恋は盲目、あばたもえくぼ、惚れた欲目と屋烏の愛

苔桃

文字の大きさ
上 下
1 / 1

本編

しおりを挟む
 恋は盲目である。良くも悪くも人は愛するもののためなら何でも出来るもので、古今東西、愛によって何かを成し遂げたり、あるいは狂った人たちの話は山のようにある。
 さて、ある日私の先祖の一人がこう考えた。「めっちゃ強い妖怪に惚れ薬を飲ませて恋人になれば、自分たちの事を守ってくれるんじゃね?」と。昔から妖怪と人間の調停役として活動してきた私たちは、それ故に恨みを買いやすい。誘拐、襲撃エトセトラエトセトラ。そういったものから命とか家族を守るために、大妖怪の威を借りようという訳なのである。
 さて、時は流れて現代。妖怪だけではなく精霊や悪魔、幽霊などありとあらゆる人ならざるモノは増えてきたが、今でも調停役というお役目は続いており、私達一族の事を疎ましく思っているヤツらはいっぱいいる。だから、大妖怪の威を借りよう作戦も引き続き行われているのだが……。
「つばめ! おかえり!」
 玄関を開けると嬉しそうな顔をした黒髪のイケメンがこちらに駆け寄ってくる。私は嬉しい気持ちと罪悪感でごちゃ混ぜになりながら無理やり口角を上げて「ただいま」と返事をした。
「南天。毎回出迎えなくったっていいんだよ? 大変でしょ」
「何で? 俺早くつばめに会いたいから来てるだけだぜ」
 そう言ってニコリと笑う彼の顔に少しドキッとする。南天は私が惚れ薬を飲ませ続けている守護妖怪であり、かつてその手の一振りで山をも削ったと言われている化け狼の大妖怪だ。その実力は確かなもので、そこら辺にいる木っ端妖怪などは彼が近くにいるだけで逃げてしまう。
「なあ、つばめ。今日の訓練はどうだった? 虐められてないか?」
「虐めって、ないない。ちょっとは護符も使えるようになったけど、まだまだかな。」
「ふーん……別に俺が守るからそんなことしなくてもいいのに」
 そう言う彼に乾いた笑いが漏れる。そのまま廊下を歩きながら他愛もない話をしていたが、私の自室に着いたので、部屋の前で別れた。襖を閉めて、和室には似合わないベッドに倒れこむ。
「あー」
 好きだ。声にならない呟きが薄暗い部屋の中で消えていった。私は南天の事が好きだ。その声も顔も、いつでも危ない時は助けてくれる時とか、落ち込んでいたら静かに側にいてくれるところとか大好きだ。
「でもそれって全部惚れ薬のおかげなんだよなぁ……」
 南天の優しさは純粋なものではない。薬で捻じ曲げた気持ちを私が不当に受け取っているだけだ。それなのに南天が好きだなんて、我ながら反吐が出る。相手が妖怪だから法律に裁かれていないだけで、私達一族がやっていることは立派な犯罪行為である。
「でも好きなんだよなぁ」
 どうやら南天は好きな相手には尽くすタイプのようで、毎日こちらの事を気遣ってくれるし、好きだ好きだと伝えてくる。それがすごく嬉しくて、とても辛い。惚れ薬が無くても私の事を好きでいてくれるかな、なんてメルヘンチックな想像もしてみるが、正直自分が同じ立場だったとして薬で洗脳してこき使ってた相手に好意を持つなんてありえないので、その可能性は絶対にない。
 この恋を諦めるには思いが強すぎるし、かといって開き直って恋人になるには私の心は善良すぎた。
「つばめ、夕ご飯だぞ。それとも先に風呂に入るか?」
 部屋の外から南天が声をかけてきた。私は少し悩んでから先にお風呂に入ることを伝える。すると、彼は分かったと返事してから去っていった。その声があまりにも優しいものだからまた心が痛む。
 あーあ、誰か南天くらい力が強くて惚れ薬が無くても契約すればきちんと私を守ってくれる、そんな大妖怪か人間が居れば、南天を開放してこの恋を諦めることもできるかもしれないんだけどなぁ……。無理かなぁ……。


「初めましてぇ、愛野桃でーす。皆さんよろしくお願いしまぁす」
「グァー!?」
「ど、どうした柊つばめ! 急にヤバめのガチョウみたいな声を出して! しかも椅子からひっくり返って!」
 先生に失礼な事を言われたような気がするが、今はそれどころではない。
 修行から一夜明けて、人間に扮した南天と一緒に学校へと向かうと、なんとクラスメート達がざわついていた。どうやら私のクラスに季節外れの転校生が来るらしいとのことだ。急な見知らぬ顔に南天は嫌そうな顔をしていたが、朝のホームルームも始まる時間だったので、急いで彼を教室に向かうように言い、私自身も席に着く。私たちは別々の教室なのだ。
 この時は珍しいぐらいの気持ちでいた。が、自己紹介された今は驚きやら何やらでいっぱいだ。なんと、私のクラスに転校してきたこの女生徒、とてつもない力を秘めているのだ。小さいころから人ならざるモノと関わってきた私だから分かる。彼女は南天に匹敵するほどの強者だ。
 私が彼女を見つめていると、ウインクで返される。どうやら彼女も私が普通の人間とは違うことに気づいているようだ。周りの友人に心配されながらも席に戻る。
 これは、ひょっとするとひょっとするかもしれない。
「桃さん、ちょっと良いかな?」
 授業の合間の休み時間。他のクラスメートに囲まれている彼女に声をかける。すると彼女もにっこり笑って私についてきてくれた。
