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第三章 華月町の魔女
第9話 信仰心
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四月二十七日 木曜日
華月町から戻った翌日、楓は坪川に調査結果を報告することにした。
といっても目新しい情報が、坪川が仕入れた情報しかないので、取り立てて報告できることはないが、仕事をもらった義理で何も言わないわけにはいかない。
株式会社オペランドの事務所は御徒町にある。
昼になったので、電話をしてみる。出勤時間を決められることに耐えられないと会社を興し、社長となって重役出勤三昧の坪川でも、そろそろ出社しているだろう。
電話には米沢が出た。
「あ、もしもし。月島ですけど。お世話になります」
「あ、楓ちゃん? 久しぶりね」
社内では断捨離の米沢として経費に目を光らせている米沢だが、電話受付などの対外的な面では、とても穏やかな声になる。
坪川は社内にいるということだったので、これから伺うことを伝え、アポを取ってもらった。
坪川へアポが取れたので、楓は身支度をし、オペランドの面々への手土産を持ったことを確認して家を出る。
ここ数日は気持ちの良い晴れ間が続いていたが、今日はどんよりとした曇り空だ。
少し肌寒かったので、Tシャツの上にデニムのジャケットを羽織り、家を出た。女子大生のような格好になってしまったが、オペランドに行くだけなら気にしなくていいだろう。
桜の見頃を終えた平日とは思えぬほど、上野付近は人が多い。上野動物園や多くの美術館が隣接する上野公園は、休日のような賑わいを見せている。
山手線で御徒町駅には直接行けるが、楓は上野の賑わいを感じながら歩いて御徒町へ抜けるのが好きだった。通いなれた道なので、迷うこともない。
アメ横の雑踏を越えて、御徒町駅の付近に出る。オペランドの事務所は裏手の路地にある三階建ての小さな雑居ビルの三階にある。もちろんエレベータなどないので、狭い階段を三階まで上がっていく。
磨りガラスのドアに貼り付けられたプレートに『株式会社オペランド』と書かれている。『被演算子』という意味の会社名は、知らない人からすれば出版社とは思えないだろう。なぜこの名前を付けたのか、坪川の真意を楓は知らない。
件の宗教法人と違い、日本で会社を設立することは難しくない。
以前は会社を興すには最低三百万円の資本金が必要であったが、二〇〇七年にそれが撤廃され一円から会社が興せるようになった。
起業が容易くなっても、それを継続させていくことは難しい。あるデータでは起業した企業のうち、約六割が一年以内に倒産してしまうという。それを考えれば、出版不況と云われる状況で細々とでも潰れないでいるオペランドは、頑張っている方ではないだろうか。
オペランドの入口には『ノック不要』という札がぶら下がっているが、そもそも客人が来ることはあまりない。
「こんにちは」と言いながら楓が入っていくと、米沢と目が合った。米沢真理子は経理や庶務の事務担当だ。
四十半ばだが、スタイルがよく肌も綺麗なので、三十代に見える。細身のフレームの眼鏡下にある少し吊り上がった鋭い目が、凛とした女性を印象付ける。尤も、日頃経費であれこれ怒られている坪川にとっては、鞭を持った女王様に見えているかもしれない。
「いらっしゃい。元気?」
米沢が柔らかな笑顔を見せた。心なしか年々若返っているかとさえ思える。この人こそ魔女なのではないだろうか。
「はい、元気です。これ、この間の取材のお土産です。皆さんで食べてください」
小田原駅で買ったお土産のどら焼きが入った紙袋を渡す。珍しい、バターの入ったどら焼きで、楓は自分用に買った分を昨晩食べたが、バターの塩気と餡子の調和が絶妙で、あまりの美味しさに二つも食べてしまった。
「あら、わざわざありがとう。お茶入れるわね」
米沢が立ち上がり、給湯器のある方へ歩いて行った。
断捨離の米沢の名に相応しく、事務所の共有部分には余計なものがほんどない。棚もファイルごとにきっちりと整頓されている。そんな整えられた事務所で二箇所だけ例外がある。
例外のひとつ、机の上の書類と書籍の山からひょっこりと顔が上がった。楓は思わずモグラ叩きを連想してしまう。少し前までは自分もそのモグラの一匹であったが。
「おう、久しぶり」
