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第6章 悲運の姫 編
第74話 天秀尼誕生
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忠刻の死の真相を突き止めた天秀たち。
黒幕であった大野治房の生死は、不明のままだったが、一応の決着がついたとして、それぞれの地元に戻った。
肝心の仇を討てたかどうかは分からず、不完全燃焼という気持ちはある。
今回、関わった人間の共通の思いであったが、忠刻の死の背景にあった事情には考えさせられた。
結果、思い悩んだ三人が大きな決断を下す。
まず、一人目は宮本三木之介。
主君、本多忠刻の墓前に白装束を身に纏って座る。
後ろには介錯人の宮田覚兵衛が立っていた。
三木之介は、主君を守れなかったことを悔やみ殉死することを決めたのである。
その話を聞いた千姫は驚くが、武士の決意を止めることは難しい。彼の死を悼む心とは別に笑顔で送り出すことにした。
「今まで仕えてくれて、ありがとうございました」
「身に余るお言葉・・・大変、お世話になりました」
こんなやりとりが、昨夜、二人の間でとり行われ、今生の別れを済ませた。
そして、今、三木之介は忠刻に話しかける。
「忠刻さま、治房の悪事、防ぐことができず申し訳ございませんでした。三木之介は、これよりお近くに参ります」
そう言うと、見事、腹を掻っ捌き、切腹を決める。
享年二十三歳、剣術の才能溢れる若者のあまりにも早い死であった。
続いて、同じく播磨国姫路城にいた千姫は、娘・勝姫とともに本多家を出ることを決める。
忠刻の死は、巷で囁かれるような秀頼の祟りではなかったが、ある種、豊臣の亡霊が引き起こしたことと言えた。
大野治房のような輩が、また現れないとも限らない。二度と本多家に災いが降り注がぬようにする手段が、これだった。
自分が出て行くことで、簡単に解決出来るのであれば、千姫に迷いはない。
「そのようなことを気にするでない。逆に本多家が盾となり、千を守ろう」
義父・忠政は、そう言って、千姫を引き留めようとするが、決意は固かった。
また、このままでは化粧料の十万石も浮いてしまう問題がある。
忠刻の弟の政朝に継がせることを考えれば、千姫が姫路を去るのが一番なのだ。
姫路を出た後の行先は江戸を予定している。
将軍・家光も見識ある姉が近くに住むことを喜んだ。江戸城内の内曲輪にある竹橋御殿を改装し、千姫と勝姫を住まわせることにする。
更に千姫は出家して、名を天樹院と号した。
落飾の際には、弘経寺の照誉了学上人が戒師を務める。出家した以降は、二人の亡き夫のことを供養するのだった。
最後に東慶寺の天秀である。
千姫同様、今回の事件は彼女の心に大きな決断を促した。
何故、このような事態が起きたのか?
それは今の状態が、中途半端なのだと考える。だから、治房のような輩が天秀を利用しようと悪事を企てるのではないかと結論付けた。
ならばすることは、ただ一つだった。
「瓊山尼さま、甲斐姫さま。天秀は、本日より出家することを決めました」
この決断に両師匠は、当然、反対はしない。
天秀が東慶寺にやって来て、はや十二年。時期としても申し分なく、治房に拉致された事件を考えれば、当然の帰結とも言えた。
むしろ幕府に知られる前に、先に出家しておく方が吉のように思う。
「出家いたしても、弟子という立場は変わりませぬ。これからも精進するのですよ」
「まぁ、妾も同じと言いたいが、これからは、もっと厳しくするぞえ。覚悟をいたせ」
天秀には最低限の護身術が備わっていたが、それだけでは不十分だと甲斐姫は感じたのである。
無頼の輩をも撥ね退ける力がなければ、また、誰ぞに捕まる可能性があった。
討幕に利用されるくらいならば処分すべきという結論を、幕府が出す前に天秀を鍛え上げる。
天秀が二度と、身の危険を感じぬよう甲斐姫の技の全てを伝授する気になったのだ。
その件は天秀も望むところだが、これからは寺の中での生活となる。
今までのように時間を作るのは難しいのではないかと心配した。
「安心せい。先ほど、瓊山尼とも話し合って、妾も東慶寺の中で暮らすことにした。まぁ、代わりにおぬし以外の尼僧の修練も見ることになるがのう」
