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リリーシェ王国・婚約編

閑話 アイミヤ、策略を巡らせる

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「トールを、彼を奪わないと……」

沸騰しそうな怒りがずっと体の中で燻っている。今にも吐きそうなほどだ。

 ……どれもこれもお姉さまのせいよ。私を愛してくれない上に、私と違って何もしなくても色々なものが手に入る。だから奪っていたのに、あんな婚約者を連れてくるなんて。美しくて、優しくて、そのうえ王子様。傍目から見ても、いかにもお似合いな二人だった。……彼は平民だって、私には言ってた癖に。嘘つき。

 ……許せない。

 本当はこの世界は私を愛してくれるはずだったのに。前世の劣悪なところから、とっても素敵なこの世界に行けたはずだったのに。

「今度こそ、お姉様から全部奪ってやるんだから」


 ◇◇◇


 昔の──いや、前世の私の名はアイミヤではなく、地球の日本で生まれ育った宮原藍香だった。今の超絶、とびっきり可愛いアイミヤとは違って、藍香は全体的にもっさりした容姿だったからぱっとしなくて、言いたいことも言えなくて、そのうえ勉強も運動も何もかもさっぱりだったから、虐められやすかった。だから小学校、中学校、とずっと一人だった。

 そのうえ、十四歳で病気を患った。小児がん、というやつだ。発覚したときにはもう手遅れだった。

『あと、二年といったところかと──』

 ちょっと体調が悪くて、受診した。風邪だと、思っていた。そのはずなのに突然投げられたその言葉は、私には到底受け入れられなかったのだ。

 言葉通り、私が生きられたのはそれからたった二年だった。

 母親は元々私のことがそこまで好きではなかったようだし、病気を患った娘から離れることで、優秀な兄以外見なかったことにしたかったのか、次第にお見舞いには来なくなった。父親は仕事で元々帰ってこない人だったから言うまでもなく来なかった。

 友人などはいるわけがなくて、もちろん誰一人訪れることはなかった。

 病室に来るのは、医者と看護師と、あと掃除の人と。一日で五人来たらいいところ。

 会話なんて一言二言でおしまい。体調はどうですか、の定型文ばかり。

 一言で言うならば地獄だった。

 病気だという事実以上に、誰も来なくて誰からも好かれていないことが苦しくて悲しくて仕方なかった。

『だれ、か……』

死にたくない。死にたくないよ。助けてよ。

 お母さん。

 お父さん。

 お兄ちゃん。

 先生。

 置いてかないで。

 お話したいの。

 一人は嫌だよ。

 誰でもいいから。

 お願いだから、誰か、来て──

 そんな願いが届くことは、なかった。

 最期まで結局、宮原藍香は独りだった。

 ぷつん、と視界が途切れて、苦しいのも消えて、おそらく死んでからは真っ暗闇の、何もない世界をあてもなくふらふらと彷徨っていた。そこがどこなのか、自分がどうなったのか何も分からなかったけれど、もうどうでも良かった。

 どうしようもない悲しみと寂しさを紛らわすには丁度良かったから。

『ふぅん、死んじゃったの。可哀想』

どれだけ経ったかはわからない。突然だった。女の人の声が響いたのだ。可哀想などとは微塵も思っていないような愉しげな声だった。

『あなた、誰?』

『神様、といったところ? 精霊とかとも言われるわね。少なくとも、貴方のような人間風情が普通ならお目にかかれない程度には高位な存在ではあるわ。──ねぇ貴方、やり直したくないかしら?』

別の世界で転生してやり直してみないか、とその神様は言った。あまりにも不憫だから、チャンスをあげたい、と。

『……その世界は、私を独りにしないでくれるの?』

それなら、それならば。

『努力次第、かしら。でも、有利になるような特別な力はあげるわよ。相手に好かれるようになる素敵な魔法をかけてあげる。光属性を持っているような強い人には効かないだろうけど、まぁ滅多にいないし大丈夫よ』

もう一度やり直したい。今度こそ、独りにならないように。

『ふふ、決定ね』

何も言わなくても伝わったのか、彼女は私をそのまま転生させた。

 容姿端麗な公爵令嬢、アイミヤ・ヴィオテールに。

 彼女の言っていた通り、私には周りの人に好かれる魔法が掛けられているらしい。意図的に使うこともできて、のちにそれが魅了魔法と呼ばれるものなのだと知った。

 これを使って、今度こそ、愛されて沢山の人に囲まれる素敵な人生にするんだ──そう思っていたのに。

『フィティア様が来年、学園に入学されるんですってね』

『なんでも、とても優秀で素晴らしい方だとか……』

友人が話に出した姉に、実を言うと私はそれまでほとんど会ったことがなかった。

 姉は三歳で王太子の婚約者になってからずっと、登城して勉強や執務に明け暮れていたらしく、彼女と私が顔を合わせたのは私が生まれたときに一度きり。かろうじて顔を知っている程度で正直どんな人なのか全く知らなかったぐらいだ。

 ……お姉ちゃんか。前世のお兄ちゃんには可愛がられなかったし、今度は仲良くしたいな。

 そう思って、迂闊に近寄ったのが失敗だった。

 さらりと長いストレートの白銀色の髪。太陽光を反射させてきらきらと輝くそれはまるで雪のよう。瞳はセルリアンブルーの透き通った空の色をした魔眼で宝石のように輝いていて美しい。

 そんな十人いれば十人が振り返るような秀でた容姿だけではなく、姉は魔法においてもトップクラスで誰もに素晴らしい使い手になると絶賛されるほどに優れていて、マナーやほかの勉学においても非の打ち所がないとしか言いようがないくらいに完璧。彼女を褒めない先生は一人もいなかったというほど。

 この世界に来て初めて、私よりも明らかに優れた容姿に優れた能力を持つ人に出会った瞬間だった。

 ……ずるい。

 そう感じた私は、そのときにお姉様に魅了魔法をかけたのだ。自分を好きになるように。転生時、神からもらった特殊な力であるそれで。自分より美しいものを自分のものにして、劣等感を無理やりにでも消すために。

 ……なのに。なのに、だ。

 効かなかった。何事もなかったかのように、社交的な笑みを貼り付けたまま、どうしたのアイミヤ、なんて私に聞いただけ。

 おかしい。おかしい。どうして。

 ふと、あのときの神の言葉を思い出した。……光属性を持っているから、お姉様には効かないのね。

 悔しくて、恨めしくて仕方なかった。

 だから、決めたのだ。この黒く渦巻きヘドロのように張り付く忌まわしい感情を消すために、お姉様からすべてを奪うことにしたのだ。

 だから、今回も奪い取る。

 お姉様が、私より幸せになるなんて許さない。


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