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40.ウォルフの逆襲

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ピキンっ! 
という擬音語と共に、
その場の空気が凍り付いた。

オリビアの白目には、
無数の毛細血管が浮き出している。

「ちょっ……ちょっ……ちょっと、
 ねぇ、落ち着いて?」

オリビアをエスコートするルークが、
高速で目を瞬かせている。

「殺す!」

オリビアの瞳孔が開き、
ぽそりと物騒な言葉を漏らすと、

ルークがオリビアを羽交い絞めにして、
にっこりと笑い、

「ウォルフ……ハウス」

小声で囁いて寄越す。

「俺は犬かっ!」

オリビアは屈辱に頬を染めるが、
まったく身動きが取れない。

「無駄だよ? 
 もがけばもがくほど食い込むようになってるから、
 やめときな」

ルークは涼しい笑みを絶やさない。

(コイツっ!!! 
 美少女みたいな顔してるくせにっ!!!)

オリビアはきつく唇を噛み締めた。

剣術においては、おそらく自分の方がわずかに上、
シェバリエは、ほぼ互角。

しかし体術だけは、どうしてもコイツには敵わない。

「今は僕と争ってるときじゃないでしょ?
 しっかりしなっ!」

その囁きにオリビアは現実に戻される。

「ユウラを愛しているというのなら、
 ちゃんとオリビア様を演じ切らなくちゃ……ね」

ルークの言葉に、オリビアはぐうの音も出ない。

そして小さく息を吐くと、
その顔に笑みを称えた。

「そのドレスはあなたが選んだの? エドガー。
 ユウラによく似合ているわ」

ユウラが泣きそうな顔をして、
オリビアを見つめている。

「そうでしょう? 姉上。
 せっかくアカデミーをあげての姉上の歓待の宴なのに、
 こいつだけ冴えない軍服なんかを着ていたんですよ」

エドガーが不服そうに口を尖らせた。

「それはわたくしも気が付かなかったわけではないの。
 でもね、エドガー、ユウラにはすでに婚約者がいるのに、
 その婚約者の留守に、他の男性のエスコートを受けるのは
 あまり関心しないわね。変な噂が立ってもよくないわ」

エドガーはオリビアの言葉を鼻で嗤い、
軽薄な笑みを浮かべた。

「婚約者……ねぇ。
 だが所詮は政略結婚だ。
 自分の結婚相手を、
 他人に決められる制度って、どうなんでしょう。
 本人の意思でもあるまいに、そんなものに縛られるなんて
 彼女も可哀そうですよ」

そう言ってエドガーは、
意味ありげな視線をユウラにくれる。

「おっと、姉上、
 では失礼!」

ユウラの細い腰に手を回し、
その場を立ち去るエドガーを見つめるオリビアの瞳孔が再び開く。

ゴッゴッゴッ……。

そんな地獄の地響きのような擬音語とともに、
凄まじい気迫をその身に宿す。

オリビアは無言のままに、ルークの襟首を引っ掴んで
控室にさがる。

「えっ? ちょっと……」

現状を把握できないルークが高速で目を瞬かせると、、

「なあに。ほんの二時間くらいの辛抱だ。
 長い人生、たった二時間くらいこの俺のために、
 頑張ってみても罰はあたらないんじゃないか?
 なあ、ルーク」

瞳孔の開いたオリビアが、
ルークを壁際に追い詰めて、
壁ドンを炸裂させる。

「いや……だから君は一体何を考えて……?
 あっ、ちょっと待って。
 いっ……嫌ぁぁぁぁぁ!!!」

オリビアの控室に、ルークの悲鳴が響き渡った。

◇◇◇

「うっわー、マジっすか?」

ウォルフによって呼び出された、
エルライドが半笑いでその光景を眺めている。

「まあ、そういうことだから、
 コイツのルークエスコート役、よろしく頼むわ」

ルークと衣装を取り換えて、
オリビアはウォルフに戻り、

銀の光沢のあるタキシードを身に纏う。

一方ルークは、

先ほどオリビアが着ていた、
ワインレッドのドレスとイミテーションのティアラを頭に頂き、
完璧な美少女へと変貌を遂げている。

「僕は……穢れてしまった」

鏡に映った姿に衝撃を受けているらしく、

ルークは椅子の上で、
がっくりと肩を落として真っ白に燃え尽きている。

「なあに、それベールで顔を隠して、
 几帳の後ろに隠れてたら、すぐに終わる。
 今度メシおごるわ」

そう言い置いて、ウォルフが部屋を後にした。

残されたエルライドが、
笑いを堪えきれずに涙目になっている。

◇◇◇

「えっ? ユウラさん???」

エドガーにエスコートをされるユウラを、
クラスメートの友人たちが二度見する。

そしてざわめきが起こる。

国のトップアカデミーに通うのは、
大体が貴族の子弟や、
有力議員など上流階級に属するものたちの子弟である。

ゆえに幼少期から、
その素性は知れており、

特に国王陛下の声掛けにより取り決められた
宰相家のウォルフと将軍家のユウラの婚約は、
この場に知らぬ者はいない。

それに幼少期、それこそ初等部のころから、
ウォルフのユウラに対する溺愛っぷりは筋金入りで、

誰しもにユウラにちょっかいをかけようなどという、
不埒な思いを抱かせる隙すら与えなかった。

家柄、実力、すべてにおいて完璧な、
この男に挑む命知らずは、この国にはいないだろう。

と誰しもが、
そのときまで信じてやまなかった。

しかし今、一人だけ、
ウォルフに身分で勝るその男が、
ユウラの細い腰のくびれに手を回している。

「嫌ですっ! やめてくださいっ!!エドガー様っ!!! 
 私はウォルフ・フォン・アルフォードの妻です」

ユウラは眦に涙を溜めて、
きつくエドガーを睨みつけるが、

エドガーはその手を離しはしない。

ユウラに拒否されればされるほど、
顔から表情が抜け落ちてゆく。

「妻……か。
 恋人ではないのだな」

俄かに放ったエドガーの言葉の毒に、
ユウラは口を噤んだ。

「お前は満足なのか? 
 そんな一方的に庇護されるだけの
 哀れな関係に」

エドガーが低く笑い声を立てた。


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