 屋上に続く階段。その踊り場で私と彼女は向き合う。ここなら人もいないし、話がしやすい。
「それで、話って何かしら?」
 長い髪をいじりながら妖艶に笑う彼女に、思わずドキッとしてしまう。一旦咳ばらいをして自分の気持ちを整えてから、私は至極真面目な顔をして彼女に話しかけた。
「単刀直入に言う。愛野桃さん、貴女サキュバスですね?」
 サキュバス、それは人間の精気を糧とする淫魔。外国で伝承されてきた魔の者なので詳しくは知らないが、人間をみだらに誘惑するとか、姦淫に誘い込むとかするらしい。
「そうよぉ、私はサキュバス。それが何か?」
「この地域には最近来たばかりですか?」
「ええ、丁度昨日ね。まだ一人もいただいてないからお腹ペコペコなのよ」
 怪しげな手つきでお腹をすりすりとさする。ぐ……私の恋愛対象は男性なのだが、やけにエロティックだ……。このままだと彼女に話の主導権を握られてしまいそうなので咳ばらいをして再び話を進める。
「私は柊つばめ。妖怪や精霊などの人ならざるモノと人間との間を取り持つ、調停役のようなことをしています」
「へぇ? こっちにもそういうの居るのね。でも、貴女ごときに私がどうにか――」
「あ、いえ。そう言う物騒な話では無く。人間に害を与える気がないのでしたら、一度こちらに立ち寄って『妖魔登録』をしていただきたいというだけでして」
「はい?」
「『妖魔登録』をすると、桃さんは必要に応じて生活支援を受け取ることが出来ます。またこちらから妖怪や魔の者にとっても安心できる仕事を斡旋することなどもできます。ただ、その代わり桃さんが人間に危害を加えた場合はそれ相応の罰を受けていただくことになります。それから」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った! そんな急にバーッて言われても分からないわよ!」
「あ、それもそうですね。では、桃さんは人間の言葉や文字が読めるようですし、こちらのパンフレットをお渡ししておきますね。何かわからないことがあったらお気軽にお聞きください」
 鞄から『よく分かる! 妖魔登録のしかた』と書かれたパンフレットを彼女に渡す。すると、何故か彼女はやけに疲れた顔になってそれを受け取った。
「もー、本当にビビったわ。初日から、しかも同級生とドンパチやるのかって覚悟してたんだから」
「それは……失礼いたしました? でも、桃さんかなりの実力者ですよね。私の事なんて簡単に倒せちゃうんじゃ」
「そりゃ、これでも三百年は生きてきたからね。腕に覚えはあるけど。でもそんなことしたら警戒が高まってご飯が食べにくくなっちゃうじゃない。それに、痛いことよりも気持ちいいことの方が好きだし」
「ち、ちなみにどのくらいのお強さなんですか……?」
「んー、腕力はそこそこだけど、魅了なら誰にも負けない自信があるわよ。人間だろうが動物だろうが植物だろうが、本気を出せば皆私に跪く。試してみる?」
「い、いいえ、結構です!」
 なるほど、どうやら暴力で解決するタイプではなく搦め手で解決するタイプのようだ。とはいえ、そこら辺の有象無象に比べたら十分強い方だろう。そうじゃなければ三百年も生きられない。
 パンフレットを興味深そうにパラパラとめくる彼女に、一回息を整えてから覚悟を決めて口を開く。
「……あの、今から言うことは調停役や柊家としての言葉ではありません。私個人のお願いです」
「あら、何かしら。内容と報酬次第じゃ考えてあげてもいいわよ」
「それは――」
「――俺じゃ出来ないお願いなのか? つばめ」
 突然割り込んだ声に肩がビクリと跳ねる。声のした方を見ると、階段の下から南天がじっとこちらを見ていた。
「誰?」
 桃さんが不機嫌そうにそう聞いてきたので、私は南天を紹介しようとする。が、その前にいつの間にか彼が階段を上がってきたようで、私の肩に手を置きながら彼自身で自己紹介をし始めた。
「俺は南天。つばめの恋人兼ボディーガードだな。駄目だろー、つばめ。こういうやつらと話すときは俺を呼ばなきゃ。護衛の意味がないじゃないか」
「ああ、その、ごめん。早く話した方がいいと思って」
「まーつばめは強いし、コイツも人間に危害を加えるタイプじゃなさそうだし、気持ちは分かるけどな。でも万が一ってこともあるんだし、今度からは忘れないでくれよな」
 そう言って笑みを浮かべながら話す彼にどこかホッとする。先ほど私たちに声をかけてきた時はどこか冷たい鉄のような声だったから、てっきり怒っているのかと思ったのだ。
「貴女も大変ねぇ。こんなデリカシーのない男が護衛だなんて」
 その言葉に南天の眉がピクリと動く。桃さんの顔にはどこか挑発的な表情が浮かんでいた。
「ええと、愛野だっけ? 初対面だけど厳しいな」
「だってそうでしょ? 女の子同士の会話に割って入るなんて。どんな話でも紳士なら終わりを待ってから口を開かなきゃ」
「普通なら俺もそうしたさ。だが、お願いにかこつけて悪魔に変なことを唆されても困るしな」
「はぁ?」
 お互い笑顔だがその目は笑ってない。急にギスギスとし始めた二人の間で、冷や汗をかきながらこの空気を何とかしようと思考を巡らせていた。が、何もいいアイデアが思いつかない。
