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97.雑踏

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「ユウラ! こちらへ」

ウォルフがユウラの手を取り、自身のほうへと引き寄せる。
地響きとともに、窓の外にシェバリエが闊歩する様が飛び込んでくる。

「商業区に敵のシェバリエの侵入を許しているというのかっ!」

ウォルフが驚愕に目を見開いた。
刹那、式場のエントランスで、小規模な爆発が起こった。

「ウォルフ様、ユウラ様、ここは我々に任せて、
 裏口よりお逃げください」

そう言ってウォルフのSPが二人を裏口から逃がした。

「行くぞ! ユウラ。
 商業区の宇宙港にBlack Princessを向かわせている。
 お前も俺と共に」

ウォルフがユウラの手をしっかりと掴んで走り出す。

ビル群の間を縫って、シェバリエの巨体が地響きを上げながら
走っていく。

その上空には戦闘機が隊列を成して
シェバリエに容赦なくミサイルの雨を降らせると、

焼け焦げたシェバリエが、不自然に動きを止めた。

一方では道路を走っていた自動車が、
別のシェバリエに蹴り上げられておもちゃのようにひっくり返っている。

銃撃戦の後なのか、道路が抉れて、あちこちで黒煙を上げている。

ユウラは何か特撮の映画でも観ているかのような感覚に陥る。

頭では理解していても、どこか麻痺して鈍化した感覚に
そこに命があるということを、受け止めることができない。

レッドロラインは、銀河に誇る美しい先進国だ。

神に選ばれし民、ノアの一族の英知によって比類なき発展を遂げた国。
国民の誰もが、そう信じて疑わなかった。

今攻撃を受けている商業区もまた、銀河有数の最先端衛星都市として、
その名声を欲しいままにしていた。

『レッドロラインの抱く宝玉』と呼ばれたこの街が、
今、敵の攻撃によって崩れ落ちようとしている。

コロニーという脆弱な箱舟の中で、
人の手によって作られた平和が未来永劫に続くと信じてやまない住民たちは、
今の今まで思い思いにショッピングを、それぞれの生活を楽しんでいたことだろう。

しかし住民たちのそんな平穏な生活は、一発の銃声とともに踏みにじられた。
無敵を謳ったレッドロラインのセキュリティーが、こうもいとも簡単に破られて、
自身の身を護るはずの武器シェバリエによって、
かえってその生命を危険にさらされている。

信じてやまなかった張りぼての平和が音を立てて、崩れてゆく。

その様に住民たちは少なからずパニックに陥った。

人々の群れが我先にと脱出用シャトルを求めて、
宇宙港へと向かっている。

「すごい人ね」

ユウラが目を丸くした。

「ユウラっ! こっちへ……」

ウォルフがユウラを自身の方に引き寄せようとするが、
何せこの人ごみである。

自身が身動ぎすることさえも、困難を極める。

「ユウラっ! 絶対に手を離すなよ」

ウォルフが鋭く叫ぶが、その声もまた雑踏の中にかき消されてしまう。

「ウォルフっ!」

人に揉まれて、ユウラが泣きそうな声を上げた。

刹那、きつく握っていたはずのウォルフの手から、ユウラの手が解けた。

ウォルフが呆然と立ち尽くす。
ユウラの姿が見えない。

「ユウラっ! ユウラっ!」

ウォルフがいくら叫んでみても、その声は届かない。

仮面をはりつけたような見知らぬ顔ばかりが、
青ざめて言葉少なく歩みを進めている。

ユウラがいない。
ウォルフが先ほどまで、必死に握っていたその掌を見つめた。

脳裏にユウラの温もりを思い出すことは容易にできる。
しかし、今、その掌にユウラの温もりはない。

ウォルフは足元から、せりあがってくるような不安に押しつぶされそうになって、
思わず自分自身を抱きしめた。

戦場においても、こんな思いはしたことがない。
絶体絶命の修羅場を潜り抜けてきたことも、一度や二度ではない。

そんな自分が、である。

(ヤバいな、俺)

その心の振れ幅に、ウォルフ自身が動揺を隠せない。
この後、戦艦Black Princessに合流後には、自分はオリビアとして、
一国の元帥として、軍の総指揮を執らなくてはならない。

個人の感傷に浸っている暇はないのだ。

(しっかりしろ! 俺)

ウォルフはそんな自分を叱咤する。

自身の抱えるひどく脆い部分をそっと隠して、
ウォルフも心に仮面を被る。

国民が求める絶対守護者であり、
無敗の元帥、第一皇女オリビア・レッドロラインとしての仮面だ。

(まずはこの国を守らなければ話にならない。
 アイツのこともまもれないってことだ)

ウォルフがきっと前をを見据えた。

(大丈夫だ、大丈夫なはずだ。
 きっとあいつはどこか安全な場所に避難して、
 難が去ったらちゃんと笑顔で俺のもとに帰ってくるはずだ)

ウォルフは自身の心に募る不安をかき消すように、必死に自分にそう言い聞かせて、
戦艦Black Princessの待つ宇宙港へと向かった。

◇◇◇

「ユウラ・エルドレッド様ですね」

ウォルフとはぐれた直後、そう言ってユウラに近寄り、
ユウラをメインストリートの人ごみから裏道に連れ出した人物があった。

硬質な金色の髪に、すっと通った鼻筋、形のよい薄い唇。
その容貌にユウラは覚えがある。
ユウラの脳裏に、エドガーの面影が過った。

(似ている)

ユウラが息をのんだ。

ちょうどエドガーが少し年を重ねたような、そんな容姿である。

しかし薄い銀縁の眼鏡が、その知性を際立たせて、
エドガーよりも冷たい目をしている。

「お初にお目にかかります。
 私はハイネス・エーデン。
 以後お見知りおきを」

そんな有体な挨拶の後で、
何かの液体を沁み込ませた布がユウラの口元に宛がわれた。

「何を……?」

そう呟いて、ユウラの意識が途切れた。


 
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