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第9章 東慶寺への寄進 編

第107話 江戸城、大広間での会談

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天秀尼は竹橋御殿にて、東慶寺側の意向を天樹院に伝えた。
その一報に喜ぶも束の間、天樹院は直ぐに表情を曇らす。

「何か問題でもありましたか?」
「それが、忠長の邸宅寄進の件、幕府の方から審議をかけられているの」

その言葉に、「やはり」という思いが、天秀尼に浮かんだ。
忠長は、結局、大御所であった秀忠からの許しが出ないまま、亡くなっている。

更に天樹院の話では、切腹を命じることになった経緯もあり、幕府として特別扱いと受け取られる今回の処置に、諸手を挙げて賛同は出来ないとのことだった。

家光も本音では、弟の供養をしてあげたい気持ちは強いのだが、それはあくまでも私情にすぎず、何ともいたし難い様子。
結論は延期されいるとのこと。

「とりあえず、明日、幕閣の方々と、もう一度、話し合いに行くわ。あなたも同席できるかしら」
「私のような者が、その場にいてよろしいのでしょうか?」

「大丈夫。あなたの名は、幕府の中でも十分、知られているの。それに今は、鎌倉で由緒ある尼寺・東慶寺の蔵主なのでしょう。まったく問題はないわ」

既に何度か幕府と話合いを行っているものの、手詰まり感があった。そこで、別の風を吹き込みたいという天樹院の思惑が、そこにある。

天秀尼も協力することには、やぶさかではない。
話合いに参加しても問題ないというのであれば、断る理由はなかった。

これで、明日の天秀尼の参加が決まる。さすがに白閏尼までは、同席できないため、彼女は竹橋御殿に残ることになった。
白閏尼としても、一緒に江戸城へ登城など荷が勝過ぎている。留守番を賜って、大助かりと胸を撫で下ろした。

そして、迎えた当日。
天秀尼は天樹院とともに江戸城、大広間へと足を踏み入れた。

この部屋に入るのは、人生で二度目。
一度目は、天秀尼の運命が決まる家康と対面した日のことである。

懐かしさは特にない。ただ、あの日に比べれば、随分と落ち着いていられると感じた。
まぁ、当時は七歳と幼児の身、加えて自身の生死がかかった日となれば、単純に比較などできる訳もないのだが・・・

天秀尼は冷静でいられる分だけ、周りが良く見える。
正面には征夷大将軍・家光が鎮座し、左右に幕閣の連中が並んで座っていた。

左の列には松平信綱まつだいらのぶつな阿部忠秋あべただあきら、比較的若い重臣がおり、右側は年配の方々が黙して座している。
その筆頭にいる人物を認めた時、天秀尼は驚いた。

年齢を重ねたものの紛れもなく、その人物は土井利勝どいとしかつ
天秀尼にとって、運命の日に同席していた幕府の重臣が、この場にいるのである。

今も現役で、重責を担っていることから、当時以上の貫禄を感じられた。
ピリッと張りつめた空気。

その中、天秀尼は、賛成派と反対派に別れて、列をなしているのだと見て取った。
信綱や忠秋は、おそらく賛成派。

であれば、利勝は反対派ということになる。
天樹院や天秀尼の役目は、この土井利勝を説得することにあるようだ。

「天樹院さま。御弟君の御霊みたまを供養したい気持ちは分かりますが、凶刃に倒れた者たちへは、なんと報告なさるおつもりか?」

利勝は幕閣の中でも公明正大な男で有名。
忠長が切腹した際、駿河大納言の家臣のほとんどが連座で罪に問われた。

御附家老の朝倉宣正あさくらのぶまさも同様に改易の憂き目に合う。その宣告を本人に言い渡したのが利勝だった。

ただ、ここで話を続けると、宣正は自身の妹の夫。つまり、義理の弟にあたるのだが、罰するのに何ら躊躇しなかったとのことである。
それほどの堅物。説得するのは、相当、骨が折れると予想された。

「亡くなった方たちについては、ご冥福を祈るしかありません。しかし、忠長の邸宅を、このまま放置しておくわけにもいかないでしょう」

忠長亡き後、駿府藩は廃藩となる。現在、幕府直轄領として、旗本が駿府城代となって、かの地を治めていた。

そうなると旗本が、忠長の邸宅にそのまま住むという訳にはいかない。大きすぎて、持て余してしまうのだ。
今も無用の長物として、駿府に残っている。

勿論、供養の気持ちはあるのだが、天樹院は違う側面から、切り崩そうとしたのだ。
あまりにも見え透いた話かもしれないが、天樹院が口にしない以上、利勝も、それ以上、供養の件を責められない。

お互いの牽制で、話し合いは膠着状態となった。
その時、控えめにだが天秀尼が、スッと手を上げる。

このままでは、埒が明かないため、天樹院の期待に応えようとしたのだ。
発言するのを認められると、一堂を見回した後、大きく一礼する。
そして、静かな口調で話し始めた。

「皆さま、ご存知のように、東慶寺は縁切り寺法を持つ寺でございます」

あえて分かり切ったことから、話を切り出す。当然、それがどうしたという空気が流れた。
冷めた視線を、天秀尼が甘んじて受け止めたのには理由がある。

それは、簡単な話をすることで、一度、頭を空にしてもらおうと思ったのだ。
細かい駆け引きは、一旦、置いてもらい、自分の話に耳を傾けてほしかったのである。

十分、注目が集まったところで、天秀尼は漠然とした質問を幕閣の御歴々に投げかけた。

「それでは、人の縁とは、一体、どのようなものと捉えていらっしゃいますでしょうか?」

『人の縁』など、普段、そこまで深く考えたことがない。天秀尼の問いにすぐ答えるものはいなかった。
代わりに「何か関係あるのか?」と、罵声に近い声が聞こえる。

だが、天秀尼の胆力の方が上回り、一切、動じない。
それは、師匠・甲斐姫譲りの落ち着きようだった。

「ございます」

ずばり言い切ると、静かに目を瞑る。
その後は、何も語らず、他の方からの意見を、静かに待つのだった。
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