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第五十九話影武者の言い分『血痕』
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王都を出てどれくらいの時間が過ぎたでしょうか。
鉛色の景色の中を車はただひた走ります。
時折、運転席の窓に雨が叩きつける音と、
それをふき取るワイパーの規則正しい音が
聞こえます。
こんな沈黙の日がくるなんて、
幼い頃は思いもしませんでした。
ゼノアとは何でも話して、笑い合って、
誰よりも傍にいたはずなのに、
今は触れるほどに近くにいても、
紡ぐ言葉が見当たりません。
車道の両脇に整然と植えられた
街路樹の道を抜けると、
サイファリアの貴族や富豪が
所有する別荘地が見えてきました。
その一角にシンメトリーなジョージアン様式の
屋敷が鎮座しています。
車はその前で止まりました。
玄関の扉には大きなクリスマスリースが吊るされて、
それを挟んで対象にクリスマスツリーが
二本飾られています。
「本当はお前と楽しいクリスマスを過ごしたくて、
色々と準備したんだけどな」
ゼノアが物憂げに、それを見上げました。
「本当にごめんなさい」
そういって私は愁傷気に頭を下げました。
本当に色々と私のために、骨を折ってくれて、
影に日向に支えてくれる兄なのです。
「まあ、入れ」
ゼノアに促されて屋敷に入りますと、
執事以下の使用人が総出で、私たちを出迎えました。
「国元からお前の気に入っていた品を運ばせておいた。
服も小物も当面必要なものは揃えてある。
ここではお前は男の恰好をする必要はない。
存分に女を磨け」
そういって使用人に目配せしますと、
私は別室に連れていかれました。
通された衣裳部屋には、色とりどりのドレスやコート、
小物類が整然と整えられていました。
国元で愛用していた品や、新しく作らせたもの、
それらを眺めていると、知らず涙が溢れてきました。
「自分も大変だったろうに、なんであの人は……」
そんな私のもとにナアマが歩み寄り、そっと私の涙を拭いました。
「姫様、涙をお拭きになってくださいまし、
せっかくの美しいお顔が台無しでございます。
そして男の服などはお脱ぎになって、
本来のお姿にお戻りくださいませ」
私はナアマの言葉に、涙を拭いました。
「そうね、泣いていてはせっかくのお兄様の
ご厚意を無駄にしてしまうわね」
私はナアマに微笑みました。
メイドが私が着ていた服を脱がせていきます。
露わになる白磁の肌に巻いていたサラシを外して、
私は女に戻っていきます。
◇◇◇
応接室の安楽椅子に腰をかけ、
ゼノアは執事が用意したコーヒーを飲んでいました。
私は胸元に大胆に紅の薔薇をあしらった、
淡いピンクのドレスを着て兄の前に立ちました。
「サイファリアの一流デザイナーに特別にデザインさせたものだ。
お前に良く似合っている。
私からのクリスマスプレゼントだ」
ゼノアは私の姿に少し目を細め、そして満足そうに微笑みました。
「ありがとうございます」
私もゼノアに会釈をしました。
「さてと……」
ゼノアはそういって時計を見ました。
「ミシェルからお前との婚姻の親書も預かったことだし、
とりあえず帰るわ」
そういってゼノアは立ち上がりました。
「え? もう帰ってしまわれるのですか?」
女の姿に戻ったのはいいけれど、
ミシェル様もゼノアもいない屋敷で、
一人きりでクリスマスを過ごすのは正直寂しいです。
「まあ、事情が事情だからな。
様子を見てまた来るわ」
そういってゼノアはひらひらと手を振りました。
私はコートを羽織り、屋敷の前まで兄を見送りに出ました。
メルセデス特有のエンジン音が、
薄暗い街路樹の道に消えていきました。
私はしばらく兄の車の消えた方を見つめていました。
サイファリアとライネル公国、その二つの国の行く末に、
果たして私はどのようにかかわる事になるのでしょうか。
兄の影武者としてその姿を偽ってこの国に入った私は、
今は本来の姿に戻り、この場所に一人佇んでいます。
胸にかけるのは、ミシェル様が口付けとともに贈ってくれた、
求婚の証。
心だけでは、思いだけでは、
どうにもならない現実を私は知っているはずなのに、
この証を外すことができないのです。
心を殺しきれない私は、影武者にもなりきれず、
だけどミシェル様を愛するということは、
必然的にこの二つの国を背負うということで、
その覚悟が果たして私にあるのか。
身を裂くような冷たい風が吹きすさび、
私は思わず羽織っていたコートの襟を掴みました。
ふと視線を落とした車道の端に、血痕を見つけました。
大小不ぞろいに地面を朱に染めて、それは裏路地へと続いています。
私は使用人たちを制して、その血痕をたどりました。
その先に男が一人、
赤レンガの壁に背を持たせかけて座り込んでいます。
男というよりはまだ幼い少年で、黒い軍服に、
水鳥の縫い取りが施されています。
「この隊服はライネル公国、黒鳥部隊のもの、
そしてその水鳥のモチーフは
その部隊のエースであることの証」
私はしゃがみ込んでその少年の顔を見ました。
下を向いた少年の少し長めの前髪が、その双眸を隠し、
蒼白な顔をしています。
脇腹に銃弾の跡があり、手でそこを抑えているのですが、
かなりの出血量です。
「ナアマ、すぐに屋敷の者を呼んで頂戴!
この人の手当をしなくてはっ!」
私は少年に着ていたコートを着せ掛けました。
鉛色の景色の中を車はただひた走ります。
時折、運転席の窓に雨が叩きつける音と、
それをふき取るワイパーの規則正しい音が
聞こえます。
こんな沈黙の日がくるなんて、
幼い頃は思いもしませんでした。
ゼノアとは何でも話して、笑い合って、
誰よりも傍にいたはずなのに、
今は触れるほどに近くにいても、
紡ぐ言葉が見当たりません。
車道の両脇に整然と植えられた
街路樹の道を抜けると、
サイファリアの貴族や富豪が
所有する別荘地が見えてきました。
その一角にシンメトリーなジョージアン様式の
屋敷が鎮座しています。
車はその前で止まりました。
玄関の扉には大きなクリスマスリースが吊るされて、
それを挟んで対象にクリスマスツリーが
二本飾られています。
「本当はお前と楽しいクリスマスを過ごしたくて、
色々と準備したんだけどな」
ゼノアが物憂げに、それを見上げました。
「本当にごめんなさい」
そういって私は愁傷気に頭を下げました。
本当に色々と私のために、骨を折ってくれて、
影に日向に支えてくれる兄なのです。
「まあ、入れ」
ゼノアに促されて屋敷に入りますと、
執事以下の使用人が総出で、私たちを出迎えました。
「国元からお前の気に入っていた品を運ばせておいた。
服も小物も当面必要なものは揃えてある。
ここではお前は男の恰好をする必要はない。
存分に女を磨け」
そういって使用人に目配せしますと、
私は別室に連れていかれました。
通された衣裳部屋には、色とりどりのドレスやコート、
小物類が整然と整えられていました。
国元で愛用していた品や、新しく作らせたもの、
それらを眺めていると、知らず涙が溢れてきました。
「自分も大変だったろうに、なんであの人は……」
そんな私のもとにナアマが歩み寄り、そっと私の涙を拭いました。
「姫様、涙をお拭きになってくださいまし、
せっかくの美しいお顔が台無しでございます。
そして男の服などはお脱ぎになって、
本来のお姿にお戻りくださいませ」
私はナアマの言葉に、涙を拭いました。
「そうね、泣いていてはせっかくのお兄様の
ご厚意を無駄にしてしまうわね」
私はナアマに微笑みました。
メイドが私が着ていた服を脱がせていきます。
露わになる白磁の肌に巻いていたサラシを外して、
私は女に戻っていきます。
◇◇◇
応接室の安楽椅子に腰をかけ、
ゼノアは執事が用意したコーヒーを飲んでいました。
私は胸元に大胆に紅の薔薇をあしらった、
淡いピンクのドレスを着て兄の前に立ちました。
「サイファリアの一流デザイナーに特別にデザインさせたものだ。
お前に良く似合っている。
私からのクリスマスプレゼントだ」
ゼノアは私の姿に少し目を細め、そして満足そうに微笑みました。
「ありがとうございます」
私もゼノアに会釈をしました。
「さてと……」
ゼノアはそういって時計を見ました。
「ミシェルからお前との婚姻の親書も預かったことだし、
とりあえず帰るわ」
そういってゼノアは立ち上がりました。
「え? もう帰ってしまわれるのですか?」
女の姿に戻ったのはいいけれど、
ミシェル様もゼノアもいない屋敷で、
一人きりでクリスマスを過ごすのは正直寂しいです。
「まあ、事情が事情だからな。
様子を見てまた来るわ」
そういってゼノアはひらひらと手を振りました。
私はコートを羽織り、屋敷の前まで兄を見送りに出ました。
メルセデス特有のエンジン音が、
薄暗い街路樹の道に消えていきました。
私はしばらく兄の車の消えた方を見つめていました。
サイファリアとライネル公国、その二つの国の行く末に、
果たして私はどのようにかかわる事になるのでしょうか。
兄の影武者としてその姿を偽ってこの国に入った私は、
今は本来の姿に戻り、この場所に一人佇んでいます。
胸にかけるのは、ミシェル様が口付けとともに贈ってくれた、
求婚の証。
心だけでは、思いだけでは、
どうにもならない現実を私は知っているはずなのに、
この証を外すことができないのです。
心を殺しきれない私は、影武者にもなりきれず、
だけどミシェル様を愛するということは、
必然的にこの二つの国を背負うということで、
その覚悟が果たして私にあるのか。
身を裂くような冷たい風が吹きすさび、
私は思わず羽織っていたコートの襟を掴みました。
ふと視線を落とした車道の端に、血痕を見つけました。
大小不ぞろいに地面を朱に染めて、それは裏路地へと続いています。
私は使用人たちを制して、その血痕をたどりました。
その先に男が一人、
赤レンガの壁に背を持たせかけて座り込んでいます。
男というよりはまだ幼い少年で、黒い軍服に、
水鳥の縫い取りが施されています。
「この隊服はライネル公国、黒鳥部隊のもの、
そしてその水鳥のモチーフは
その部隊のエースであることの証」
私はしゃがみ込んでその少年の顔を見ました。
下を向いた少年の少し長めの前髪が、その双眸を隠し、
蒼白な顔をしています。
脇腹に銃弾の跡があり、手でそこを抑えているのですが、
かなりの出血量です。
「ナアマ、すぐに屋敷の者を呼んで頂戴!
この人の手当をしなくてはっ!」
私は少年に着ていたコートを着せ掛けました。
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