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第8章 兄弟の絆 編

第99話 綾の病

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「綾さんは、何の病気を患っているのでしょうか?」

病名の確認は絶対に必要なことだ。
綾自身のことも心配だが、もし流行り病であった場合、東慶寺内での感染が気になるためである。

天秀尼の意図を察した藤次は、その点は心配ないと断言した。
「彼女の病気は脚病かくびょうです」

脚病とは、手足にむくみやしびれをきたし、病気が進行することによって心臓や神経がおかされてしまう病気。
悪化すれば、歩行が困難となって寝たきりになってしまう。
この当時、不治の病の一つとされていた。

「症状は重いのでしょうか?」
「薬で何とか抑えていたのですが・・・それももう服薬を止めたはずなので・・・」
「どうして、薬を飲むのを止めたのですか?」

天秀尼の質問に藤次は、溜息をつく。服用できるものなら、してほしいのだが、その薬と言うのが非常に高価なのだそうだ。

「もしや、お薬を綾さん宛てに届けて下さったのは、藤次さんでしょうか?」
「ええ。あれが私の手元にあった最後の九味檳榔湯くみびんろうとうです。」
『くみびんろうとう』。

天秀尼は、初めてあの薬の読み方を知る。

ただ、脚病に対する特効薬というわけではなく、あくまでも手足のむくみやしびれを和らげる薬であって、本質的な病気の改善がみられるかは微妙だという。

そのことを知った綾が、高価な金額に見合わないとして服用を止めたらしい。

「もしかして、綾さんが藤次さんに貢いでいたというのは、お薬の購入費用ですね?」
「私に貢ぐ?・・・そうか、病気のことは兄に知らせていません。それで勘違いされた可能性はあります」

天秀尼の質問通り、綾からは九味檳榔湯の購入費用を頂いていたようだ。
まぁ、本当に貢がれていたのであれば、もっといいところに住んでいるはずなのである。

「お兄さんには、どうして病気のことを伝えていないのですか?」
「それは、綾に口止めされておりまして・・・」

その話を詳しく話すには、まず、松吉、藤次、綾の生い立ちから話さなければならないということだった。

松吉と藤次の両親は、二人が小さいころに亡くなる。
一応、名士だったようで、知人も多く、二人はそれぞれ別々の家に引き取られ育てられることになった。

松吉は商家の盛田屋、藤次は町医者を営んでいた男。
そして、綾はその町医者の娘だった。

別れて暮らす兄弟には、当初、貧富の差などなかった。
松吉は子供がいなかった盛田屋で、跡取り息子として育てられ、藤次も医療技術をみっちり叩きこまれる

ところが、綾の父親が病気で亡くなると、藤次の生活模様は一変した。
医療の技術こそ引き継いでいたが、若い医者を頼りなく思ったのか、患者は次第に離れていく。

元々、良心的な医療費しか受け取っていなかったため、家には蓄えが、ほとんどない。
徐々に生活は苦しくなっていった。
それでも綾とともに、二人三脚で何とか頑張っていた頃、兄の松吉が突然、藤次の元を訪れる。

そこで綾を見初めたのだ。この頃の盛田屋は飛ぶ鳥を落とす勢い。
こんな貧乏医者の手伝いをするよりは、兄に嫁いだ方がいいと藤次も勧める。

この時の綾、外から藤次の援助をできればと考えたのか、松吉の求婚に応えて盛田屋の嫁となった。
それからというもの盛田屋の女将となった綾の口利きもあって、次第に診療所の患者も増えていく。

三人の生活は、ゆっくりとだが好転するのだった。

だが、好事魔多こうじまおおし。
足のむくみを気にした綾が、藤次に相談しに来た日を境に運命の歯車が狂い始める。

診察した藤次は、すぐに脚病であると見立てた。
医者の娘である綾も体調不良が続く点、それと藤次の顔色から、大病ではと疑う。

長い付き合いの綾に嘘を隠し通すこともできず、藤次は病気の宣告を行うに至った。
それから、二人の闘病生活が始まるのだった。

藤次が脚病の治療薬として注目したのが『九味檳榔湯』。
薬の投与を行っていくと、足のむくみはなくなり効果ありと思えたのだが、問題は薬が高価だったこと。

綾の手持ちの資金がなくなると、松吉に無心するようになる。
この時点で病気の説明をしていれば良かったのだが、綾も藤次も治る気でいた。

余計な心配をかけたくない気持ちが仇となる。
というより、むくみがなくなった時点で、正直、治ったとばかり思い込んでいた。

しかし、ある日、綾が胸の痛みを訴えると、藤次の血の気が引く。
脚病が心臓に影響を及ぼしたとなれば、もう手の施しようがないのである。

それからというもの藤次は、あらゆる文献を漁るが、薬で完治した事例は見つからなかった。
『九味檳榔湯』では、病気の進行を遅らせることはできるかもしれないが、治る見込みはない。

その事実を綾は知ると、高価な薬の服用を止めるのだ。

そして、松吉との離縁を決意した。
それは、もしこの事実を知れば松吉は綾のために薬を買う費用を捻出することだろう。

だが、正直、この頃の盛田屋は、すでに経営状態が傾き始めている。
薬の出費のために店を潰すことなど、綾は承服できないのだ。
綾が東慶寺の門を叩いたのは、そういう理由からなのである。

全てを聞いた天秀尼は天を仰いだ。
この事実をどう受け止めていいか、分からない。

「東慶寺は尼寺です。このままでは、松吉さんにも藤次さんにも看取られることなく、綾さんは亡くなってしまいます」
「それが、綾の選んだ道であれば・・・」

力なく藤次は、そう話すのだが、本当にそうなのだろうか?
何か良策はないのか・・・
天秀尼は、自問を繰り返すのだった。
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