122 / 134
第10章 次代の幕あけ 編
第121話 第二十世住持
しおりを挟む
西国では島原の乱が激しさを増した頃、柳生宗矩の強い勧めによって、家光は沢庵宗彭を江戸に招くことにした。
二人の間には紫衣事件にまつわる暗い歴史がある。
しかし、あれから十年の歳月が流れ、家光は将軍として成長していた。
また、沢庵も生来の性格から、過去に拘りを持っていない。
対面し話し込むうちに、まるで何事もなかったかのように二人は、信頼関係を築いていくのだった。
家光は沢庵の説法を聞く度に、その教えに傾倒していき、沢庵もこの将軍を支えようという気持ちへとなる。
おのずと沢庵が江戸城へ召し出される機会は、増えていった。
江戸に居がない沢庵は、その都度、友人である宗矩の下屋敷に逗留する。
そんな沢庵のために、家光は江戸城より、ほど近い品川に邸宅を創建した。これが後の東海寺となる。
当初、沢庵は、この家光の計らいを強く拒否するも、宗矩らからもほだされた結果、最終的には受け入れることにした。
翌年、出来上がった四万坪とも言われる広い寺域を前に、沢庵は一人立ち、物思いにふける。
そんな出来上がったばかりの沢庵邸に招かれた尼僧がいた。それは天秀尼である。
「立派な庭園でございますね」
「立派過ぎるよなぁ・・・おいらもこれで、野僧は廃業。権力に媚びるつなぎ猿よ」
「そのような事・・・西国で大きな乱がありました。沢庵禅師の教えが、治世に必要と公方さまが判断されたのでしょう」
天秀尼の言葉に沢庵は、遠くを見た。
わざわざ天秀尼を招いたのは、自分の愚痴を聞かせるためではない。
「それより、最近、ふさぎ込む日が続いてるって、甲斐ちゃんが心配していたぜ」
「私の不徳のせいでございます」
島原の乱の発端となる松倉勝家の領民への扱い。
考え方を変える機会があったにも関わらず、自身の力が及ばなかったことへの後悔は、まだ続いていたのだ。
だが、そんな天秀尼を沢庵は一笑に付す。
「お前さん、神さまにでもなろうってのかい?」
「いえ、そのようなことはございません」
「なら、人には出来ること出来ないことを理解しなよ」
沢庵の話すことは十分、分かっていた。だが、天秀尼は、どうしても納得ができない。
「ふーっ」
大きな溜息をつくと、沢庵は天秀尼の心情に迫る確信めいた言葉を放った。
「ひょっとしたら、自分は世の中に生かされていると思っちゃいないかい?」
「・・・それは・・・」
豊臣家が滅亡し、ただ一人、生き残った天秀尼。家康から助命された日を境に、確かにそういう気持ちを持っていた。
だからこそ、世に奉仕することに一切、妥協がない。
それがまさしく天秀尼の原動力なのだ。
「秀頼公は、立派な人だったかもしれねぇが、人には立場がある」
「・・・立場・・ですか?」
「そう、かの御仁は、『天下人』として語ったんだろ?でも、お前さんは違う」
沢庵の言葉に、ハッとした天秀尼は熱いものが込み上げてきた。不意に涙が天秀尼の頬を伝うのである。
自分では、そんなつもりはなかったが、いつの間にか『天下万民を慈しむ』という父親の言葉が、重圧として、天秀尼の小さな体にのしかかっていたのかもしれない。
「全ての人の不幸を背負う必要なんてない。手の届く範囲でいいのさ」
「手の届く範囲・・・」
「そう。その代わり、胸中に飛び込んで来た相手は、全力で守りなよ」
沢庵の言葉が、スーッと天秀尼の中に入って来た。
自分が父のようになれる訳がない。東慶寺の尼僧として、出来ることを全力で取り組めばいいのだ。
天秀尼は、肩の力が抜け、何か身軽になった気持ちとなる。
「禅師のお言葉、身に染み入りました」
「なぁに、猿の戯言さ」
吹っ切れた天秀尼は、沢庵に深々と礼をとった。
大きな収穫を得て、江戸を立ち鎌倉へと戻るのだった。
東慶寺に戻った天秀尼は、すぐに瓊山尼に呼ばれる。
部屋に入ると、威儀を正した彼女がおり、天秀尼は緊張感を持ちながら、師匠の前に座った。
「江戸は、どうでしたか?」
