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第七章 魔女の呪い

第28話 ヴァルプルギスの夜

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 先ほどまで土砂降りになっていた雨はもう止んでいた。
 辺りは警官が行き交い、あちらこちらで水溜まりを踏む音が聞こえる。
 ずっとぼんやりとした表情を浮かべていた諸星日向も、この土地を離れる時がきた。別れ際、華絵たちの方に振り向いて言った。

「色々と、ありがとうございました。まだ完全にショックが抜け切れていないですが、アルダさん──華絵さんがいてくれて、心が少し軽くなりました。近いうちに織部准教授の葬儀もあるので、一旦帰ります。けどまたいつか、母を探しに来ます」
 言葉を聞く華絵はもう必要のなくなった仮面を外していた。その下にあった素顔は、静江に似た大きくつぶらな瞳だった。
 自身が殺されかけ、面倒を見てくれていた織部が殺された。彼女が負った心の傷と苦しみは計り知れない。けれど、そんな彼女は匿われている間、華絵と話をして心を落ち着けていたという。華絵の言葉には壊れそうな心を繋ぎとめるような不思議な力があるのかもしれない。歩いていく諸星日向の背中を見ながら楓はそんなことを思った。

 そして、諸星日向が苦しみを抱えながらも見せた笑顔に、楓はあることを確信した。
「静江さん」
「どうしたの?」
「なぜ言わなかったんですか」
「言わなかったって、何が」
「日向ちゃんの探してる母親って、静江さんのことですよね」
 静江が驚いたような顔を見せた。
「織部准教授から日向ちゃんについて話を聞きました。両親が離別して父親に引き取られたって話、華絵さんと静江さんの話に似てるなって、さっき話を聞きながら思ったんです。もちろん偶然かもしれないですけど。それにさっき見せた日向ちゃんの笑顔、静江さんとどこか似てるなって」
 日向を初めて見た時、大きくつぶらな瞳が印象的だった。その顔に既視感があったが、それが静江の目と似ているということに気付いたのが先ほどだった。
「それだけで、私が母親だと思ったの?」
 静江が苦笑した。
「はい。私は小野瀬さんと違って、何の根拠もありません。ただの、女の勘ってやつです」

 静江が、今度は声を出して笑い始めた。
「あなたはやっぱり面白い子ね。でも、今はやめておく。日向をここに匿ってから、何度か言おうか迷ってたんだけど、どうしても決心がつかなかったの。合わせる顔がなくてね。自分で育てるということが怖くなって、逃げてしまった駄目な母親なの。それに、結果的に私のせいであの子は危険な目に遭ってしまった。でも、いつかは打ち明けるつもりよ。彼女のためにも」
「彼女のため?」
「もしかして、日向さんにもサバトを継承させるつもりですか?」
「そう。サバトはアルダ、母の収入で賄っている。出版した本が今でも売れてるから、定期的にそれなりの印税も入ってくるしね。日向は戸籍上は父親の片親ってことになっていて、母親の欄は空欄になってる。だから、せめてしてやれるのは、母の築いた財産を受け取ってもらうことくらい」
「つまり、サバトの本当の目的は復讐じゃなく、華絵さんが築いたものを後世に受け継ぐためということですか」
 小野瀬の言葉に静江が頷く。

「華月町の住人たちへの復讐として、宗教法人を立ち上げるなんて、どうしてそんな回りくどいやり方をしたんだろうと思ってました。でも、その理由を聞いて腑に落ちたような気がします」
 華月町への復讐の目的がなくなった今、静江や日向がこれからどんな人生を歩むかはわからない。だが戸籍上、世に存在しない華絵が遺産を継承するためにサバトは残るのだろう。
「日向さんのお父さんというのは、どういう人だったんですか?」

「諸星剛志つよしという人。私は、実は新宿で水商売をしていたの。彼は、その時のお得意さんだった。私は、仕事のことも彼のことも父に言い出せなかった。普通に、会社員でOLをしてるって言ってたから。だから、実は彼とは離婚したことになってるけど、そもそも籍すら入れてなかった。
 けれどもある日妊娠が判って、私は日向を生んだ。私を生んだ母と同じように、新宿で見つけた医者に金を握らせて。まったく、親子で同じようなことをしてたなんてね」
 静江は華絵の方を向いた。

「父は持病があったから、定期的に華月町へ帰らなければいけなかったんだけど、結婚さえ言い出せないのに、子どもが生まれたなんてとても言えなかった。妊娠中は就職した会社が忙しくてとか言って誤魔化していたけど、子どもの将来を思った時、私は全て父に告白して彼と一緒になろうと決意した」
「その、剛志さんはどうしたんですか」
「先に、彼から別れを切り出された。後から知ったけど、その時にはもう縁談が決まっていたの。彼は実業家の両親が遺した会社を継いでいた。だから、世間体のために結婚を公言できる相手が必要だった。私は想いを伝えたけれど、もう彼の決意は変わらなかった」
「でも、日向ちゃんは」
「私は彼に言ったの。水商売をしている私ではこの子を育てる自信がない、だから私はあなたの前から姿を消すけれど、この子はあなたが育てて、と。それがこの子のためだと思った。彼はそれを承諾した」
 静江はこちらを向いているが、その目はどこか遠くを見ているようだった。

