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第8章 兄弟の絆 編
第90話 後水尾天皇の譲位
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紫衣事件。
朝廷と幕府の間に決定的なひびが入る事件が起こった。
日ノ本では、推古天皇の時代に定められた冠位十二階にもあるように、古来から紫色が、もっとも尊い色とされている。
そこで、朝廷は宗派を問わず、修行を積んだ僧や尼僧に対して、その徳を称えて紫の法衣や袈裟を下賜してきた。
朝廷より賜る紫衣は、僧たちにとっては、大変栄誉なことであり、地位の高さを示す指標となる。
故に、紫衣を得て、名声を手に入れたい欲にまみれた僧が、朝廷に金品を貢ぐということも日常的に行われるようになった。
このような腐敗や、いわゆる名誉のばらまきは、徳の失墜につながるとして、幕府は『禁中並びに公家諸法度』にて防止する。
高僧に紫衣を賜る際には、必ず幕府に相談するよう取り決めたのだ。
ところが後水尾天皇は、幕府に諮ることなく、十数名の僧侶に紫衣着用の勅許を送る。
この事態を覚知した幕府は、事前に相談がなかったことを理由に、勅許を法度違反と認定した。
勅許状の無効を宣言し、改めて下賜した紫衣を取り上げるよう京都所司代の板倉重宗に命じる。
事態を重く見た幕府は、更に厳しい対応をとった。
過去に遡って調べ上げ、『禁中並びの公家諸法度』制定以降、朝廷が授与した紫衣着用の栄誉を全て無効にするのである。
その対象の中には、朝廷への献金とは関係なく、本来の高徳によって下賜されたものも含まれたため、当然、僧からも反発の声が上がった。
その急先鋒となったのが大徳寺の沢庵宗彭や妙心寺の単伝士印らである。
彼らは幕府に対して抗議文を提出し、勅許無効を取り下げるよう働きかけた。
しかし、それらの運動は、幕府の態度を更に硬化させるのみで終わる。
結局、抵抗虚しく、紫衣のはく奪は強硬的に進められるのだった。
また、幕命に背いたとして、反対した沢庵禅師ら四人の高僧に対して、流罪という厳しい処分が下される。
この裁定は、幕府の中でも揉めに揉め、正式に処分を下されるのに二年の歳月を要した。
勅許無効の沙汰が出てから、二年後、1629年に沢庵禅師は出羽国へと流刑となる。
このことを聞いた天秀尼は心配するが、甲斐姫は、あっけらかんとして笑った。
「なに、あの坊主のこと。出羽の風情を楽しむことじゃろうて」
甲斐姫が話す通り、沢庵禅師は出羽国上山藩の藩主、土岐頼行より手厚い保護を受けて、何不自由なく生活したらしい。
真の高僧は紫衣など不要と思わせる実例となった。
ただ、この一件で幕府と朝廷の関係は、かつてないほど冷え込むことになる。
天皇が宣下した征夷大将軍が勅許を無効にした。
つまり、いち官職であるはずの征夷大将軍が起こした幕府の方が、天皇を中心とする朝廷よりも力が上だと世に示したのである。
これには、完全に後水尾天皇は、つむじを曲げた。
更に追い討ちをかけるように、朝廷の権威を軽んじられる事件が起きる。
家光が疱瘡にかかり治療祈願のため伊勢神宮を参拝した福が、その後、宮中へのご機嫌伺いを思い立ち、御所へ上がろうとしたのだ。
お江亡き後、大奥の全てを取仕切る彼女は、幕府の中では将軍様御局の地位にある。
下手をすれば老中並み、いや、それ以上の権勢を誇るのだが、世間的には無位無官の武家の娘。
御所へ昇殿する資格に欠けていたのである。
そこで、朝廷から、待ったをかけられた福は、血縁関係にあり、昔、養育を受けていた三条西公国と養女縁組しようとした。
だが、既に他界していたため、それは叶わず、仕方なく息子の三条西実条の猶妹となる。
これで三条西家の女性として、ようやく拝謁が許された。
その際、『春日局』の称号を福に与えるも、後水尾天皇は不快でたまらない。
本来、尊く畏敬の念を抱かれねばならぬ高貴な身分に、付け焼刃、場当たり的な縁組で簡単になる。
その考え方、行為が幕府の傲慢に映ったのだ。
怒りを覚えた後水尾天皇は、幕府の命令が禁中には届かぬことを証明するように、何の通告ないまま帝位を退き譲位を敢行する。
徳川和子との間に出来た女児、興子内親王が次代を践祚し、明正天皇が誕生したのだった。
これは、幕府にとって、徳川の血が天子についたと単純に喜べるものではない。
後水尾天皇は上皇として院政をしき、相変わらず権力を握っており、また、女性天皇は子をもうけることができない。
つまり、天皇家にこれ以上、徳川の血が広がるのを防ぐという意図が隠れていたのだ。
しかも幕府のあずかり知らぬところで、勝手に行われたので、止める手立てはない。
ましてや僧侶へ下賜する紫衣と違って、譲位を無効だとはさすがに騒げなかった。
してやったりの後水尾上皇は、さぞ留飲を下げたことだろう。
ただ、幕府と朝廷の関係がより悪化したことだけは間違いない。
幕府と朝廷の間に、そんなすきま風が吹く中、天秀尼は天樹院に呼ばれて、江戸へ行くことになった。
今回の同行者は、いつもの甲斐姫とは異なり、白閏尼が務める。
二年前の寛永御前試合の件があり、春日局と顔を合わせることを甲斐姫が嫌ったのだ。
