上 下
102 / 134
第8章 兄弟の絆 編

第101話 綾の真意

しおりを挟む
藤次が柏屋へやって来ると、診察するという名目で、医者と患者以外の退室を促された。
天秀尼もお多江も、その指示に従う。門外漢の二人。後は藤次に託すかしかないのだ。

部屋を出た後、天秀尼は一階の土間の中を行ったり来たりと、何とも落ち着かない。
見かねたお多江が声をかけた。

「後はお医者さんに任せるしかないよ」
「ええ。それは分かっているのですが・・・お多江さん、私、ちょっと出かけてきます」

そう言うと、お多江の返事を聞く間もなく柏屋を飛び出して行く。
ウロウロしていたのは考えがまとまらなかったせい。こうして、迷うくらいなら動くべきだ。
天秀尼は、自分の考えに基づき行動すると決める。

向かう先は、松吉がいる盛田屋だった。
綾が何と言おうが、やはり真実は伝えた方がいい。そして、綾の思いのたけを全て、ぶつけようと思った。

その後、松吉がどういう行動をとるかは、正直、読めない。但し、綾の本意ではない結果となることだけは、絶対に防ぐと天秀尼は誓う。

盛田屋の前に着くと、番頭と思われる男が、驚いた表情を天秀尼に向けた。
よく見ると、以前あった藤次の診療所襲撃事件、その参加者の一人のような気がする。

慌てて、店の中に入って行くと、何やら大きな声を出し、人を呼ぶのだった。
そこで、出てきたのは、盛田屋の主人・松吉、一人である。

「東慶寺さんが、一体、何のようですか?離縁状の催促でしょうかね」

松吉の口調は、やけに刺々しい。まぁ、彼の立場になれば、致し方ないことと思われる。
天秀尼は、いきなり大人数に囲まれることまで覚悟していたのだ。
それを考えれば、かなり紳士的な対応とも言える。

「本日は、綾さんの隠された覚悟をお伝えにきました」
「綾の覚悟?大層な表現ですね・・・、ひとまずは、伺いましょうか」

天下の往来で、立ち話ですます内容ではないと判断した松吉は、天秀尼を店の中へと案内した。
盛田屋の中に足を踏み入れると、天秀尼は多くの視線を感じる。そのどれもが、敵意を込められているのだった。

店の者からすれば、綾は散々、浪費した挙句に逃げ出した女将。
その女将に味方する天秀尼も、同じく憎むべき相手となるのだ。

しかし、天秀尼は怯むことなく、堂々とした態度で松吉について歩く。
その様子に若いながら、大した胆力だと松吉は感心した。
納得するかどうかは別として、天秀尼の話をきちんと聞いてやろうと決める。

天秀尼が案内されたのは、店の中にある表座敷。いわゆる客間のようだ。
松吉が上座につくと、天秀尼は女中に促されて、下座に座る。
お互いに顔を見合わせると、まず、天秀尼が深々とお辞儀をした。

「お時間をいただきまして、大変、感謝いたします」
「前置きはいいので、本題に移りましょう。私も商人の端くれ、あまり、時を無駄にできないのでね」

天秀尼の方も長々と説明する気はない。すべきことは、松吉の誤解を解くことと綾の真意を伝える、この二つ。
まずは、誤解を解く方から取りかかった。

「綾さんが藤次さんの所へ通っていることを、松吉さんは、変な方向に勘違いされております」
「妻が大金を持って、別の男の元へしげしげと通う。そのことを人に話せば、思い当たることは、皆、同じだと思いますが?」

「構図だけを見れば、確かにそうですね」
松吉が勘違いを起こしやすい状況だということは、天秀尼も認める。その上で、違う側面があることにも触れる。

「しかし、藤次さんの職業を思い出して下さい。相手が医者であれば、それは男女の関係ではなく、医師と患者という関係性が見えてきませんか?」
「・・・綾の調子悪そうなところなど、見たことがない」

「綾さんの性格から、そのような姿を松吉さんにお見せになるとお考えでしょうか?」
松吉は、天秀尼の言葉を受け止めて、考え込んだ。ここまでの説明に矛盾がないだけに、心の中で迷いが生じる。

「綾は病気なのか?」
「ええ。藤次さんの診断では脚病とのことです」

病名を聞いて、松吉は息を飲む。脚病は、この時代、不治の病の一つ。
悪化すれば死に至ることは、当然、知っている。

「それで、病の状態は?」
「薬で抑えていたのですが、その服用を止めたせいもあり・・・実は、昨日、倒れています」
「えっ」

松吉は驚くと同時に天秀尼に詰め寄って、顔を近づけた。
その表情には、動揺の色が強く出ている。

「それで、綾は?」
「今は落ち着いています。藤次さんが治療しているところだと思います」
「ふぅーっ」

松吉が大きく息を吐きだした。最悪の事態を回避したことを知り、力が抜けたようである。
だが、予断を許さないのは変わらない。
そのことにすぐ気づくと、松吉は、ある疑問を天秀尼にぶつけた。

「綾は、どうして薬の服用を止めたのでしょうか?」
「それは、そのお薬が高価だからです」

それで、松吉はハッとする。
綾の金遣いが荒くなった件と符号が一致したのだ。

「・・・まさか、藤次の元へ持って行ったお金は?」
「そうです。九味檳榔湯くみびんろうとうという薬を購入する費用でした」

松吉は、がっくりと肩を落とし、ぽつりとつぶやく。
「話してくれれば、いくらでも費用は出したのに・・・」
「それです」

松吉の独り言を天秀尼は拾い上げ、強く指摘した。
それこそが、まさに綾が離縁を決めた理由につながるからだ。

「正直、薬では完治する見込みはないとのこと。それを知った綾さんは、高額な薬を利用するのを止めたのです」
「しかし、命はお金に換えられない」

「まさしくその通りです。・・・ただ、失礼ながら盛田屋さんの経営状態は、あまり良くないと聞いています」
「・・・まさか」

天秀尼が頷くと、続いて松吉は天を仰いだ。
それでは・・・

「松吉さんが病気のことを知ると、それこそ、商家のことを気にせず、費用を捻出することでしょう。綾さんは、それを嫌がったのです」

「それで・・・私と離縁しようとしたのですか?」
「綾さんは、自分の体以上に松吉さん、盛田屋さんのことを気にかけた。・・・どうか、ご理解ください」

松吉は、天秀尼の言葉に放心したように動けなくなる。
どうして、そのことに気づかなかったのかと、自身の不明を悔いた。

涙で、目の前の天秀尼姿が滲んで見える中、松吉は「綾は、今、どこに?」と絞り出す。
「東慶寺、御用宿の柏屋におります」

松吉は立が上がると、天秀尼を残して盛田屋を飛び出すのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。 当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。 そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。 旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。 つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。 この小説は『カクヨム』にも投稿しています。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

処理中です...