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エピローグ
最終話 ライター
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東京に戻り、車が着いたのは奏明社の本社だった。
「すみません。送っていただいて、ありがとうございます」
「いいよいいよ。ちょっと俺も寄って弓槻ちゃんに挨拶してくから」
「奏明社……ああ」
「どうした?」
「私、カバンにいつも本を入れてるんです。ライターになるきっかけになった本で。あれ初版だったのに」
「うちの本なんですか?」
「はい。井上慎吾さんの『引船ヶ丘事件の真実』です」
「お前、まだあの本持ってたのか」
「『引船ヶ丘事件の真実』、実は僕も初版で持ってます」
「本当ですか!」
「はい。僕が奏明社に入ったのも、それが理由だったんです」
「お前ら本当にお似合いじゃないか。そのまま結婚しちまえ、そうすれば共有財産になるぞ」
「セクハラで訴えますよ」
「会社に残ってないか聞いてみます」
「そんなん。俺が持ってるよ」
「なんで坪川さんが……もしかして担当だったとか?」
「まあ、関わってたんだよ。それで何冊か手元にまだ残ってるから一冊やるよ」
「やった!」
「にしても、昔起きた殺人事件のノンフィクション本なのに、なんでそこまで入れ込んでるんだ?」
「自分でもわかりません。ライターとして自信がなくなった時に、力をくれたことは確かですけど。でも、本当に大切なものって、自分でも知らないうちに胸に宿っているものだから、理由をつけられません。お墓に落書きと一緒です」
「では、僕は車の件とか色々あるので、報告してきます。色々とありがとうございました」
「こちらこそ、小野瀬さんに色々と助けてもらってしまって。ええと、その。今度、お礼を」
「いいな。じゃあ焼肉で」
「坪川さんは黙っててください」
「わかったよ。俺はちょっと先に弓槻ちゃんに挨拶してくる」
坪川が編集部へ入っていく。
小野瀬は楓を見て笑って言った。
「こちらもお世話になったんですし、お礼は結構ですよ」
「あ、いや。そういうことじゃなくて……」
うまく言葉にできず話題を変えることにした。
「あ、小野瀬さんは井上慎吾さんについて、知ってることありますか。あの本以外は出版もされていないみたいで、ずっと疑問だったんですけど」
「僕も好きな本だったんで気になってたんですが、全く素性が掴めませんでした」
「一体、どんな人なんでしょうね。……って、ごめんなさい。呼び止めちゃって」
「いえ、大丈夫です。では、また」
「ありがとうございました」
小野瀬は編集部へ入っていった。
楓は扉が閉じるまで、その背中を見送っていた。
弓槻が立ち上がり、やってきた坪川へ声を掛ける。
「お疲れ様です。色々と大変だったみたいで」
「そっちも大変だろ。上から色々と言われてるんだろ?」
「ええ、まあ。でもそれが僕の選んだ道ですから」
弓槻は苦笑した。
「うちで扱うにはでかすぎる事件だったみたいだ」
「これだけで一冊の本が作れるほどでしたね。どうです、幽霊ばかり探してないで、また井上慎吾の名義でも復活してみては」
「いいよ、もう。あの名前はあの事件のためにある。なんにせよ徹底的に取材して本を書くのは大変なんだ。それに」
「それに?」
「俺が書かなくても、若い世代がいつの間にか意思を継いでくれることもあるんだなってわかったんだ。それで十分さ」
坪川に家まで送ってもらい、シャワーを浴びた。
小さな町で起きた陰惨な事件たち。
魔女という存在が生み出した人間の狂気。
もうあの町に魔女が現れることはないだろう。
タオルで身体を拭いてから、水を一杯飲む。
いや、それはわからない。
人は歴史を繰り返す。それが過ちだとわかっていても。
人と人が交わる限り、過ちがなくなることはない。
それならば。
ノートパソコンを起動し、ワープロソフトを開いた。部屋にキーボードを叩く音が響く。
これが記事になるかはわからない。
関係者たちのことを思えば、明かすことができない真実の方が多いだろう。
何のために書くかさえもわかってはいない。
答えはない。
けれど言葉を選び記憶を綴る、それがいまの私にできる唯一のことだ。