それを聞いて天秀はホッとする。新しい生活を始めるにあたって、心許せる人が近くにいるのは、実に心強い。
甲斐姫は東慶寺の書院を一部間借りして、暮らすことになったようだ。
これで大変になったのは従者の佐与である。
このところ、柏屋の仕事も手伝っていたため、あてにしていたお多江が佐与も寺に行かれると困ると泣きついた。
仕方なく甲斐姫の世話をしながら、御用宿にも顔を出すという往復を繰り返す生活となる。
今より、かなり忙しくなるが、天秀と離れるのも寂しく、御用宿の仕事も楽しくなってきたため、何とか頑張ってみせると胸を叩く。
その後、ある吉日、天秀の本格的な落飾が東慶寺の中で行われた。
今までは、いわゆるおかっぱのような髪型だったが、出家に伴って髪の毛を完全にそり落とすことになる。
形のいい頭が露わとなり、坊主頭となった姿を皆に見せると、天秀は、何だか照れた表情をした。
「うむ、立派な姿になったぞえ」
「何だか、風邪をひきそうですが、時期に慣れるのでしょうね」
お多江は感慨深いのか、その姿に涙腺が崩壊して、先ほどから泣きっぱなしとなる。
「・・天秀ちゃん・・・いや、これからは天秀尼だね。・・・頑張るんだよ」
「ありがとうございます。御用宿には、これからも顔を出しますので、よろしくお願いします」
「うん、うん・・・・」
本人は、分かったよと言っているつもりのようだが、言葉になっていない。
その他、利平や右衛門とも挨拶を交わした。瓢太の姿はなかったが、きっと、どこかで天秀の晴れ姿を見ていることだろう。
この日、ついに天秀は薙染し、東慶寺に入寺した。
ここに法号は天秀、法諱が法泰。
天秀法泰尼が誕生したのだった。
黒幕であった大野治房の生死は、不明のままだったが、一応の決着がついたとして、それぞれの地元に戻った。
肝心の仇を討てたかどうかは分からず、不完全燃焼という気持ちはある。
今回、関わった人間の共通の思いであったが、忠刻の死の背景にあった事情には考えさせられた。
結果、思い悩んだ三人が大きな決断を下す。
まず、一人目は宮本三木之介。
主君、本多忠刻の墓前に白装束を身に纏って座る。
後ろには介錯人の宮田覚兵衛が立っていた。
三木之介は、主君を守れなかったことを悔やみ殉死することを決めたのである。
その話を聞いた千姫は驚くが、武士の決意を止めることは難しい。彼の死を悼む心とは別に笑顔で送り出すことにした。
「今まで仕えてくれて、ありがとうございました」
「身に余るお言葉・・・大変、お世話になりました」
こんなやりとりが、昨夜、二人の間でとり行われ、今生の別れを済ませた。
そして、今、三木之介は忠刻に話しかける。
「忠刻さま、治房の悪事、防ぐことができず申し訳ございませんでした。三木之介は、これよりお近くに参ります」
そう言うと、見事、腹を掻っ捌き、切腹を決める。
享年二十三歳、剣術の才能溢れる若者のあまりにも早い死であった。
続いて、同じく播磨国姫路城にいた千姫は、娘・勝姫とともに本多家を出ることを決める。
忠刻の死は、巷で囁かれるような秀頼の祟りではなかったが、ある種、豊臣の亡霊が引き起こしたことと言えた。
大野治房のような輩が、また現れないとも限らない。二度と本多家に災いが降り注がぬようにする手段が、これだった。
自分が出て行くことで、簡単に解決出来るのであれば、千姫に迷いはない。
「そのようなことを気にするでない。逆に本多家が盾となり、千を守ろう」
義父・忠政は、そう言って、千姫を引き留めようとするが、決意は固かった。
また、このままでは化粧料の十万石も浮いてしまう問題がある。
忠刻の弟の政朝に継がせることを考えれば、千姫が姫路を去るのが一番なのだ。
姫路を出た後の行先は江戸を予定している。
将軍・家光も見識ある姉が近くに住むことを喜んだ。江戸城内の内曲輪にある竹橋御殿を改装し、千姫と勝姫を住まわせることにする。
更に千姫は出家して、名を天樹院と号した。
落飾の際には、弘経寺の照誉了学上人が戒師を務める。出家した以降は、二人の亡き夫のことを供養するのだった。
最後に東慶寺の天秀である。
千姫同様、今回の事件は彼女の心に大きな決断を促した。
何故、このような事態が起きたのか?