と声を掛けてきた顔も体も細長い男は、編集の飯田拓海だ。編集といっても、大手の奏明社と違い、弱小出版社のオペランドでは、社長の坪川でさえライターから構成や編集、印刷指示まで幅広い業務を受け持つ。飯田は三十六歳で、坪川の右腕として活躍している。
飯田は大学で化学を専攻していた理系人間で、オカルトにさしたる関心は持っていないが、その客観的で俯瞰した視点が、オカルト一辺倒にならない多面的な記事を生み、好評を博している。
大学で化学に飽きてしまい、そちらの道に進むことをやめてしまったそうだ。元々本が好きだったこともあり、全く畑違いの出版社を志望した。
しかしながら、楓から見てもスーツより白衣が似合うような、バリバリの理系出身の飯田を受け入れてくれる出版社はなく、経緯を面白がった坪川の目に止まり、オペランドへ入社した。
結果的に坪川に拾ってもらったということでいえば、飯田と楓は似ていた。
坪川の右腕ということで想像はつくが、仕事は多忙だ。だが、飯田本人にとっては構想から出版までの過程に携わることで、より『本をつくっている』という実感になって、やり甲斐を感じているそうだ。
「華月町の事件やってるんだって? なかなか大変そうだな」
飯田は青白い顔で言った。楓が入社した当初は具合が悪いのかと思ったが、元々が色白で体型も細いため、疲れていなくてもこの調子らしい。研究に全てを費やした学者のような見た目は、濁った紫色のクマがある目元によって、より増長させられている。
「ええ、奏明社の案件なんですけど、坪川さんに頼まれて。取材に行ってきましたが、あまり収穫もなくて」
「噂だけど警察も捜査が難航してるみたいだね。まあ、大手の仕事だし、良い経験になるんじゃない」
飯田はぶっきらぼうだが、案外後輩に対して面倒見がいいところもある。入社して右も左もわからない楓を教育してくれたのは飯田だった。オペランドを辞めことを伝えた時の飯田の残念そうな顔を思い出すと、今でも申し訳ない気持ちになる。
飯田に礼を言い、奥の間仕切りで区切られたスペースへと行く。ここがオペランドの社長室兼打合せスペースであり、事務所で断捨離されていない例外その二である。
「おう、いらっしゃい」
とパソコンに向かっていた坪川が顔を上げた。
「華月町の件で報告に来ました」
打ち合わせコーナーの椅子に座ると、米沢がお茶を持ってきてくれた。
坪川も自席から打ち合わせコーナーへ移ってきた。
「結論から言うと、取材で特に収穫はありませんでした」
「そうか、まあ仕方ないな。この事件は大手の新聞社でも情報がなくて、手を拱いているらしいしな」
やはり、情報がなくて何もできないのはどこも同じなのだ。
「特に、サバトに関しては坪川さんからいただいた情報以外には何も出ませんでした。あ、でも一つ目撃情報は聞きました」
「ほう。どんな」
「サバトの施設で、マント姿で白い仮面を着けた人を見たって目撃者がいたみたいです。目撃者は華月町出身ですが、今は隣の陽石町に住んでる男性みたいです。被害者の女の子がバイトしてた喫茶店のマスターから聞いたんですが、別の農家の男性もその話を聞いたそうです」
「仮面にマントの謎の宗教、いよいよカルトじみてきたな」
国内外問わず、カルトと呼ばれる反社会的な団体による犯罪やテロ行為、或いは集団自殺が起こっている。信仰心を煽り、信者を凶行へ駆り立てるケースが多い。
もし事件にサバトが関与しているのであれば、魔女への信仰から何らかの理由で儀式的な手口で犯行を行ったという可能性は十分に考えられた。
「信仰ってのは人の心だけじゃなくて、もっと根深い、潜在的な意識まで支配しちまう。傍から見れば立派なカルト宗教であっても、中にいる人間にとっては違って見える。自分たちが絶対的に正しいと思っている人間は、特にな」
坪川が苦々しい顔でお茶を飲み干した。
「なぜ、そこまで信じ込んでしまうんでしょうか」
うーんと坪川は唸ってから、床に転がっていた黒いスプレー缶を手に取った。
「たとえば、楓ちゃんにこれを持って谷中霊園の墓石に落書きしてこいって言ったらどうする」
「厭に決まってるじゃないですか。罰が当たりますよ」
「だよな。良い例えじゃないけど、そういうことなんだと思う」
「そういうことって、どういうことです?」
「なぜ『罰が当たる』って思った? 普段はそんな信心深くなんてないだろ」
楓は多くの日本人と同じように無宗教だと言える。かといって身内に不幸があれば仏教式に弔いをするし、クリスマスにはキリスト教徒でもないのにケーキを食べるし、正月には神社で大金持ちになりたいと神頼みもする。
