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第八章 終章
最終話 秋の空
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楓と小野瀬は神保町の喫茶店にいた。ある男に呼び出されたのだ。
出版社が近いこともあり、隣の席では作家と担当編集が打合せをしていた。
待ち合わせ時間に少し遅れ、スーツ姿の男が入ってきて目の前に座った。
「いやあ。お待たせしてしまいました。それによく考えたら今日は土曜でしたね。お休みのところ申し訳ないです。どうも曜日の感覚に疎くて」
爬虫類に似た目をした、可能であればもう会いたくなかった男、週刊ファクトの森月晋太郎だ。
「お二人に来ていただいたのは他でもない、先日の事件についてです」
「事件については、私たちは何も話せませんよ」
一連の事件について奏明社から依頼があり、小野瀬に協力してもらいながら再び短期集中連載をさせてもらえることになっていた。
「いえ、違うんですよ。お二人から話を訊きたいわけじゃない。ある動画を見てもらいたいんです」
「動画? 何のですか」
「強盗殺人事件で殺された黒田茜さん。旧姓、古屋茜さんが映されたものです」
「茜さんの? どうして私たちに」
「あの事件では報道規制で被害者の写真は出てませんでした。黒田社長や茜さんの名前もすぐに出なくなりましたからね。茜さんはSNSもやってなかったので、ネットでさえあまり写真が出なかったんです。それで、あるツテから生前の動画を入手しました」
勿体ぶりながら、森月はスマホの画面を見せてきた。どこかのホームパーティーの動画のようで、中央のキッチンに女性が映っていた。『茜―!』という黒田らしき男性の声に、女性が手を上げた。顔がズームになる。
「これって……」
「これが、黒田茜さん……?」
「似てるでしょう? あなたに」
画面の中で笑顔を浮かべている茜、その顔は楓と似通っていた。完璧にというわけではないし、髪型も違うが、目鼻立ちのラインや背格好も、自分でも驚くほど似ていた。『結婚おめでとうー! 主役なのに、料理してていいの?』という女性の声がした。『いいの。私は料理が大好きだから』と茜が答えた。
「顔や背格好も似てる気がしますが、特に声が月島さんとそっくりですね。動画なんであまり鮮明ではないですが」
小野瀬が思わず呟いた。インタビューの文字起こしなどで自分の声を聴くことはあるが、自分ではどうしても判別がつかない。けれど、小野瀬がここまで驚くということは、似ているのだろう。
「そうなんです。私もそう感じまして」
「でも、なぜ森月さんがそれをわざわざ私たちに教えてくれたんですか」
「理由はありませんよ。私は調査をして情報を得て相手に渡すことが仕事ですから。情報を渡した後は、受け取った人間がどう考えようと私には関係ありませんからね。ご自由に」
森月は伝票を奪うように取り、レジへと向かっていった。
小野瀬と二人で喫茶店に取り残された。
「そうか、だから」
「え? 何がですか」
「あの時、月島さんの姿を見て、古屋さんたちは思いとどまったように見えていたんです。なんでかが判りました、月島さんの声を聞いて思わず手が止まったんです」
「私の声で……ですか」
「そうです。あの時、古屋さんは黒田さんを確実に殺すつもりだったと思います。誰かが向かってくることにも気付いていたでしょう。むしろ早く刺さねばとさえ思っていたかもしれません。けれど、刃を振り下ろしはしなかった。それが月島さんの声を聞いて驚いてしまったというなら腑に落ちます。古屋さんたちにとっては茜さんが亡くなった場所で、突然茜さんの声がしたわけですから」
「そういえば、ここに来る前に坪川さんから聞いたんですけど、潮汐の事件の後に黒田さん、私を気に掛けてくれて呼んでくれたみたいで、なぜだろうって坪川さんとさっき話してたんです」
「黒田さんにとって廃村に埋めた死体を、月島さんと僕が発見してしまったことがあったからかもしれませんね。もしかしたら、ショックを受けてしまったんじゃないかと考えたのかもしれません。隠すはずだった死体を見つけてしまったというのに」
「それともう一つ、ずっと疑問に思ってたんです。古屋さんたちにインタビューを申し込んだ時に雅子さんにも『また会いたかったの』と言われたんです。潮汐の露天風呂で少し話しただけだったのに、なんでそこまで言ってくれたんだろうって」
「黒田さんも古屋夫妻も、月島さんと茜さんが違うとわかっていながらも、どうしても気に掛かってしまっていたのかもしれませんね」
「もしかして、森月さんはそれに気付いて私たちに?」
「そうだと思います。人として尊敬はできませんが、やはり優秀な記者であることは認めなければいけません」
