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第7章 寛永御前試合 編
第76話 静子の夫とは・・・
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東慶寺で行われた天秀尼と静子の立ち合い。
終わった後で、甲斐姫が寸評を下す。
「静子は立ち合いで力みよったな。でなければ、ここまでの差が出る勝負ではない」
確かに天秀尼を完膚なきまで、叩きのめしてやろうと意気込み、余分な力が入ったことは否めない。
静子は、甲斐姫の明察を素直に認めた。
「おっしゃる通りです。相手の力量を見誤り、自分の力を必要以上に誇示しようと致しました」
「うむ。剣禅一如。剣は禅に通じる。剣を振るう際には、余計な雑念は捨てるのじゃな」
甲斐姫の金言をしかと胸に刻む静子。
その後ろで、天秀尼がにやにやしている。
気付いた甲斐姫は、咳ばらいを一つ、「まぁ、これは生臭坊主の受け売りじゃがな」と付け足した。
生臭坊主とは、沢庵禅師のことである。沢庵は幕府の兵法指南役である柳生宗矩にも助言するなど、剣の道にも精通しているのだった。
いざこざは、これで収束し、静子は当然、天秀尼を認めることになる。
改めて、和解の言葉を交わした。
「これまでの無礼の数々、どうかご容赦下さい」
「私は気にしておりません。こちらこそ、よろしくお願いします」
それからというもの、二人はすっかり仲良くなり意気投合する。
年齢は静子の方が十歳以上、上なのだが、天秀尼のことを敬ってくれた。天秀尼の方も、そのことに驕ることなく、長幼の序をわきまえた態度を崩さない。
お互いに尊敬の念を抱く関係が成り立ち、良い関係が続く。
そんな中、ある日のこと、静子が天秀尼に驚くべきことを告白する。
それは静子が縁切り寺のお世話になり、三年奉公の勤めをしている理由についてだった。
あまりにも個人的なことであり、本来、その話に踏み込むのは寺の中では、憚られるのだが、静子は、相談がてら天秀尼に聞いてほしいと持ちかける。
「実は、私の夫は寺役人の小栗右衛門さまなのです」
話ののっけから、とんでもない名前が飛び出してきた。
一度、気持ちを落ち着けないと、この先、静子の話が頭の中に入ってこないような気がする。
「ごめんなさい。私の知っている右衛門さんですよね?」
「ええ、夫からも天秀さんのお話は、何度も伺っています」
やはり、間違いないようだ。
しかし、右衛門とはかれこれ十年以上の付き合い。
それなりに人となりを知っているつもりだが、妻から離縁されるような人物とは思えなかった。
勿論、夫婦間のことは、当事者同士にしかわからないものだが・・・
「右衛門さんに、どこか気に入らないところがあったのですか?」
天秀尼の質問に静子は、いえいえと手を振って否定する。
口振りからも、右衛門のことを嫌っている様子がないため、天秀尼は質問を続けた。
「私は右衛門さんのことを尊敬しております。見る限り、静子さんも同じ。いえ、それ以上かとお見受けします。・・・何か、事情があるのですか?」
「師匠譲りの慧眼。その通りです。」
静子の話では、この離縁は見せかけとのことだった。
右衛門は柳生新陰流から破門を言い渡されており、その後、福に拾ってもらった縁で、東慶寺の寺役人を務めている。
これが天秀尼の知る右衛門の過去の話だ。
その他には国元に許嫁を残しているということだったが、それが静子のことであろう。
その静子、実は右衛門が剣の指導を受けていた師の娘だと聞いて、天秀尼は驚いた。
通常であれば、破門を受けた時点で婚約は解消されると思われる。
よく嫁入りまで許されたものだ。
「私には右衛門さまと同い年の兄、そして、祖父がおりました。彼らの理解と協力があってこそ、婚姻まで辿り着くことができたのです」
通常、その流派の発展を考えれば、自分の娘婿は後を継げる資格がある者から選ぶと思われる。それを破門した男に嫁がせるとは、何とも不安定な関係に思えた。
右衛門との婚姻は、相当険しい道のりだったことが想像できる。
静子は元より、協力してくれたという他の家族の努力がしのばれた。
「それで、どうして、今回、離縁という話になったのでしょうか?」
「それが、一番の理解者と言っていい祖父が亡くなると、風向きが変わったのです」
一門の長が変わった時が、方針転換の節目となる。それはよく聞く話だが、代が変わったことで、破門した弟子とのおかしな縁を断とうとしたのだろう。
それは、自然の流れのようにも思えた。
「父の言葉とはいえ、素直に受け入れ、右衛門さまと別れる気は、私にはありません」
「それで、この寺に参った理由というのは?」
「東慶寺さんのお世話になれば、三年後に離縁することが出来ます。ただ、逆を言えば三年間は離縁しなくて済むということになります」
理屈の上では、静子の言い分は正しい。ただ、離縁したくて訪れる者とは、発想が違う。
「その三年を利用して、どうしようというのですが?」
「その間に、右衛門さまが、父も認めざるを得ない手柄を立てることが出来れば、離縁は免れられると考えております」
それはかなりの難題のように思えるが、静子の思惑は理解することができた。
では、その手柄とは、具体的に何か思い当たることがあるのだろうかと心配になる。
その質問には静子も困った顔を見せた。
「そこで、天秀さまにお知恵を借りようと思い、今回、身の上を打ち明けたのでございます」
「えーっ」
ここまで話を聞き、相談を受けた以上、二人のことは何とかしてあげたいが、これはなかなかの大きな問題。
天秀尼は頭を抱えるのだった。
