼差しを俺に向けた。

「いや……あの……」

胃の奥がチリチリと痛む。

何か別段考えがあったわけではないのだ。

だけど……でもっ……何かを考えろ! じぶんっ!!

俺は頭をフル回転させる。


「水無月商事っ!」

気が付いたら叫んでいた。

「水無月商事に営業に行こうと思っていますっ!!!」

口からするりと出てきたその社名に、自分でも驚いた。

水無月商事は全国でもトップを争う総合商社なのであるのだが、
そんな会社の本社がちょうどうちの会社の隣町にあるんだと、

つい先日、ぼんやりとグーグルマップを眺めていたのだ。

「水無月商事にうちの商品を取り扱ってもらえたら、
系列のショッピングモールや、百貨店でうちの商品を置いてもらえます。
そしたら、絶対、売上は上がりますし、赤字だって解消されるはずですっ!」

そう勢いでまくしたてると、

「やれる自信はあるの?」

副社長が冷静な眼差しで、じっと俺を見つめた。


「えっ?」

俺は言葉につまり、目を瞬かせる。

隣の社長がすがるような眼差しを俺に向けた。


「一ノ瀬君ならやれるよな。やってくれるよな? なっ? なっ?

じゃないと、わし……」

社長の眼差しに暗い影が過る。

「わっ、わあぁっ! やりますっ! やって見せますっ!」

俺はやけくそで叫んだ。

そう叫ばざる負えない、そんな空気がその場を支配していたんだ。


◇◇◇

「はっ……初めまして。
『おかめ総本舗』の一ノ瀬と申します」


それは生まれて初めての飛び込み営業だった。

勢いで取締役会に啖呵を切ってしまったはいいものの、
日本屈指の総合商社である水無月商事に、知り合いなどいない。

吹き抜けのオシャレなエントランスでさえ、この俺を威圧する。

とりあえず総合案内に佇む受付嬢に、名刺を渡してみた。


「失礼ですが、弊社とのアポイントはお取りになっておられますか?」

そう問われて、俺は口ごもった。

そもそもそれができていれば、苦労はしないのだ。

「いえ……」

俺にはそう答えるしかできない。

「では、申し訳ありませんが……」

けんもほろろ、である。
だが、これが現実なのである。

俺はがっくりと肩を落とし、

「はぁ~」

大きくため息を吐いた。

脳裏に期待に満ちた眼差しで俺を見つめる社長の面影が過った。

そしていつも俺によくしてくれる、パートのおばちゃんたちや、

『おかめ総本舗』の常連さんたちの顔が、過っては消えていく。

交渉すら、させてもらえなかった。
アポがなければ、上層部に取り次いでもらうことさえできなくて……。

なんて、一体どの面さげて会社に説明すんだ?

重い足を引きずって、俺は水無月商事を後にした。

◇◇◇

「しっかし、綺麗な人だったよねぇ」

先ほど一ノ瀬の対応をした受付嬢たちが互いに顔を見合わせた。

「男の人に対してこういう形容は正しくはないのかもしれないけど、
なんていうのかな、美人っていうのかな? かっこいいっていうのともまた違う。
そのへんのアイドルなんか裸足で逃げ出すレベルの美貌」

受付嬢がやいのやいのと一ノ瀬の噂をしていると、
そこに金髪碧眼の美男子が息せき切って、走ってきた。

「しゃ……社長!」

受付嬢たちは席を立ち、姿勢を正してその男の前に佇む。

「君たちさっきここにいた、彼はどこに行った?」

その言葉に受付嬢たちは、蒼白になる。

「えっ? 社長のお知り合いだったんですかっ?」

受付嬢にそう問われて、金髪は目を瞬かせる。






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