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第8章 兄弟の絆 編
第92話 別世界の住人
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天秀尼は天樹院の意図を読み取ろうとするが、『鷹狩りに行く』という情報だけでは、さすがに無理があった。
「公方さまが、鷹狩りにお出かけになると、何か良いことでもあるのでしょうか?」
「鷹狩り自体には、特に何もありません。ただ、その帰りに必ず休憩する場所があるのよ」
家光の鷹狩りは、一応、お忍びで出かけているため、当然だが、その行き先などは世間に公表されていない。
これは、天樹院が直接、家光から聞いた話を元にしていた。
「その場所とは、どちらでしょうか?」
「目黒にある成就院よ」
成就院は、慈覚大師円仁によって、開山された天台宗の寺院。
その歴史は東慶寺よりも古く、蛸に支えられた薬師如来像を本尊としているため、通称『蛸薬師』と呼ばれる由緒あるお寺だった。
「成就院さんですか・・・あっ」
そう言えば、その成就院に天秀尼の知り合いが入山したと、最近、どこかで聞いたことを思い出す。
話した相手は、右衛門の奥方の静子で、兄である謙佑が天台宗の『止観』の境地に興味を示して、成就院の門を叩いたとのことだった。
「そうです。右衛門殿の縁者の方が、そちらで修業をされているはず」
「よくご存知でございます。確かに、その通りです」
ここで、天樹院が自身の考え、全てを天秀尼に打ち明ける。
段取りとしては、非常に単純明快。家光が鷹狩りの帰り、成就院に立寄った際、世間話の流れの中で、腹違いの弟・正之のことを伝えるというもの。
たまたま、思いがけずに家光が知ってしまったのなら、秀忠も止む無しと諦めるはず。
人の口に戸は立てられないのは、世間の習わしなのだ。
これで父親の認知がなくとも、兄弟の間で認識し合えれば、正之も多少は浮かばれる。
その偶然を装うため、天秀尼の伝手をあてにしたいというのだ。
まぁ、確かに縁もゆかりもない天樹院からお願いするより、天秀尼の方が話は通りやすいようには思える。
好意が土台にあるとはいえ、天下の将軍を驚かせることになるのだ。成就院の方で、臆してしまう可能性が考えられた。
天秀尼は、謙佑とじっくり話し合って、何としても納得させると意気込む。
それと、今一つ、この策の成功率を上げるための案が天秀尼にあった。
「正之さまのお母さま、お静の方さまとは連絡がとれますでしょうか?」
「お静の方でしたら、正之とともに高遠藩にいらっしゃるはず。直接、やりとりをしたことはありませんが、何とかなると思いますよ」
「さすがお義母さまです」
条件が整いそうなので、改めて天樹院に案を披露する。
それは、お静の方の名で成就院に寄進をしてほしいということだった。
寄進する物は、何でも良いのだが、できれば目立つ物が望ましいと付け足す。
「それに、どういう意味があるのかしら?」
「正之さまのお話をするにも、何かきっかけが必要だと思います。その話のタネでございます。」
天秀尼の話に納得すると、天樹院は、早速手配することを了承した。
一番いいのは、その寄進物を家光が目に留めて、会話の発端となること。
そうならずとも、寄進があれば成就院の協力が手厚くなると思える。
その後も、二人で色々な意見をぶつけ合い、家光に正之のことが伝わるようにする作戦は、目途が立った。
時間が過ぎるのも忘れ、話し込んでいると、いつの間にか陽は沈みかけている。
今日は、もう遅いということで、天樹院の好意に甘えて、天秀尼と白閏尼は竹橋御殿に宿泊させてもらうことになった。
その夜、連絡を受けた勝姫が江戸の上屋敷から天秀尼に会うためにやって来る。
夫である池田光政も伴ってであり、同席した白閏尼は、ここでも腰を抜かす目に合った。
まだ、若いとはいえ、相手は鳥取藩三十二万五千石の大大名。
粗相があってはと、食事も喉を通らない。
しかし、後の世に保科正之と並んで名君と呼ばれる光政である。
その気さくな性格で、次第に白閏尼も落ち着きを取り戻すのだった。
義母、義妹との久しぶりとの対面に話も尽きなかったが、時は待ってくれない。
翌朝となり、東慶寺に戻ることとなった。
勝姫は、夜分遅くに光政とともに上屋敷へ戻っている。
天樹院の見送りの中、天秀尼と白閏尼は旅立った。
「お義母さま、それでは首尾よくいきますよう、抜かりなく準備いたします」
「そうね。よろしくお願いいたします」
東慶寺に戻る前に、成就院で謙佑に依頼をかけなければならないのだ。
昨日、綿密に打ち合わせを行ったので、協力の了解さえもらえれば、うまくいくような気がする。
成就院に向かう、道すがら、白閏尼は嘆息した。
「それにしても、改めてあなたとは住む世界が違うと思い知らされたわ」
歩きながら、白閏尼が昨日から抱いていた感想を漏らすのである。
天下の征夷大将軍に気を遣わせたり、大大名と何気なく話したりと、普通では考えられないことを天秀尼は、平気でやってのける。
庶民の出の白閏尼からすれば、到底、現実のものとは思えないのだ。
「私が凄いのではなく、お義母さまが凄いのよ。皆さん、天樹院さまのお客だから、丁重に遇して下さるの」
それは、確かにそうかもしれないが・・・
白閏尼は、それだけではないと心の中で断言する。