「人の皮を被っていても田舎の獣は礼儀を知らないようね」
「阿婆擦れに使うような礼儀は生憎持ち合わせていないんだ」
 どんどん激化していく二人。何だか空気も薄くなってきた気がする。流石に不味いと無理やり間に入ろうとしたところで、休み時間終了の鐘が鳴った。
「あ、あー! ほら二人とも、授業に遅れちゃうからそのくらいにして! ね?」
 これ幸いと口を挟むと、二人は渋々といったように矛を収めてくれた。ホッとしているのもつかの間、南天に手を繋がれて連れていかれる。少しドキッとしたが、そんな空気じゃないだろうと頭を振って気持ちを追い出す。
「も、桃さん! また教室で!」
 そう言うと、彼女は少し驚いたような顔をしてから笑顔で手を振ってくれた。それは先ほどのものと違い威圧感もなく柔らかい笑顔だった。
 しばらく南天に引っ張られて歩く。が、急に彼が立ち止まってこちらを向き、不機嫌そうな顔のまま私を抱きしめた。
「俺アイツ嫌い」
 ポツリと彼が言った言葉に、桃さんと南天には悪いが少し笑ってしまった。長い年月を生きてきた大妖怪のはずの南天が、まるで小学生のようなことを言ってきたからだ。
「何で笑うんだよつばめー」
「ふふ、ごめんごめん。南天にしては珍しいなと思って。ほら、そろそろ行かないと本当に遅れちゃうよ」
「んー……。なあ、お願いって何だったんだ? 俺じゃダメなのかよ」
「彼女に似合う洋服でも見繕ってもらおうと思ったんだよ。彼女、その、モテるタイプみたいだから」
「そんなの俺が」
「たまには同性の子の意見も聞きたいんだよ。勿論、南天と一緒にお買い物するのも楽しいけどさ」
 流石に本来の目的――南天に変わって護衛になってもらうこと――を話すわけにはいかないので、適当な嘘をついて誤魔化す。納得してくれるかどうか微妙な所だったが、追及されなかったので多分大丈夫だろう。
「南天、行かなきゃ」
「……………………分かった」
 本当に嫌々ながらといった感じで南天が離れていく。顔はムスッとしていて拗ねているようだ。
「あー、今日の夕飯は南天の好きな鶏の天ぷらにしてもらおうか。アイスも食べて良いよ」
「高いやつ?」
「高いやつ」
「分かった。……つばめ、放課後はちゃんと教室で待ってろよ」
 南天の機嫌はいくらか治ったようで、笑顔とまではいかないものの、先ほどまでよりも和やかな雰囲気で別れることが出来た。
 南天には悪いが桃さんには手続きをしたり、私のお願いを聞いてもらったりしなければいけないので、今日の放課後私の家に来てもらう予定だ。彼女の存在は私にとって、そして南天にとってもまたとないチャンス。これを逃すわけにはいかないのだ。
 これからの事を考えてひそかに気合を入れる。その私の背中を南天はずっと見つめていた。


 「つばめの家って大きいのねぇ」
「まあ色々とお客さんが来ますからね」
 学校の授業が終わって、桃さんには私の家に来て手続きをしてもらうことにした。下校中は地獄だった……。南天を宥めすかして一緒に帰る事には成功したが、南天は私の手を握って無言でスマホをいじっているし、桃さんは桃さんで南天をいないものとして振舞っているし。まだ会って一日もしていないはずなのに、どうしてこんなに二人の――厳密には人ではないが――関係は拗れてしまっているのか。家につくまでに寿命が五年は縮んだ気がする。
 とはいえ道中力の強い二人がいてくれたおかげか、襲われることも無く無事に家にたどり着くことが出来た。『妖魔登録』の手続きのために桃さんを客間に通して、お茶とお茶菓子を持って行く。
「見た目が武家屋敷みたいだからてっきり座布団に座って緑茶にドラヤキが出されるのかと思ったわ」
「今は色々な文化の方が来ますからね。母屋の方だけリフォームして洋室にいくつか変えたんです。私たちが暮らしてる離れの方は多分桃さんの想像している通りだと思いますよ」
「へー。ところであのク……南天? って奴は同席しないのね」
「ええ。彼は大妖怪なので中には委縮してしまって手続きが出来なくなってしまう方もいるんです。そのため、彼には常に部屋の前で待機していただいています。それで、登録についてなのですが――」
 必要な書類をテーブルの上に出して彼女にあれやこれやと説明をする。妖魔登録は言ってしまえばウチの家と妖魔たちの契約だ。と言ってもそんなに重いものではなくて、『人間に危害を加えないこと』と『妖魔の存在を明らかにしないこと』を言霊で誓ってもらうだけの軽い契約である。人間的に言えば店のポイントカードを作る感覚に近い。
 桃さんにも誓ってもらい、無事に妖魔登録が済んだところで彼女がふと気になったようでこんなことを聞いてきた。
「ねえ、あの南天もこの契約をしているの?」
「いえ、彼はもっと深い契約を私個人としています。……実は今日の昼に話したお願いはそのことなんです」
 私は一旦書類を脇に置いてから、背筋を伸ばし桃さんをまっすぐ見つめた。私の真剣な雰囲気に彼女も当てられたのか、真面目な顔をしている。
「桃さん、貴女が良ければ私の護衛になりませんか?」
「……まずは理由を先に聞こうかしら」
「南天が私の護衛をしているのは彼の意思ではありません。私は彼を解放したい。ですが、私は人からも人ならざるモノからも狙われる立場にあります。私が調停役という立場である以上、私個人の意思だけで家を危険にさらすような行為は出来ません。もし考えなしに南天を解放した場合、私はあっという間に襲われて死に、人間社会は悪意ある妖魔たちによって滅茶苦茶になってしまいます。それは流石に看過できません」
 私は一口紅茶を飲んでから、続きを話し始めた。
「南天を解放するには彼の代わりとなるような強大な力をもつ人間、もしくは妖魔を護衛にしなければなりません。とは言え、彼ほどの力を持つ者などそうそう居るはずがない。そう思っていたのですが」
「私が転入生として丁度良く現れたってわけね」
「その通りです。……随分身勝手なお願いであることは分かっています。でも、私はこのチャンスを逃したくない。それに桃さんにも護衛となることでいくらかの利点があります。そう悪い話ではないはずです」
「その利点って具体的には?」
「まず桃さんの生活を全面的にサポートします。食費や学費などはこちらで支払いますし、住居に関しましてもできればこの家に住んで欲しいのですが、アパートなどに住みたい場合は家賃の半分をこちらで持ちます。私の護衛という役職上、一日の大半を私と行動することになってもらいますが、休日などの個人的な時間はあります。とりあえず今思いつくのはこのくらいですかね」
「私の食料って人間なんだけど。それも融通してくれるの?」
「はい。といっても合法の範囲内での支援になりますので、そう言った方々にお金を払って相手をしていただくという形になるかと思います」
「ふーん……。まあ悪くはなさそうね」
 彼女の反応に手ごたえを感じ心の中でガッツポーズをする。だが、ここで焦って答えを急かすような真似をしていけない。私はあくまで冷静さを保ちながら彼女と話す。
「今決断してほしいと言われても困るでしょうし、考える時間も欲しいでしょう。一週間後にまたお気持ちを聞きますから、それまでに」
「――いえ、その話受けるわ」
 予想していなかった言葉に驚き、思わず桃さんの顔をまじまじと見つめてしまう。すると彼女は愉快そうに笑みを浮かべた。
「あら、どうしたのそんなに驚いちゃって。貴女がお願いしたんじゃない」
「い、いえ、まさか今日返事をいただけるとは思っていなかったので」
「何事も早い方がいいでしょ? それで、いつ契約の儀式を行うの? 準備とかもあるでしょ」
「そうですね。時間をかけすぎて両親に――まあ家に殆どいないので可能性は低いですが――バレたら反対されるでしょうし、かといって直ぐにできるものでもないので……。二週間後には出来るように整えておきます」
「そう。その間私に何かすることはある?」
「いえ、特に何も。ただこのことは他言無用でお願いします。私の独断でしているので」
「彼にも?」
「南天にも、です。……桃さんから見れば私と南天は仲の良い恋人に見えるかもしれません。しかし、それは私が彼に好きだと思わせているからなのです。正気にもどれば多分、憎まれるでしょうね。もしかしたら桃さんの最初の仕事は南天を鎮めることになるかも」
「……ま、何にしろ二週間の間私は暇ってことね。じゃあその間は契約の内容でも考えていようかしら」
「ええ、一週間過ぎた頃に準備の進捗について共有します。桃さん、何度も言いますがどうかこのことはご内密に」
「分かってるわ。それと、私達契約する仲でしょ? 敬語は要らないわ」
「わかり、わ、分かった。桃さん」
「さんもいらない」
「え、えっと……じゃあ、桃ちゃん」
 少し照れながらそう言うと彼女は満足したように微笑んだ。何だか、友達が出来たみたいで嬉しい。
「じゃあ、あんまり長引くとアイツに怪しまれるでしょうし、そろそろ私はお暇するわ。あ、スマホの電話番号聞いてもいいかしら」
「あ、ごめんなさい。私ケータイは持って無いの。家電しかなくて」
「そうなの。不便じゃない?」
「南天がスマホ持ってるから、大抵の連絡は彼を通して知らせてもらってるの。本当は持とうと思ってたんだけど、何故かケータイを買おうと思ってた日に限って仕事が入ってきてて、それからズルズルと買わないで来ちゃったんだよね。私がスマホ持とうとすると何故か南天が不機嫌になるし、もういいかなって」
「……へぇ」
 私が理由を話すと桃ちゃんは口の端をヒクつかせていた。それからぶつぶつと何か言っていたが、しばらくすると私の肩に両手を置いて、どこか決意の固まったような表情でこう言った。
「つばめ……私が守ってあげるからね」
 何故か熱意のこもったその言葉に私は戸惑いながらも頷いた。私としては有難いばかりだが……一体何が彼女のスイッチを押したのか、結局その日が終わっても分からないままだった。


 学生と調停役という二足の草鞋を履いていた私はそれはそれはもう多忙な毎日だった。そこに、おおがかりな契約儀式の準備も入って来たのだから、もはや忙しいというレベルではない。坂を転がり落ちるかの如く時間が過ぎていき、気づいた時にはあっという間に一週間がたっていた。
 とはいえ、今のところ私と桃ちゃん以外にこの計画がバレた様子もなく、儀式の準備も順調に進んでいる。このままいけば、一週間後には問題なく儀式を遂行できるはずだ。
