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最終章 会津騒動 編

第131話 家光の激怒

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天樹院は天秀尼からの手紙を受け取り、さっそく読み始めた。すると、当初、にこやかだった顔が急に曇りだし、ついには手紙を持つ手が震えだす。

長年、天樹院に付き従うお付きの侍女たちも、ここまで怒りを露わにする主人を見るのは初めての事だった。
それは、どうお声掛けしていいものかと迷うほど。

すると、天樹院の方から、「ちょっと、出かけてきます」と告げて、竹橋御殿から出て行ってしまった。

その後ろ姿を見ただけでも、ただ事でない事が十分分かる。先ほどの手紙に、一体、何が書かれていたのか?
侍女たちは、想像する事すら、できないのだった。

屋敷を出た天樹院が目指すのは、将軍・家光の元である。
今の時間であれば、御座所ござしょにいるはずだ。天樹院は、江戸城、本丸を目指す。

すると、城の中奥の廊下で、春日局とばったりと鉢合わせた。
手にする手紙をお互いに認め合い、目的が同じであると理解する。

春日局の後ろには、老中・松平信綱もおり、どうやら彼も一緒のようだ。
ただ、女性二人と少々異なるのは、怒りの表情というよりは、やや困惑した顔をしていることである。

後で振り返って考えてみると、おそらく信綱は、この後の展開、政治的部分で、どう対処すべきか迷っていたのだと、天樹院は気がつく。
しかし、この時は、それどころではなかったのだ。

「天秀からの訴状、読みましたが、私は許せませぬ」
「同感でございます。公方さまにお伝えし、すぐに手を打っていただきましょう」

やや興奮がちな二人をなだめながら、信綱は将軍近侍に取り次いでもらうよう依頼する。
程なくして、三人は家光の前に通された。

「どうしたのです。姉上に春日、信綱までそろって」
「まずは、これをご覧になって」

天樹院から一通の手紙が渡される。ぱっと見、送り主は天秀尼だと気付くのだが、家光は三人の様子が気になった。
特に天樹院と春日局が、いつになく憤慨しているおり、余程の事が書かれているのだろうと推察できる。

そして、手紙を読んでいくと、二人の怒りの理由がもっともだと家光も認めた。
しばし考えた後、信綱に、「緊急で詮議を開く。主だった者を集めてくれ」と指示するのだった。

ここで、急遽ながらも信綱の判断で、老中以上が総動員される。
集まったのは、大老・土井利勝、酒井忠勝。老中・松平信綱、阿部忠秋、堀田正盛ほったまさもり阿部重次あべしげつぐと、徳川幕府における最高職の面々だ。

それだけ、重要案件になると信綱は読み、揃った家臣団を見た家光は満足する。
一堂に向けて、詮議のよしを告げた。

「この度、東慶寺に匿われていた堀主水の元妻らが加藤明成にさらわれた事が分かった」
「あそこは男子禁制の尼寺。・・・まさか兵を入れたということでございましょうか?」

真っ先に声を上げたのは、高野山の対応で明成から相談を受けた忠勝である。その際、あれほど、寺社仏閣には兵をいれるなと、釘を刺していたのだ。
まさか、そのような暴挙に出るとは、にわかには信じられないのである。

「残念ながら、そのようでございます」

家光の代わりに、手紙を直に受け取った信綱が答えた。
その回答に、皆は一様に、唸り声を上げる。

「まずは、事実関係の確認をいたしましょう」
「いや、天秀が、そのような嘘を言ってくる訳がない。余が一堂を集めたのは、どこまでやるかを相談するためじゃ」

『どこまでやるか』というのは、つまり、東慶寺の言い分を信用し、加藤明成にどんな罰を与えるかと言う意味である。
その受け取りに、間違いがないか確認するため、一応、利勝が念を押した。

「つまり、加藤殿に非ありということですな」
「当然である。東慶寺は幕府直轄の寺。そこに無断で兵を入れるは、幕府に弓引くと同義。また、東慶寺には大権現さまお声掛けの寺法もある。明成は、それすらも破ったのだ」

自分自身と尊敬する家康。明成の行為は、二人の顔に泥を塗ったことになると家光は主張した。
ここまで、断罪するとなると、すでに家光の中では厳罰を下す準備があるのだと、容易に想像ができる。
老中たちの頭には、『あの加藤家が・・・』と思わずにいられなかった。

「余は、かような者に会津は任せられぬと考える」
「そうですね。明成殿は引退。その子に継がせるとしても移転減封というのが、落としどころかと思われます」

頭の回転が速い信綱が、妥当な線を提案する。家光としても、加藤家に大名の地位だけは、残したいと思っていた。
それは、先代、嘉明の忠勤に対しての配慮である。

この閣議の結果は、すぐに会津上屋敷に伝えられる。
明成は、江戸城大広間に召し出されるのだった。

当初、明成は、自分がどうして呼び出されたのか理由が分からず、困惑する。
ただ、居並ぶ面子を見るにただ事ではないことだけは分かった。

緊張の空気の中、家光が明成を問い質す。

「東慶寺を襲撃した件、どう申し開きする?」
「し、襲撃など、表現が大袈裟でございます」

明成は、慌てて否定した。だが、老中たちから向けられる、冷たい視線で自身の置かれている状況の悪さを理解する。
自分が呼ばれた理由は、先ほどの会話でおおよその把握ができた。後は、どうやって、この場を切り抜けるかである。
明成は、持てる知力を総動員して、考え込むのだった。
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