日々の鍛錬のおかげで、天秀尼の武芸の腕が格段に上がったことも、甲斐姫が同行しなくても済む理由の一つとなる。
天秀尼は、新しい相棒とともに江戸へ旅立つのであった。
朝廷と幕府の間に決定的なひびが入る事件が起こった。
日ノ本では、推古天皇の時代に定められた冠位十二階にもあるように、古来から紫色が、もっとも尊い色とされている。
そこで、朝廷は宗派を問わず、修行を積んだ僧や尼僧に対して、その徳を称えて紫の法衣や袈裟を下賜してきた。
朝廷より賜る紫衣は、僧たちにとっては、大変栄誉なことであり、地位の高さを示す指標となる。
故に、紫衣を得て、名声を手に入れたい欲にまみれた僧が、朝廷に金品を貢ぐということも日常的に行われるようになった。
このような腐敗や、いわゆる名誉のばらまきは、徳の失墜につながるとして、幕府は『禁中並びに公家諸法度』にて防止する。
高僧に紫衣を賜る際には、必ず幕府に相談するよう取り決めたのだ。
ところが後水尾天皇は、幕府に諮ることなく、十数名の僧侶に紫衣着用の勅許を送る。
この事態を覚知した幕府は、事前に相談がなかったことを理由に、勅許を法度違反と認定した。
勅許状の無効を宣言し、改めて下賜した紫衣を取り上げるよう京都所司代の板倉重宗に命じる。
事態を重く見た幕府は、更に厳しい対応をとった。
過去に遡って調べ上げ、『禁中並びの公家諸法度』制定以降、朝廷が授与した紫衣着用の栄誉を全て無効にするのである。
その対象の中には、朝廷への献金とは関係なく、本来の高徳によって下賜されたものも含まれたため、当然、僧からも反発の声が上がった。
その急先鋒となったのが大徳寺の沢庵宗彭や妙心寺の単伝士印らである。
彼らは幕府に対して抗議文を提出し、勅許無効を取り下げるよう働きかけた。
しかし、それらの運動は、幕府の態度を更に硬化させるのみで終わる。
結局、抵抗虚しく、紫衣のはく奪は強硬的に進められるのだった。
また、幕命に背いたとして、反対した沢庵禅師ら四人の高僧に対して、流罪という厳しい処分が下される。
この裁定は、幕府の中でも揉めに揉め、正式に処分を下されるのに二年の歳月を要した。
勅許無効の沙汰が出てから、二年後、1629年に沢庵禅師は出羽国へと流刑となる。
このことを聞いた天秀尼は心配するが、甲斐姫は、あっけらかんとして笑った。
「なに、あの坊主のこと。出羽の風情を楽しむことじゃろうて」
甲斐姫が話す通り、沢庵禅師は出羽国上山藩の藩主、土岐頼行より手厚い保護を受けて、何不自由なく生活したらしい。
真の高僧は紫衣など不要と思わせる実例となった。
ただ、この一件で幕府と朝廷の関係は、かつてないほど冷え込むことになる。
天皇が宣下した征夷大将軍が勅許を無効にした。
つまり、いち官職であるはずの征夷大将軍が起こした幕府の方が、天皇を中心とする朝廷よりも力が上だと世に示したのである。
これには、完全に後水尾天皇は、つむじを曲げた。
更に追い討ちをかけるように、朝廷の権威を軽んじられる事件が起きる。
家光が疱瘡にかかり治療祈願のため伊勢神宮を参拝した福が、その後、宮中へのご機嫌伺いを思い立ち、御所へ上がろうとしたのだ。
お江亡き後、大奥の全てを取仕切る彼女は、幕府の中では将軍様御局の地位にある。
下手をすれば老中並み、いや、それ以上の権勢を誇るのだが、世間的には無位無官の武家の娘。
御所へ昇殿する資格に欠けていたのである。
そこで、朝廷から、待ったをかけられた福は、血縁関係にあり、昔、養育を受けていた三条西公国と養女縁組しようとした。
だが、既に他界していたため、それは叶わず、仕方なく息子の三条西実条の猶妹となる。
これで三条西家の女性として、ようやく拝謁が許された。
その際、『春日局』の称号を福に与えるも、後水尾天皇は不快でたまらない。
本来、尊く畏敬の念を抱かれねばならぬ高貴な身分に、付け焼刃、場当たり的な縁組で簡単になる。
その考え方、行為が幕府の傲慢に映ったのだ。
怒りを覚えた後水尾天皇は、幕府の命令が禁中には届かぬことを証明するように、何の通告ないまま帝位を退き譲位を敢行する。
徳川和子との間に出来た女児、興子内親王が次代を践祚し、明正天皇が誕生したのだった。
これは、幕府にとって、徳川の血が天子についたと単純に喜べるものではない。
後水尾天皇は上皇として院政をしき、相変わらず権力を握っており、また、女性天皇は子をもうけることができない。
つまり、天皇家にこれ以上、徳川の血が広がるのを防ぐという意図が隠れていたのだ。
しかも幕府のあずかり知らぬところで、勝手に行われたので、止める手立てはない。
ましてや僧侶へ下賜する紫衣と違って、譲位を無効だとはさすがに騒げなかった。
してやったりの後水尾上皇は、さぞ留飲を下げたことだろう。
ただ、幕府と朝廷の関係がより悪化したことだけは間違いない。
幕府と朝廷の間に、そんなすきま風が吹く中、天秀尼は天樹院に呼ばれて、江戸へ行くことになった。
今回の同行者は、いつもの甲斐姫とは異なり、白閏尼が務める。
二年前の寛永御前試合の件があり、春日局と顔を合わせることを甲斐姫が嫌ったのだ。
日々の鍛錬のおかげで、天秀尼の武芸の腕が格段に上がったことも、甲斐姫が同行しなくても済む理由の一つとなる。
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