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第10章 次代の幕あけ 編
第122話 嵐の前
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天秀尼の住持就任の辞令が、幕府から下された。
統括する寺社奉行安藤重長、自らが使者となるほどの配慮に、天秀尼は恐縮する。
恭しく任命書を受け取るのだった。
一通りの儀式を済ませると修行する尼僧たちを本殿の前に集める。第二十世住持としての挨拶を執り行うのだ。いわゆる所信演説である。
「皆さま、この度、私が新しい住持となりました。これまで共に修行に励んだ間柄、特に気遣う必要はございません。ただ、一点だけ、お願いがございます。東慶寺は、苦しむ女性の最後の寄る辺。頼って参られた方へは、必ず最後まで救いの手を差し伸べる。それだけは、心の中に留め置いて下さい」
万雷の拍手の中、天秀尼はお辞儀をした。
いつまでも鳴りやまない拍手に微笑みながら、壇上を降りると待っていたのは、甲斐姫と瓊山尼である。
「あの稚児が、ここまで立派になるとは、小石にこの晴れ姿、見せてやりたいわ」
少し、その目が潤んでいるように見える甲斐姫は、天秀尼の実の母の名を挙げて喜んだ。
そして、同じく明るい表情の瓊山尼は、「どうやら、後は任せて、私はゆっくりできそうですね」と口元を緩ませる。
二人が感じていたのは、これでようやく肩の荷が下りたというような解放感と、一つの達成感。
いずれにせよ、感無量という気持ちに変わりはなかった。
ただ二人は、これで東慶寺を去るということはない。甲斐姫は元より、瓊山尼も引き続き、東慶寺の中で生活を送ることにした。
これは天秀尼、たってのお願いを瓊山尼が聞き入れた形で、彼女も新しい住持の成長を見守りたいという思いから残ることにする。
師と呼ぶ二人が近くにいることは、天秀尼にとって安心できる材料なのだ。
続けて、天秀尼は信頼の置ける白閏尼を自分の代わりに蔵主に任命しようとしたが、それは断られる。
それほどの功績もないと強く固辞されたのだ。
但し、そのような地位がなくとも天秀尼には、しっかりとついていくとの言質をもらい、立場が変わっても変わらぬ友誼に感謝する。
本日の儀式では、天樹院、春日局、それぞれより祝賀の贈り物が届けられていた。
それは個人的に懇意にしているというだけではなく、徳川家との特別なつながりを世間に知らしめることにつながる。
それは、東慶寺のますますの発展を誰もが疑わない。
天秀尼住持就任を順風満帆の門出と示すものだった。
新しい住持就任に鎌倉が沸く頃、陸奥国会津藩、その城下で、侍同士の諍いが起きる。
それは藩主・加藤明成の直臣と筆頭家老・堀主水の家臣たちによる揉め事。
以前から、両家臣の間には争いとなる火種はあった。それは、日頃から明成の素行を何度も主水が讒言したことによる、両者の不仲である。
明成の父・加藤嘉明は、豊臣秀吉の子飼いの将で、賤ケ岳の七本槍とまで呼ばれた名将だった。
秀吉亡き後、関ヶ原では石田三成と対立して東軍につく。
以降、家康傘下の将として活躍し、伊与松山藩二十万石から会津藩四十万石の大大名にまで昇り詰めた。
1631年に亡くなると息子の明成が会津藩を引継ぐのだが、父の時代の治世とは打って変わり、領民は困窮にあえぐことになる。
明成は、お金に意地汚く、私利私欲のため年貢の引上げや商人にも高い税を課したのだ。
それらの藩政、素行の改善を主水は何度も指摘するのだが、明成の心には届かない。
二人の仲は、次第に悪くなり、その溝だけが深くなっていったのだ。