「自分の中で、吹っ切れたと言いますか・・・何か新たに思うところを得ました」
瓊山尼は、天秀尼に対して目を細める。また、一つ、成長したのを感じ取ったのだ。
この報せが届いた日に、なんという僥倖だろうか。
「以前より、幕府にお伺いを立てていた事案、ついに許可がおりました」
「それは、何でございましょうか?」
「あなたは、これより東慶寺の住持となるのです」
突然の宣告に天秀尼は驚いた。いずれとは思っていたが、そんな日が、こんな前触れもなくやって来るとは・・・
「運命とは、いつも突然にやってきます」
「・・・その通りですが・・・事が事だけに」
「あなたなら大丈夫。どんな運命も受け止めて、立っていられることでしょう」
それは天秀尼を一人前と認めた瓊山尼の言葉だった。
今までの努力と善行が、実を結んだ結果でもある。
引き続き、師匠の期待に応えようとするのであれば、天秀尼がとるべき行動は一つだ。
天秀尼は、身を整えると畳に指をつき、深々とお辞儀をする。
「承知いたしました。この天秀尼、謹んで、住持の大役、お引き受けいたします」
この了承により、東慶寺第二十世・天秀尼法泰が、ここに誕生するのだった。
二人の間には紫衣事件にまつわる暗い歴史がある。
しかし、あれから十年の歳月が流れ、家光は将軍として成長していた。
また、沢庵も生来の性格から、過去に拘りを持っていない。
対面し話し込むうちに、まるで何事もなかったかのように二人は、信頼関係を築いていくのだった。
家光は沢庵の説法を聞く度に、その教えに傾倒していき、沢庵もこの将軍を支えようという気持ちへとなる。
おのずと沢庵が江戸城へ召し出される機会は、増えていった。
江戸に居がない沢庵は、その都度、友人である宗矩の下屋敷に逗留する。
そんな沢庵のために、家光は江戸城より、ほど近い品川に邸宅を創建した。これが後の東海寺となる。
当初、沢庵は、この家光の計らいを強く拒否するも、宗矩らからもほだされた結果、最終的には受け入れることにした。
翌年、出来上がった四万坪とも言われる広い寺域を前に、沢庵は一人立ち、物思いにふける。
そんな出来上がったばかりの沢庵邸に招かれた尼僧がいた。それは天秀尼である。
「立派な庭園でございますね」
「立派過ぎるよなぁ・・・おいらもこれで、野僧は廃業。権力に媚びるつなぎ猿よ」
「そのような事・・・西国で大きな乱がありました。沢庵禅師の教えが、治世に必要と公方さまが判断されたのでしょう」
天秀尼の言葉に沢庵は、遠くを見た。
わざわざ天秀尼を招いたのは、自分の愚痴を聞かせるためではない。
「それより、最近、ふさぎ込む日が続いてるって、甲斐ちゃんが心配していたぜ」
「私の不徳のせいでございます」
島原の乱の発端となる松倉勝家の領民への扱い。
考え方を変える機会があったにも関わらず、自身の力が及ばなかったことへの後悔は、まだ続いていたのだ。
だが、そんな天秀尼を沢庵は一笑に付す。
「お前さん、神さまにでもなろうってのかい?」
「いえ、そのようなことはございません」
「なら、人には出来ること出来ないことを理解しなよ」
沢庵の話すことは十分、分かっていた。だが、天秀尼は、どうしても納得ができない。
「ふーっ」
大きな溜息をつくと、沢庵は天秀尼の心情に迫る確信めいた言葉を放った。
「ひょっとしたら、自分は世の中に生かされていると思っちゃいないかい?」
「・・・それは・・・」
豊臣家が滅亡し、ただ一人、生き残った天秀尼。家康から助命された日を境に、確かにそういう気持ちを持っていた。
だからこそ、世に奉仕することに一切、妥協がない。
それがまさしく天秀尼の原動力なのだ。
「秀頼公は、立派な人だったかもしれねぇが、人には立場がある」
「・・・立場・・ですか?」
「そう、かの御仁は、『天下人』として語ったんだろ?でも、お前さんは違う」
沢庵の言葉に、ハッとした天秀尼は熱いものが込み上げてきた。不意に涙が天秀尼の頬を伝うのである。