 そう、問題さえなければ……
「どこに行くんだ? つばめ」
「どこって、トイレだよ」
「そうか。外に行く時は一言くれよ?」
 桃ちゃんと話したあの日以来、妙に南天が過保護になっているのである。前まではここまでじゃなかったはずなのに、学校でも家でも逐一私の行動を見張るようになったのである。一度理由を聞いてみたのだが、「逆に何でだと思う?」とちょっと怖い笑顔で言われてから聞けなくなってしまった。
 一応桃ちゃんには授業中に手紙を回したり、南天が迎えに来る前に話したりで現状について伝えられてはいるが、やりにくいのは確かだ。出来ればそれとなく離れるように言いたいところだが、なんかいつも機嫌悪いんだよなぁ、南天。もしかしてあれか、最近私が忙しくて愛しの恋人(笑)が構ってくれないから拗ねちゃったとかか? ……今の考え方完全にナルシストか自惚れてる人の思考だな。
 よし、もう一回勇気を出して聞いてみよう。トイレからリビングに戻ると既に南天は居なかった。多分自室にいるだろうと思い、彼の部屋がある離れへと向かう。
 薄茶色の木の板を夕暮れが赤く染めている。そういえば、昔は歩くたびにギシギシと音のなるこの家が怖かったなぁと取り留めもないことを思いだしていた。特に離れへと通じる廊下は夜に出歩くと蛍光灯の無機質な灯りが庭の暗闇を濃くしていて、そこに恐ろしい何かがいるような気がしてならなくて……南天に手を繋いでもらわないと歩くこともままならなかった。
 彼の部屋の前に着いて、ノックの代わりに声をかける。すると、南天が障子を開けた。
「どうしたの、つばめ」
「そのー、えーっと」
 さて、部屋まで来たはいいもののどう話を切り出したものか。しばらく言い淀んでいると、南天にとりあえず部屋に入ることを勧められたのでそれに従う。
 南天は新しい物好きで、実はけっこうハイテクなものが好きだ。だから部屋には大きいパソコンとか、カメラとかがある。どうやら私が来るまでにも何か作業をしていたようで、学習机の上には見たことない機械でいっぱいだった。
「それで、何の用?」
 障子を閉め、お互いに座布団に座ると南天が不思議そうに聞いてくる。私はとうとう腹をくくって、彼にどうして最近過保護なのか、出来ればもう少し放っておいて欲しいことを伝えることにした。
「いや、最近南天って私に対して過保護なんじゃないかと思って」
「そう? 護衛なんだし当然でしょ」
「や、でも、それにしては前よりも私の行き先とかを聞いてくることが多く、なったんじゃないかなーって、思うんです、けど……」
 な、何だこのプレッシャーは……。南天から無言だけど抗議の意を感じる。しかも表情はいつものような笑顔だから余計に怖い。南天は叱ることはあっても滅多に怒らない。基本的におおらかで心が広いから。でも、怒る時はとても怖い。淡々と理詰めでこちらがいかに悪いことをしたのかを理解させて反省を促してくる。今回は、南天が怒っているように感じるのだ。
「……例えば、さぁ」
「は、はい」
 南天が喋り始める。私は別に悪くないのに、彼の顔を見ることが出来なくてひたすら畳を見ながら返事した。
「それまで飼っていた犬とか猫を『でも本当は野性で暮らしたいのかもしれない』とか言って捨てるヤツの事を、つばめはどう思う?」
「そ、それは……駄目だと思います。人の勝手で飼ったのにまた人の勝手で捨てるなんて……。あ、あと法律違反です……」
「うんうん。そうだよな。ってか、つばめ何で敬語なんだよ。いつもみたいにタメ口で話せばいいだろー?」
 そう言って南天がハハハと笑う。だが、私には笑ってるように思えなくて、じっと口を閉じたまま黙っていた。
「で、えー……そうそう、ペットの話! つばめはペットを捨てるのは駄目ってことちゃんと理解してるんだよな」
「は、い」
「つばめはちゃんと善悪の区別がついていて偉い! ちゃんと調停役として法律の勉強もしているし」
「あ、ありがとうございま」
「――で、悪いことだって分かってるのに俺の事捨てるんだな」
 喉が絞まる。いや、実際には何もされていない。ただ、私の呼吸が勝手に浅くなって、息苦しくなったから、そう勘違いしただけだった。冷や汗が止まらない。かひゅー、かひゅー、とどこかで隙間風が吹いている。
「悲しいよ、つばめ。俺はつばめの事、こんなに好きなのに」
「ごめ、なさ」
 指先の感覚が無くなってくる。南天の問いかけに答えなきゃと気が急いて、でも何も答えられなくて。ここに来る前までは色々なことを考えていたはずなのに頭の中が真っ白になってしまってどうすることもできない。
 衣擦れの音がする。南天が立って私の横に座った。けれどそちらを見る事は出来ない。
「つばめ、こっちを向いて」
 声がする、けど顔が動かない。怖い。私の顔に手が添えられる。無理やり顔の向きを変えさせられた。
「つばめ」
「あ、う」
 目と目があう。彼の黒瑪瑙のような真っ黒の瞳が私を見ている。その瞬間、怖いだとか罪悪感だとか申し訳なさだとかが内からあふれ出して、私の目から涙となってこぼれ出ていった。
「え!」