そういった背景もあり、互いの直臣の仲も自然と悪くなる。
ただ、今回、喧嘩を吹っかけてきたのは、明成の直臣の方だった。
「堀に落ちただけで、手柄を立てたと大きな顔をするのは、いかがなものか?」
「なっ。我が主君を愚弄なさるのかっ」
堀主水の旧姓は多賀井なのだが、大阪夏の陣で、堀に落ちながらも組み合った敵を討ち取ったことで、嘉明から堀姓を名乗ることを許されたのである。
そんな主に対する侮辱を主水の家臣は、歯ぎしりしながらも我慢した。
相手は、藩主の直臣。ここで、問題を起こせば、主水に迷惑が掛かると判断したのだ。
そこで、虎の威を借る明成の家臣は、更に調子に乗る。
「ふん、度胸のない奴らだ」
そう話すと何と、鞘から刀を抜いて白刃を晒したのだ。そこまで、されては主水の家臣も黙っていられない。
「抜いたのは、そちらが先ですぞ」
「ふん。生き残ってから、ものを言え」
こうして、白昼の刃傷事件が起きた。
この件は、問題として取り上げられるのだが、藩主の直臣と筆頭家老の直臣。
会津藩の中では、誰も簡単に裁くことが出来ない。
但し、不問とする訳にも行かず、藩主の明成に裁定が一任される。
この後、思いもよらない明成の裁断により、会津藩に暗雲が立ち籠ることになるのだった。
これは、はるか遠い陸奥国で起こった事件。それが、まさか鎌倉の東慶寺にまで影響が及ぶとは、この時、誰も知る由がなかった。
その頃、東慶寺にいる天秀尼は、庭に咲く二輪の花に見惚れていた。
花の名は分からず、どこかから種が紛れ込んで咲かせたものと思われる。
だが、背筋がピンと立ち、派手ではなく淡白な色合いながらも、誇らしげに咲き誇る姿に感銘を受けたのだ。
「これは、お義母さまにもお見せしたいわ」
そう思った天秀尼は、花が枯れぬように鉢に移し替え、天樹院に届けるよう瓢太に託した。
きっと、喜ぶだろうと、義母の笑顔を思い浮かべて、天秀尼は満足するのだった。
統括する寺社奉行安藤重長、自らが使者となるほどの配慮に、天秀尼は恐縮する。
恭しく任命書を受け取るのだった。
一通りの儀式を済ませると修行する尼僧たちを本殿の前に集める。第二十世住持としての挨拶を執り行うのだ。いわゆる所信演説である。
「皆さま、この度、私が新しい住持となりました。これまで共に修行に励んだ間柄、特に気遣う必要はございません。ただ、一点だけ、お願いがございます。東慶寺は、苦しむ女性の最後の寄る辺。頼って参られた方へは、必ず最後まで救いの手を差し伸べる。それだけは、心の中に留め置いて下さい」
万雷の拍手の中、天秀尼はお辞儀をした。
いつまでも鳴りやまない拍手に微笑みながら、壇上を降りると待っていたのは、甲斐姫と瓊山尼である。
「あの稚児が、ここまで立派になるとは、小石にこの晴れ姿、見せてやりたいわ」
少し、その目が潤んでいるように見える甲斐姫は、天秀尼の実の母の名を挙げて喜んだ。
そして、同じく明るい表情の瓊山尼は、「どうやら、後は任せて、私はゆっくりできそうですね」と口元を緩ませる。
二人が感じていたのは、これでようやく肩の荷が下りたというような解放感と、一つの達成感。
いずれにせよ、感無量という気持ちに変わりはなかった。
ただ二人は、これで東慶寺を去るということはない。甲斐姫は元より、瓊山尼も引き続き、東慶寺の中で生活を送ることにした。
これは天秀尼、たってのお願いを瓊山尼が聞き入れた形で、彼女も新しい住持の成長を見守りたいという思いから残ることにする。
師と呼ぶ二人が近くにいることは、天秀尼にとって安心できる材料なのだ。
続けて、天秀尼は信頼の置ける白閏尼を自分の代わりに蔵主に任命しようとしたが、それは断られる。
