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第6章 悲運の姫 編
第64話 天秀の怒り
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大阪の陣を共に戦ったかつての同志、大野治房の名前が上がり、千姫と甲斐姫には、何か思うところがあるようだ。
先ほどから、黙ったままなのである。
千姫と甲斐姫、それぞれの胸襟は天秀には分からない。
あの頃、大阪城にはいたが、本当の意味で、あの戦いを経験したとは言えないからだ。
二人が言葉を発しないため、代わりに天秀が全登に、大事な確認をとる。
「その大野治房殿は、どうして忠刻さまのお命を狙ったのでしょうか?」
「申し訳ございません。そこまでは、私にも分かりかねます」
全登の答えは、期待外れに終わった。
ただ、天秀が気にしたのは、その治房の狙いが忠刻だけで終わるのかということ・・・
個人的な恨みなのか、もしかして千姫までを標的と考えているのかが、一番気になるところだった。
「大矢野殿。人質を取られているとのことですが、大野治房の所在は分かっているのですか?」
「そ、それは・・・」
いや、これは天秀の失言である。松右衛門には監視の目があるのだった。
千姫の命が危ないかもしれないと思い至り、考えもせずに、つい口に出してしまったのである。
口籠る松右衛門を見かねた全登が、代わりに話そうとした時、その松右衛門が全登を制した。
意を決して、秘事を話し始める。
「治房は、現在、近江国に潜伏しております」
松右衛門は厳しい表情のまま、間違いございませんと太鼓判を押した。
「これで、罪滅ぼしとなるとは思いませぬが、私も家族の事を諦めます」
「馬鹿な事を言わないでください」
質問した自分が悪いのだが、松右衛門の言いようは、腹をくくる意味をはき違えているように思えたのである。
天秀は久しぶりに本気で怒るのだった。
「忠刻さまの命も、あなたの家族の命も等しく尊いもの。そんなこと軽々しく言わないで下さい」
自分の娘とさして変わらぬ年齢の天秀に叱責され、松右衛門の目には涙が浮かぶ。松右衛門、自身も無理をして話した証拠だった。
「天秀の申す通りです。忠刻さまも、そのようなことは望んでおりません」
見張りの者には松右衛門の裏切りは知られただろう。
口から出した言葉を、もう戻すことはできないが、千姫も天秀に続いて窘めた。
そこで全登が、松右衛門を救う見解を述べる。
「おそらく松右衛門の家族は、大丈夫です。・・・治房の狙いは、きっと天秀さまに変わったと思われるからです」
「私にですか?」
全登が話す意味が、まったく分からなかった。
ただ、それだと違う問題が発生するような気がする。
「全登殿、それはどういう意味じゃ?」
「この地で天秀さまにお会いした時、何となく治房が考えそうなことが思い浮かんだのですが・・・天秀さまを旗印として豊臣家の再興を考えるのではないかと」
これにはさしもの甲斐姫も唸る。確かに天秀は、唯一、生き残った豊臣家の正統な血筋。
徳川の世に恨みを持つ者にとって、これ以上ない御旗となるだろう。
しかし、今から、徳川の世をひっくり返すなど、現実的な話とは思えない。
ましてや、天秀自身が豊臣家の再興など望んではいなかった。
だが、この治房の野望に巻き込まれた場合、今度こそ、徳川は天秀の命を断とうとするに違いない。
それは、絶対に阻止しなければならないのだ。
「狙いが私に変わった理由は、一応、分かります。ただ、それと大矢野殿の家族の安否と、どうつながるのでしょうか?」
「それは・・・おそらく天秀さまとの交渉の手札とするものと思われるからです」
人質を取ったので、代わりに言うことを聞けといったところか。
卑怯だが、天秀を相手にした場合、この上ない最高の手段とも言える。
「分かりました。それでは、その大野治房に会いに行きましょう」
「危険じゃぞ?」
「承知しております。ですが、大矢野殿のご家族を救うためには、他に方法が思いつきません」
この天秀の決断に甲斐姫も異を唱えることはしなかった。彼女の気性を考えれば、単独でも行きかねないため、初めから賛同しておいた方がいいのである。
残る問題は、夫の死の真相を突き止めるため、ともにやって来た千姫だった。
忠刻が殺されたことが明白となった今、人質を取られていたとはいえ、与した松右衛門に対して、どう決着をつけようとするのか?
