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第八話陰武者の言い分⑤『心の均衡』

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入浴のあとでネグリジェを着ると、ベッドの上でナアマがきれいに髪を梳かしてくれました。
ネグリジェといっても、女の子用とかそういうのではなく、この国では子供はみんな寝るときはネグリジェを着用するので怪しいことはしていません。

「綺麗な御髪ですこと」

ナアマの手が優しくて、私は少し泣きそうになってしまいました。

「うん」

小さく頷くとナアマが隣に腰かけてくれました。

「随分短くなってしまいましたけど……」
「うん」
「ご案じなさいますな。髪などすぐに伸びます」

私を励ますようにマアナがそういってくれました。

「うん」

この国に来て、はや一カ月が経とうとしています。
正直、髪の長さを気にするような精神的余裕は全くありませんでした。
今のところ、なんとかボロを出さずに日々を過ごしていますが、
精神の消耗度合いは半端ありません。
齢12歳で国家を背負っての人質生活です。
しかも私は女で影武者です。
この秘密がバレてしまえば自分の命だけでなく、親兄弟、国家国民がヤバくなります。

プレッシャーが半端なくて、正直ちょっと折れそうになっています。

「ナアマ、ありがとう」

そうお礼をいうと、ナアマは額にキスをしてくれました。

「おやすみなさいませ、では明日参ります」

そう言ってマアナは部屋を出て行きました。
するとなんだか急に心細くなって、泣けてきました。

「父上……母上……」

愛しい人の面影を浮かべ、涙で枕を濡らしていると急に部屋の電気がつきました。

「ひっ!」

悲鳴が喉で凍り付きました。

「……ったく、ホームシックかよ。ガキだな」

寝室のドアの前に、ミシェル様が立っているではありませんか。

(どうして貴様がここにいる!)

私はたぶん今すごい表情をしていると思います。
驚き過ぎて声が出ません。
声が出ないことをいいことに、ミシェル様が何を思ったか私のベッドに
潜り込んできたではありませんか。

「ほう、あったけー」

ミシェル様はご満悦な感じでくつろいでおられます。

(え? なんで人のベッドでくつろいでんの?)

相変わらず、思考回路がショートしたまま私は言葉が出ません。
身じろぎひとつせずに、ただ、すんごい速さで瞬きをしています。

「添い寝してやる」

(いらねぇし!)

私の心の中の突っ込みを完全無視のままに、ミシェル様は私の背に手を回し
小さい子をあやすように、ぽんぽんと優しく背中を叩いています。

触れるほどに、ミシェル様の顔が近くにあります。
すっと通った鼻筋、薄い唇、長い睫毛に縁どられた、ダークアッシュの瞳……。
母であるロザリア様とよく似た、端正な顔つきをされています。

まだ大人になりきれていない、少年の特有の線の細さが、
闇に浮かぶ青い三日月を連想させます。

凍れる月、触れれば切れてしまいそうな蒼い三日月。
それでも、漆黒の夜にひときわ気高く輝く。

「泣いていたのか?」

ミシェル様はそう言って私の顔をマジマジと見つめました。

(ひぃぃぃぃ、見ないでくださいぃぃぃぃ。
就寝時間は完全プライベートだと思っていました)

「うん、私はお前の泣き顔の方が好きだな……」

おかしなことを言う人です。

「あっ、誤解すんなよ? 
泣かせたいとかそういう意味ではなくてだな、
お前の笑顔はもちろん好きなのだが、なんか嘘くさい。
泣きたいときでも無理して笑ってるより、泣きたいときには
ちゃんと泣く方が健全だってことな」

(なんですと?
この人は私の嘘笑顔を見抜いていたというのでしょうか。
だったらかなりの読心術の使い手ですね。怖っ!)

私はベッドの中で更に固まりました。

「話変わるけどお前ん家はさあ、おやすみの挨拶の時、
デコチューすんのか。覚えておく」

(何見てんの!
 つうか、お前なにしに来たの? ほんと)

女の子の部屋……いや、この人は私を男だと思っているのか。
にしても、国家規模の秘密を抱えている私としましては、
今後もっと気を引き締めて生活せねばなりませんね。

ベッドの中でフリーズしている私を、ミシェル様が抱きしめました。

(うぎゃああああ!
何してるの? お前ほんと、何やってるの???)

心が叫びたがっています。

「家族と離れてこんなところに来てしまったんだ。寂しいのは当然だ。
 茶化してしまって、悪かったな」

「うっ」

これは……不意打ちです。
そして私は不意打ちに弱いのです。

必死で纏った心の鎧が無効化されてしまいました。

少し震える手を、勇気を出してミシェル様の背に回してみました。

「泣いてもいいぞ」

ミシェル様はぶっきらぼうな口調です。

「ひ……ん……」

声を殺して泣くのは得意なんです。
なにせ、今まで誰にも気づかれたことなかったですからね。

ミシェル様の薄っぺらい胸板に顔を埋めて泣いておりますと、
ミシェル様が何度も私の髪を撫でてくれました。

「おやすみの挨拶をお前にしようと思ったんだ。そしたらお前が乳母と何かを話していたんだけど、
元気がないのがわかって、どうしたらいいのかなってずっと考えてた。
やり方が不器用で変態チックなことは理解している。許せ」

(一応、理解はしていたのか……。)
 
少し、いえ、かなり驚きました。

「今夜だけですから……ね」

ようやく一言言い返せた。

「別に男同士のガキが二人、一緒に寝てたってなんの問題にもならん。
 むしろ微笑ましい光景だ。
 それよりも、お前は私に約束しろ。
 もう決して一人では泣かないと。
 泣きたいときには私を呼べ。
 隣にいるだろうが」

「ひ……ん」

言葉が発せません。

「今夜は朝まで一緒にいてやるから、ちゃんと寝ろよ」

なんやかんや言いながら、ミシェル様がデコチューをしてくれました。
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