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23.ユウラの想い
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ユウラは、薄い微睡のなかを漂う。
夢を見た。
それは幼い頃の出来事で、父の出征を見送る場面だ。
無力な自分は、必死に父に縋り付いて泣いている。
「行かないで!」と。
白けた靄の中に、意識が霞んで、
ユウラは、また夢を見た。
それはウォルフの初陣を迎えたときの記憶だ。
その日、ウォルフはエルドレッド家から出征した。
その出征は父、ハルマの時とは違い、
広間には多くの人が集っていた。
ウォルフは黒の騎士服に身を包み、
仮面を被った。
ユウラはその物々しさが、
ひどく恐ろしかったのを覚えている。
父、ハルマ・エルドレッドはそんなウォルフの前に跪き、
恭しく王家の宝刀を捧げた。
ウォルフがそれを受け取ると、
ユウラが知っている主だった者たちが、
次々とその前に跪いた。
それこそ、その中には
ウォルフの父であるアルフォード卿や、母マリアンヌもいた。
事情はよくわからなかったが、
その瞬間にウォルフと隔てられた何かが、
確かにあったのだとユウラは確信する。
そんな異様な光景に、言い知れぬ不安を感じて、
ユウラは泣きながら、父ハルマに縋り付いた。
「嫌よ! お父様っ!
ウォルフを連れて行かないで」
直観的に、自分はこのままウォルフと引き離されてしまうのだと、
そう確信して、ユウラは泣き叫んだ。
そんなユウラを、家の者が部屋の外に出そうとしたが、
ウォルフはそれを許さなかった。
「手を離せ! この者は幼くとも我妻だ。
この場所にあって
夫たるこの俺を見送るのは当然であろう?」
威厳のある声色で、ウォルフがそう命じると、
家の者はその場に平伏した。
ウォルフが傍らに立って、
仮面を外して、その記憶にとどめようと、
じっと自分を見つめたのを覚えている。
「なあ、ユウラ、今日からお前は俺の妻だ。
妻って言うのはな、ちゃんといい子にして、
夫の帰りを待つものだぞ?」
ウォルフは両手でユウラの頬を包み込んで微笑んだ。
ユウラはウォルフに微笑むことはできなかった。
ただ不安だった。
このままもう二度とウォルフに会えなくなるのではないかと、
そんな不安がせり上がってきて、押しつぶされそうになる。
幼い頃、出征する父に対して抱いた思いは、
この日からウォルフに向けられるようになった。
こんな思いをするくらいなら、
いっそのこと自分も騎士になって、
その傍らに立ちたいのだと、
ひりつくほどにそう思った。
生も死も、共に分ち合うことができたならと……。
(しかしこの日、
ウォルフは泣きじゃくる私に言ったのだ)
「ユウラ、幼くともお前は俺の妻だ。
妻としての自覚をもって、俺の留守を守れ」と。
それが、ウォルフの想いだった。
近くにいるようでいて、ウォルフは遠い。
そう思ったら、ユウラの頬に涙が零れた。
やがて意識が覚醒していく。
目を開けると、明り取りの窓が、
ラベンダー色に染まっている。
間もなく夜が明けるのだ。
ユウラがそんなことを考えて、
ぼんやりとしていると、
部屋の戸を開ける音がして、
人の気配を感じた。
「ユウラ」
愛おし気に自分の名を呼んで、
ウォルフはベッドサイドに腰かけた。
ウォルフは白の隊長服を身に纏っている。
「ウォルフ、どこかに出かけるの?」
ユウラが身を起こすと、
ウォルフが驚いたような顔をした。
「ユウラ、お前っ!
