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第二章 沈められた少女
第7話 聖ワルプルガの信仰
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新島に礼を言い、二人はホープを後にした。
「マントに仮面だなんて、ずいぶんとオカルトじみた宗教ですね」
車に乗り込みながら楓は言った。
「そうですね。サバトについては、うちの編集部でさえ情報をあまり掴めていません。けれど、実は気になっていることがありまして。僕が子どもの頃に祖父から言われていたんですが」
小野瀬はフロントガラスの向こうを見ながら小さく溢した。
「『暗い時間に出歩くと魔女に攫われてしまうぞ』と」
「え、魔女ですか」
「そうなんです。昔は子どもを戒めるための作り話かと思ってたんですが、こうして魔女を信仰する宗教団体がこの町に来たということが、偶然とは思えなくて」
事件にサバトが関わっていることは間違いない。
楓と小野瀬は、サバトの施設へ取材に向かうことにした。
しかしながら、活動についてはあまり公にされていない、謎の多い宗教団体だ。正面から挑んでも無駄かもしれない。少しでも情報を得ようと、町の住人に訊いてまわったが、有力な情報はやはり皆無に等しい。
日本で宗教法人を立ち上げるのは容易いものではない。理由はいうまでもなく、宗教法人に対する税制の優遇措置だ。企業と違い、利益を生まない宗教法人は、公益性の観点からあらゆる面で税制が優遇されている。
それ故、脱税やマネーロンダリングの温床になりやすいことから、申請には三年程度の活動実績が必要とされる。その間の活動の証明や収支報告書などを提出する必要があり、決して容易に立ち上げられるわけではない。
だからこそ、何かしらの活動が行われていることは間違いない。しかし、今はその取っ掛かりすらない状態で、雲のようにそこに見えるのに触れることができない存在だ。
諦めかけていると、坪川から着信が入った。
「おっす。小野瀬くんとよろしくやってるか?」
「切ります」
「待てって! 冗談だよ。こっちでも色々とサバトについて調べてみたんだ」
自分で仕事を渡しただけに、坪川なりに楓を気遣ってくれているらしい。スピーカーフォンに切り替えて小野寺も聞けるようにする。
「サバトは二〇一三年に設立された宗教法人だ。経営母体はなく、信者は数人しかいないらしい」
かなり小規模な団体だ。活動資金などはどうしているのだろうか。
「で、活動目的なんだが、これも噂の域は出ないが、キリスト教の聖人のワルプルガを信仰してるみたいだ。この聖ワルプルガっていうのが、八世紀頃の尼僧で、ドイツでキリスト教の布教をしていたそうだ。で、そのワルプルガが死後、魔術や疫病に対する守り神として祀られたらしい。ドイツで行われている《ヴァルプリギスの夜》って祭りの名前の由来になってる」
「《ヴァルプリギスの夜》……どんなお祭りなんですか」
自分で調べてもいいが、楽なのでそのまま坪川に喋らせることにした。
「まったく、少しは調べようとしなさいよ。仕方ないな」
そう言うわりに厭そうではない。坪川はそういう男なのだ。
「《ヴァルプルギスの夜》四月三十日から五月一日の間の夜のことで、魔女が集まる祭りだ。で、その集会のことを《サバト》と呼ぶんだ。サバトに魔女信仰があるというのは、そこからきてるんだな。
今でもドイツでは《ヴァルプルギスの夜》の祭りは行われているが、住人が魔女に扮装して踊って騒ぐだけの祭りになってるらしい。まあ、元々の《ヴァルプルギスの夜》も、魔女がどんちゃん騒ぎするだけだから大差ないみたいだが」
また何か判ったら連絡するよ、と言って坪川は電話を切った。
「魔術に関する聖人を信仰しているわけですか」
小野瀬はぽつりと言ったが、まだ頭の整理がついていないようだ。それは楓も同じだった。
「信仰対象は判っても、何を目的に活動をしているのか、まだ判りませんね」
「そうですね。ひとまずはその取っ掛かりから調べてみましょう」
小野瀬と共に、サバトの施設へ行ってみることにした。
施設は新島の言葉のとおり、町外れの山の麓にあった。一部には畑のようなものもあるが、他はただ雑草が生い茂る野原が広がっており、昼間でも人の気配がなかった。
