130 / 134
最終章 会津騒動 編
第129話 凶変
しおりを挟む
「それでは、どうあっても会津藩の申し出には応じないということだな」
「はい。公方さまが問題視された若松城への銃撃は、堀さまの判断でございます。そこに妻のお葉さまは関与しておりませぬゆえ」
「まぁ、そうよなぁ」
これは、寺社奉行・安藤重長の元を天秀尼が訪れ、東慶寺の警護について相談している最中の会話である。
重長に少々困った口調が垣間見えるのは、実は加藤明成自身が重長の邸宅にやって来て、苦言を呈したという事があったようだ。
しかし、重長も天秀尼の意見には、概ね賛同しているため、取り立てて東慶寺の対応を問題にする事はない。
ただ、これからも何かと明成が邸宅を訪れてくる可能性を考え、やや憂慮したことによる言葉使いであった。
「加藤さまは、安藤さまに何と申してきたのでしょうか?」
「ああ、堀主水は罪人ゆえ、妻子も連座で罪に問わねばならぬと申してな・・・」
「連座とは、また大仰な事を・・・」
明成は、主水の行為は謀反であり、連座を適用すべきと主張しているようだが、家光の裁定では、そこまで言っていない。
『家臣にあるまじき行為』に留まっている。故に切腹を命じたのだ。
風の噂では、独断で罪人として主水の首を斬ったという話もあるようだが、それはあくまでも明成の判断。
幕府の公式見解では、謀反とまで判断していないのだ。
「そのお話を聞いただけでも、何やら加藤さまの強い執念を感じます。どういう行動を起こすか読めぬ以上、どうか、東慶寺の警護に気を配ってはいただけないでしょうか?」
「うむ。天秀住持が受け取った書状を拝見したが、加藤殿は常軌を逸しているとしか思えん。必ず、対応しよう」
寺社奉行としても東慶寺に火をかけられ、旧忠長邸宅が燃やされたとあっては、どのような責任追及があるか分からない。
当然ながら、他人事ではなく重長も警護の件は、優先してあたる重要事項という認識を持っていた。
「ありがとうございます。では、これにて失礼いたします」
重長から色よい返事をいただいた天秀尼が、謝意を述べて立ち去ろうとした時、屋敷の外から、「侵入者あり」という大きな声が上がる。
どうやら、その者は、門番の制止を振り切り、一目散に屋敷の中に飛び込んだようだ。重長邸は、一時騒然となる。
すると、突然、一人の男が天秀尼と重長の前に転がり込んできた。
「きゃっ」
驚く天秀尼の声と同時に重長は、刀掛けにある愛刀に手を伸ばす。
すかさず抜き身にして、男に向かって刃先を向けた次の瞬間、天秀尼が、その男の元へ走り寄る姿が見えた。
「下がれ、天秀殿」
「いえ、この者は私の知り合いです」
その言葉を聞いて重長は刀を下すと、成り行きを見守ることにする。
一旦、刀を鞘の中に収めるのだった。
「瓢太さん、どうしたんですか?」
息を切らせて倒れ込んでいる男は、何と東慶寺にいるはずの瓢太だったのである。
風魔一族の末裔で、体力に自信がある瓢太が、ここまで消耗して天秀尼の前に現れた。
何か不吉な予感がしてならない。
「天秀・・・すまない。会津の奴らにやられた」
「一体、何があったのですか?」
「・・・お葉さんと千代が、・・・連れ去られた」
瓢太の口から出たのは、驚き内容だった。
東慶寺の中にいる二人を無理矢理、連れ去るなど、通常できるわけがない。
もし、それを実現しようとするならば、男子禁制を破り、境内の中に兵を侵入させなければ無理な話だ。
そして、事実は天秀尼が想像した通りのことが起きてしまったようだった。
まず、寺役人の詰所に人を送り、足止めしている隙に、別の者たちが東慶寺に押入ったとのこと。
瓢太は、その場におらず、後からこの事を知り、慌てて天秀尼に報せにきたようだ。
運悪く、今回、甲斐姫も天秀尼とともに江戸に来ている。今は、春日局の所にいるはずで、寺の中が手薄だったと言えなくもない。
だが、それにしても・・・
許せないのは明成の所業。