でなければ、あんな偉い人たちと心からの笑顔で話せるわけがないのだ。
『これは、次の住持は確定だわ』
白閏尼は、密かにそう呟くのだった。
「公方さまが、鷹狩りにお出かけになると、何か良いことでもあるのでしょうか?」
「鷹狩り自体には、特に何もありません。ただ、その帰りに必ず休憩する場所があるのよ」
家光の鷹狩りは、一応、お忍びで出かけているため、当然だが、その行き先などは世間に公表されていない。
これは、天樹院が直接、家光から聞いた話を元にしていた。
「その場所とは、どちらでしょうか?」
「目黒にある成就院よ」
成就院は、慈覚大師円仁によって、開山された天台宗の寺院。
その歴史は東慶寺よりも古く、蛸に支えられた薬師如来像を本尊としているため、通称『蛸薬師』と呼ばれる由緒あるお寺だった。
「成就院さんですか・・・あっ」
そう言えば、その成就院に天秀尼の知り合いが入山したと、最近、どこかで聞いたことを思い出す。
話した相手は、右衛門の奥方の静子で、兄である謙佑が天台宗の『止観』の境地に興味を示して、成就院の門を叩いたとのことだった。
「そうです。右衛門殿の縁者の方が、そちらで修業をされているはず」
「よくご存知でございます。確かに、その通りです」
ここで、天樹院が自身の考え、全てを天秀尼に打ち明ける。
段取りとしては、非常に単純明快。家光が鷹狩りの帰り、成就院に立寄った際、世間話の流れの中で、腹違いの弟・正之のことを伝えるというもの。
たまたま、思いがけずに家光が知ってしまったのなら、秀忠も止む無しと諦めるはず。
人の口に戸は立てられないのは、世間の習わしなのだ。
これで父親の認知がなくとも、兄弟の間で認識し合えれば、正之も多少は浮かばれる。
その偶然を装うため、天秀尼の伝手をあてにしたいというのだ。
まぁ、確かに縁もゆかりもない天樹院からお願いするより、天秀尼の方が話は通りやすいようには思える。
好意が土台にあるとはいえ、天下の将軍を驚かせることになるのだ。成就院の方で、臆してしまう可能性が考えられた。
天秀尼は、謙佑とじっくり話し合って、何としても納得させると意気込む。
それと、今一つ、この策の成功率を上げるための案が天秀尼にあった。
「正之さまのお母さま、お静の方さまとは連絡がとれますでしょうか?」
「お静の方でしたら、正之とともに高遠藩にいらっしゃるはず。直接、やりとりをしたことはありませんが、何とかなると思いますよ」
「さすがお義母さまです」
条件が整いそうなので、改めて天樹院に案を披露する。
それは、お静の方の名で成就院に寄進をしてほしいということだった。
寄進する物は、何でも良いのだが、できれば目立つ物が望ましいと付け足す。
「それに、どういう意味があるのかしら?」
「正之さまのお話をするにも、何かきっかけが必要だと思います。その話のタネでございます。」
天秀尼の話に納得すると、天樹院は、早速手配することを了承した。
一番いいのは、その寄進物を家光が目に留めて、会話の発端となること。
そうならずとも、寄進があれば成就院の協力が手厚くなると思える。
その後も、二人で色々な意見をぶつけ合い、家光に正之のことが伝わるようにする作戦は、目途が立った。
時間が過ぎるのも忘れ、話し込んでいると、いつの間にか陽は沈みかけている。
今日は、もう遅いということで、天樹院の好意に甘えて、天秀尼と白閏尼は竹橋御殿に宿泊させてもらうことになった。
その夜、連絡を受けた勝姫が江戸の上屋敷から天秀尼に会うためにやって来る。
夫である池田光政も伴ってであり、同席した白閏尼は、ここでも腰を抜かす目に合った。
まだ、若いとはいえ、相手は鳥取藩三十二万五千石の大大名。
粗相があってはと、食事も喉を通らない。
しかし、後の世に保科正之と並んで名君と呼ばれる光政である。
その気さくな性格で、次第に白閏尼も落ち着きを取り戻すのだった。
義母、義妹との久しぶりとの対面に話も尽きなかったが、時は待ってくれない。
翌朝となり、東慶寺に戻ることとなった。
勝姫は、夜分遅くに光政とともに上屋敷へ戻っている。
天樹院の見送りの中、天秀尼と白閏尼は旅立った。
「お義母さま、それでは首尾よくいきますよう、抜かりなく準備いたします」
「そうね。よろしくお願いいたします」
東慶寺に戻る前に、成就院で謙佑に依頼をかけなければならないのだ。
昨日、綿密に打ち合わせを行ったので、協力の了解さえもらえれば、うまくいくような気がする。
成就院に向かう、道すがら、白閏尼は嘆息した。
「それにしても、改めてあなたとは住む世界が違うと思い知らされたわ」
歩きながら、白閏尼が昨日から抱いていた感想を漏らすのである。
天下の征夷大将軍に気を遣わせたり、大大名と何気なく話したりと、普通では考えられないことを天秀尼は、平気でやってのける。
庶民の出の白閏尼からすれば、到底、現実のものとは思えないのだ。
「私が凄いのではなく、お義母さまが凄いのよ。皆さん、天樹院さまのお客だから、丁重に遇して下さるの」
それは、確かにそうかもしれないが・・・
白閏尼は、それだけではないと心の中で断言する。
でなければ、あんな偉い人たちと心からの笑顔で話せるわけがないのだ。
『これは、次の住持は確定だわ』
白閏尼は、密かにそう呟くのだった。
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