「人は生きていくなかで、周りの影響でそういった価値観を潜在的に培っていく。悪くいえば植えつけられていくともいえる。さっきの例だと、墓に落書きをしている人を見たらどう思う」
楓は墓石に落書きをしている坪川の姿を思い浮かべて言った。
「やっぱり、厭な気持になりますね」
「そうだろ。もちろん、軽犯罪法に触れる犯罪行為だからってことはあるが、正義感以上に、お墓にそんなことをしてはいけないという道徳心が働くはずだ。落書きしていたのが墓ではなくて、その辺にあるただの壁だったら? 迷惑とは思っても『罰が当たる』なんて思わないだろ。案外、そうやって俺たちは意識せずとも宗教的、道徳的な観念に影響されてる」
「たしかに、そうかもしれません」
「持論になるが」
と前置きをして、いつになく真剣な顔を向けた。
「さっきの楓ちゃんの言葉じゃないが、宗教に入れ込みすぎちまう人間を見ると、『なぜそんなに信じ込んでしまうんだろう』と思うだろ。そういった人間は、信じやすい人間じゃなくて、とても疑り深い、なんなら何も信じられないとさえ思ってる人間も多いんじゃないかと思うんだ」
「何も……信じられなくなった人?」
「そうだ。人の期待なんてもんは、大抵は失望になって返ってくる。それが幾度となく重なったときに、期待してしまう自分こそが駄目なんじゃないかと思うようになり、心を追い詰めていってしまう。自己否定することは簡単だ。コンプレックスなんかもその要因の一つだな。そこに『あなたは間違っていない。間違っているのは世の中だ』なんて言われたら、転がる人間はあっという間に転がってしまう。そういった人間が選りすぐられ、ひとつの集団になれば、歪んで凝り固まった正義感に浸け入ることは簡単だ」
坪川はひとつ息を吐いて続けた。
「最後の拠り所が宗教や信仰だったとして、それを信じた自分を否定してしまえば、もう後には何も残らなくなってしまう。だからこそ妄信してしまう心理に繋がるのかもしれないな。もちろん、宗教全てが一概にそうだというわけじゃない。人の心は、複雑だ。ゼロとイチで語れるほど単純じゃない。実際、それによって救われる人間だっていくらでもいるしな。中にはそれが凶行に走ってしまう場合もあるってことだ」
坪川の顔は、心なしか悲しげに見えた。
礼を言い、オペランドを後にしてから、楓は考えていた。
謎の宗教団体サバト。その信仰の目的は何に向かっているのだろうか。
華月町から戻った翌日、楓は坪川に調査結果を報告することにした。
といっても目新しい情報が、坪川が仕入れた情報しかないので、取り立てて報告できることはないが、仕事をもらった義理で何も言わないわけにはいかない。
株式会社オペランドの事務所は御徒町にある。
昼になったので、電話をしてみる。出勤時間を決められることに耐えられないと会社を興し、社長となって重役出勤三昧の坪川でも、そろそろ出社しているだろう。
電話には米沢が出た。
「あ、もしもし。月島ですけど。お世話になります」
「あ、楓ちゃん? 久しぶりね」
社内では断捨離の米沢として経費に目を光らせている米沢だが、電話受付などの対外的な面では、とても穏やかな声になる。
坪川は社内にいるということだったので、これから伺うことを伝え、アポを取ってもらった。
坪川へアポが取れたので、楓は身支度をし、オペランドの面々への手土産を持ったことを確認して家を出る。
ここ数日は気持ちの良い晴れ間が続いていたが、今日はどんよりとした曇り空だ。
少し肌寒かったので、Tシャツの上にデニムのジャケットを羽織り、家を出た。女子大生のような格好になってしまったが、オペランドに行くだけなら気にしなくていいだろう。
桜の見頃を終えた平日とは思えぬほど、上野付近は人が多い。上野動物園や多くの美術館が隣接する上野公園は、休日のような賑わいを見せている。
山手線で御徒町駅には直接行けるが、楓は上野の賑わいを感じながら歩いて御徒町へ抜けるのが好きだった。通いなれた道なので、迷うこともない。
アメ横の雑踏を越えて、御徒町駅の付近に出る。オペランドの事務所は裏手の路地にある三階建ての小さな雑居ビルの三階にある。もちろんエレベータなどないので、狭い階段を三階まで上がっていく。
磨りガラスのドアに貼り付けられたプレートに『株式会社オペランド』と書かれている。『被演算子』という意味の会社名は、知らない人からすれば出版社とは思えないだろう。なぜこの名前を付けたのか、坪川の真意を楓は知らない。
件の宗教法人と違い、日本で会社を設立することは難しくない。
以前は会社を興すには最低三百万円の資本金が必要であったが、二〇〇七年にそれが撤廃され一円から会社が興せるようになった。
起業が容易くなっても、それを継続させていくことは難しい。あるデータでは起業した企業のうち、約六割が一年以内に倒産してしまうという。それを考えれば、出版不況と云われる状況で細々とでも潰れないでいるオペランドは、頑張っている方ではないだろうか。
オペランドの入口には『ノック不要』という札がぶら下がっているが、そもそも客人が来ることはあまりない。
「こんにちは」と言いながら楓が入っていくと、米沢と目が合った。米沢真理子は経理や庶務の事務担当だ。
四十半ばだが、スタイルがよく肌も綺麗なので、三十代に見える。細身のフレームの眼鏡下にある少し吊り上がった鋭い目が、凛とした女性を印象付ける。尤も、日頃経費であれこれ怒られている坪川にとっては、鞭を持った女王様に見えているかもしれない。
「いらっしゃい。元気?」
米沢が柔らかな笑顔を見せた。心なしか年々若返っているかとさえ思える。この人こそ魔女なのではないだろうか。
「はい、元気です。これ、この間の取材のお土産です。皆さんで食べてください」
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「あら、わざわざありがとう。お茶入れるわね」
米沢が立ち上がり、給湯器のある方へ歩いて行った。
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例外のひとつ、机の上の書類と書籍の山からひょっこりと顔が上がった。楓は思わずモグラ叩きを連想してしまう。少し前までは自分もそのモグラの一匹であったが。
「おう、久しぶり」
と声を掛けてきた顔も体も細長い男は、編集の飯田拓海だ。編集といっても、大手の奏明社と違い、弱小出版社のオペランドでは、社長の坪川でさえライターから構成や編集、印刷指示まで幅広い業務を受け持つ。飯田は三十六歳で、坪川の右腕として活躍している。
飯田は大学で化学を専攻していた理系人間で、オカルトにさしたる関心は持っていないが、その客観的で俯瞰した視点が、オカルト一辺倒にならない多面的な記事を生み、好評を博している。
大学で化学に飽きてしまい、そちらの道に進むことをやめてしまったそうだ。元々本が好きだったこともあり、全く畑違いの出版社を志望した。
しかしながら、楓から見てもスーツより白衣が似合うような、バリバリの理系出身の飯田を受け入れてくれる出版社はなく、経緯を面白がった坪川の目に止まり、オペランドへ入社した。
結果的に坪川に拾ってもらったということでいえば、飯田と楓は似ていた。
坪川の右腕ということで想像はつくが、仕事は多忙だ。だが、飯田本人にとっては構想から出版までの過程に携わることで、より『本をつくっている』という実感になって、やり甲斐を感じているそうだ。
「華月町の事件やってるんだって? なかなか大変そうだな」
飯田は青白い顔で言った。楓が入社した当初は具合が悪いのかと思ったが、元々が色白で体型も細いため、疲れていなくてもこの調子らしい。研究に全てを費やした学者のような見た目は、濁った紫色のクマがある目元によって、より増長させられている。
「ええ、奏明社の案件なんですけど、坪川さんに頼まれて。取材に行ってきましたが、あまり収穫もなくて」
「噂だけど警察も捜査が難航してるみたいだね。まあ、大手の仕事だし、良い経験になるんじゃない」
飯田はぶっきらぼうだが、案外後輩に対して面倒見がいいところもある。入社して右も左もわからない楓を教育してくれたのは飯田だった。オペランドを辞めことを伝えた時の飯田の残念そうな顔を思い出すと、今でも申し訳ない気持ちになる。
飯田に礼を言い、奥の間仕切りで区切られたスペースへと行く。ここがオペランドの社長室兼打合せスペースであり、事務所で断捨離されていない例外その二である。
「おう、いらっしゃい」
とパソコンに向かっていた坪川が顔を上げた。
「華月町の件で報告に来ました」
打ち合わせコーナーの椅子に座ると、米沢がお茶を持ってきてくれた。
坪川も自席から打ち合わせコーナーへ移ってきた。
「結論から言うと、取材で特に収穫はありませんでした」
「そうか、まあ仕方ないな。この事件は大手の新聞社でも情報がなくて、手を拱いているらしいしな」
やはり、情報がなくて何もできないのはどこも同じなのだ。