悲しい記憶の連鎖が新しい悲劇を生んだ。
忘れてはいけないものを残すため。
私は、今日も書き続ける。
了
「すみません。送っていただいて、ありがとうございます」
「いいよいいよ。ちょっと俺も寄って弓槻ちゃんに挨拶してくから」
「奏明社……ああ」
「どうした?」
「私、カバンにいつも本を入れてるんです。ライターになるきっかけになった本で。あれ初版だったのに」
「うちの本なんですか?」
「はい。井上慎吾さんの『引船ヶ丘事件の真実』です」
「お前、まだあの本持ってたのか」
「『引船ヶ丘事件の真実』、実は僕も初版で持ってます」
「本当ですか!」
「はい。僕が奏明社に入ったのも、それが理由だったんです」
「お前ら本当にお似合いじゃないか。そのまま結婚しちまえ、そうすれば共有財産になるぞ」
「セクハラで訴えますよ」
「会社に残ってないか聞いてみます」
「そんなん。俺が持ってるよ」
「なんで坪川さんが……もしかして担当だったとか?」
「まあ、関わってたんだよ。それで何冊か手元にまだ残ってるから一冊やるよ」
「やった!」
「にしても、昔起きた殺人事件のノンフィクション本なのに、なんでそこまで入れ込んでるんだ?」
「自分でもわかりません。ライターとして自信がなくなった時に、力をくれたことは確かですけど。でも、本当に大切なものって、自分でも知らないうちに胸に宿っているものだから、理由をつけられません。お墓に落書きと一緒です」
「では、僕は車の件とか色々あるので、報告してきます。色々とありがとうございました」
「こちらこそ、小野瀬さんに色々と助けてもらってしまって。ええと、その。今度、お礼を」
「いいな。じゃあ焼肉で」
「坪川さんは黙っててください」
「わかったよ。俺はちょっと先に弓槻ちゃんに挨拶してくる」
坪川が編集部へ入っていく。
小野瀬は楓を見て笑って言った。
「こちらもお世話になったんですし、お礼は結構ですよ」
「あ、いや。そういうことじゃなくて……」
うまく言葉にできず話題を変えることにした。
「あ、小野瀬さんは井上慎吾さんについて、知ってることありますか。あの本以外は出版もされていないみたいで、ずっと疑問だったんですけど」
「僕も好きな本だったんで気になってたんですが、全く素性が掴めませんでした」
「一体、どんな人なんでしょうね。……って、ごめんなさい。呼び止めちゃって」
「いえ、大丈夫です。では、また」
「ありがとうございました」
小野瀬は編集部へ入っていった。
楓は扉が閉じるまで、その背中を見送っていた。
弓槻が立ち上がり、やってきた坪川へ声を掛ける。
「お疲れ様です。色々と大変だったみたいで」
「そっちも大変だろ。上から色々と言われてるんだろ?」
「ええ、まあ。でもそれが僕の選んだ道ですから」
弓槻は苦笑した。
「うちで扱うにはでかすぎる事件だったみたいだ」
「これだけで一冊の本が作れるほどでしたね。どうです、幽霊ばかり探してないで、また井上慎吾の名義でも復活してみては」
「いいよ、もう。あの名前はあの事件のためにある。なんにせよ徹底的に取材して本を書くのは大変なんだ。それに」
「それに?」
「俺が書かなくても、若い世代がいつの間にか意思を継いでくれることもあるんだなってわかったんだ。それで十分さ」
坪川に家まで送ってもらい、シャワーを浴びた。
小さな町で起きた陰惨な事件たち。
魔女という存在が生み出した人間の狂気。
もうあの町に魔女が現れることはないだろう。
タオルで身体を拭いてから、水を一杯飲む。
いや、それはわからない。
人は歴史を繰り返す。それが過ちだとわかっていても。
人と人が交わる限り、過ちがなくなることはない。
それならば。
ノートパソコンを起動し、ワープロソフトを開いた。部屋にキーボードを叩く音が響く。
これが記事になるかはわからない。
関係者たちのことを思えば、明かすことができない真実の方が多いだろう。
何のために書くかさえもわかってはいない。
答えはない。
けれど言葉を選び記憶を綴る、それがいまの私にできる唯一のことだ。
悲しい記憶の連鎖が新しい悲劇を生んだ。
忘れてはいけないものを残すため。
私は、今日も書き続ける。
了
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