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第5章 宇都宮の陰謀 編
第51話 不穏な空気
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無事に瓢太から、お稲のお守りを受け取った与五郎は、常に肌身離さぬように首からぶら下げた。
絵図の方は、まだ、完成していないと、やや心苦しく伝えるも、相手の男は気にしていないようである。
無茶を言う相手ではなく助かった。
あれから、棟梁たちの動きを気にしながら働いていたが、すでに開き直っているのか特段、気にする様子もなく釣り天井の部分を手掛けていた。
この釣り天井、実際、吊っている鎖は非常に細いものである。
絵図通りに仕上げなければならない以上、注文通りに大工仕事を行うのだが、あまりにも危険極まりなかった。
このままでは、作業のために人が乗っただけでも、すぐに天井が落ちてしまう。支えるための柱も同時並行で取りかからねばならなかった。
ただ、しっかりと固定しているわけではないため、下手をすれば作業中に大惨事ということもあり得るのだ。
「棟梁、ここ仮の固定だけでもしちゃ駄目ですか?」
「う・・ん。そうだなぁ」
与五郎の提案に棟梁も大分迷っているようである。仕事と割り切って、設計通りに工事を進めようと腹をくくったのだが、このままでは大工仲間の身も危なくてしょうがない。
そこで、留吉は本多正勝の下検分までに、元に戻しておけばいいかと考えた。
「よし、分かった。安全第一だからな」
与五郎の提案が通ると、天井部分を担当する留吉と与五郎で、せっせと天井と柱を固定できるような木枠を造る。
釘を使うと仮固定していたのが、見つかってしまうため、上手くはめ込んで動かないような木枠を考案したのだ。
そして、大工工事終了前に、この枠を壊せばいい。
いや、もしかしたら、安全を考えたら左官工事が終わってから外した方がいいのかもしれないとも留吉は考えた。
まぁ、それはおいおいのこと。この仮止め工事を追加した分の遅れを取り戻すため、二人は作業に集中した。
与五郎自身、見習いという身分ではあったが、筋は悪くない。持ち前の器用さもあり、その内に棟梁である留吉の信任を得るようになった。
それから、幾日か過ぎたある夜、留吉が青い顔をして与五郎の前にやって来る。
「棟梁、どうしたんですか?」
「それが、本当かどうか分かんねぇんだが、例の釣り天井、家光さまを事故に見せかけて暗殺するための仕掛けじゃねぇかって話を聞いちまったもんで、どうしたらいいんだか・・・」
それは、与五郎も以前から危惧していたことなのだが、棟梁もやはり結び付けて考えたようである。
「そいつは、誰から聞いたんですか?」
「いや、直接聞いたわけではなく、そんなことを正勝さまの近臣のお侍さんが話してたって、大工仲間の一人が言い始めたんだ」
あの釣り天井の実態を知るだけに、ただの流言飛語と笑い飛ばす内容ではなかった。
留吉自身も、工事自体に不信感を持っていたが、まさか徳川家二代に仕えた重鎮・本多正純が、そこまでの暴挙に出るとは想像の外の話。
しかも作業をする仲間内で、そんな話が広まっていては、明日からの仕事に支障が出るのは明白だった。
一度、受けた仕事。大工の棟梁としての矜持もある。
工程は、三分の二以上経過しており、作業も終盤。とはいえ、この完成間近の時期に失速しては、予定通りの落成とはならないと予想できる。
「明日、朝一番、正勝さまにかけあって、そんな根も葉もない噂だと言ってもらうように交渉してみるわ」
留吉は、そう言うが、与五郎は咄嗟に危険ではないかと心配した。実は外の人間から同様の話を聞いていることを正直に話すことにする。
ただ、外部との連絡がとれない警戒態勢の中、どうして与五郎がそんなことを知っているのかと、逆効果になってしまった。
そもそも予定通りに工事が終わらない場合、関わった全員が咎を受ける。これだけは、今のところ確定している事項なのだ。
今は、それを回避することを優先すべきではないかと、留吉は考えるのである。
「ちょっと、待ってくれ」
留吉は、そう言い残すと、一旦、与五郎から離れて自室に戻った。程なくして、戻ってくると、ある図面を手渡すのだった。
「これは予備の普請絵図だ。もし、万が一、俺の身に何かあった時は、この図面をその謎の男とやらに渡してくれ」
与五郎の言い分を完全に信じることは出来なかったが、仕事上で培った信頼は揺るぎなかった様子。
万が一の後事を与五郎に託す。
「いや・・・分かりましたが、本当に気を付けて下さい」
「なに、宇都宮藩の正式な仕事に滅多なことはないだろう。後になってから、笑い話に変わるはずだ」
その言葉を最後に、与五郎と留吉は別れる。
そして、本当に与五郎が聞いた最後の言葉となった。
毎朝、作業前に全員が集まって、本日の作業説明が棟梁からあるのだが、その場に留吉の姿はない。
代わって、宇都宮藩士の男が面倒そうな顔で立っている。
「棟梁の留吉は、急な体調不良でしばらく休むことになった。残りの作業は棟梁がいなくても各自の判断で進められると聞いている。工期に間に合うよう、よろしくお願いする」
けしてお願いするような態度ではなく、厳しい目で大工たちを睨みつけた藩士は、その後は椅子に踏ん反り返って座るのだった。
大工たちのざわめきは、暫く続くが、仕事を始めないと、この藩士から何を言われるか分からない。
仕方なく、皆、前日から引き続きの仕事を始めた。
留吉が殺されたことを確信した与五郎は、頂いた絵図を必ず瓢太に渡すことを誓う。
