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第10章 次代の幕あけ 編
第116話 大名行列の横切り
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参勤交代については、庶民の方にも守らなければならない決まりがあった。
それは、ただ一点、通行の邪魔をしないこと。故に大名行列の前を横切る行為などは、もっての外であり、無礼討ちで斬られても仕方がなかった。
庶民は、大名行列に出くわすと路肩に身を寄せ道を開けて、ジッとやり過ごすのである。
但し、後に譜代大名にまで、参勤交代が義務付けられるようになると事情が、少々変わる。
その大名が徳川御三家であった場合は、路肩に退けるだけではなく、その場で土下座をして敬わなければならないのだ。
庶民にとって、他の大名と尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家の区別が簡単につく訳がない。
そこで、行列本隊より遥か先に道を誘導する者を置き、その者が大声で、「下へ、下へ」と叫べば徳川御三家。ただ「のけ、のけ」と叫べば他の大名。
そういった使い分けで、わざわざ大名側が庶民に知らせていた。
何故、偉いはずの大名がそこまで、庶民に気を使うのかというと、そこには日程の問題がある。
江戸まで、予定の期日で到着しない場合、罰を与えられることがあったのだ。
道中、余計なことで時間を割き、それが元で遅れる訳にはいかないのである。大名側もできるだけ、揉め事は避けたいのだ。
そんな参勤交代の決まりごとが浸透し始めた矢先、事件が起きる。
それは備前国島原藩藩主・松倉勝家の行列が東海道を通り、相模国に入った時のことだった。
いつものように領民が道を譲り、大名行列が過ぎるのを、今か今かと待っていた。
東海道は、家康が行った五街道の整備以降、江戸の日本橋から京都の三条大橋を結ぶ主要道路。
多くの大名が参勤交代のために、この街道を利用する。
大名行列も、今月になって勝家の行列で二度目のこと。慣れもあり、一種の風物詩のような情景として、地元の領民は眺めていたのだ。
その中に八兵衛と珠代という親子がおり、小さな娘の手には子猫が抱かれている。
二人は父子家庭ではなく、足の悪い八兵衛の代わりに母親が家計の負担を担って、生計を立てていた。
その母親は、出稼ぎ先にいて不在。父と娘で行列を眺めていたのである。
この時、陽気に誘われたのか蝶々が、ふわふわと飛んで来た。そして、何を思ったか、珠代が抱く子猫の鼻先に止まったのである。
驚いた子猫が暴れたはずみに、珠代の腕からこぼれ落ちると、道の真ん中へと飛び出してしまった。
「たま、駄目だよ」
咄嗟に珠代が追いかけ、たまを捕まえたのは、大名行列を誘導する者が目前に迫った頃。
「退かぬか、娘!」という、叫びに珠代の体は固まってしまった。
足の悪い八兵衛は思うように助けに行けず、大名行列と鉢合わせかと思われた時、風が吹く。
いつの間にか、珠代は、元の道端に戻されていた。
一瞬の出来事で、何が起きたのか理解が追い付かない八兵衛。
珠代本人に確認するも、その答えは、まるで要領を得なかった。
「何か、ぐっと抱えられて、ふわっと空を飛んだの」
「誰か人がいたのかい?」
まぁ、誰かが珠代を戻してくれたのでなければ説明がつかない。
ただ、あまりにも早すぎで、その人物の姿を誰も目撃できないでいたのだ。
しかし、何にせよ大事にならずに済んだと、胸を撫で下ろす。
大名行列の本隊は、まだ、到着しておらず、珠代は、横切りをした訳でもなかった。
八兵衛は、どこの誰かは分からないが、娘の窮地を救ってくれた人物に感謝するのだった。
ところが、安堵する親子の笑顔が凍りつく。
「今、行列の前にいた娘は、この者か?」
松倉家の家臣と思しき者が、八兵衛親子の前に現れたのである。
「そ、そうでございますが・・・どうか、お許しください」
「私では判断できぬ故、この娘を連れ行くぞ」
有無を言わさず、珠代は連れていかれてしまった。予想外のことに泣き叫ぶ娘を前にして、何もできない八兵衛は悲嘆にくれる。
その後、珠代は勝家が宿泊する本陣に連れていかれたことが判明し、村の庄屋と一緒に引き取りに向かった。
大名行列を子供が横切った場合、親や村役人が叱責された後、戻されるのが通例だと人から聞いたため、八兵衛は庄屋に頼み込んだのである。
何と言っても、この時代、子は宝。それに八兵衛から、聞いた話では珠代は行列を横切っていないという。
庄屋もそれならば、穏便に済ませてもらえるだろうという腹積もりで、引き受けたのだった。
ところが、現実は甘くなかった。
道中、水嵩が増した酒匂川で川止めをくらった勝家の機嫌は、すこぶる悪い。
幕府に自然災害による遅参を報告する羽目となっていたのだ。
前もって報告しておけば、お咎めはないのだが、真っ先に江戸を訪れて、家光のご機嫌伺いをするつもりであった勝家としては、非常に面白くないのである。
この八つ当たりをこうむる形で、珠代の返還を断られたのだ。
このまま、黙っていれば、いずれ珠代は斬首されてしまうかもしれない。
大声で泣く八兵衛を庄屋は落ち着かせると、まずは領主である玉縄藩藩主・松平正綱さまに相談すべきだと持ちかけた。
それで、娘が助かるならばと、八兵衛は直ぐに役人の元へ走る。