 南天が慌てたように声をあげる。対して私は自分が情けなくて涙を止めるのに必死だった。だってそうだろう。薬を飲ませて無理やり守護妖怪にしているのも、彼の気持ちを考えないで勝手に契約を解消しようとしてるのも、身勝手な恋心を抱いているのも全て私が悪いのだ。なのにこうやって被害者面して涙を流すなんてあつかましいにもほどがある。けれど頑張って頑張って涙を止めようとしても止められなくて、それがまた情けなく感じて。
「ごめん、ごめんなつばめ。俺ちょっとやりすぎたな」
 そういって南天がぎゅっと私を抱きしめてくるが、恋のドキドキよりも申し訳なさでいっぱいでまた涙があふれ出す。あっという間に彼の白いワイシャツに大きなシミが広がっていった。
「ごめん。ごめんなぁ」
 心底申し訳なさそうな南天の声、それから背中を優しくさすられる。人肌よりも少し温かい体温と抱きしめられている安心感にようやく頭がまともに働きだした。
 桃ちゃんには悪いがもう全部言おう。私が南天に惚れ薬を飲ませていることも、守護妖怪を止めてもらおうと思っていたことも、この気持ちも全部。正しいのか正しくないのか分からないけど、少なくともそれが私にできる南天への最大の誠実さだと思う。
「あ、あの、ね」
 声はガラッガラだし、鼻水啜りながらだし、顔面はぐちゃぐちゃだしでまったくもって酷い。それでもこの機を逃すと永遠に言えなくなってしまいそうなので勇気を振り絞る。
「わだじ、なんでんに、ひどいごとじででぇ、だめなのに、なんでんのごと、すぎになっぢゃっでぇ、げほっえほっ」
「ああ、つばめ無理するな。一回鼻水だそうな」
 しゃくりあげながら話していたから途中でむせてしまった。南天にティッシュを貰って一旦鼻水と涙を拭く。それから呼吸を整えて、私は私の秘密を全て彼に話した。
 惚れ薬の事、桃ちゃんとの計画、南天への気持ち。はっきり言って気持ちのままに話したから大分要領の得ない話し方になってしまった。それでも南天は優しく頷きながら最後まで私の話を聞いていてくれた。
「つまり、今俺がつばめを好きって気持ちは惚れ薬の者で本当の気持ちじゃない。でも、つばめは俺の事を好きになっちゃって苦しいし、俺に対する罪悪感もあるから、同じくらい力を持ってる愛野を代わりに護衛にして俺を解放するつもりだった、と」
「そう。南天の事は契約解消しても生活の支援をするつもりだった。……南天には自由になってほしかったし、何より私が南天を洗脳して偽物の気持ちを植え付けてることに耐えられなかったの」
「洗脳って……。俺はつばめのこと大好きなんだけど、これがその、惚れ薬の効果だって?」
 私は静かに頷く。すると南天は難しい顔をしてうんうんと唸った。それもそうだ。今まで抱いてきたあなたの気持ちは偽物なんです、と突然言われたって戸惑うばかりだろう。私だって同じように南天が好きな気持ちは偽物なんだよなんて言われたら三日間くらい思考停止してしまうかもしれない。
「成程……。つばめが何を思ってどうするつもりだったのかはとりあえず分かった。その上で俺の今の気持ちを言わせてもらうな」
「うん」
「俺は今でもつばめが好きだ。愛してる。この気持ちは薬で作られたものかもしれない。でも今の俺にはこの気持ちはどうしても偽物だと思えないんだ」
 真剣な顔をして南天が話を続ける。私はもう目を背けず、彼の目をしっかりと見て話を聞いていた。
「今の俺にとってはつばめを好きなこの気持ちが真実なんだ。だからつばめの護衛は降りたくないし、恋人として側にいたい。でも、つばめはそれが辛いんだよな」
「……うん」
「じゃあさ、さっき今も定期的に惚れ薬を飲ませてるって言ってたけど、一旦それを止めにしないか? 俺に薬の効果が無くなって、何の影響もなくなった時にどう思うか。そうなってから色々考えても、遅くはないんじゃないか?」
「で、でも、もし薬の効果が切れた時に南天が私の事すっごく憎んでて、契約の穴をついて殺されちゃったりしたら、不味いから……あ、身勝手でごめんなさい」
「謝るなって。それにつばめの存在がいかに大事かってのは俺も良く分かってるよ。じゃあ、そうだな。これを俺の首に付けるって言うのはどうだ」
 そう言って南天が押し入れから取り出したのは何やら質の良い黒い革の首輪だった。
「これは俺が持ってる呪具の一つで、『犬真似』という。これを首につけた相手とつけられた相手の間には絶対的な主従関係が生じるんだ。と言っても俺なんかは妖力が強いから一時間もあればこの首輪の制限を解くことが出来る」
「えっと、つまり?」
「もし俺がつばめを殺しそうになっても一時間は時間を稼げるってことだ。その間に増援を頼んでもいいし、逃げてもいい。な、これなら問題ないだろ?」
 頼むよ。そう言って期待するような目で私を見てくる。確かに南天の提案は私が考えていた問題点を殆どクリアしている。それに例え薬のせいとは言え、今の南天には私がこの世で一等愛しい人だと感じているのだ。そんな彼を私の側から追い出すのは確かに酷なことかもしれない。
「……分かった。南天の案で行こう」
「やった!」
「もし少しでも今の生活が嫌になったり、私の事が憎くなったらすぐに言ってね。契約破棄もちゃんとするし、人間社会に残りたいなら支援は惜しまないから」
「ああ。じゃ、これ付けてくれよつばめ」