ここに集まったのは、報酬に目がくらんだ大工ばかりだったが、目に見えて後悔する雰囲気が漂うのだった。
絵図の方は、まだ、完成していないと、やや心苦しく伝えるも、相手の男は気にしていないようである。
無茶を言う相手ではなく助かった。
あれから、棟梁たちの動きを気にしながら働いていたが、すでに開き直っているのか特段、気にする様子もなく釣り天井の部分を手掛けていた。
この釣り天井、実際、吊っている鎖は非常に細いものである。
絵図通りに仕上げなければならない以上、注文通りに大工仕事を行うのだが、あまりにも危険極まりなかった。
このままでは、作業のために人が乗っただけでも、すぐに天井が落ちてしまう。支えるための柱も同時並行で取りかからねばならなかった。
ただ、しっかりと固定しているわけではないため、下手をすれば作業中に大惨事ということもあり得るのだ。
「棟梁、ここ仮の固定だけでもしちゃ駄目ですか?」
「う・・ん。そうだなぁ」
与五郎の提案に棟梁も大分迷っているようである。仕事と割り切って、設計通りに工事を進めようと腹をくくったのだが、このままでは大工仲間の身も危なくてしょうがない。
そこで、留吉は本多正勝の下検分までに、元に戻しておけばいいかと考えた。
「よし、分かった。安全第一だからな」
与五郎の提案が通ると、天井部分を担当する留吉と与五郎で、せっせと天井と柱を固定できるような木枠を造る。
釘を使うと仮固定していたのが、見つかってしまうため、上手くはめ込んで動かないような木枠を考案したのだ。
そして、大工工事終了前に、この枠を壊せばいい。
いや、もしかしたら、安全を考えたら左官工事が終わってから外した方がいいのかもしれないとも留吉は考えた。
まぁ、それはおいおいのこと。この仮止め工事を追加した分の遅れを取り戻すため、二人は作業に集中した。
与五郎自身、見習いという身分ではあったが、筋は悪くない。持ち前の器用さもあり、その内に棟梁である留吉の信任を得るようになった。
それから、幾日か過ぎたある夜、留吉が青い顔をして与五郎の前にやって来る。
「棟梁、どうしたんですか?」
「それが、本当かどうか分かんねぇんだが、例の釣り天井、家光さまを事故に見せかけて暗殺するための仕掛けじゃねぇかって話を聞いちまったもんで、どうしたらいいんだか・・・」
それは、与五郎も以前から危惧していたことなのだが、棟梁もやはり結び付けて考えたようである。
「そいつは、誰から聞いたんですか?」
「いや、直接聞いたわけではなく、そんなことを正勝さまの近臣のお侍さんが話してたって、大工仲間の一人が言い始めたんだ」
あの釣り天井の実態を知るだけに、ただの流言飛語と笑い飛ばす内容ではなかった。
留吉自身も、工事自体に不信感を持っていたが、まさか徳川家二代に仕えた重鎮・本多正純が、そこまでの暴挙に出るとは想像の外の話。
しかも作業をする仲間内で、そんな話が広まっていては、明日からの仕事に支障が出るのは明白だった。
一度、受けた仕事。大工の棟梁としての矜持もある。
工程は、三分の二以上経過しており、作業も終盤。とはいえ、この完成間近の時期に失速しては、予定通りの落成とはならないと予想できる。
「明日、朝一番、正勝さまにかけあって、そんな根も葉もない噂だと言ってもらうように交渉してみるわ」
留吉は、そう言うが、与五郎は咄嗟に危険ではないかと心配した。実は外の人間から同様の話を聞いていることを正直に話すことにする。
ただ、外部との連絡がとれない警戒態勢の中、どうして与五郎がそんなことを知っているのかと、逆効果になってしまった。
そもそも予定通りに工事が終わらない場合、関わった全員が咎を受ける。これだけは、今のところ確定している事項なのだ。
今は、それを回避することを優先すべきではないかと、留吉は考えるのである。
「ちょっと、待ってくれ」
留吉は、そう言い残すと、一旦、与五郎から離れて自室に戻った。程なくして、戻ってくると、ある図面を手渡すのだった。
「これは予備の普請絵図だ。もし、万が一、俺の身に何かあった時は、この図面をその謎の男とやらに渡してくれ」
与五郎の言い分を完全に信じることは出来なかったが、仕事上で培った信頼は揺るぎなかった様子。
万が一の後事を与五郎に託す。
「いや・・・分かりましたが、本当に気を付けて下さい」
「なに、宇都宮藩の正式な仕事に滅多なことはないだろう。後になってから、笑い話に変わるはずだ」
その言葉を最後に、与五郎と留吉は別れる。
そして、本当に与五郎が聞いた最後の言葉となった。
毎朝、作業前に全員が集まって、本日の作業説明が棟梁からあるのだが、その場に留吉の姿はない。
代わって、宇都宮藩士の男が面倒そうな顔で立っている。
「棟梁の留吉は、急な体調不良でしばらく休むことになった。残りの作業は棟梁がいなくても各自の判断で進められると聞いている。工期に間に合うよう、よろしくお願いする」
けしてお願いするような態度ではなく、厳しい目で大工たちを睨みつけた藩士は、その後は椅子に踏ん反り返って座るのだった。
大工たちのざわめきは、暫く続くが、仕事を始めないと、この藩士から何を言われるか分からない。
仕方なく、皆、前日から引き続きの仕事を始めた。
留吉が殺されたことを確信した与五郎は、頂いた絵図を必ず瓢太に渡すことを誓う。
ここに集まったのは、報酬に目がくらんだ大工ばかりだったが、目に見えて後悔する雰囲気が漂うのだった。
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