そして、この件は出稼ぎに出ている妻にも知らせなければならない。
やることが見つかった八兵衛は、とりあえず涙を拭き、行動に移していくのだった。
それは、ただ一点、通行の邪魔をしないこと。故に大名行列の前を横切る行為などは、もっての外であり、無礼討ちで斬られても仕方がなかった。
庶民は、大名行列に出くわすと路肩に身を寄せ道を開けて、ジッとやり過ごすのである。
但し、後に譜代大名にまで、参勤交代が義務付けられるようになると事情が、少々変わる。
その大名が徳川御三家であった場合は、路肩に退けるだけではなく、その場で土下座をして敬わなければならないのだ。
庶民にとって、他の大名と尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家の区別が簡単につく訳がない。
そこで、行列本隊より遥か先に道を誘導する者を置き、その者が大声で、「下へ、下へ」と叫べば徳川御三家。ただ「のけ、のけ」と叫べば他の大名。
そういった使い分けで、わざわざ大名側が庶民に知らせていた。
何故、偉いはずの大名がそこまで、庶民に気を使うのかというと、そこには日程の問題がある。
江戸まで、予定の期日で到着しない場合、罰を与えられることがあったのだ。
道中、余計なことで時間を割き、それが元で遅れる訳にはいかないのである。大名側もできるだけ、揉め事は避けたいのだ。
そんな参勤交代の決まりごとが浸透し始めた矢先、事件が起きる。
それは備前国島原藩藩主・松倉勝家の行列が東海道を通り、相模国に入った時のことだった。
いつものように領民が道を譲り、大名行列が過ぎるのを、今か今かと待っていた。
東海道は、家康が行った五街道の整備以降、江戸の日本橋から京都の三条大橋を結ぶ主要道路。
多くの大名が参勤交代のために、この街道を利用する。
大名行列も、今月になって勝家の行列で二度目のこと。慣れもあり、一種の風物詩のような情景として、地元の領民は眺めていたのだ。
その中に八兵衛と珠代という親子がおり、小さな娘の手には子猫が抱かれている。
二人は父子家庭ではなく、足の悪い八兵衛の代わりに母親が家計の負担を担って、生計を立てていた。
その母親は、出稼ぎ先にいて不在。父と娘で行列を眺めていたのである。
この時、陽気に誘われたのか蝶々が、ふわふわと飛んで来た。そして、何を思ったか、珠代が抱く子猫の鼻先に止まったのである。
驚いた子猫が暴れたはずみに、珠代の腕からこぼれ落ちると、道の真ん中へと飛び出してしまった。
「たま、駄目だよ」
咄嗟に珠代が追いかけ、たまを捕まえたのは、大名行列を誘導する者が目前に迫った頃。
「退かぬか、娘!」という、叫びに珠代の体は固まってしまった。
足の悪い八兵衛は思うように助けに行けず、大名行列と鉢合わせかと思われた時、風が吹く。
いつの間にか、珠代は、元の道端に戻されていた。
一瞬の出来事で、何が起きたのか理解が追い付かない八兵衛。
珠代本人に確認するも、その答えは、まるで要領を得なかった。
「何か、ぐっと抱えられて、ふわっと空を飛んだの」
「誰か人がいたのかい?」
まぁ、誰かが珠代を戻してくれたのでなければ説明がつかない。
ただ、あまりにも早すぎで、その人物の姿を誰も目撃できないでいたのだ。
しかし、何にせよ大事にならずに済んだと、胸を撫で下ろす。
大名行列の本隊は、まだ、到着しておらず、珠代は、横切りをした訳でもなかった。
八兵衛は、どこの誰かは分からないが、娘の窮地を救ってくれた人物に感謝するのだった。
ところが、安堵する親子の笑顔が凍りつく。
「今、行列の前にいた娘は、この者か?」
松倉家の家臣と思しき者が、八兵衛親子の前に現れたのである。
「そ、そうでございますが・・・どうか、お許しください」
「私では判断できぬ故、この娘を連れ行くぞ」
有無を言わさず、珠代は連れていかれてしまった。予想外のことに泣き叫ぶ娘を前にして、何もできない八兵衛は悲嘆にくれる。
その後、珠代は勝家が宿泊する本陣に連れていかれたことが判明し、村の庄屋と一緒に引き取りに向かった。
大名行列を子供が横切った場合、親や村役人が叱責された後、戻されるのが通例だと人から聞いたため、八兵衛は庄屋に頼み込んだのである。
何と言っても、この時代、子は宝。それに八兵衛から、聞いた話では珠代は行列を横切っていないという。
庄屋もそれならば、穏便に済ませてもらえるだろうという腹積もりで、引き受けたのだった。
ところが、現実は甘くなかった。
道中、水嵩が増した酒匂川で川止めをくらった勝家の機嫌は、すこぶる悪い。
幕府に自然災害による遅参を報告する羽目となっていたのだ。
前もって報告しておけば、お咎めはないのだが、真っ先に江戸を訪れて、家光のご機嫌伺いをするつもりであった勝家としては、非常に面白くないのである。
この八つ当たりをこうむる形で、珠代の返還を断られたのだ。
このまま、黙っていれば、いずれ珠代は斬首されてしまうかもしれない。
大声で泣く八兵衛を庄屋は落ち着かせると、まずは領主である玉縄藩藩主・松平正綱さまに相談すべきだと持ちかけた。
それで、娘が助かるならばと、八兵衛は直ぐに役人の元へ走る。
そして、この件は出稼ぎに出ている妻にも知らせなければならない。
やることが見つかった八兵衛は、とりあえず涙を拭き、行動に移していくのだった。
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