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第六十六話お兄様は心配性『父の決断』
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(狒々爺がっ……)
ゼノアは内心毒づいた。
「これはセシリア様もお手柄でございますねぇ、
よもやライネル公国の王太子を手玉に取られるとは。
まだまだ幼いと思っておりましたが、なんのなんの。
一体どんな睦言を閨房で囁かれたのやら」
大臣のひとりが下卑た笑い声を上げた。
つられて他の者たちも忍び笑いを漏らす。
父王の御前で行われている会議の議題は、
ライネル公国の王太子、ミシェル・ライネルから、
サイファリア国王の娘、セシリア・サイファリアへの
求婚についてだった。
薄い綾絹の隔たりの向こうに、玉座が据えられており、
父、エリック王が鎮座している。
その隔たりから、父王の輪郭は見えても、
表情を伺い知ることは出来ない。
自身の娘がこうして家臣たちの戯言によって
貶められている今この時、綾絹の向こうで
父王は一体どんな表情をしているのだろうか。
ふとそんな疑問が過ったが、
ゼノアは強いて知りたいとは思わなかった。
知ったからといってどうなるものでもないし、
いや、正直知るのが恐いのかもしれない。
自身のやるせない思いを持て余して、
ゼノアは視線を窓の外に移した。
師走に振る氷雨は、身体の芯まで凍てつかせる。
ゼノアは不意にセシリアに切られた腕が痛むような気がした。
それはひょっとすると自身の痛みというよりは、
セシリアの心の痛みなのかもしれないと
ゼノアは思った。
鉛色の空から降りてくる氷雨は、随分残酷なんだなと
ゼノアは思う。
庭園に植えられている健気な和花を痛めつけては、
パラパラと音を立てて、四方に散っていく。
(これが雪ならば、まだ風情があるものを)
ゼノアは悲し気な笑みを浮かべた。
氷雨に打たれ続けた紅の寒椿が、とうとう耐え切れず
その花を地に落とした。
ゼノアはその光景にセシリアを重ねて、唇を噛みしめた。
(父王が何と言おうが、誰がお前の敵であろうが、
この俺が必ずお前を守る)
握りしめたゼノアの拳が震えている。
同時にゼノアの脳裏にエリオットの姿が過る。
『あなたのその傷を見て、
この心がどれだけ乱れているかわかる?』
そういってエリオットはゼノアの背中で泣いていた。
この身を盾にしなければ、守れないものがある。
自分がそういう風にしか生きることのできない
修羅の運命であることは、よくよく理解していたはずなのに。
自分は一人の人を愛してしまった。
それをきっと人は罪というのだろう。
彼女の望むささやかな幸せというものを、
自分は与えてはやれない。
戦って、戦って、やがて力尽きて、冷たい躯となり果てる。
そういう運命なのだ。
だって仕方がないだろう?
四方八方を敵に囲まれて
一体誰が自分たちを守ってくれるというのだ?
ゼノアの唇に自嘲がこみ上げた。
この手を血に染めずに、
お前を抱きしめることができない俺の、
救いはどこにある?
こみ上げてくる感傷を振り払うかのようにゼノアは唇を噛んだ。
「セシリア様には是非ともライネル公国に嫁いでいただき、
我が国の利権をしっかりと守っていただかなくては。
セシリア様の婚姻に乗じて、わが国は甘い汁を吸い尽くしてやりましょうぞ」
先程の大臣が、そう発言すると、
「いや、貴殿の考えは甘いっ!
憎きライネル公国との婚姻などあり得ないっ!
サナ姫様の一件を忘れたか?!
セシリア様との婚姻を足掛かりに、
我国がライネル公国の属国とされることは必至!
それよりも今こそ女王ロザリアと
王太子ミシェルを暗殺するべきでは?」
などという物騒な反対意見が出た。
どちらにしても、それはセシリアの望むものではない。
セシリアはミシェルに危害を加えないことを前提に
自身の婚姻の話を受けることを承諾した。
セシリアはミシェルのことを愛している。
セシリアの抱く不器用であっても、
ひたすらに一途で、一生懸命に純粋なその思いを
どうか利害関係とか、国益とか、そんな無粋なもので
汚さないでやって欲しい。
ゼノアの胸に祈りにも似た想いがこみ上げた。
誰よりも一途に健気に咲く、
その一輪の花をどうか踏みにじらないでやって欲しい。
ゼノアは自身を制するために、目を閉じて息を吸った。
自分のことを棚に上げて、言えた義理ではないが、
自分たちはそもそも誰かを愛してはいけないのだ。
そして綾絹を一枚隔てた向こうで、そんな自分たちのことを見ている
父王はきっとそういう愛し方のできる人なのだろう。
この人に愛というものがないわけではない。
それは穏やかに家族を包み、この国を包んでいる。
しかしこの人にも傷がある。
かつて命を懸けて愛した人を奪われたこの人は、
その愛と引き換えに、きっとそういう愛し方を手に入れたのだろう。
それは誰かを傷つけない愛なのかもしれない。
しかし同時にそれは誰をも守ることのできない愛だ。
父よ、いまこの綾絹を一枚隔てたあなたの愛が、ひどく遠いと感じるんだ。
あまりにも遠くて自分たちには、届かない。
ゼノアの胸に痛みが過り、下を向いた。
「あなたがたの意見はよくわかりました。
それを踏まえた上で、私はこの件を
破談とさせていただきます」
それは静かだが強い意志のこもった声色で、
ゼノアはしばし自身の耳を疑った。
「お父……様?」