野原の先に突然現れる白い施設は、田舎町には明らかに異質な存在だった。
正面の鉄柵の門の隙間から覗く建物は、二階建ての四角いコンクリート造りで、とてもシンプルな外見だった。宗教施設といえば宮殿のような大掛かりな建物というイメージがあったので、その質素な外見は意外であった。しかし、それに不釣り合いなほど高い塀が建物を囲っている。
「意外と、というか、思ったより小さいですね。建物だけ見れば、普通の会社の事務所みたい」
「たしかに、僕ももっと派手なものを想像してました」
敷地内にも人がいる様子はなく、とても静かだった。駐車場らしきスペースもあるが、一台も車は停まっていない。
周囲に響いたのは風が揺らす葉音だけで、ふと裏手にある山の方から聞こえたガサッという音がした。何か猿のような動物が通ったのだろうか。
門を見ると呼び鈴のようなものが付いていた。押してみるが、中から反応はない。
「誰もいないみたいですね」
「そうみたいですね。出直すようですかね」
中に人の気配がないこともさることながら、楓にはもうひとつ違和感があった。
呼び鈴は本当に鳴っているのだろうか。
その時、背後から音がした。
見ると、野原から白い軽トラックがやってきて、楓たちの手前で停まった。
「あんたらも、取材の人かい?」
軽トラックから降りたのは、七十近いかと思われる、帽子を被った男だった。助手席には妻らしき女性が座っていた。農家の老夫婦なのだろうか。
「はい、そうです」
「って、あんたは幹生さんとこのせがれか」
男は小野瀬の方を向いていった。小野瀬の父親と面識があるようだが、小野瀬は心当たりがないらしい。
小野瀬が頷く。
「何やってんだ? こんなとこで」
「実は、僕らは事件の取材をしてまして」
「ああ、そうなのか」
男は「やっぱりな」というように苦々しい顔をした。施設の方を向くと言った。
「昨日、取材の連中がたくさん来てたよ。生憎、ここは、昼は誰もいねえ」
やはり昼間に人はいないようだ。
「そうなると、夜には人がいるということでしょうか?」
小野瀬の言葉に男が腕組みをして答える。
「そうなんだが、昨日の夜取材に来てた連中は、文字通りの門前払いだったみたいだ。『取材には一切お答えできません』って言われて終わりだってよ」
やはり、取材は難しいだろうか。農家の男は近くに畑があり、昨日は門前払いを受けた取材陣から話を何度も訊かれたそうだ。
「全部『知らん』って言い返したけどな」
「ホープのマスターに聞いたんですが、ここで仮面姿の人を見たという話があるらしいんですが」
小野瀬がカードを一枚切った。結果的に、それが功を奏した。
「ああ、それは橋本のせがれの達也だろ」
ホープで聞いた噂の主が判明した。
「その橋本さんの息子さんが目撃したんですか」
ああ、いたのかという表情で楓の方を向いて男は答えた。
「そうらしいよ。とにかく不気味だったって、それ以来寄り付こうとしない」
「橋本さんのお宅に行けば達也さんに会えますか」
「いや、あそこのせがれは農家を継がないで、隣の陽石に住んでる。二年くらい前にこっちへ帰ってきた時に、話を聞いて興味本位で見に行ったんだと」
ここの隣町が陽石町というんです、と小野瀬が小声で教えてくれた。
できれば本人から話を訊きたかったが、夕方にはここを出なければならないので、隣町まで行っている時間はないだろう。それに、噂以上の情報はなさそうだ。
「毎日ではないが、夜になると電気が点いてるから誰かいるんだろうが、気味が悪いったらない」
夜しかいないのであれば、昨晩行っておくべきだったと楓は後悔した。しかし、昨晩行ったとしても、他の取材陣と同様に門前払いされただけだったかもしれないが。
最後に名前を訊くと、男は三武と答えた。
その後、聞き込みをして帰る際にもう一度サバトの施設を訪れることにした。
しかしながら、二時間の聞き込みで収穫はなく、夕焼けに染まったサバトの施設にはまだ明かりが灯っていなかった。
夕暮れが町から光を消し、家々に明かりが点々と町を照らしていく。
ここに残りサバトへの取材をしたいと楓は小野瀬へ提案しようかとも考えた。しかし、これは小野瀬が奏明社の社員として任された案件である。楓はあくまでもサポートに過ぎない。一人で居座って小野瀬に迷惑をかけてもいけないだろう。