 『犬真似』を渡されて、南天が付けやすいように首を差し出してくる。……すごい今更なのだが、イケナイことをしている妙な気分になって、変なことを考えそうになる前にパパっと彼の首にそれを付けた。
「出来たよ、南天」
「ん、おおー!」
 自分の行動を縛る物だというのに、南天は何故か嬉しそうに姿見を見ていた。首輪をさすっては楽しそうに笑う。よく分からないが、南天が嬉しそうなのは良いことだ。
「あ! つばめ、今日の夕飯カレーみたいだぜ」
 ふと、南天がそんな事を言うので時計を見てみれば十八時になっていた。色々と、本当に色々とあったので体感時間としては五、六時間は経ってるつもりだったが、私が南天の部屋に来た時が確か四時半だったので、時間にして一時間半程度しか経っていないことになる。
「つばめもお腹すいたよな。一緒に行こうぜ」
 そう言って差し出された手を握る。すると力強く引っ張られ、その勢いのまま私は思わず南天の胸に飛び込んでしまった。
「おっと、悪いな」
 そう言って笑う彼の事を見て、私は心底安心した。
 そうだ。私は何より彼のその、太陽のような笑顔が好きなのだ。随分と久しぶりに彼のこの笑顔を見た気がする。
「南天」
「ん?」
「私あなたの笑顔が好き」
 思いのままに伝えると、南天は驚いたように目を見開いて、それから頬を少し赤く染めてから笑った。


 テキトーな音階とテキトーなリズムの鼻歌を歌う。良く言えば即興曲、悪く言えばデタラメなそれは今の俺の機嫌の良さを如実に表していた。
「やってくれたわねクソロリコン野郎……」
 背後からかけられた声に振り替えると、そこには少し前に転校してきたばかりの淫魔、愛野桃がこちらを睨みつけ立っていた。ちょっと前までの俺ならすぐに無視して立ち去っていたところだが、今の俺は例えガソリンをぶっかけられて火をつけられても笑顔で許せそうなほど寛大になっていた。なので、ソイツの戯言も聞いてやることにした。
「初めに会った時からいけ好かない野郎だとは思ってたけど、まさかここまでとはね。つばめは無事なんでしょうね」
「ああ、ちょっと調子が悪いだけだよ。別に深刻な風邪とかじゃない。多分明日には学校に来ると思うよ」
 つばめは昨日色々あったからか、朝起きるとちょっとした頭痛と微熱を患っていた。俺も気がたっていたとはいえ、つばめを泣かせるほど追い詰めてしまったのは反省だ。本当なら看病するために俺も学校を休もうとしたのだが、つばめに大丈夫だからと学校に行くように言われてしまったのだ。ああ……今頃心細い思いをしていないだろうか。こういう時、携帯電話があれば逐一連絡してやれるのだが。でもつばめに持たせると変な虫がつきそうだしなぁ……。
「アンタが元凶のくせしていけしゃあしゃあと! あんな真面目で純真な子騙して恥ずかしいと思わないわけ?」
「騙すって、はは。何のことだよ」
「惚れ薬なんて最初っから効いてないんでしょ。私の嗅覚なめないでもらえる?」
「まあ気づいているだろうなとは思っていたが、流石は淫魔だな。色恋沙汰に関しては得意分野か」
 つばめの持っている惚れ薬、あれ自体の効能は本物だ。飲んで初めに見た相手と愛し合いたくてしょうがなくなる。ただし、自分と同じかそれ以下の力の妖魔にしか効き目はない。つまり、自身の実力以上の妖魔に使ってもただの変な味のする水になるだけだ。
「多分、始めにあの薬を作った初代は相当な実力者だったんだろうな。だから、護衛が務まるほどの力を持った大妖怪にも効き目があったんだろうが……後世に伝わっていくうちに重要な部分が抜け落ちちまって、惚れ薬の作り方だけ受け継がれるようになったってところか」
「そういうの、どうでもいいから。私が許せないのはアンタがつばめの気持ちを知りながら弄んでたってところよ」
「弄ぶって、人聞き悪いな」
「事実でしょ? アンタを好きな気持ちと罪悪感でつばめは苦しんでいた。あの子がアンタの事を話す時の諦めと悲しみに満ちた匂い、獣には分からないでしょうね」
「おいおい。これでも俺だって反省してるんだぜ」
 反省、その言葉に愛野は顔をしかめる。まるで汚らしいものを見るかのようなそれに、俺は少し愉快な気持ちになった。
「反省? 随分と殊勝な言葉を使うようになったのね、獣風情が」
「いや、何を勘違いしているのか知らないけどさ、俺だってつばめを虐めたり悲しませたいわけじゃないんだよ」
 俺が何故惚れ薬が効かないことを黙っていたのか。そんなの簡単な理由だ。つばめの事が好きだからだ。俺は彼女が俺の事を知る前から好きだったし、何なら彼女の守護妖怪を探していたつばめの両親に自分の事を売り込んだ。初めは護衛という立場を通して俺の事を段々惚れさせていくつもりだったが、柊家の惚れ薬を使うやり方を知って急遽作戦を変更したのだ。薬が効いていることにすれば時期を待たずとも堂々とつばめと恋人になれるし、イチャイチャできる! そして嬉しい誤算だったのは、燕が早い段階で俺に惚れてくれて、俺の事で悩んでくれるようになったことだ。俺が好きだと言えば、つばめが少し悲しそうな顔をして私もと答える。彼女の部屋に盗聴器を仕込んで聞けば、彼女が俺の事で悩んでいる。最高だった、つばめがずっと俺の事を考えてくれているなんて、まさに天にも昇りそうな気分だった。小学三年生の時に無邪気に俺と結婚しようって言ってくれた時も、六年生の時に恥ずかしそうに手を繋ごうって言ってくれた時も、中学三年生の時にほっぺにキスをしてくれた時も今のクラスメイトに俺の事を恋人と紹介してくれた時もマジで最高だった。が、やっぱりその喜び以上に、そうした恋人らしい行為の裏でつばめが俺に対して罪悪感を抱いていて、けれど俺の事が好きだからこの関係を止められないという彼女の心情を考えると、なんとも言えないほの暗い快感が俺の背筋を伝って、脳髄がしびれるような甘美を与えてくれるのだ。