そこに注目が集まる。
深く考え込んでいた千姫は、ふと、肩の力を抜いた。
「養女が、人の命を救うため動こうとしているのに、母の私が命を奪うことを考えては、笑われてしまいますね」
「千姫さま、ですが・・・」
家臣の三木之介が食い下がる。しかし、「良いのです」と言い切る。
松右衛門は、この温情に感謝し、手を地につけて頭を下げた。
実際、この謝罪ですっきりするわけではないが、元凶は大野治房である。
そう思い込むことで、何とか気持ちを整理する千姫だった。
千姫の依頼を受けて、九州までやって来たが、今度は近江国。
出発地の播磨国をも越える道のりとなるのだが、今は旅路の大変さよりも治房に対する怒りで、天秀の心が一杯となる。
何としても忠刻を殺した理由を問い質し、松右衛門の家族を救出すると誓うのだった。
先ほどから、黙ったままなのである。
千姫と甲斐姫、それぞれの胸襟は天秀には分からない。
あの頃、大阪城にはいたが、本当の意味で、あの戦いを経験したとは言えないからだ。
二人が言葉を発しないため、代わりに天秀が全登に、大事な確認をとる。
「その大野治房殿は、どうして忠刻さまのお命を狙ったのでしょうか?」
「申し訳ございません。そこまでは、私にも分かりかねます」
全登の答えは、期待外れに終わった。
ただ、天秀が気にしたのは、その治房の狙いが忠刻だけで終わるのかということ・・・
個人的な恨みなのか、もしかして千姫までを標的と考えているのかが、一番気になるところだった。
「大矢野殿。人質を取られているとのことですが、大野治房の所在は分かっているのですか?」
「そ、それは・・・」
いや、これは天秀の失言である。松右衛門には監視の目があるのだった。
千姫の命が危ないかもしれないと思い至り、考えもせずに、つい口に出してしまったのである。
口籠る松右衛門を見かねた全登が、代わりに話そうとした時、その松右衛門が全登を制した。
意を決して、秘事を話し始める。
「治房は、現在、近江国に潜伏しております」
松右衛門は厳しい表情のまま、間違いございませんと太鼓判を押した。
「これで、罪滅ぼしとなるとは思いませぬが、私も家族の事を諦めます」
「馬鹿な事を言わないでください」
質問した自分が悪いのだが、松右衛門の言いようは、腹をくくる意味をはき違えているように思えたのである。
天秀は久しぶりに本気で怒るのだった。
「忠刻さまの命も、あなたの家族の命も等しく尊いもの。そんなこと軽々しく言わないで下さい」
自分の娘とさして変わらぬ年齢の天秀に叱責され、松右衛門の目には涙が浮かぶ。松右衛門、自身も無理をして話した証拠だった。
「天秀の申す通りです。忠刻さまも、そのようなことは望んでおりません」
見張りの者には松右衛門の裏切りは知られただろう。
口から出した言葉を、もう戻すことはできないが、千姫も天秀に続いて窘めた。
そこで全登が、松右衛門を救う見解を述べる。
「おそらく松右衛門の家族は、大丈夫です。・・・治房の狙いは、きっと天秀さまに変わったと思われるからです」
「私にですか?」
全登が話す意味が、まったく分からなかった。
ただ、それだと違う問題が発生するような気がする。
「全登殿、それはどういう意味じゃ?」
「この地で天秀さまにお会いした時、何となく治房が考えそうなことが思い浮かんだのですが・・・天秀さまを旗印として豊臣家の再興を考えるのではないかと」
これにはさしもの甲斐姫も唸る。確かに天秀は、唯一、生き残った豊臣家の正統な血筋。
徳川の世に恨みを持つ者にとって、これ以上ない御旗となるだろう。
しかし、今から、徳川の世をひっくり返すなど、現実的な話とは思えない。
ましてや、天秀自身が豊臣家の再興など望んではいなかった。
だが、この治房の野望に巻き込まれた場合、今度こそ、徳川は天秀の命を断とうとするに違いない。
それは、絶対に阻止しなければならないのだ。
「狙いが私に変わった理由は、一応、分かります。ただ、それと大矢野殿の家族の安否と、どうつながるのでしょうか?」
「それは・・・おそらく天秀さまとの交渉の手札とするものと思われるからです」
人質を取ったので、代わりに言うことを聞けといったところか。
卑怯だが、天秀を相手にした場合、この上ない最高の手段とも言える。
「分かりました。それでは、その大野治房に会いに行きましょう」
「危険じゃぞ?」
「承知しております。ですが、大矢野殿のご家族を救うためには、他に方法が思いつきません」
この天秀の決断に甲斐姫も異を唱えることはしなかった。彼女の気性を考えれば、単独でも行きかねないため、初めから賛同しておいた方がいいのである。
残る問題は、夫の死の真相を突き止めるため、ともにやって来た千姫だった。
忠刻が殺されたことが明白となった今、人質を取られていたとはいえ、与した松右衛門に対して、どう決着をつけようとするのか?
そこに注目が集まる。
深く考え込んでいた千姫は、ふと、肩の力を抜いた。
「養女が、人の命を救うため動こうとしているのに、母の私が命を奪うことを考えては、笑われてしまいますね」
「千姫さま、ですが・・・」
家臣の三木之介が食い下がる。しかし、「良いのです」と言い切る。
松右衛門は、この温情に感謝し、手を地につけて頭を下げた。
実際、この謝罪ですっきりするわけではないが、元凶は大野治房である。
そう思い込むことで、何とか気持ちを整理する千姫だった。
千姫の依頼を受けて、九州までやって来たが、今度は近江国。
出発地の播磨国をも越える道のりとなるのだが、今は旅路の大変さよりも治房に対する怒りで、天秀の心が一杯となる。
何としても忠刻を殺した理由を問い質し、松右衛門の家族を救出すると誓うのだった。
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