自分では、そんなつもりはなかったが、いつの間にか『天下万民を慈しむ』という父親の言葉が、重圧として、天秀尼の小さな体にのしかかっていたのかもしれない。
「全ての人の不幸を背負う必要なんてない。手の届く範囲でいいのさ」
「手の届く範囲・・・」
「そう。その代わり、胸中に飛び込んで来た相手は、全力で守りなよ」
沢庵の言葉が、スーッと天秀尼の中に入って来た。
自分が父のようになれる訳がない。東慶寺の尼僧として、出来ることを全力で取り組めばいいのだ。
天秀尼は、肩の力が抜け、何か身軽になった気持ちとなる。
「禅師のお言葉、身に染み入りました」
「なぁに、猿の戯言さ」
吹っ切れた天秀尼は、沢庵に深々と礼をとった。
大きな収穫を得て、江戸を立ち鎌倉へと戻るのだった。
東慶寺に戻った天秀尼は、すぐに瓊山尼に呼ばれる。
部屋に入ると、威儀を正した彼女がおり、天秀尼は緊張感を持ちながら、師匠の前に座った。
「江戸は、どうでしたか?」
「自分の中で、吹っ切れたと言いますか・・・何か新たに思うところを得ました」
瓊山尼は、天秀尼に対して目を細める。また、一つ、成長したのを感じ取ったのだ。
この報せが届いた日に、なんという僥倖だろうか。
「以前より、幕府にお伺いを立てていた事案、ついに許可がおりました」
「それは、何でございましょうか?」
「あなたは、これより東慶寺の住持となるのです」
突然の宣告に天秀尼は驚いた。いずれとは思っていたが、そんな日が、こんな前触れもなくやって来るとは・・・
「運命とは、いつも突然にやってきます」
「・・・その通りですが・・・事が事だけに」
「あなたなら大丈夫。どんな運命も受け止めて、立っていられることでしょう」
それは天秀尼を一人前と認めた瓊山尼の言葉だった。
今までの努力と善行が、実を結んだ結果でもある。
引き続き、師匠の期待に応えようとするのであれば、天秀尼がとるべき行動は一つだ。
天秀尼は、身を整えると畳に指をつき、深々とお辞儀をする。
「承知いたしました。この天秀尼、謹んで、住持の大役、お引き受けいたします」
この了承により、東慶寺第二十世・天秀尼法泰が、ここに誕生するのだった。
1
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
矛先を折る!【完結】
おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。
当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。
そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。
旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。
つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。
この小説は『カクヨム』にも投稿しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
曹操桜【曹操孟徳の伝記 彼はなぜ天下を統一できなかったのか】
みらいつりびと
歴史・時代
赤壁の戦いには謎があります。
曹操軍は、周瑜率いる孫権軍の火攻めにより、大敗北を喫したとされています。
しかし、曹操はおろか、主な武将は誰も死んでいません。どうして?
これを解き明かす新釈三国志をめざして、筆を執りました。
曹操の徐州大虐殺、官渡の捕虜虐殺についても考察します。
劉備は流浪しつづけたのに、なぜ関羽と張飛は離れなかったのか。
呂布と孫堅はどちらの方が強かったのか。
荀彧、荀攸、陳宮、程昱、郭嘉、賈詡、司馬懿はどのような軍師だったのか。
そんな謎について考えながら描いた物語です。
主人公は曹操孟徳。全46話。
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる