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71.掌の温度

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「ご無事で……良かった」

そう言ってハルマに抱き着いたユウラに、
ルークが渋い顔をする。

「お父様の生存を喜んでいる所、悪いんだけどさ、
 命に別状がないとはいえ、
 全然無事じゃないんだよ? ユウラ」

ルークの言葉にユウラが顔を上げた。

「全治二か月の骨折だってさ」

そういってギブスをつけている父の足を指さした。

「レイランド教官、どうしてここに?」

ユウラがキョトンとした顔をする。
ユウラの問いに、ハルマは微かに眉根を寄せた。

痛みに耐えるような沈黙の後で、
しかし、意を決したようにハルマは口を開いた。

「ユウラ、お前には黙っていたが、
 このルーク・レイランドはお前の実の兄なんだ」

それは静かな口調だった。
その分深く、ユウラの心にその言葉が落ちる。

「知っています」

ユウラがそう言うと、
ハルマはそれ以上は口を噤んだ。

「そうか……。
 少しだけ、一人きりにしてくれないか?」

ハルマの言葉を受けて、ルークとユウラは病室を出た。

扉一枚を隔てて、父の嗚咽が聞こえてくる。

「泣くくらいなら……手放さなきゃいいじゃない」

そう呟いて下を向いたユウラの頬にも涙が伝う。

「僕のために泣いてくれて、ありがとうね。ユウラ」

そういってルークはユウラの頭を撫でた。
その手の感触にユウラは顔を上げた。

生まれて初めて、兄という肉親に
頭を撫でられた。

(てのひらの温度……だ)

ユウラはそう思って、瞳を閉じた。

(私はこの温もりを知っている)

ユウラの涙の性質が変わった。

(そうだ。これは母が生きていたとき、
 父と母に繋がれた掌の温度だ)

ユウラの中に不意にセピア色の記憶が蘇った。
そこには優しい眼差しと、温もりがあった。

温かなものだけで満たされた世界。
そういう世界が確かに自分にもあったのだと。

それはとても不思議な感覚で、自分の心の奥深くにある冷たく凍えた闇を
確かに溶かしていった。

「養子に出されたとはいえ、血縁であるという事実は消えないしね。
 それに僕は、父上の子であることを誇りに思っている。
 ユウラというかけがえのない妹の存在もね」

病院のロビーに置かれた自販機で、紅茶を購入したルークが、
ユウラにそれを差し出した。

「ありがとう……ございます」

ユウラはそれをおずおずと受け取った。
そんなユウラにルークは複雑な笑みを浮かべる。

「えらく他人行儀だね」

そういってルークはユウラの隣に腰かけた。

「申し訳ありませんが、他人だとは思っていません。
 あなたのことは大変慕わしく思っておりますが、
 この気持ちをどう表現していいのか、
 とても困っています」

ユウラが眉根を寄せて生真面目に応えると、ルークがぷっと噴出した。

「そういうところ、父上にそっくりだね」

ルークの言葉にユウラはがっくりと肩を落とした。

「う~、自分でも自覚しています。
 なんでもっとこう……色々なことをスマートにさばけないかなって、
 ときどき自分が嫌になっちゃうんです」

しょんぼりとそう答えたユウラの背に、
ルークが手をまわし、そっとその背を撫でる。

「武骨なんだけど人一倍、誰かを思いやる心に溢れていて、
 いざとなったときには自分の身を顧みずに飛び込む。
 まあ、スマートではないけれど、そういう生き方は嫌いじゃないんだな」

ルークはそういって、病院の白けた天井を見上げた。

「その結果が僕であり、ユウラであり、
 今回の怪我だったりするんだけどね」

そういってルークは小さく溜息を吐いた。

「私も?」

そういってユウラがキョトンとした顔をした。

「そうだよ。国王陛下の長子であるウォルフ様をお守りするために、
 父上は最愛の娘を差し出したんだ。
 それは命を賭して将軍家が、ウォルフ様の盾となる覚悟であることを皆に示す、
 証だったんだ」

ルークの言葉に、ユウラが眉根を寄せた。

「嘘よっ! そんな綺麗な話じゃないわ。
 弟が生まれたから、私のことが邪魔になっただけなのよ」

ユウラが顔を背けた。

「そろそろ、ユウラも大人の事情を理解しなさい。
 アミラさんはともかく、父上がユウラに冷たく接したのは、
 ユウラの心がウォルフ様に向けられ、ウォルフ様にお頼りするようにとの、
 親心だったんだよ」

ルークの言葉にユウラは下を向き、その膝をきつく掴んだ。

「なんですか……それは……」

ルークの告げることを全否定したいと思う一方で、
幼い頃に感じていた、不可解な父の変貌に納得がいく。

「すべてはお父様の思惑だったと?
 ウォルフもアルフォード家も、
 確かにそんな私を不憫に思ってくれて、大切にしてくれた。
 だけどそんなのはただの哀れみじゃない。
 お父様は自分の娘が他人から哀れみを受けてそれで満足だというの?」

ユウラが激した。

閉ざされた自身の世界の中で
与えられた唯一の温もりが、

好きだと言ってくれたその心の高ぶりが、
色を失くしていく。

自分が欲しかったものは哀れみではない。

「ユウラ、お前は本気でウォルフのことを
 そんな風に思っているのか?」

ルークのひどく澄んだ鳶色の瞳が、真っすぐに自分を映し出す。

「え?」

ユウラはルークのその眼差しを、怖いと思った。
自分の中の醜いものすべてが、その澄んだ瞳の中に
さらけ出されるような感覚を覚える。

「だとしたら、お前はウォルフのことを知らなさすぎる。
 その置かれた立場、背負うもの、何一つわかっちゃいない。
 ウォルフがどん底のなかでお前を掴み、這いあがったことを。
 それは決して哀れみなんかじゃない。
 お前がいたから、あいつは強くなれたんだ。
 お前がいたから、あいつは生きることができたんだ。
 どうして信じてやらない?」

ユウラの身体が震えた。
ユウラの脳裏にウォルフを戦地に送ったときの言葉が蘇る。

『お前はこの出港が、そんな生易しいものだと思っているのか?
 生きて戻れるという確証はない。
 だから、せめて、お前の心を俺にくれ』

それは深く孤独の滲んだ言葉だった。
命を懸けたぎりぎりの局面で、
ウォルフは確かに自分の心を求めたのだ。

それは同情や憐れみと言った、安っぽい憐憫とは違う。

そして気付く。

ウォルフの傷だらけの魂が、
どの瞬間も悲痛なほどに、自分を求めていたことを。

ユウラはルークの胸の中で、嗚咽を上げる。

「何、お前、俺の婚約者泣かしてるんだ?
 締めるぞ?」

その背後に剣呑な眼差しで、ゆらりと立つ人影があった。




 



 


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