泣いていたのか?」
ユウラは慌てて、涙を拭う。
「あっと……、ちょっと怖い夢を見ちゃって」
気まずそうにユウラが顔を赤らめると、
ウォルフがユウラを抱きしめた。
「添い寝してやろうか?」
耳に落ちる婚約者の甘い睦言に、
ユウラは曖昧な笑みを浮かべる。
頬に触れるのは、
ルビーの周りにダイヤをあしらった、
ひどく高価なロザリオの固い冷たさだ。
自分の知らない誰かとの絆に、ユウラは思いを馳せる。
もしも婚約指輪を欲しいといったなら、
ウォルフは喜んでそれを自分に与えてくれただろう。
そこにウォルフの愛があることは事実だ。
しかし重ならない心の、
薄紙一枚の隔たりを、
ユウラはひどくもどかしいとも思う。
「急ぐのでしょう? 早く行って、ウォルフ。
あとでアカデミーにお弁当を届けるわ」
ユウラはそう言って、ウォルフに微笑む。
「おう! 楽しみにしてる」
ウォルフはユウラに、
手を振って部屋を後にする。
その背を見送るユウラは、
知らず掌で口を押えた。
昔のように、泣いて縋って、
『行かないで!』とは言えなかった。
ただ声を殺して、咽び泣くことしか、
今の自分にはできないのだと、打ちひしがれる。
◇◇◇
「ご……きげんよう、ご同輩!」
アカデミーの講義室に現れた、
エマ・ユリアスが軽く死相を浮かべている。
「エ……エマさん?」
ユウラが顔色を変えて、エマに走り寄る。
「どうなさったの? 大丈夫?
顔が紫色よ?」
ユウラが驚きに目を見開く。
「体調が悪いのではなくて?」
ユウラはエマとはそれこそ、
幼稚舎のころからの付き合いだが、
元気が取り柄の体力バカのエマが、
ここまで消耗するのは初めて見た。
「へ……平気よ? これぐらい……。
少しハードに運動しただけだから……」
エマが誰もいない壁に向かって話しかける。
「エマちゃん、一体誰とお話しているの???」
ナターシャの顔が恐怖に引きつる。
エマの首にもロザリオが光っている。
ルビーの周りにダイヤをあしらった、
ウォルフと同じロザリオだ。
ユウラの胸が、痛みに引き攣れた。
夢を見た。
それは幼い頃の出来事で、父の出征を見送る場面だ。
無力な自分は、必死に父に縋り付いて泣いている。
「行かないで!」と。
白けた靄の中に、意識が霞んで、
ユウラは、また夢を見た。
それはウォルフの初陣を迎えたときの記憶だ。
その日、ウォルフはエルドレッド家から出征した。
その出征は父、ハルマの時とは違い、
広間には多くの人が集っていた。
ウォルフは黒の騎士服に身を包み、
仮面を被った。
ユウラはその物々しさが、
ひどく恐ろしかったのを覚えている。
父、ハルマ・エルドレッドはそんなウォルフの前に跪き、
恭しく王家の宝刀を捧げた。
ウォルフがそれを受け取ると、
ユウラが知っている主だった者たちが、
次々とその前に跪いた。
それこそ、その中には
ウォルフの父であるアルフォード卿や、母マリアンヌもいた。
事情はよくわからなかったが、
その瞬間にウォルフと隔てられた何かが、
確かにあったのだとユウラは確信する。
そんな異様な光景に、言い知れぬ不安を感じて、
ユウラは泣きながら、父ハルマに縋り付いた。
「嫌よ! お父様っ!