それは今の状態が、中途半端なのだと考える。だから、治房のような輩が天秀を利用しようと悪事を企てるのではないかと結論付けた。
ならばすることは、ただ一つだった。
「瓊山尼さま、甲斐姫さま。天秀は、本日より出家することを決めました」
この決断に両師匠は、当然、反対はしない。
天秀が東慶寺にやって来て、はや十二年。時期としても申し分なく、治房に拉致された事件を考えれば、当然の帰結とも言えた。
むしろ幕府に知られる前に、先に出家しておく方が吉のように思う。
「出家いたしても、弟子という立場は変わりませぬ。これからも精進するのですよ」
「まぁ、妾も同じと言いたいが、これからは、もっと厳しくするぞえ。覚悟をいたせ」
天秀には最低限の護身術が備わっていたが、それだけでは不十分だと甲斐姫は感じたのである。
無頼の輩をも撥ね退ける力がなければ、また、誰ぞに捕まる可能性があった。
討幕に利用されるくらいならば処分すべきという結論を、幕府が出す前に天秀を鍛え上げる。
天秀が二度と、身の危険を感じぬよう甲斐姫の技の全てを伝授する気になったのだ。
その件は天秀も望むところだが、これからは寺の中での生活となる。
今までのように時間を作るのは難しいのではないかと心配した。
「安心せい。先ほど、瓊山尼とも話し合って、妾も東慶寺の中で暮らすことにした。まぁ、代わりにおぬし以外の尼僧の修練も見ることになるがのう」
それを聞いて天秀はホッとする。新しい生活を始めるにあたって、心許せる人が近くにいるのは、実に心強い。
甲斐姫は東慶寺の書院を一部間借りして、暮らすことになったようだ。
これで大変になったのは従者の佐与である。
このところ、柏屋の仕事も手伝っていたため、あてにしていたお多江が佐与も寺に行かれると困ると泣きついた。
仕方なく甲斐姫の世話をしながら、御用宿にも顔を出すという往復を繰り返す生活となる。
今より、かなり忙しくなるが、天秀と離れるのも寂しく、御用宿の仕事も楽しくなってきたため、何とか頑張ってみせると胸を叩く。
その後、ある吉日、天秀の本格的な落飾が東慶寺の中で行われた。
今までは、いわゆるおかっぱのような髪型だったが、出家に伴って髪の毛を完全にそり落とすことになる。
形のいい頭が露わとなり、坊主頭となった姿を皆に見せると、天秀は、何だか照れた表情をした。
「うむ、立派な姿になったぞえ」
「何だか、風邪をひきそうですが、時期に慣れるのでしょうね」
お多江は感慨深いのか、その姿に涙腺が崩壊して、先ほどから泣きっぱなしとなる。
「・・天秀ちゃん・・・いや、これからは天秀尼だね。・・・頑張るんだよ」
「ありがとうございます。御用宿には、これからも顔を出しますので、よろしくお願いします」
「うん、うん・・・・」
本人は、分かったよと言っているつもりのようだが、言葉になっていない。
その他、利平や右衛門とも挨拶を交わした。瓢太の姿はなかったが、きっと、どこかで天秀の晴れ姿を見ていることだろう。
この日、ついに天秀は薙染し、東慶寺に入寺した。
ここに法号は天秀、法諱が法泰。
天秀法泰尼が誕生したのだった。
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