 けれど、俺はつばめの好意に甘えていて、真面目な彼女がどれほど苦しく傷ついていたのかを知らなかった。いや、むしろその傷がつく様を見て喜んでいたのだから、正確に言えば傷つけるだけ傷つくのを見て後は放っておくという我ながら最低な行いをしていたのだ。愚かにも俺は、あの日彼女が泣きながら全てを明かした時に、ようやく自分のしでかした過ちに気づいた。確かに俺は彼女に表面上では好きだ好きだと言っていた。だが、それはただの俺の自己満足で彼女のことなどちっとも考えてなどいなかったのだ。
「つばめについた傷はそう簡単には癒せない。だからこれから俺は償いの意味も込めて、つばめをこれまで以上に愛することを決めた」
「キショイ」
「勿論、これまで見たいな一方的な愛じゃなくてつばめの事をちゃんと思いやる愛だ。つばめが俺の愛を疑いなく受け止められるようになるまでな」
「キモすぎる。もう喋るな」
「あ、勿論つばめの傷が治ったって俺は愛することを止めないぜ」
「頼むから死んでくれ!」
 愛野がおげぇと吐く真似をする。ただ俺はつばめへの愛を語っていただけなのに、急に奇行を始める愛野に俺はちょっと引いた。
 しばらく俺と愛野の間に静寂が流れた。これ以上向こうに話すことが無いのであれば俺も用は無い。踵を返して立ち去ろうとすると、ポツリと愛野が言葉をこぼした。
「つばめが貴方を好きな気持ちは本物だわ」
 思わぬ嬉しい言葉に彼女の方を向く。すると愛野の顔はそれまでとは違って静かに、けれど確かに怒りを表していた。
「だから貴方のことは殺さない。つばめが悲しむから。けど、もし貴方がつばめの悲しむようなことをしてみなさい。ううん、思うだけでもいいわ。貴方の体はどこぞの山の養分に成り果てるでしょうね」
「はは、ご忠告どうもー」
 笑みを浮かべながら彼女のもとを去る。何だ、意外と面白い冗談が言えるじゃないか。俺が? つばめを? 悲しませる? はは、ナイスジョークナイスジョーク。俺の一挙手一投足は全てつばめのためにしか動かないのに、どうして悲しませることがあるのだろう。
 ふと、廊下の窓ガラスに目を向けると、白いシャツから少しだけ黒い首輪が見える。俺はそれを見て自然と口角が上がってしまった。つばめには騙して悪いがこれは呪具などではない。ただの革製の首輪だ。いつかつけて欲しいなぁと思って物置に大事にしまっていたが、毎日無駄に手入れをしていた甲斐があったというものだ。
 うっとりとしていると、ポケットに入れたスマホが揺れる。慌てて取り出すと画面にはつばめからの着信を知らせていた。
「もしもし」
『あ、もしもし。南天?』
 タップして耳にあてれば、鈴を転がしたようなつばめの可憐な声が体に染み渡る。
『急に電話してごめんね。休み時間中だから大丈夫かなって思ったんだけど……』
「勿論、大丈夫だよ。なんなら授業中でもいつでもかけてきてもいいんだぜ」
『ふふ、南天たら』
 機械の向こうで彼女が笑う。別に冗談じゃないんだけどなぁと思っていると、つばめが少し咳をした。
「大丈夫か、つばめ」
『大丈夫。ちょっと唾が変な所に入っただけ。それより、今日の帰り牛乳買ってきてくれない? 紅茶をミルクティーにして飲もうと思ったらもう無くて』
「分かった。他に買うものは?」
『んー、特にないかな。熱も下がったし、頭痛いのも治ったし。午後からでも学校行きますって言えば良かったかな』
「無理は禁物だぜ。とりあえず今日は大事をとって休んでおけよ。必要なプリントとか授業のノートとかは俺が持って行くからさ」
『ありがとう南天。あ、もうすぐ授業だよね。南天も頑張って』
「ああ。つばめも、無理するなよ」
『うん』
 チャイムが鳴って、休み時間の終了を知らせる。教室に戻って次の授業の支度をしなければいけないが、これだけは言わなければ。
「じゃあまたな、つばめ。――愛してる」
 そう言うとつばめの息を呑む音がかすかに聞こえた。きっと今頃受話器を持って顔を真っ赤にしている頃だろう。可愛らしいつばめの姿を妄想していると、スマホから焦ったようなつばめの声がした。
『わ、私も! ……好きだよ、南天』
 そう聞こえた直後にツーツーと通話が切れた音が流れる。突然落とされた思わぬ爆弾に、俺はその場でしゃがみこんで顔を片手で隠した。
「良い……」
 顔がニヤケ面から治らないし、しばらくの間は余韻に浸っていたいから他の誰の声も耳に入れたくない。
 つばめは授業に遅れないようにって通話を切ってくれたけど、しばらく教室には帰れないみたいだ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

処理中です...