ウォルフを連れて行かないで」
直観的に、自分はこのままウォルフと引き離されてしまうのだと、
そう確信して、ユウラは泣き叫んだ。
そんなユウラを、家の者が部屋の外に出そうとしたが、
ウォルフはそれを許さなかった。
「手を離せ! この者は幼くとも我妻だ。
この場所にあって
夫たるこの俺を見送るのは当然であろう?」
威厳のある声色で、ウォルフがそう命じると、
家の者はその場に平伏した。
ウォルフが傍らに立って、
仮面を外して、その記憶にとどめようと、
じっと自分を見つめたのを覚えている。
「なあ、ユウラ、今日からお前は俺の妻だ。
妻って言うのはな、ちゃんといい子にして、
夫の帰りを待つものだぞ?」
ウォルフは両手でユウラの頬を包み込んで微笑んだ。
ユウラはウォルフに微笑むことはできなかった。
ただ不安だった。
このままもう二度とウォルフに会えなくなるのではないかと、
そんな不安がせり上がってきて、押しつぶされそうになる。
幼い頃、出征する父に対して抱いた思いは、
この日からウォルフに向けられるようになった。
こんな思いをするくらいなら、
いっそのこと自分も騎士になって、
その傍らに立ちたいのだと、
ひりつくほどにそう思った。
生も死も、共に分ち合うことができたならと……。
(しかしこの日、
ウォルフは泣きじゃくる私に言ったのだ)
「ユウラ、幼くともお前は俺の妻だ。
妻としての自覚をもって、俺の留守を守れ」と。
それが、ウォルフの想いだった。
近くにいるようでいて、ウォルフは遠い。
そう思ったら、ユウラの頬に涙が零れた。
やがて意識が覚醒していく。
目を開けると、明り取りの窓が、
ラベンダー色に染まっている。
間もなく夜が明けるのだ。
ユウラがそんなことを考えて、
ぼんやりとしていると、
部屋の戸を開ける音がして、
人の気配を感じた。
「ユウラ」
愛おし気に自分の名を呼んで、
ウォルフはベッドサイドに腰かけた。
ウォルフは白の隊長服を身に纏っている。
「ウォルフ、どこかに出かけるの?」
ユウラが身を起こすと、
ウォルフが驚いたような顔をした。
「ユウラ、お前っ!
泣いていたのか?」
ユウラは慌てて、涙を拭う。
「あっと……、ちょっと怖い夢を見ちゃって」
気まずそうにユウラが顔を赤らめると、
ウォルフがユウラを抱きしめた。
「添い寝してやろうか?」
耳に落ちる婚約者の甘い睦言に、
ユウラは曖昧な笑みを浮かべる。
頬に触れるのは、
ルビーの周りにダイヤをあしらった、
ひどく高価なロザリオの固い冷たさだ。
自分の知らない誰かとの絆に、ユウラは思いを馳せる。
もしも婚約指輪を欲しいといったなら、
ウォルフは喜んでそれを自分に与えてくれただろう。
そこにウォルフの愛があることは事実だ。
しかし重ならない心の、
薄紙一枚の隔たりを、
ユウラはひどくもどかしいとも思う。
「急ぐのでしょう? 早く行って、ウォルフ。
あとでアカデミーにお弁当を届けるわ」
ユウラはそう言って、ウォルフに微笑む。
「おう! 楽しみにしてる」
ウォルフはユウラに、
手を振って部屋を後にする。
その背を見送るユウラは、
知らず掌で口を押えた。
昔のように、泣いて縋って、
『行かないで!』とは言えなかった。
ただ声を殺して、咽び泣くことしか、
今の自分にはできないのだと、打ちひしがれる。
◇◇◇
「ご……きげんよう、ご同輩!」
アカデミーの講義室に現れた、
エマ・ユリアスが軽く死相を浮かべている。
「エ……エマさん?」
ユウラが顔色を変えて、エマに走り寄る。
「どうなさったの? 大丈夫?
顔が紫色よ?」
ユウラが驚きに目を見開く。
「体調が悪いのではなくて?」
ユウラはエマとはそれこそ、
幼稚舎のころからの付き合いだが、
元気が取り柄の体力バカのエマが、
ここまで消耗するのは初めて見た。
「へ……平気よ? これぐらい……。
少しハードに運動しただけだから……」
エマが誰もいない壁に向かって話しかける。
「エマちゃん、一体誰とお話しているの???」
ナターシャの顔が恐怖に引きつる。
エマの首にもロザリオが光っている。
ルビーの周りにダイヤをあしらった、
ウォルフと同じロザリオだ。
ユウラの胸が、痛みに引き攣れた。
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