「特に、サバトに関しては坪川さんからいただいた情報以外には何も出ませんでした。あ、でも一つ目撃情報は聞きました」
「ほう。どんな」
「サバトの施設で、マント姿で白い仮面を着けた人を見たって目撃者がいたみたいです。目撃者は華月町出身ですが、今は隣の陽石町に住んでる男性みたいです。被害者の女の子がバイトしてた喫茶店のマスターから聞いたんですが、別の農家の男性もその話を聞いたそうです」
「仮面にマントの謎の宗教、いよいよカルトじみてきたな」
国内外問わず、カルトと呼ばれる反社会的な団体による犯罪やテロ行為、或いは集団自殺が起こっている。信仰心を煽り、信者を凶行へ駆り立てるケースが多い。
もし事件にサバトが関与しているのであれば、魔女への信仰から何らかの理由で儀式的な手口で犯行を行ったという可能性は十分に考えられた。
「信仰ってのは人の心だけじゃなくて、もっと根深い、潜在的な意識まで支配しちまう。傍から見れば立派なカルト宗教であっても、中にいる人間にとっては違って見える。自分たちが絶対的に正しいと思っている人間は、特にな」
坪川が苦々しい顔でお茶を飲み干した。
「なぜ、そこまで信じ込んでしまうんでしょうか」
うーんと坪川は唸ってから、床に転がっていた黒いスプレー缶を手に取った。
「たとえば、楓ちゃんにこれを持って谷中霊園の墓石に落書きしてこいって言ったらどうする」
「厭に決まってるじゃないですか。罰が当たりますよ」
「だよな。良い例えじゃないけど、そういうことなんだと思う」
「そういうことって、どういうことです?」
「なぜ『罰が当たる』って思った? 普段はそんな信心深くなんてないだろ」
楓は多くの日本人と同じように無宗教だと言える。かといって身内に不幸があれば仏教式に弔いをするし、クリスマスにはキリスト教徒でもないのにケーキを食べるし、正月には神社で大金持ちになりたいと神頼みもする。
「人は生きていくなかで、周りの影響でそういった価値観を潜在的に培っていく。悪くいえば植えつけられていくともいえる。さっきの例だと、墓に落書きをしている人を見たらどう思う」
楓は墓石に落書きをしている坪川の姿を思い浮かべて言った。
「やっぱり、厭な気持になりますね」
「そうだろ。もちろん、軽犯罪法に触れる犯罪行為だからってことはあるが、正義感以上に、お墓にそんなことをしてはいけないという道徳心が働くはずだ。落書きしていたのが墓ではなくて、その辺にあるただの壁だったら? 迷惑とは思っても『罰が当たる』なんて思わないだろ。案外、そうやって俺たちは意識せずとも宗教的、道徳的な観念に影響されてる」
「たしかに、そうかもしれません」
「持論になるが」
と前置きをして、いつになく真剣な顔を向けた。
「さっきの楓ちゃんの言葉じゃないが、宗教に入れ込みすぎちまう人間を見ると、『なぜそんなに信じ込んでしまうんだろう』と思うだろ。そういった人間は、信じやすい人間じゃなくて、とても疑り深い、なんなら何も信じられないとさえ思ってる人間も多いんじゃないかと思うんだ」
「何も……信じられなくなった人?」
「そうだ。人の期待なんてもんは、大抵は失望になって返ってくる。それが幾度となく重なったときに、期待してしまう自分こそが駄目なんじゃないかと思うようになり、心を追い詰めていってしまう。自己否定することは簡単だ。コンプレックスなんかもその要因の一つだな。そこに『あなたは間違っていない。間違っているのは世の中だ』なんて言われたら、転がる人間はあっという間に転がってしまう。そういった人間が選りすぐられ、ひとつの集団になれば、歪んで凝り固まった正義感に浸け入ることは簡単だ」
坪川はひとつ息を吐いて続けた。
「最後の拠り所が宗教や信仰だったとして、それを信じた自分を否定してしまえば、もう後には何も残らなくなってしまう。だからこそ妄信してしまう心理に繋がるのかもしれないな。もちろん、宗教全てが一概にそうだというわけじゃない。人の心は、複雑だ。ゼロとイチで語れるほど単純じゃない。実際、それによって救われる人間だっていくらでもいるしな。中にはそれが凶行に走ってしまう場合もあるってことだ」
坪川の顔は、心なしか悲しげに見えた。
礼を言い、オペランドを後にしてから、楓は考えていた。
謎の宗教団体サバト。その信仰の目的は何に向かっているのだろうか。
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