終わった後で、甲斐姫が寸評を下す。
「静子は立ち合いで力みよったな。でなければ、ここまでの差が出る勝負ではない」
確かに天秀尼を完膚なきまで、叩きのめしてやろうと意気込み、余分な力が入ったことは否めない。
静子は、甲斐姫の明察を素直に認めた。
「おっしゃる通りです。相手の力量を見誤り、自分の力を必要以上に誇示しようと致しました」
「うむ。剣禅一如。剣は禅に通じる。剣を振るう際には、余計な雑念は捨てるのじゃな」
甲斐姫の金言をしかと胸に刻む静子。
その後ろで、天秀尼がにやにやしている。
気付いた甲斐姫は、咳ばらいを一つ、「まぁ、これは生臭坊主の受け売りじゃがな」と付け足した。
生臭坊主とは、沢庵禅師のことである。沢庵は幕府の兵法指南役である柳生宗矩にも助言するなど、剣の道にも精通しているのだった。
いざこざは、これで収束し、静子は当然、天秀尼を認めることになる。
改めて、和解の言葉を交わした。
「これまでの無礼の数々、どうかご容赦下さい」
「私は気にしておりません。こちらこそ、よろしくお願いします」
それからというもの、二人はすっかり仲良くなり意気投合する。
年齢は静子の方が十歳以上、上なのだが、天秀尼のことを敬ってくれた。天秀尼の方も、そのことに驕ることなく、長幼の序をわきまえた態度を崩さない。
お互いに尊敬の念を抱く関係が成り立ち、良い関係が続く。
そんな中、ある日のこと、静子が天秀尼に驚くべきことを告白する。
それは静子が縁切り寺のお世話になり、三年奉公の勤めをしている理由についてだった。
あまりにも個人的なことであり、本来、その話に踏み込むのは寺の中では、憚られるのだが、静子は、相談がてら天秀尼に聞いてほしいと持ちかける。
「実は、私の夫は寺役人の小栗右衛門さまなのです」
話ののっけから、とんでもない名前が飛び出してきた。
一度、気持ちを落ち着けないと、この先、静子の話が頭の中に入ってこないような気がする。
「ごめんなさい。私の知っている右衛門さんですよね?」
「ええ、夫からも天秀さんのお話は、何度も伺っています」
やはり、間違いないようだ。
しかし、右衛門とはかれこれ十年以上の付き合い。
それなりに人となりを知っているつもりだが、妻から離縁されるような人物とは思えなかった。
勿論、夫婦間のことは、当事者同士にしかわからないものだが・・・
「右衛門さんに、どこか気に入らないところがあったのですか?」
天秀尼の質問に静子は、いえいえと手を振って否定する。
口振りからも、右衛門のことを嫌っている様子がないため、天秀尼は質問を続けた。
「私は右衛門さんのことを尊敬しております。見る限り、静子さんも同じ。いえ、それ以上かとお見受けします。・・・何か、事情があるのですか?」
「師匠譲りの慧眼。その通りです。」
静子の話では、この離縁は見せかけとのことだった。
右衛門は柳生新陰流から破門を言い渡されており、その後、福に拾ってもらった縁で、東慶寺の寺役人を務めている。
これが天秀尼の知る右衛門の過去の話だ。
その他には国元に許嫁を残しているということだったが、それが静子のことであろう。
その静子、実は右衛門が剣の指導を受けていた師の娘だと聞いて、天秀尼は驚いた。
通常であれば、破門を受けた時点で婚約は解消されると思われる。
よく嫁入りまで許されたものだ。
「私には右衛門さまと同い年の兄、そして、祖父がおりました。彼らの理解と協力があってこそ、婚姻まで辿り着くことができたのです」
通常、その流派の発展を考えれば、自分の娘婿は後を継げる資格がある者から選ぶと思われる。それを破門した男に嫁がせるとは、何とも不安定な関係に思えた。
右衛門との婚姻は、相当険しい道のりだったことが想像できる。
静子は元より、協力してくれたという他の家族の努力がしのばれた。
「それで、どうして、今回、離縁という話になったのでしょうか?」
「それが、一番の理解者と言っていい祖父が亡くなると、風向きが変わったのです」
一門の長が変わった時が、方針転換の節目となる。それはよく聞く話だが、代が変わったことで、破門した弟子とのおかしな縁を断とうとしたのだろう。
それは、自然の流れのようにも思えた。
「父の言葉とはいえ、素直に受け入れ、右衛門さまと別れる気は、私にはありません」
「それで、この寺に参った理由というのは?」
「東慶寺さんのお世話になれば、三年後に離縁することが出来ます。ただ、逆を言えば三年間は離縁しなくて済むということになります」
理屈の上では、静子の言い分は正しい。ただ、離縁したくて訪れる者とは、発想が違う。
「その三年を利用して、どうしようというのですが?」
「その間に、右衛門さまが、父も認めざるを得ない手柄を立てることが出来れば、離縁は免れられると考えております」
それはかなりの難題のように思えるが、静子の思惑は理解することができた。
では、その手柄とは、具体的に何か思い当たることがあるのだろうかと心配になる。
その質問には静子も困った顔を見せた。
「そこで、天秀さまにお知恵を借りようと思い、今回、身の上を打ち明けたのでございます」
「えーっ」
ここまで話を聞き、相談を受けた以上、二人のことは何とかしてあげたいが、これはなかなかの大きな問題。
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毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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