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第7章 寛永御前試合 編
第78話 福からの招待状
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右衛門の名誉回復。いや、汚名返上。
あれ、どっちだっけ?
混乱するほど、天秀尼の頭は目まぐるしく回転していた。
思いついた時は、名案と膝を叩いたが、そう簡単にそんな機会など訪れる訳がない。
あれば、とっくに右衛門の破門は解かれているはずなのだ。
思い悩む天秀尼は、東慶寺の境内の中を考えながら歩く。
思考に集中するあまり、周りの景色が見えていなかった。
この時、同じく考えごとに気を取られた人物が、もう一人。
お互い進路を譲る気配もなく、衝突したのは自然の流れだった。
そんなに勢いよくぶつかった訳ではないが、天秀尼は尻餅をつき、その相手は、その場に踏みとどまる。
「痛たたたっ」
したたかに腰を打った天秀尼は、臀部をさすりながら見上げると、そこには甲斐姫が立っていた。
衝突した相手は、どうやら甲斐姫のようである。
背の高さは、天秀尼も甲斐姫とそう変わらないのだが、鍛え上げた体幹が違うのか、転んだのは天秀尼の方だけと、改めて師匠の強さを思い知る。
とはいえ、甲斐姫が気を取られて、人とぶつかるなど、およそ武芸の達人とは思えない出来事だった。
「そこまで考え込む、何かお悩みでもありますのでしょうか?」
自分のことはさておき、師匠の方を気に掛けるのは天秀尼らしい。
甲斐姫からの返答は、少々、歯切れが悪かった。
「うむ・・・まぁのう」
そこで、甲斐姫は懐から、一通の手紙を取り出す。
どうやら、それが甲斐姫の悩みの種のようだ。
「中を見てもよろしいのですか?」
受け取った天秀尼は、甲斐姫の了承を得てから、手紙の中身を検める。
その手紙の主は、江戸の斎藤福からであった。
要約すると、甲斐姫が招かれて江戸城を訪れた際、小さな宴が開かれる。その余興で賭けごとの勝負になったらしく、その時の軍配は福の方に上がったようだ。
そこで、敗れた代償として、一つ相手の言うことを聞く羽目になったとのこと。
何を頼まれたかは、その手紙には書いておらず、天秀尼には分からなかった。
「一体、福さまから何を、頼まれたのですか?」
「おお、本命はこちらじゃ」
甲斐姫はどうやら、手紙の続きとなるものを天秀尼に渡すのを失念していたようで、懐から新たな封書を一通、取り出す。
受け取った手紙の正面には、大きく招待状と書かれていた。
一体、何の招待か興味が湧き、書面を開くと、そこには『寛永御前試合』との文字が目に飛び込んでくる。
「これは、一体、何ですか?」
「何やら、腕に覚えのある武芸者を集めて、家光の前で試合をさせるようじゃ」
なるほど、その強さを知る福が、甲斐姫を出場者として選抜したようだ。
となると、ここで疑問が一つ。
その宴会の余興で行われた賭け事というのは、はじめから、この試合に甲斐姫を引っ張り出すための罠だったのではないか?
無論、とっくに甲斐姫も看破しており、それが故に出場を渋っているようだ。
「今思えば、いかさまに嵌められたようじゃ。福に一杯、食わされたわ」
「では、出場なさらないのですか?」
「う・・む。それよのう」
嵌められたとはいえ、負けは負け。その場で見破れない自分も悪かった。
それでいて、約束を反故にするのは、甲斐姫の矜持が許さない。
かといって、すんなり出場するのも癪に障るのだ。
出るべきか、出ないべきか。二つに一つだが、なかなか決めることが出来ずに、思い悩んでいる。
甲斐姫としては、このような試合に出て、今さら名を轟かせるつもりなど、毛頭ない。
ただただ面倒なだけなのだ。
福との約束がなければ、一笑に付して破り捨てるところなのだが・・・
その時、天秀尼はあることを思いつく。
もしかしたら、天秀尼が抱く悩みも一気に解決できるかもしれない。
「この招待状、代理の者を立てることはできますか?」
「どういうことじゃ?」
ここで、天秀尼は右衛門と静子の問題を甲斐姫に打ち明けた。
その事情を知ると、甲斐姫も察する。
「なるほど、右衛門の奴を妾の代わりに出場させるのじゃな」
「その通りです」
将軍の前での武芸試合。
そこで好成績を収めることができれば、またとない右衛門の失地回復の機会となるのではないか。
おそらく兵法指南役の柳生宗矩もその場にいるはずだ。
当主の前での活躍は、これ以上ない機会のように思える。
「確かに右衛門の腕前は、妾も認める。よい成績を残すのは間違いないじゃろ」
「そうですよね」
どの程度の強者を集めているのかは分からないが、右衛門の強さであれば十分通用するはず。
それこそ、以前、共闘した三木之介の師匠である宮本武蔵あたりが出てきた場合は、分が悪いかもしれないが・・・
「いや、武蔵にも勝てるよう、妾が稽古をつける」
何かおかしな方向に甲斐姫の火がついてしまったかもしれないが、右衛門と静子の離縁に関する問題は、これで解決の方向に向かうと思われた。
この話を二人に持ちかけると、当然、驚いていたが、右衛門は逆に甲斐姫の修行の方に興味を持ち、俄然、やる気を出すのである。
招待状の返事は、福に断られる可能性があるので、当日まで代理を出すことを伏せることにした。
御前試合は一カ月後。
それまで、右衛門の猛特訓が始まるのだった。
あれ、どっちだっけ?
