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第6章 悲運の姫 編

第73話 同じ人

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「あなたは、もうお終いです。観念なさった方がいいですよ」
天秀の呼び掛けに治房は大きく頭を振る。まるで、何もかもが間違っているという仕草だ。

「違う、違う、違う。観念するのはお前の方だ。何故、豊臣再興のために、その身を捧げようとしない」
治房は、自分が言っていることを信じて疑っていない様子。その姿は、まるで何かに取り憑かれているようだ。

ここは、豊臣家、最後の血筋として、徹底的に伝えきらなければならない。
それは天秀にしかできない使命なのだ。

「豊臣家を思う気持ちは、ありがたく思います。しかし、我らは戦に敗れたのです。武士には潔さも必要ではないでしょうか?」
「戦も知らぬ小娘が、武士の何たるかを語るとは、片腹痛いわ」

天秀の言葉では、治房の心に届きそうもない。
であれば、とる方法はただ一つ。

「では、豊臣家、最後の天下人の言葉を伝えます。父は、天下人とは万民の上に立つだけではなく、万民を慈しまねばならぬとおっしゃいました」
「それが、どうした」

「長き戦乱に飽いた多くの民は、今、泰平の世を望んでいます。豊臣が反旗を翻すことが民を安んじることに繋がりますでしょうか?そんな身勝手に、ついて来る民がいると、本気でお思いか!」
「くっ」

歯噛みするが、治房に返す言葉はなかった。大阪の陣では民どころか、豊臣側につく大名すら誰もいなかったのである。
その事実は、今でも鮮明に覚えていたのだ。

「それでは、豊臣は、太閤さまは何ために天下を治めたというのか?」
「信長公が基礎を造り、太閤さまが柱を建てた。その上に屋根を架けられたのが大権現さまです。このお三方、どなたが欠けても、今の世はありません」

治房は打ち震え、顔を真っ赤にする。分かっていたことを、自分の年齢の半分もいっていない天秀に諭されたのだ。
納得するのを本能的に嫌う。

「俺は認めん。認めんぞ」
治房は、そう叫びながら豊宝寺の中へと入って行った。

「天秀、追うぞえ」
「はい」

甲斐姫と天秀が治房を追って、寺の本堂へ入ろうとした時、きな臭い匂いとともに火の手が上がる。
火の足は速く、二人の行く手を炎の壁が遮った。

「これは、無理じゃな」
天秀と甲斐姫は入るのを断念する。
ここまで、一気に燃え上がるということは、火薬は何かを最初から仕込んでいたとしか思えなかった。

結局、治房は燃え盛る寺の中で息絶えたのか、それとも大阪の陣の時のように逃げ切ったのかは分からなくなる。
何ともやるせない終幕となるのだった。

地元の火消し組がすぐに集まりだし、火事の延焼を防ぐ作業が始まる。
後は、専門家たちに任せるしかないようだ。

天秀たちは、気を取り直して助けた大矢野母娘、山親子の元へ向かうと、そこで何やら、揉めていることに気づく。
その理由を察した天秀は、すぐに騒ぎの元へと駆けつけた。
甲斐姫と千姫も後に続く。

三人の姿を認めると正之が、困った顔をして話しかけてきた。
「申し訳ございませんが、この者たちの身元調べを行ってもよろしいでしょうか?」

事情を聞くと助かった際に、気が緩んだのか、十字を切っているところを正之の部下に見られたらしい。
その報告を受けた正之だが、千姫から救出を頼まれた人質だけに取り扱いに難儀していたのだ。

これは、下手な言い訳は無理だと判断する。
怯えて固まる四人の前に天秀は立った。

「この人たちは、悪漢・治房に捕まっていた天草の民です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「天草ということは、やはり・・・」

島原、天草の領民の多くがキリシタンである。当然、正之は、そのことを承知していた。
禁教令の取締りが厳しくなっている最中、正之も幕府の命には従わなければならない。

「この者たち、京都所司代に引き渡します」
「待ってください。この人たちと私、何か違いがありますか?」

正之の命で、捕らえようとするところ、天秀が体を張って阻止した。
部下が思わず、抜刀しかけたので、正之が慌てて止める。

「天秀殿、無理は言わないでいただきたい」
「分かっています。・・・でも、彼女たちも私も同じ人なのです。万民を慈しむ気持ちに差別を作りたくない」

涙ながらに天秀が訴えた。しかし、正之としても如何ともしがたい問題なのである。

「正之。彼女たちは、唐津藩からつはんの領民。であれば、藩主・寺沢広高てらざわひろたか殿に引き渡すのはどうですか?」

養女と弟、お互い苦慮している二人を救うため、千姫が折衷案せっちゅうあんを出した。
確かに一応、筋が通っていなくもないが・・・

正之が認めるかどうかは、また別の話。
だが、正之は折れる。

「ふーっ。天秀殿、あなたの考えはとても立派だ。私も天下は民があってこそ成り立つと考えております。いつか私もあなたのようになりたい・・・身柄は、寺沢殿に預けましょう」

と言っても、近江国から唐津藩まで、正之らが連れて行くというのは、現実的ではない。
放免とするための、いわば方便なのだ。
天秀は、正之の度量の大きさに感謝する。

結局、捕まっていた人たちは、瓢太が責任を持って天草へつれて行くことになった。
辺りには焼け焦げた臭いが広がっており、別れの場面に似つかわしくない情景であったが、深恵は天秀に深々と頭を下げる。

「ありがとうございました。天秀さまには感謝の気持ちしかありません」
「気にしないで下さい。いずれにせよ、あなたたちを救うことは、私にはできません。苦しい日が続くかもしれませんが、どうか頑張ってください」

「いえ、同じ人だと言って下さった天秀さまの言葉があれば、私は大丈夫です」
深恵の強い言葉が、頼もしく聞こえる。

彼女らが遠く地元を離れることになった原因は、豊臣再興に執着した、いわば生きた亡霊の仕業。
この事件は、大きく天秀の心の中に刻み込まれるのだった。
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