それほどの功績もないと強く固辞されたのだ。
但し、そのような地位がなくとも天秀尼には、しっかりとついていくとの言質をもらい、立場が変わっても変わらぬ友誼に感謝する。
本日の儀式では、天樹院、春日局、それぞれより祝賀の贈り物が届けられていた。
それは個人的に懇意にしているというだけではなく、徳川家との特別なつながりを世間に知らしめることにつながる。
それは、東慶寺のますますの発展を誰もが疑わない。
天秀尼住持就任を順風満帆の門出と示すものだった。
新しい住持就任に鎌倉が沸く頃、陸奥国会津藩、その城下で、侍同士の諍いが起きる。
それは藩主・加藤明成の直臣と筆頭家老・堀主水の家臣たちによる揉め事。
以前から、両家臣の間には争いとなる火種はあった。それは、日頃から明成の素行を何度も主水が讒言したことによる、両者の不仲である。
明成の父・加藤嘉明は、豊臣秀吉の子飼いの将で、賤ケ岳の七本槍とまで呼ばれた名将だった。
秀吉亡き後、関ヶ原では石田三成と対立して東軍につく。
以降、家康傘下の将として活躍し、伊与松山藩二十万石から会津藩四十万石の大大名にまで昇り詰めた。
1631年に亡くなると息子の明成が会津藩を引継ぐのだが、父の時代の治世とは打って変わり、領民は困窮にあえぐことになる。
明成は、お金に意地汚く、私利私欲のため年貢の引上げや商人にも高い税を課したのだ。
それらの藩政、素行の改善を主水は何度も指摘するのだが、明成の心には届かない。
二人の仲は、次第に悪くなり、その溝だけが深くなっていったのだ。
そういった背景もあり、互いの直臣の仲も自然と悪くなる。
ただ、今回、喧嘩を吹っかけてきたのは、明成の直臣の方だった。
「堀に落ちただけで、手柄を立てたと大きな顔をするのは、いかがなものか?」
「なっ。我が主君を愚弄なさるのかっ」
堀主水の旧姓は多賀井なのだが、大阪夏の陣で、堀に落ちながらも組み合った敵を討ち取ったことで、嘉明から堀姓を名乗ることを許されたのである。
そんな主に対する侮辱を主水の家臣は、歯ぎしりしながらも我慢した。
相手は、藩主の直臣。ここで、問題を起こせば、主水に迷惑が掛かると判断したのだ。
そこで、虎の威を借る明成の家臣は、更に調子に乗る。
「ふん、度胸のない奴らだ」
そう話すと何と、鞘から刀を抜いて白刃を晒したのだ。そこまで、されては主水の家臣も黙っていられない。
「抜いたのは、そちらが先ですぞ」
「ふん。生き残ってから、ものを言え」
こうして、白昼の刃傷事件が起きた。
この件は、問題として取り上げられるのだが、藩主の直臣と筆頭家老の直臣。
会津藩の中では、誰も簡単に裁くことが出来ない。
但し、不問とする訳にも行かず、藩主の明成に裁定が一任される。
この後、思いもよらない明成の裁断により、会津藩に暗雲が立ち籠ることになるのだった。
これは、はるか遠い陸奥国で起こった事件。それが、まさか鎌倉の東慶寺にまで影響が及ぶとは、この時、誰も知る由がなかった。
その頃、東慶寺にいる天秀尼は、庭に咲く二輪の花に見惚れていた。
花の名は分からず、どこかから種が紛れ込んで咲かせたものと思われる。
だが、背筋がピンと立ち、派手ではなく淡白な色合いながらも、誇らしげに咲き誇る姿に感銘を受けたのだ。
「これは、お義母さまにもお見せしたいわ」
そう思った天秀尼は、花が枯れぬように鉢に移し替え、天樹院に届けるよう瓢太に託した。
きっと、喜ぶだろうと、義母の笑顔を思い浮かべて、天秀尼は満足するのだった。
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