楓は小野瀬と共に一度東京に戻ることにした。
華月町を出て、車は昨日来た道を戻っていく。辺りはすでに真っ暗な世界が広がっていた。街灯もあまりなく、対向車もいない。小野瀬の運転する車のヘッドライトが唯一の明かりだった。
カーブの多い山道を抜けた。昨日は青く輝いていた海も、今は黒く塗りつぶされてしまっている。次第に車も増えていくにつれ、日常に戻っていくような感覚になる。
小田原駅に到着し、レンタカーを返却した。小野瀬は一度職場に立ち寄るというので、そのまま小田急線に乗り込んだ。平日夜の上り電車は空いていた。ガラガラの車内で小野瀬が言った。
「今回はありがとうございました。編集部には僕から報告しておきます」
「いえ、こちらこそ。この先、どうなるんでしょう」
「まだ何とも言えませんね。有力な情報はありませんでしたし、記事にするかどうか。今後の警察の動向によるかもしれません」
警察も間違いなくサバトをマークしているだろう。そこで新たな動きがあれば、状況はまた変わる。
「私、あまり役に立てなかったですよね」
ずっと気に掛かっていた言葉が思わず出てしまう。
「いえ! そんなことはありません……」
小野瀬は楓の方を向き、上ずった声で言ったあと、すぐに正面に顔を戻した。
「僕は編集の人間です。取材をすることはあまりありませんでした。いくら地元とはいえ、馴れない取材でとても不安がありました。だから、月島さんがいてくれて、心強かったです」
大人びて見えていた小野瀬の顔にふと、あどけなさが滲んだ。
電車が出発すると、小野瀬は小さな寝息を立てて寝てしまった。疲れていたのだろう。
その寝顔は、最初に感じた大人びた顔ではなく、自分の責任を全うしようとした二十九歳の男の等身大のものであった。
小野瀬も不安だったのだ。馴れない取材、そして何より陰惨な殺人事件が生まれ育った土地で起こったことが。
車窓から見える景色は相変わらず暗いが、そこにぽつりぽつりと家の明かりが見える。その一つひとつに人生があるのだ。
誰もが大なり小なり、何らかの不安を抱えている。それに押し潰されないようにと、自分の中にあるもの、周りにあるものを支えにして生きている。自分は、色々な人に支えられてばかりだ。自分もしっかりとしなくてはと楓は心に誓った。
「マントに仮面だなんて、ずいぶんとオカルトじみた宗教ですね」
車に乗り込みながら楓は言った。
「そうですね。サバトについては、うちの編集部でさえ情報をあまり掴めていません。けれど、実は気になっていることがありまして。僕が子どもの頃に祖父から言われていたんですが」
小野瀬はフロントガラスの向こうを見ながら小さく溢した。
「『暗い時間に出歩くと魔女に攫われてしまうぞ』と」
「え、魔女ですか」
「そうなんです。昔は子どもを戒めるための作り話かと思ってたんですが、こうして魔女を信仰する宗教団体がこの町に来たということが、偶然とは思えなくて」
事件にサバトが関わっていることは間違いない。
楓と小野瀬は、サバトの施設へ取材に向かうことにした。
しかしながら、活動についてはあまり公にされていない、謎の多い宗教団体だ。正面から挑んでも無駄かもしれない。少しでも情報を得ようと、町の住人に訊いてまわったが、有力な情報はやはり皆無に等しい。
日本で宗教法人を立ち上げるのは容易いものではない。理由はいうまでもなく、宗教法人に対する税制の優遇措置だ。企業と違い、利益を生まない宗教法人は、公益性の観点からあらゆる面で税制が優遇されている。
それ故、脱税やマネーロンダリングの温床になりやすいことから、申請には三年程度の活動実績が必要とされる。その間の活動の証明や収支報告書などを提出する必要があり、決して容易に立ち上げられるわけではない。
だからこそ、何かしらの活動が行われていることは間違いない。しかし、今はその取っ掛かりすらない状態で、雲のようにそこに見えるのに触れることができない存在だ。
諦めかけていると、坪川から着信が入った。
「おっす。小野瀬くんとよろしくやってるか?」
「切ります」
「待てって! 冗談だよ。こっちでも色々とサバトについて調べてみたんだ」
自分で仕事を渡しただけに、坪川なりに楓を気遣ってくれているらしい。スピーカーフォンに切り替えて小野寺も聞けるようにする。
「サバトは二〇一三年に設立された宗教法人だ。経営母体はなく、信者は数人しかいないらしい」
かなり小規模な団体だ。活動資金などはどうしているのだろうか。
「で、活動目的なんだが、これも噂の域は出ないが、キリスト教の聖人のワルプルガを信仰してるみたいだ。この聖ワルプルガっていうのが、八世紀頃の尼僧で、ドイツでキリスト教の布教をしていたそうだ。で、そのワルプルガが死後、魔術や疫病に対する守り神として祀られたらしい。ドイツで行われている《ヴァルプリギスの夜》って祭りの名前の由来になってる」
「《ヴァルプリギスの夜》……どんなお祭りなんですか」
自分で調べてもいいが、楽なのでそのまま坪川に喋らせることにした。
「まったく、少しは調べようとしなさいよ。仕方ないな」
そう言うわりに厭そうではない。坪川はそういう男なのだ。
「《ヴァルプルギスの夜》四月三十日から五月一日の間の夜のことで、魔女が集まる祭りだ。で、その集会のことを《サバト》と呼ぶんだ。サバトに魔女信仰があるというのは、そこからきてるんだな。
今でもドイツでは《ヴァルプルギスの夜》の祭りは行われているが、住人が魔女に扮装して踊って騒ぐだけの祭りになってるらしい。まあ、元々の《ヴァルプルギスの夜》も、魔女がどんちゃん騒ぎするだけだから大差ないみたいだが」
また何か判ったら連絡するよ、と言って坪川は電話を切った。
「魔術に関する聖人を信仰しているわけですか」
小野瀬はぽつりと言ったが、まだ頭の整理がついていないようだ。それは楓も同じだった。
「信仰対象は判っても、何を目的に活動をしているのか、まだ判りませんね」
「そうですね。ひとまずはその取っ掛かりから調べてみましょう」
小野瀬と共に、サバトの施設へ行ってみることにした。
施設は新島の言葉のとおり、町外れの山の麓にあった。一部には畑のようなものもあるが、他はただ雑草が生い茂る野原が広がっており、昼間でも人の気配がなかった。
野原の先に突然現れる白い施設は、田舎町には明らかに異質な存在だった。
正面の鉄柵の門の隙間から覗く建物は、二階建ての四角いコンクリート造りで、とてもシンプルな外見だった。宗教施設といえば宮殿のような大掛かりな建物というイメージがあったので、その質素な外見は意外であった。しかし、それに不釣り合いなほど高い塀が建物を囲っている。
「意外と、というか、思ったより小さいですね。建物だけ見れば、普通の会社の事務所みたい」
「たしかに、僕ももっと派手なものを想像してました」
敷地内にも人がいる様子はなく、とても静かだった。駐車場らしきスペースもあるが、一台も車は停まっていない。
周囲に響いたのは風が揺らす葉音だけで、ふと裏手にある山の方から聞こえたガサッという音がした。何か猿のような動物が通ったのだろうか。
門を見ると呼び鈴のようなものが付いていた。押してみるが、中から反応はない。
「誰もいないみたいですね」
「そうみたいですね。出直すようですかね」
中に人の気配がないこともさることながら、楓にはもうひとつ違和感があった。
呼び鈴は本当に鳴っているのだろうか。
その時、背後から音がした。
見ると、野原から白い軽トラックがやってきて、楓たちの手前で停まった。
「あんたらも、取材の人かい?」
軽トラックから降りたのは、七十近いかと思われる、帽子を被った男だった。助手席には妻らしき女性が座っていた。農家の老夫婦なのだろうか。
「はい、そうです」
「って、あんたは幹生さんとこのせがれか」
男は小野瀬の方を向いていった。小野瀬の父親と面識があるようだが、小野瀬は心当たりがないらしい。
小野瀬が頷く。
「何やってんだ? こんなとこで」
「実は、僕らは事件の取材をしてまして」
「ああ、そうなのか」
男は「やっぱりな」というように苦々しい顔をした。施設の方を向くと言った。
「昨日、取材の連中がたくさん来てたよ。生憎、ここは、昼は誰もいねえ」
やはり昼間に人はいないようだ。
「そうなると、夜には人がいるということでしょうか?」
小野瀬の言葉に男が腕組みをして答える。
「そうなんだが、昨日の夜取材に来てた連中は、文字通りの門前払いだったみたいだ。『取材には一切お答えできません』って言われて終わりだってよ」
やはり、取材は難しいだろうか。農家の男は近くに畑があり、昨日は門前払いを受けた取材陣から話を何度も訊かれたそうだ。
「全部『知らん』って言い返したけどな」
「ホープのマスターに聞いたんですが、ここで仮面姿の人を見たという話があるらしいんですが」
小野瀬がカードを一枚切った。結果的に、それが功を奏した。
「ああ、それは橋本のせがれの達也だろ」
ホープで聞いた噂の主が判明した。
「その橋本さんの息子さんが目撃したんですか」
ああ、いたのかという表情で楓の方を向いて男は答えた。
「そうらしいよ。とにかく不気味だったって、それ以来寄り付こうとしない」
「橋本さんのお宅に行けば達也さんに会えますか」
「いや、あそこのせがれは農家を継がないで、隣の陽石に住んでる。二年くらい前にこっちへ帰ってきた時に、話を聞いて興味本位で見に行ったんだと」
ここの隣町が陽石町というんです、と小野瀬が小声で教えてくれた。
できれば本人から話を訊きたかったが、夕方にはここを出なければならないので、隣町まで行っている時間はないだろう。それに、噂以上の情報はなさそうだ。
「毎日ではないが、夜になると電気が点いてるから誰かいるんだろうが、気味が悪いったらない」
夜しかいないのであれば、昨晩行っておくべきだったと楓は後悔した。しかし、昨晩行ったとしても、他の取材陣と同様に門前払いされただけだったかもしれないが。
最後に名前を訊くと、男は三武と答えた。
その後、聞き込みをして帰る際にもう一度サバトの施設を訪れることにした。
しかしながら、二時間の聞き込みで収穫はなく、夕焼けに染まったサバトの施設にはまだ明かりが灯っていなかった。
夕暮れが町から光を消し、家々に明かりが点々と町を照らしていく。
ここに残りサバトへの取材をしたいと楓は小野瀬へ提案しようかとも考えた。しかし、これは小野瀬が奏明社の社員として任された案件である。楓はあくまでもサポートに過ぎない。一人で居座って小野瀬に迷惑をかけてもいけないだろう。
楓は小野瀬と共に一度東京に戻ることにした。
華月町を出て、車は昨日来た道を戻っていく。辺りはすでに真っ暗な世界が広がっていた。街灯もあまりなく、対向車もいない。小野瀬の運転する車のヘッドライトが唯一の明かりだった。
カーブの多い山道を抜けた。昨日は青く輝いていた海も、今は黒く塗りつぶされてしまっている。次第に車も増えていくにつれ、日常に戻っていくような感覚になる。
小田原駅に到着し、レンタカーを返却した。小野瀬は一度職場に立ち寄るというので、そのまま小田急線に乗り込んだ。平日夜の上り電車は空いていた。ガラガラの車内で小野瀬が言った。
「今回はありがとうございました。編集部には僕から報告しておきます」
「いえ、こちらこそ。この先、どうなるんでしょう」
「まだ何とも言えませんね。有力な情報はありませんでしたし、記事にするかどうか。今後の警察の動向によるかもしれません」
警察も間違いなくサバトをマークしているだろう。そこで新たな動きがあれば、状況はまた変わる。
「私、あまり役に立てなかったですよね」
ずっと気に掛かっていた言葉が思わず出てしまう。
「いえ! そんなことはありません……」
小野瀬は楓の方を向き、上ずった声で言ったあと、すぐに正面に顔を戻した。
「僕は編集の人間です。取材をすることはあまりありませんでした。いくら地元とはいえ、馴れない取材でとても不安がありました。だから、月島さんがいてくれて、心強かったです」
大人びて見えていた小野瀬の顔にふと、あどけなさが滲んだ。
電車が出発すると、小野瀬は小さな寝息を立てて寝てしまった。疲れていたのだろう。
その寝顔は、最初に感じた大人びた顔ではなく、自分の責任を全うしようとした二十九歳の男の等身大のものであった。
小野瀬も不安だったのだ。馴れない取材、そして何より陰惨な殺人事件が生まれ育った土地で起こったことが。
車窓から見える景色は相変わらず暗いが、そこにぽつりぽつりと家の明かりが見える。その一つひとつに人生があるのだ。
誰もが大なり小なり、何らかの不安を抱えている。それに押し潰されないようにと、自分の中にあるもの、周りにあるものを支えにして生きている。自分は、色々な人に支えられてばかりだ。自分もしっかりとしなくてはと楓は心に誓った。
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