「あの人は会社のコネを使って縁談をいくつか設けたけど、うまくいかなかったみたい。やっぱり連れ子がいたことが気に掛かっていたんでしょうね。相手もそれなりの方たちだったでしょうから。そうして縁談が何回も破綻していた矢先に、あの人は病に倒れてそのまま死んでしまった」
「剛志さんが日記に『彼女は今頃どうしているだろう、魔女に呪われた華月町に帰っていることはないだろうが』と書き残していたそうですが」
 小野瀬の問いに静江の表情に憂いが浮かぶ。
「それはたぶん以前、彼に言っていたことね。華月町には魔女がいるんだって。それは崇彦のお祖父さんから聞いていた話を冗談交じりに言ってたの。本人も面白がって、華月町は魔女に呪われた町だ、なんて言ってて」

 日向が見た日記に書かれていたのは、それを書き残したものだったのか。
 本人たちの間では冗談で言っていたことが、実際には一部の人間で本気で信じられていて、日向自身を危険に晒すきかっけともなったということだ。
「……やっぱり、お母さんなんですか?」
 突如聞こえた声に全員が後ろを振り返った。そこには、さっき前を歩いていたはずの諸星日向がそこに立っていた。
「そのまま帰るつもりだったんですけど、最後にどうしても確認したくて、こっそりあっちから戻ってきました」
 日向が指を差したのは先ほど小野瀬が回り込もうと通ったルートだ。逆にそちらから裏に回り込んでいたのだ。
「気づいてたの?」
 静江の言葉に困惑した表情を浮かべた日向が首をかしげながら答えた。
「なんででしょう。そう感じたんです。女の勘ってやつでしょうか」

「じゃあ、月島さん。僕らも帰りましょうか。といっても、社用車は壊れてしまったし、警察に相談して送ってもらえるか聞いてみます」
 小野瀬と共に歩き出す。
「結局、日向ちゃん今日はここに残るみたいですね」
「結果的に親子が再会していたわけですから」
「でも静江さんが『私と母は、男と別れて娘を育てるのを放棄した駄目な女たちだよ。だからあんまり関わっちゃいけない』なんて言ったら、日向ちゃんが『過去がそうだったから、私がそうなるなんて決まってません。私は私の人生を生きてるんだから』って言ってましたね」
「まるで昔の静江さんを見ているようでした」
「日向ちゃんの話では、剛志さん本当は静江さんへの未練が断ち切れてなかったみたいですね」
「縁談の機会があってうまくいかなかったのは、それが心に引っ掛かっていたからかもしれませんね。そうでなければ、わざわざ日記に華月町のことも書かなかったでしょうし」

 日向が見つけた剛志の日記には、最初に静江への想いが綴られていたという。名前こそ出していなかったが、剛志は静江へ抱いた愛と、世間体の間で板挟みになっていたのかもしれない。
 風がひとつ吹き、木々を揺らした。
 楓は小野瀬の顔を覗き込んだ。
「ところで小野瀬さん。ずっと気になってたんですけど」
 キョトンとした顔で小野瀬がこちらを向いた。
「小屋で私を助けてくれた時に『楓さん』って呼びませんでした?」
「い、いえ……気のせいじゃないですか。混乱してましたし」
「あれ、おかしいなあ。たしかにそう聞こえた気がしたんですけど」

 その時、正面から大声が聞こえてきた。
「おーい! 楓ちゃん大丈夫か! ほら、うちの関係者だ。入れてくれ」
 警官を制してずけずけと坪川がやってきた。
「無事か! 心配したんだよ。携帯はずっと繋がらないし」
 そういえば楓も小野瀬も携帯が壊されたままだった。
「それでわざわざ来てくれたんですか」
「当たり前だよ。どんだけ心配したと思ってるんだよ」
 きょとんとした坪川の顔を見て、身体に張り詰めていた糸が弛み、力が抜けていくように思えた。
「また心配かけてしまいました……すみません」
「無事だったんならいいってことよ。それに一人で行かせた責任は俺にある。帰るだろ? 車に乗れ」
 
 坪川の運転する車が、華月町を離れていく。
 一週間前、高澤美沙の遺体が発見され、この取材が始まった。
 多くの悲劇が目の前で起こった。
 亡くなった織部が『魔』という言葉について語っていたが、浅井をはじめこの町の住人たちの心にまさに魔が差したのだ。魔が襲うのは、ぼんやりした心だけでなく、弱き人の心にも巣食うだという。
 かつて華月町にいた呪術師もまた、弱き心に宿った魔によって殺されてしまったのかもしれない。
 ──呪術師。そういえば。
「ふと思ったんですけど、華絵さんと静江さん、それに日向ちゃんの血が繋がっていたとして。華月町にいた呪術師には子孫がいて、それが彼女たちだったりしないかなあ、なんて」
「はあ? なんだそりゃ」
「うるさい。女の勘ってやつですよ。というか、坪川さんは誰か知らないでしょうから黙っててください」
「どうでしょう。でも、あの三人を見てると、たしかにそうも思えますね」

「彼女たちはそれぞれみんな孤独を抱えて生きてきて、魔女の魂によってこの町に呼び寄せられた。そう思ったら。それに、なんか華絵さんが生きていくために占いを選んだことも、それで成功していたということも、偶然とは思えなくて」
「そういえば、ちょうど今日は四月三十日じゃないか。今晩が例の《ヴァルプルギスの夜》だぞ。細かいことはわかんないが、その日に魔女の末裔が三人揃いましたなんて出来すぎた話、随分なオカルトだな」
「そうですよ。だって、私はオペランドの元社員ですもん」
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