「そういえば、茜さんが亡くなった年齢は二十八歳でしたね。私と同い年」
「あれ? 月島さん、二十七歳じゃなかったでしたっけ?」
「実は私、今日で二十八歳になりました」
「え? 誕生日だったんですか! おめでとうございます」
「ありがとうございます。でも、なんか年齢を重ねるのが怖くなってきたので、あんまり手放しに嬉しいって気持ちになれなくなってきちゃいました」
「そんなことないですよ」
「だって、今日も帰って一人で仕事しなきゃいけませんし、あんまり深く考えないようにします」
「……あ、あの。もし良かったらご飯食べに行きましょう。ご馳走します」
「え? いいんですか! あ……でも……」
「どうしました?」
小野瀬の顔に困惑が浮かんだ。楓は、小野瀬のスマホに届いていた奏という女性からのメッセージがずっと心に引っ掛かっていた。それを急に思い出してしまったのだ。もし、小野瀬に意中の人がいるのであれば、他の女の誕生日を二人で祝ったと知られたくない。
束の間、沈黙が流れた。小野瀬は訳も分からず戸惑っている。楓は、打ち明けなければと覚悟を決めた。しかし、口を開くよりも先に小野瀬のスマートフォンが震えた。
小野瀬は画面を確認すると「またか」と苦笑した。
「どうしました?」
楓が尋ねると、小野瀬はスマートフォンの画面をこちらに見せた。メッセージアプリの画面で、相手の名前は、あの奏だ。女の子のアニメキャラクターのようなアイコンが使われている。一番下には奏から『再テストです。ちょっと改良してみました。また確認をお願いします』と書かれている。
小野瀬が画面に『こんにちは』と打つと即座に『崇彦さん。こんにちは』と返信が出た。
「こんなに返事が早く? なんですかこれ?」
「実はうちの会社のパブリシティの一環で、メッセージアプリを使った広告媒体をつくろうという企画が出まして。これを返信しているのは、AIのロボットなんです」
「これ、AIがやってるんですか?」
「そうです。と言っても、そこまで凄いものではなく、打ち込まれた言葉に反応してプログラミングされた言葉が出るだけなんです。今はテストで勝手に送られてきますが。身近な存在にして欲しいという希望で、メッセージに登録した名前が使われたりしています」
「じゃあ、この奏というのは、もしかして」
「奏明社から名前を取って、そう奏ちゃんというネーミングに決定したんです。安直ですよね。秋葉原のシステム会社にお願いしてたんですが、担当者が悪ふざけをして勝手にハートマークとか表示されるようになっていたんです。さすがにやりすぎだろうと判断され、やり直しとなりました」
一気に脱力してしまった。先日の『崇彦さん。また会えて嬉しいです♥』というメッセージの正体はそれだったのか。そもそもかなで奏という名前ではなかったし、女性ではなかったどころか、人間ですらなかったとは。
「担当の方とは会ってないですけど、弓槻さんが『なんか暗い感じの冴えない男が担当だったのに、まさかあんなハートマークとか使うとは』と言ってたくらいです」
小野瀬の話を聞いていて、あることを思い出した。
「小野瀬さん、そのシステム会社ってまさかフューチャーテックって会社じゃないですよね?」
「えーと。会社の名前はなんだったかな。でもたしかにそんな会社名だったかもしれません」
――今はAIの関係のシステムの開発をしてます。僕しか扱えないのに、最近は色々な会社から話を持ち掛けられていて大変です。今もクレームで手直ししなきゃいけない案件を抱えてますし。
木島の声が頭に甦ってきた。
「ご存じなんですか?」
「あ、いや……ちょっと聞いたことがあって」
あまり思い出したくないせいか、小野瀬には黙っておくことにした。
「すみません。それで、話を戻すんですが、もし都合がつかないようなら無理には……」
「いえ! 大丈夫です! 私の方こそすみませんでした」
心に刺さった棘と拍子が一気に抜けてしまい、慌てて小野瀬に謝った。
「もし小野瀬さんが良かったら、一緒に行けたら……嬉しいです」
「良かった。じゃあ、お店を探しましょう」
小野瀬と共に喫茶店を出た。
少し陽が傾いた空には雲が増えてきていて、ビルの間を冬の訪れを報せるような風が吹き抜けた。
それでも、楓の心は晴れ渡っていて、温かい気持ちで心が満ち溢れていた。
「そういえば、神保町なら近くに老舗の美味しいケーキ屋さんあるんですよ! あそこ行きたいです!」
「月島さん、さっきケーキ食べてましたよね?」
森月を待っている間にチーズケーキを食べていた。
「ちょっと食べたら、もっと食べたくなっちゃいました。行きましょう!」
目を丸くした小野瀬と共に歩き出す。
奮発して自分への誕生日プレゼントに買ったブーツの足音が、秋の空に響き渡った。
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