思わずそう呟いてしまったゼノアの瞳が、驚きに見開かれている。
(父はセシリアを守ったんだ……)
ゼノアは内心毒づいた。
「これはセシリア様もお手柄でございますねぇ、
よもやライネル公国の王太子を手玉に取られるとは。
まだまだ幼いと思っておりましたが、なんのなんの。
一体どんな睦言を閨房で囁かれたのやら」
大臣のひとりが下卑た笑い声を上げた。
つられて他の者たちも忍び笑いを漏らす。
父王の御前で行われている会議の議題は、
ライネル公国の王太子、ミシェル・ライネルから、
サイファリア国王の娘、セシリア・サイファリアへの
求婚についてだった。
薄い綾絹の隔たりの向こうに、玉座が据えられており、
父、エリック王が鎮座している。
その隔たりから、父王の輪郭は見えても、
表情を伺い知ることは出来ない。
自身の娘がこうして家臣たちの戯言によって
貶められている今この時、綾絹の向こうで
父王は一体どんな表情をしているのだろうか。
ふとそんな疑問が過ったが、
ゼノアは強いて知りたいとは思わなかった。
知ったからといってどうなるものでもないし、
いや、正直知るのが恐いのかもしれない。
自身のやるせない思いを持て余して、
ゼノアは視線を窓の外に移した。
師走に振る氷雨は、身体の芯まで凍てつかせる。
ゼノアは不意にセシリアに切られた腕が痛むような気がした。
それはひょっとすると自身の痛みというよりは、
セシリアの心の痛みなのかもしれないと
ゼノアは思った。
鉛色の空から降りてくる氷雨は、随分残酷なんだなと
ゼノアは思う。
庭園に植えられている健気な和花を痛めつけては、
パラパラと音を立てて、四方に散っていく。
(これが雪ならば、まだ風情があるものを)
ゼノアは悲し気な笑みを浮かべた。
氷雨に打たれ続けた紅の寒椿が、とうとう耐え切れず
その花を地に落とした。
ゼノアはその光景にセシリアを重ねて、唇を噛みしめた。
(父王が何と言おうが、誰がお前の敵であろうが、
この俺が必ずお前を守る)
握りしめたゼノアの拳が震えている。
同時にゼノアの脳裏にエリオットの姿が過る。
『あなたのその傷を見て、
この心がどれだけ乱れているかわかる?』
そういってエリオットはゼノアの背中で泣いていた。
この身を盾にしなければ、守れないものがある。
自分がそういう風にしか生きることのできない
修羅の運命であることは、よくよく理解していたはずなのに。
自分は一人の人を愛してしまった。
それをきっと人は罪というのだろう。
彼女の望むささやかな幸せというものを、
自分は与えてはやれない。
戦って、戦って、やがて力尽きて、冷たい躯となり果てる。
そういう運命なのだ。
だって仕方がないだろう?
四方八方を敵に囲まれて
一体誰が自分たちを守ってくれるというのだ?
ゼノアの唇に自嘲がこみ上げた。
この手を血に染めずに、
お前を抱きしめることができない俺の、
救いはどこにある?
こみ上げてくる感傷を振り払うかのようにゼノアは唇を噛んだ。
「セシリア様には是非ともライネル公国に嫁いでいただき、
我が国の利権をしっかりと守っていただかなくては。
セシリア様の婚姻に乗じて、わが国は甘い汁を吸い尽くしてやりましょうぞ」
先程の大臣が、そう発言すると、
「いや、貴殿の考えは甘いっ!
憎きライネル公国との婚姻などあり得ないっ!
サナ姫様の一件を忘れたか?!
セシリア様との婚姻を足掛かりに、
我国がライネル公国の属国とされることは必至!
それよりも今こそ女王ロザリアと
王太子ミシェルを暗殺するべきでは?」
などという物騒な反対意見が出た。
どちらにしても、それはセシリアの望むものではない。
セシリアはミシェルに危害を加えないことを前提に
自身の婚姻の話を受けることを承諾した。
セシリアはミシェルのことを愛している。
セシリアの抱く不器用であっても、
ひたすらに一途で、一生懸命に純粋なその思いを
どうか利害関係とか、国益とか、そんな無粋なもので
汚さないでやって欲しい。
ゼノアの胸に祈りにも似た想いがこみ上げた。
誰よりも一途に健気に咲く、
その一輪の花をどうか踏みにじらないでやって欲しい。
ゼノアは自身を制するために、目を閉じて息を吸った。
自分のことを棚に上げて、言えた義理ではないが、
自分たちはそもそも誰かを愛してはいけないのだ。
そして綾絹を一枚隔てた向こうで、そんな自分たちのことを見ている
父王はきっとそういう愛し方のできる人なのだろう。
この人に愛というものがないわけではない。
それは穏やかに家族を包み、この国を包んでいる。
しかしこの人にも傷がある。
かつて命を懸けて愛した人を奪われたこの人は、
その愛と引き換えに、きっとそういう愛し方を手に入れたのだろう。
それは誰かを傷つけない愛なのかもしれない。
しかし同時にそれは誰をも守ることのできない愛だ。
父よ、いまこの綾絹を一枚隔てたあなたの愛が、ひどく遠いと感じるんだ。
あまりにも遠くて自分たちには、届かない。
ゼノアの胸に痛みが過り、下を向いた。
「あなたがたの意見はよくわかりました。
それを踏まえた上で、私はこの件を
破談とさせていただきます」
それは静かだが強い意志のこもった声色で、
ゼノアはしばし自身の耳を疑った。
「お父……様?」
思わずそう呟いてしまったゼノアの瞳が、驚きに見開かれている。
(父はセシリアを守ったんだ……)
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