混乱するほど、天秀尼の頭は目まぐるしく回転していた。
思いついた時は、名案と膝を叩いたが、そう簡単にそんな機会など訪れる訳がない。
あれば、とっくに右衛門の破門は解かれているはずなのだ。
思い悩む天秀尼は、東慶寺の境内の中を考えながら歩く。
思考に集中するあまり、周りの景色が見えていなかった。
この時、同じく考えごとに気を取られた人物が、もう一人。
お互い進路を譲る気配もなく、衝突したのは自然の流れだった。
そんなに勢いよくぶつかった訳ではないが、天秀尼は尻餅をつき、その相手は、その場に踏みとどまる。
「痛たたたっ」
したたかに腰を打った天秀尼は、臀部をさすりながら見上げると、そこには甲斐姫が立っていた。
衝突した相手は、どうやら甲斐姫のようである。
背の高さは、天秀尼も甲斐姫とそう変わらないのだが、鍛え上げた体幹が違うのか、転んだのは天秀尼の方だけと、改めて師匠の強さを思い知る。
とはいえ、甲斐姫が気を取られて、人とぶつかるなど、およそ武芸の達人とは思えない出来事だった。
「そこまで考え込む、何かお悩みでもありますのでしょうか?」
自分のことはさておき、師匠の方を気に掛けるのは天秀尼らしい。
甲斐姫からの返答は、少々、歯切れが悪かった。
「うむ・・・まぁのう」
そこで、甲斐姫は懐から、一通の手紙を取り出す。
どうやら、それが甲斐姫の悩みの種のようだ。
「中を見てもよろしいのですか?」
受け取った天秀尼は、甲斐姫の了承を得てから、手紙の中身を検める。
その手紙の主は、江戸の斎藤福からであった。
要約すると、甲斐姫が招かれて江戸城を訪れた際、小さな宴が開かれる。その余興で賭けごとの勝負になったらしく、その時の軍配は福の方に上がったようだ。
そこで、敗れた代償として、一つ相手の言うことを聞く羽目になったとのこと。
何を頼まれたかは、その手紙には書いておらず、天秀尼には分からなかった。
「一体、福さまから何を、頼まれたのですか?」
「おお、本命はこちらじゃ」
甲斐姫はどうやら、手紙の続きとなるものを天秀尼に渡すのを失念していたようで、懐から新たな封書を一通、取り出す。
受け取った手紙の正面には、大きく招待状と書かれていた。
一体、何の招待か興味が湧き、書面を開くと、そこには『寛永御前試合』との文字が目に飛び込んでくる。
「これは、一体、何ですか?」
「何やら、腕に覚えのある武芸者を集めて、家光の前で試合をさせるようじゃ」
なるほど、その強さを知る福が、甲斐姫を出場者として選抜したようだ。
となると、ここで疑問が一つ。
その宴会の余興で行われた賭け事というのは、はじめから、この試合に甲斐姫を引っ張り出すための罠だったのではないか?
無論、とっくに甲斐姫も看破しており、それが故に出場を渋っているようだ。
「今思えば、いかさまに嵌められたようじゃ。福に一杯、食わされたわ」
「では、出場なさらないのですか?」
「う・・む。それよのう」
嵌められたとはいえ、負けは負け。その場で見破れない自分も悪かった。
それでいて、約束を反故にするのは、甲斐姫の矜持が許さない。
かといって、すんなり出場するのも癪に障るのだ。
出るべきか、出ないべきか。二つに一つだが、なかなか決めることが出来ずに、思い悩んでいる。
甲斐姫としては、このような試合に出て、今さら名を轟かせるつもりなど、毛頭ない。
ただただ面倒なだけなのだ。
福との約束がなければ、一笑に付して破り捨てるところなのだが・・・
その時、天秀尼はあることを思いつく。
もしかしたら、天秀尼が抱く悩みも一気に解決できるかもしれない。
「この招待状、代理の者を立てることはできますか?」
「どういうことじゃ?」
ここで、天秀尼は右衛門と静子の問題を甲斐姫に打ち明けた。
その事情を知ると、甲斐姫も察する。
「なるほど、右衛門の奴を妾の代わりに出場させるのじゃな」
「その通りです」
将軍の前での武芸試合。
そこで好成績を収めることができれば、またとない右衛門の失地回復の機会となるのではないか。
おそらく兵法指南役の柳生宗矩もその場にいるはずだ。
当主の前での活躍は、これ以上ない機会のように思える。
「確かに右衛門の腕前は、妾も認める。よい成績を残すのは間違いないじゃろ」
「そうですよね」
どの程度の強者を集めているのかは分からないが、右衛門の強さであれば十分通用するはず。
それこそ、以前、共闘した三木之介の師匠である宮本武蔵あたりが出てきた場合は、分が悪いかもしれないが・・・
「いや、武蔵にも勝てるよう、妾が稽古をつける」
何かおかしな方向に甲斐姫の火がついてしまったかもしれないが、右衛門と静子の離縁に関する問題は、これで解決の方向に向かうと思われた。
この話を二人に持ちかけると、当然、驚いていたが、右衛門は逆に甲斐姫の修行の方に興味を持ち、俄然、やる気を出すのである。
招待状の返事は、福に断られる可能性があるので、当日まで代理を出すことを伏せることにした。
御前試合は一カ月後。
それまで、右衛門の猛特訓が始まるのだった。
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