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70.父と兄

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そんなエマを、ルークが優しい眼差しで見つめている。

「そういうことなら、アカデミーは当分休みだし、
 エドガー様も交えて、レイランド家うちの山荘で強化合宿でもする?」

ルークの提案に、乙女たちは破顔する。

しかしユウラは気まずそうに、人差し指で頬を掻いた。

ユウラは現在アルフォード家に入り、行儀見習いの身である。
ただでさえ、無理を言ってアカデミーに通わせてもらい、
しかもオリビアの専属騎士としての任務のために、
家を留守がちにしているのだ。

いくらウォルフ=オリビアだとしても、
ウォルフの留守にこれ以上の勝手は許されないだろう。

そんなことを思って、ユウラが顔を曇らせた時だった。

トレーニングルームの扉をノックする音がし、
ルークの部下が入ってきた。

厳しい表情を浮かべ、何事かをルークに告げると、
ルークの顔から笑みが消えた。

「軍より緊急の連絡が入りましたので、これにて失礼いたします」

ルークが口調を改めて、その場を後にした。
その様子をユウラが不安気に見つめた。

そんなユウラを気遣って、エマが空気をかえるように
軽い口調で言った。

「何よっ! エドガー様ったら優男のふりして、
 結構剣術強かったんじゃない」

エマの言葉にエドガーが頬を引きつらせる。

「まあな、っていうかお前たちそもそも私をバカにし過ぎだ。
 これでも一応一国の王太子なんだぞ?
 もっとこの私を敬え、そして崇め、称えろ。愚民ども」

エドガーの言葉にエマが、鼻の頭に皺を寄せる。

「お……おい、赤毛! なんならこの私が
 じきじきに貴様に稽古をつけてやってもいいぜ?
 姉ちゃんの剣術、お前知りたいんだろ? 一本勝負やってみるか?
 そ……その代わり、私がお前に勝ったら、今夜のラストダンスは私と踊れ」

エドガーが頬を赤らめてユウラにそう言うと、ユウラの瞳孔が開いた。
ユウラが予備の剣を手にとり、鞘から静かに引き抜いた。

「エドガー様がこの私に一本勝負を挑まれると?」

そこはかとない殺気がユウラの中からあふれ出る。

「ねぇ……お……落ち着いて? ユウラさん」

さすがにエマが二人の間に割って入った。

「オリビア様に専属騎士として選ばれておきながら、
 戦場で、敬愛する主君の傍にあることを許されない、
 この私の屈辱が分かりますか?
 しかもオリビア様から私は一度も稽古をつけてもらったことがなくって、
 だけどよりによってエドガー様には幼少期から手取り足取り……」

ユウラの怒りに部屋の温度がゆうに1、2度下がったような感覚を覚え、
一同が生唾を飲んだ。

「ユウラさん、そこ、嫉妬する所が違うっていうか……。
 ねぇ、落ち着いて?」

さすがのエマも少し涙目になっている。

「問答無用! いざ尋常に勝負」

ユウラが剣を繰り出そうとした瞬間に、血相を変えたウィリアムが
トレーニングルームに飛び込んできた。

「お前は何をしているんだっ! 
 剣を納めなさいユウラ」

ウィリアムの言葉にユウラが我に返って、剣を収めた。

「エドガー王太子、我がアルフォード家の室が大変失礼を致しました。
 どうか寛大なお心を持ってお許しくださいますように」

ウィリアムがエドガーに頭を下げた。

アルフォード家の室という言葉に、
エドガーは知らず痛みを覚える。

そんなエドガーの微細な表情の変化に、ウィリアムは目を細めた。

「いや、頭をあげられよ、ウィリアム殿。
 私もいくら友人とはいえ、
 アルフォード家の大切なご内室に戯れが過ぎたようだ、許せ。
 それよりも、貴殿は何か彼女に用があったのではないのか?」

エドガーの言葉にウィリアムが厳しい表情をユウラに向けた。

「そんなことをしている場合ではない。ユウラ、心して聞きなさい。
 ハルマ様が負傷され、王都の病院に運ばれたそうだ。
 車を手配したから、すぐに向かいなさい」

ウィリアムの言葉にユウラが目を見開いた。

(父が……負傷した?)

ユウラの思考が停止する。
そして次の瞬間自身の身体に流れる血液が、凍り付いたかのような感覚を覚える。

身体が小刻みに震えて、心臓の音がやたらと大きく聞こえる。

「ユウラっ! しっかりしなさい」

ウィリアムの言葉をどこか遠くに聞きながら、
ユウラはその場に立ち尽くした。

◇◇◇

「お父様っ!」

ユウラが息せき切って、ハルマの入院する病院に駆け込んだ。
要塞の総指揮を任されていたハルマが、強制的に自国の病院に送還されて、
治療を受けているのだという。
ユウラの脳裏に最悪の状況が浮かんだ。

頑固親父と罵って、反抗した自分を思い出して、
ユウラは歯噛みしたい思いになった。

父がこの国に命を捧げる将軍である以上、
その別れが今生の別離になってしまう可能性があることを、
自分は重々承知していたはずなのに。

ユウラはその傍らにあって、父を補佐したい一心で騎士を目指した。
それはハルマを守りたいという一心であり、
ユウラにとってそれだけハルマは大切な存在だった。

だからユウラは継母にいくらいじめられても、エルドレッド家にとどまり、
アルフォード家に行くことを拒んだのだ。

「お父様……」

心配のあまり、ユウラの頬に涙が伝った。

「父上、りんごが剥けましたよ。はい、あ~ん♡」

極限の緊張のために、思わず涙が溢れてしまったユウラの視界に
いたく平和な光景が飛び込んできた。

ユウラは自身の目を高速で瞬かせた。

鳶色の髪の美少年が、自分の父のベッドの傍らで、なぜだか甲斐甲斐しく世話を焼き、
あまつさえ、うさぎ型に切ったりんごにフォークを突き刺して、父に差し出している。

しかも少し照れながらも、堅物の父が満更でもなさそうにそれを食べている。

(あれ? 私疲れているのかな?)

ユウラは目を擦った。

「おっ! ユウラ、来たか」

父、ハルマがいつもの口調でユウラにそう言った。

「おっ……お父様っ!」

ユウラは面食らったように、目を瞬かせた。
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