天秀尼が、これほど人に対して、怒りを覚えるのは初めてのことだった。
見た目、怒気を抑えた天秀尼は、この一大事を知らせてくれた瓢太を労わる。
鎌倉から江戸まで、男の足で旅した場合でも、一日半の距離。
それをおそらく、短時間で走破してきたのだろう。
でなければ、瓢太がここまで疲れ果てることはない。
「瓢太さん、ありがとうございます。ゆっくり、休んでください」
そう話した天秀尼は、重長に向き直した。
「これより、東慶寺に戻り、ことの次第を確認してまいります」
「分かった。何かあれば、すぐに報せよ」
「承知いたしました。申し訳ございませんが、瓢太さんの看護もお願いいたします」
静かにだが、怒れる天秀尼の背中に重長は圧倒される。
何か空気が薄くなったような気がして、自分の心拍数も上がったように感じた。
『これが、太閤の血脈か・・・』
大権現さまは、国松丸を処刑する際、豊臣家は三代続けて駿馬を輩出したかと、舌を巻いたそうだが・・・
ここに残る最後の血筋も、それに匹敵する紛れもない本物。
重長は、そう思わされながら、天秀尼を見送るのだった。
「はい。公方さまが問題視された若松城への銃撃は、堀さまの判断でございます。そこに妻のお葉さまは関与しておりませぬゆえ」
「まぁ、そうよなぁ」
これは、寺社奉行・安藤重長の元を天秀尼が訪れ、東慶寺の警護について相談している最中の会話である。
重長に少々困った口調が垣間見えるのは、実は加藤明成自身が重長の邸宅にやって来て、苦言を呈したという事があったようだ。
しかし、重長も天秀尼の意見には、概ね賛同しているため、取り立てて東慶寺の対応を問題にする事はない。
ただ、これからも何かと明成が邸宅を訪れてくる可能性を考え、やや憂慮したことによる言葉使いであった。
「加藤さまは、安藤さまに何と申してきたのでしょうか?」
「ああ、堀主水は罪人ゆえ、妻子も連座で罪に問わねばならぬと申してな・・・」
「連座とは、また大仰な事を・・・」
明成は、主水の行為は謀反であり、連座を適用すべきと主張しているようだが、家光の裁定では、そこまで言っていない。
『家臣にあるまじき行為』に留まっている。故に切腹を命じたのだ。
風の噂では、独断で罪人として主水の首を斬ったという話もあるようだが、それはあくまでも明成の判断。
幕府の公式見解では、謀反とまで判断していないのだ。
「そのお話を聞いただけでも、何やら加藤さまの強い執念を感じます。どういう行動を起こすか読めぬ以上、どうか、東慶寺の警護に気を配ってはいただけないでしょうか?」
「うむ。天秀住持が受け取った書状を拝見したが、加藤殿は常軌を逸しているとしか思えん。必ず、対応しよう」
寺社奉行としても東慶寺に火をかけられ、旧忠長邸宅が燃やされたとあっては、どのような責任追及があるか分からない。
当然ながら、他人事ではなく重長も警護の件は、優先してあたる重要事項という認識を持っていた。
「ありがとうございます。では、これにて失礼いたします」
重長から色よい返事をいただいた天秀尼が、謝意を述べて立ち去ろうとした時、屋敷の外から、「侵入者あり」という大きな声が上がる。
どうやら、その者は、門番の制止を振り切り、一目散に屋敷の中に飛び込んだようだ。重長邸は、一時騒然となる。
すると、突然、一人の男が天秀尼と重長の前に転がり込んできた。
「きゃっ」
驚く天秀尼の声と同時に重長は、刀掛けにある愛刀に手を伸ばす。
すかさず抜き身にして、男に向かって刃先を向けた次の瞬間、天秀尼が、その男の元へ走り寄る姿が見えた。
「下がれ、天秀殿」
「いえ、この者は私の知り合いです」
その言葉を聞いて重長は刀を下すと、成り行きを見守ることにする。
一旦、刀を鞘の中に収めるのだった。
「瓢太さん、どうしたんですか?」
息を切らせて倒れ込んでいる男は、何と東慶寺にいるはずの瓢太だったのである。
風魔一族の末裔で、体力に自信がある瓢太が、ここまで消耗して天秀尼の前に現れた。
何か不吉な予感がしてならない。
「天秀・・・すまない。会津の奴らにやられた」
「一体、何があったのですか?」
「・・・お葉さんと千代が、・・・連れ去られた」
瓢太の口から出たのは、驚き内容だった。
東慶寺の中にいる二人を無理矢理、連れ去るなど、通常できるわけがない。
もし、それを実現しようとするならば、男子禁制を破り、境内の中に兵を侵入させなければ無理な話だ。
そして、事実は天秀尼が想像した通りのことが起きてしまったようだった。
まず、寺役人の詰所に人を送り、足止めしている隙に、別の者たちが東慶寺に押入ったとのこと。
瓢太は、その場におらず、後からこの事を知り、慌てて天秀尼に報せにきたようだ。
運悪く、今回、甲斐姫も天秀尼とともに江戸に来ている。今は、春日局の所にいるはずで、寺の中が手薄だったと言えなくもない。
だが、それにしても・・・
許せないのは明成の所業。
天秀尼が、これほど人に対して、怒りを覚えるのは初めてのことだった。
見た目、怒気を抑えた天秀尼は、この一大事を知らせてくれた瓢太を労わる。
鎌倉から江戸まで、男の足で旅した場合でも、一日半の距離。
それをおそらく、短時間で走破してきたのだろう。
でなければ、瓢太がここまで疲れ果てることはない。
「瓢太さん、ありがとうございます。ゆっくり、休んでください」
そう話した天秀尼は、重長に向き直した。
「これより、東慶寺に戻り、ことの次第を確認してまいります」
「分かった。何かあれば、すぐに報せよ」
「承知いたしました。申し訳ございませんが、瓢太さんの看護もお願いいたします」
静かにだが、怒れる天秀尼の背中に重長は圧倒される。
何か空気が薄くなったような気がして、自分の心拍数も上がったように感じた。
『これが、太閤の血脈か・・・』
大権現さまは、国松丸を処刑する際、豊臣家は三代続けて駿馬を輩出したかと、舌を巻いたそうだが・・・
ここに残る最後の血筋も、それに匹敵する紛れもない本物。
重長は、そう思わされながら、天秀尼を見送るのだった。
1
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
矛先を折る!【完結】
おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。
当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。
そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。
旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。
つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。
この小説は『カクヨム』にも投稿しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
曹操桜【曹操孟徳の伝記 彼はなぜ天下を統一できなかったのか】
みらいつりびと
歴史・時代
赤壁の戦いには謎があります。
曹操軍は、周瑜率いる孫権軍の火攻めにより、大敗北を喫したとされています。
しかし、曹操はおろか、主な武将は誰も死んでいません。どうして?
これを解き明かす新釈三国志をめざして、筆を執りました。
曹操の徐州大虐殺、官渡の捕虜虐殺についても考察します。
劉備は流浪しつづけたのに、なぜ関羽と張飛は離れなかったのか。
呂布と孫堅はどちらの方が強かったのか。
荀彧、荀攸、陳宮、程昱、郭嘉、賈詡、司馬懿はどのような軍師だったのか。
そんな謎について考えながら描いた物語です。
主人公は曹操孟徳。全46話。
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる